第百八話 リーナ、空を飛ぶ
2022.8.14 一文加筆修正しました。
ガルベス侯爵邸の宮殿のような大きな扉に入り、リーナ嬢が先頭になって案内される。
赤い絨毯が敷いてある数十メートルの貫通路の両側には、ずらっとメイドさんが並んでいて圧倒した。
「「「「「いらっしゃいませ。パトリシア様、マヤ様!」」」」」
パティの方が目上だから先に名前を呼ばれる。
メイドさんたちは老若混在で勿論ミニスカもいない。
だが百人はいるであろう人数でお迎え挨拶されるのは初めてだ。
「いやあ、どうもどうも…。」
成り上がり貴族の私は恐縮して頭を掻きながら歩く。
セレブなパティは堂々と歩いている。
若い子もおばさんも綺麗なメイドさんが多いなあと目をキョロキョロしていたら、パティがそれに気づいたようで、肘で軽く小突かれた。
ところどころで、若いメイドさんにクスッと笑われている。
はぁ…。貧乏性はまだ抜けそうにないね。
そのまま正面の階段から二階へ上がり、応接間に通された。
ほどほどの広さで、絵や調度品が飾ってあるが意外に下品さは無い。
メイドさんの整然さも見事で、本当にガルベス公爵が悪徳貴族なのかと疑うほどだ。
「お祖父様が少し話をしたいとおっしゃってな。
掛けて待っているがよい。」
私たちが椅子に掛けると、メイドさんがお茶を用意してくれている。
この香りは…、オレンジティーか。
リーナ嬢はどこまでオレンジ好きなのだろうか。
飲んでみると、オレンジジュースみたいにくどい味ではなく、口の中がサッパリしてオレンジの香りがするくらいのものだが、とても飲みやすい。
あまり子供向けでは無さそうだが、リーナ嬢はにこにこしながら飲んでいる。
もしかしたら将来はオレンジマイスターになれるかもしれん。
数分もするとガルベス公爵が現れ、パティと私は立ち上がる。
「侯爵閣下、本日はお邪魔させて頂いております。」
「ああ、うむ。掛けたまえ。」
私たちの対面にガルベス公爵がどかっと座り、その隣の席にリーナ嬢がいる。
「今日は孫の我が儘で世話を掛けるが…
空を飛ぶのは本当に大丈夫なんだな?」
「勿論大丈夫です。
しっかり手を繋いで、街を走る馬車と同じくらいゆっくり飛びます。
万一手が離れても落ちることはありませんので。」
「そうか。絶対安全なんだな?
もし怪我をさせたらただじゃおかないからな!」
「お祖父様、マヤとは友達になったんです。
友達が無為に怪我をさせることはないはずだから、ご心配いりませぬ。」
リーナ嬢がかばってくれた。
ガルベス公爵はよほど孫娘が心配なのだろう。
そもそもこの世界は飛行機も無ければドラゴンに乗って空を飛ぶみたいなこともないので、人間が宙に浮くことなんて天地をひっくり返すほど奇異なことだ。
「お任せ下さい。
今日はリーナ様にとって思い出に残るような日にしてみます。」
「☆ふぉぉぉぉ!☆」
リーナ嬢は目が星で輝くようにキラキラさせて私を見つめている。
よほど楽しみなのだろう。
「妾はもう待ちきれん! 早う行くぞ!」
リーナ嬢は子供らしく急かすが、ガルベス公爵がまた話しかける。
「モーリ男爵。
帰ってきたら昼食を用意させるから、三人で食べるがよい。
卿と二時頃に話がしたいが、それまでリーナの相手をしてやってくれるか?」
「承知しました、閣下。」
「うむ。」
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話が終わり、ガルベス公爵やお付きのメイド達も揃って、また玄関前に出た。
今日はパティも一緒に空を飛ぶことにしている。
前はおぶって空を飛んだが、今回は低速飛行なので手を繋ぐだけだ。
「じゃあ二人とも、私の手をしっかり握ってね。」
「うむ!」
「マヤ様… ポッ」
右手にパティ、左手はリーナ嬢だ。
リーナ嬢は普通に手を握ってるが、パティは恋人繋ぎをして顔を赤くしてる。
パティとはちゅっちゅした仲なのに、手を繋ぐことがまだ新鮮のようだ。
また二人でデートしたほうがいいかなあ。
私は二人の手をしっかり繋ぎ、グラヴィティの魔法を三人揃って全体的に掛ける。
そしてつま先が地面から離れ、ゆっくり浮かび上がる。
「☆おおおぉおぉおぉおぉおぉ!!☆」
リーナ嬢は大はしゃぎである。
メイドさん達や周りにいた人たちもいつの間にかギャラリーになっていて、おおっと歓声が上がる。
「リーナ! ちゃんと大人しくしているんだぞ!」
「お祖父様、わかってます! あーっはっはっはっ!」
「お嬢様、危のうございます! おやめください!」
「婆や! このマヤはマドリガルタの勇者じゃ! 心配いらぬ!
