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世界は君で満ちていた。  作者: 結城あいは
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プロローグ

僕の世界には、音というものが存在しない。

生まれた時からその状態で、もう慣れてしまったと言えばそうなのだけれど。

綺麗な旋律を奏でるらしい楽器の音も、歌手の美しい歌声も、母親の優しい声も、父親の温かい声も、自分の声も。


そして……君の声だって聞こえない。


君の紡ぐ言葉がどれだけ心地いいのか、僕は知らない。

君の姿は見えるのに、温かさを知ることはできるのに。

だけどどう足掻いても、君の声だけは知れないままだった。

君の声で、僕の名前を呼んでほしい。

絶対に聞けないわけじゃないんだと思いながら、毎日夢ばかり見ては君に恋焦がれていた。


僕を見ると顔を明るくして駆け寄ってきて、大きな瞳を輝かせて文字を書く。

すごいでしょ、と言わんばかりに君が見せてくる文章は、いつも決まって僕への愛だった。


『おはよう、今日も大好きだよ』


『今週の土曜日どこか行かない?』


『遥くんってばほんと可愛いね』


時には少し照れながら、時には少し楽し気にしながら、時にはあきれたような表情をして、僕にボードを渡してくる。

僕と君の会話に必須なホワイトボードには、綺麗な字で僕へのメッセージが綴られていた。




君に初めて出会ったのは、中学二年生の春だっただろうか。

父親の転勤で関東に越してきて早三週間。

あと四日で春休みが終わるというのにも関わらず、僕は毎日自室に引きこもってぼーっとしていた。

ああ、来年は受験かぁ、なんて他人事のように考えながら、春の柔らかくて暖かい空気にうとうとしていると。


『遥翔』


いつの間にか母さんが後ろに立っていて、目の前にスッとホワイトボードを差し出してきた。

そこには細く薄い筆跡で僕の名前が書いてある。


(……ああ、また説教モードか)


あの人ときたら、少しでも気に食わないことがあると理不尽にキャンキャン怒鳴ってくるので、僕にとってはいい迷惑だった。

剣幕は相当な物だし、そもそも聞こえないのに怒鳴ってくる。

聞こえない説教のために時間を使うなんて勿体なさすぎるだろう。


それでも母さんはまた怒鳴る。

怒鳴るというよりは叫んでいるのか……

考えたところで答えを知ることはできないから、もういいのだけれど。


ゆっくり喋ってくれれば、口の動きで何となくわかったりする。

だけど母さんは違うから、何が伝えたいのか、何を言いたいのか、何を思っているのか、全くもってわからない。

それがもどかしくないと言ったら嘘になるけど、もう半分諦めの気持ちを抱いていた。


今日もどうせ何かしら喚かれるのだろうと思っていた。

だけど、なんだか今日は様子が違う。


『少しは外に出なさい。あと四日で学校なのよ』


さらさらと書いて真顔でホワイトボードを押し付けてくる母さんに物怖じして、僕はしぶしぶ散歩に出かけることにした。



桜並木の道を、もうすっかり春だなぁなんて思いながら、重い足取りで前に進む。

桜の花びらが敷き詰められた公園のブランコに腰かけて、ゆっくり漕ぎ出す。

いい年した中学生が何してるんだか…そう思うけれど、僕はブランコに乗ったときの風が好きだ。

柔らかくて優しい風が頬を撫でていく。

その感覚が大好きだった。


そんな時。


誰かが隣のブランコに飛び乗った。

突然影が飛び出してきたのでびっくりして隣を見ると、女の子が人懐っこそうな笑みを浮かべて僕を見ていた。

同い年くらいだろうか?

僕が戸惑っていると、彼女が口を開く。


『     』


ああ、聞こえない。

こういうときが一番虚しいんだ、本当。

せっかく人がしゃべりかけてくれているのに、僕はその声を聞くことができない。

気まずくて唇を噛みしめると、きょとんとした表情を浮かべる彼女。

僕は持参したホワイトボードを取り出すと、耳が聞こえないと書く。

彼女は興味深そうにホワイトボードを見つめ、僕に微笑みかけた。

ふわりと温かい笑みを向けられた僕は、どうしたらいいかわからなくなる。

不器用に笑みを返して、澄み切った青い空を眺めた。

すると突然、彼女が僕からホワイトボードを引ったくり、さらさらとペンを滑らせる。


『私、神崎咲良。君は何て言うの?』


かんざき、さくら……心の中で彼女の名前を繰り返す。彼女に似合う、素敵な名前だ。

白い肌に桃色の頬、肩まで伸びた色素の薄い髪に、ぱっちりとした大きな瞳。

きっと僕は彼女に___咲良に、心を奪われたのだと思う。

咲良からホワイトボードを受け取り、不器用ながらに手を動かす。

〝瀬戸遥斗〟

僕の名前を呟いたのか、口元をもごもごと動かす咲良。咲良から目を離した僕は、太陽の光を透かして舞い落ちてくる花びらに目を細めた。

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