あーっはっはっはっはっ!」
私たちはさらに上へ上がり、グラヴィティの通常の限界である二十メートルほどの上空で停まった。
ガルベス公爵の屋敷は正面が二十五メートルくらいの高さがあるので、屋根上が見えない。
大型ショッピングモール並みで、それだけの巨大な建物というのがわかる。
「お祖父さまぁ~ おぉぉぉぉーい!!」
リーナ嬢が手を振ると、ガルベス公爵やメイドさんたちも手を振り返している。
私は風魔法を足先からゆっくり出力を増して、風を出す。
最初は歩く速度で王宮の方向へ進んだ。
「行ってきまあぁぁぁす!!」
リーナ嬢は一生懸命下へ向けて手を振っていた。
パティはにやにやと私の顔を見ている。
空を飛ぶことより私と手を繋いでいることのほうがよほど嬉しいのか。
少しずつ加速し、時速十五キロぐらいまで上げた。
大きな庭なのでなかなか抜けることが出来ないが、せっかくなので花畑や池をリーナ嬢でも上からは普段見ることがないだろうから、その上を飛んでみた。
「ふぉぉぉぉ! 綺麗じゃのう!
いつも見ておるお花畑がこんなにすごいとは思わなかったぞ!」
「マヤ様、本当に素敵です!」
赤、白、黄色、紫などまるで植物園のように花畑が広がっている。
北海道のラベンダー畑ほど広大ではないが、見に行ったときのことを思い出して懐かしくなった。
池の畔のガゼボでは貴婦人がお茶をしているのが見えて、リーナ嬢が騒ぐもんだからびっくりしてこっちを見上げていた。
街の上ではちょっと静かにしてもらわないといけないな。
マドリガルタは広いので自転車ほどの速度では時間が掛かる。
時速十五キロで余裕そうだったので、三十キロまで速度を上げてみた。
「きゃはははははははっ!
速い速い! まるで本当に鳥になったようじゃ!」
リーナ嬢は両腕を横に拡げて鳥になった気分を満喫している。
これなら彼女にとって思い出になりそうだ。
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王宮の上空に到着。
最初に訓練所が見えてきて、騎士団が訓練している中の隅っこで、いつものようにヴェロニカとエルミラさんが体術訓練をしていた。
邪魔をしてはいけないのでそのまま通り過ぎる。
王宮の時計塔があるのでその周りを周回。
時計の真下に点検用のバルコニーがあるので、いったんそこに降りて休憩する。
「おおおぉ! 王宮は何回も来ておるが、こんなところへ上がったのは初めてじゃ。
うほほっ 眺めが良いのう~」
相変わらずリーナ嬢はおおはしゃぎである。
パティはまるでデート気分のように私の腕を組んでぴとっとくっついている。
「マヤ様…、素敵ですね。私たち、まるで夫婦と子供みたい。うふふ」
リーナ嬢がバルコニーをうろうろしながらキャッキャと眺めている間、パティは小声でそう言ってきた。
景色じゃなくてそっちかよ…。
リーナ嬢とパティは三つしか違わないが、身体も精神も普通の十三歳よりは大人びていると思う。
それにしてもパティはよほど結婚願望が強いのか…。
「リーナ、そろそろ次の場所へ行こうか。
どこか行きたいところがあるかな?」
「のうマヤ。妾は屋敷からあまりどこでも外へ出たことがないのじゃ。
お祖父様や婆やはうるさくてのう。
学校も行かせてもらえず、家庭教師から教わっている。
秘密にするから、庶民がたくさんいるところへ連れて行って欲しい。」
「それならお安いご用だ。
市場の方へ行ってみようかな。」
「☆ふおぉぉぉぉぉぉ!!☆
行きたい行きたい行きたいぞ!!」
「じゃあ二人とも、また手を繋いで行こうか。」
学校へも行っていない箱入り娘だったのか。
それで私たちを友達として意識したんだな。
リーナ嬢にとって今日は本当に大事な日だろうから、思いっきり楽しませたい。
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私たちは遊覧飛行も兼ねてはるばる東の街までやってきた。
そう、インファンテ家の近所である。
セルギウスにリンゴを買ってあげた屋台がある市場へ降りる。
私は左手でリーナ嬢と手を繋ぎ、右腕にはパティがくっ付いている言わば両手に花に違いないのだが、大人っぽくなってきたパティに、背が低いリーナ嬢では本当に若夫婦と娘に見られてしまいそうだ。
「うわぁぁぁぁぁぁ! いろんなものが売れておるのう!
果物がいっぱい!」
ちょうどよく買い物をしてた青果店の前を歩いているところだ。
店主のおっちゃんが声を掛けてくる。
「おや!? あんた、子供がいたのかい!?
奥さんもべっぴんだねえ。
この前はありがとうねえ。
またリンゴを買いに来たのかい?」
「まあ、奥さんだなんて…ポッ」
パティは両手を頬に当てて顔を赤くし、身体をクネクネしている。
楽しそうなのでソッとしておこう。
「いやあ、知り合いの子が市場を見たいと言うから連れてきたんですよ。」
この子、オレンジが大好物なので一個もらえますか?」
「おお、今日は珍しいエンデルーシア産のいいのが入っているから…
よし、お得意様だから一個ならお嬢ちゃんにプレゼントするよ!」
「うほぉ! 店主、礼を言うぞ!」
リーナ嬢はおっちゃんから両手でオレンジを受け取り、皮を剥こうとしているが硬そうなのでパティが代わりに剥いてあげている。
「ありがとうございます。
またマドリガルタに来たら買いに行きますので。」
「よろしくお願いしますよ!」
リーナ嬢はニコニコ顔で美味しそうにオレンジを食べている。
パティも分けてもらったオレンジを食べていた。
「マヤもオレンジを食べるか?
これはいつも食べてるオレンジよりもっと甘いぞ!
友達は食べ物も分けないといかんからな。あっはっは」
私はリーナ嬢からオレンジの何房か分けてもらって食べた。
確かにエンデルーシア産のオレンジは王宮で食べたものより甘みが強い。
好みは後者のシルビアさんちのオレンジかな。
エンデルーシアかあ、懐かしいな。
ルイスさんと六人の奥さんは元気だろうか。
そう思っていたら、リーナ嬢が何か見つけたようだ。
「何だかいい匂いがするのう。あれは何じゃ?」
「あれはピンチョモルノといって、ピリ辛の焼き鳥串だよ。」
「た、食べてみたいぞ…。」
リーナ嬢は大きく目を見開き、よだれを垂らしそうな顔をしている。
「うーん、お昼ご飯があるから一本だけだよ。」
「やったー!!」
私は焼き鳥の屋台から三本のピンチョモルノを買った。
パティにもあげて、三人で行儀悪く歩き食いだがこれが美味いのだ。
食べ終えると、二人とも口周りがタレでベトベトになっている。
まったく子供そのものじゃないか。
私は手持ちのハンカチを水魔法で少し湿らせて二人の口を拭いてあげた。
前世で私が結婚して子供がいたらこうしていたのかなあという思いが、ふと頭をよぎった。
またリーナ嬢が何かを見つけた。
「マヤ、あの猫耳娘たちがパンツを丸出しにしておるが、どうしてじゃ?」
「あれは…、きっと暑いからだよ。」
「ふーん…。」
幼女相手なので苦し紛れに答えたが、彼女らは猫耳族の娼婦だ。
ビビアナに良く似た二人の猫耳娘が超ミニスカで歩いており、リーナ嬢の身長だとワ◯メちゃんみたいにぱんつが見えているのだろう。
きっと市場へ買い出しに来ているだろうから、近くに娼館街があるのか。
結局この世界に来てから娼館へ行くことがなく、女王には逆に男娼のような扱いをされてしまっている。
行ってみたい気もするが…、みんなのことを裏切るみたいなのでやめておこう。
すると、私があんまり猫耳娘を見ていたせいか、パティが無言で私の二の腕部分をつねっていた。痛い…。
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ドンッ
歩いていると、後ろから来た人がリーナ嬢に当たった。
彼女とは手を繋いでいたので転ぶことがなかったが…。
「何をする! 無礼者が!」
リーナ嬢が叫んでいる相手は、ゴロツキっぽい男の二人だった。
当たってきたのは髪を伸ばしっぱなしの髭面、もう一人はスキンヘッドだ。
不細工というか心が汚れていると顔に出ているし、体臭がキツい。
「あぁぁぁ? なんだこのガキ。
チビだから見えねえんだよ!」
「何だこの臭いう●こ野郎!
おお臭い臭い。鼻が曲がりそうじゃ。
これでは一生女に相手されないのう。きゃっはっは」
リーナ嬢が鼻をつまみながらゴロツキを煽っている。
あぁぁ… 面倒臭いことになったな。
箱入り娘なのに、どうしてあんな言葉を知っているのだろう。
「なにぃ? このクソガキいい気になりやがって!」
「クソはおまえだろ! きゃははははっ」
私がいるかと思って煽りまくってるのか。
はぁ…。
こんな子供を相手にしようとしてるこいつらもバカだが。
「うがー!!」
ゴロツキがリーナ嬢を蹴飛ばそうとしたので、エリカさんに教えてもらった闇属性魔法【ナイトメア】をゴロツキ二人に掛けた。
この魔法をかけられると悪夢にうなされてしまう。
ゴロツキは動きが止まり、白目になってポカーンと立ちすくんでいる。
「ん? こいつらどうしたのじゃ?」
「すごく悪い夢を見る魔法を掛けたんだよ。
一時間はこのままだね。」
「おお! マヤはさすがだのう!」
「リーナ、あれは言い過ぎだからやめようね。
私がいなかったら大変なことになるから。」
「はぁい…。」
リーナ嬢は少ししゅんとした顔をして、素直に聴いてくれた。
信用してもらっている相手の前ではいい子なんだねえ。
私が彼女にそう認めてもらっていることは嬉しい。
市場を一通り歩いたところで、私たちはインファンテ家近くの噴水公園へ向かい、ベンチで休むことにした。