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老い花の姫  作者: 柚緒駆
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流星雨

 赤い正十二面体がいくつも連なった数珠のような物を握っては手を広げ、少し回してはまた握り、また手を広げる。占術師フロッテン・ベラルドは、俺のベッドの横でその作業を黙々とこなしていた。


 外はもう夜だ。窓は鎧戸が閉まっている。バレアナ姫は宿を見つけられただろうか。俺がふとそんなことを思ったとき、フロッテン・ベラルドの手が止まった。


「ロン・ブラアク親王殿下がどう出るかをおたずねでしたな」

「何かわかったかい」


「わかりはしませぬ。占術は何かがわかるものではござらぬ故に」


 まーたクセの強いヤツが集まって来やがった、思わず苦笑する俺にフロッテン・ベラルドは言う。


「ロン・ブラアク殿下が動くとしても、それは王子殿下の想定内、あるいはバレアナ姫殿下に対応可能な範囲内に留まるはずでございます」

「平たく言えば、慌てる必要はない、ってとこかな」


「左様。ロン・ブラアク殿下とて、さほどの馬鹿ではござりませぬ故、得手勝手に動いて良いかどうかくらいは判断ができましょう」

「丁寧な言葉でえらい辛辣だな」


「ただし」


 フロッテン・ベラルドは、手のひらの真ん中にある正十二面体の珠を見つめた。


「どのように動くにせよ、ロン・ブラアク殿下の願いが通じることはござりますまい」


 その言い回しが気になった。


「なあ、フロッテン・ベラルド」


 どこに目があるのかわからない毛だらけの顔だが、たぶん目があるのではないかと思われる部分を見つめて俺は問う。


「次の皇太子は誰になる。それももう占ってるんじゃないのか」

「ならば結論から申し上げましょう。占いはしましたが答は出ておりませぬ」


「答が出ていない? どういうことだ」

「出ていないことがもっとも正しい答であると言えましょう。この先には大きな混沌がございます。パルテアは何か申しておりませんでしたでしょうや」


 俺は頭の中にパルテアの記憶を引っ張り出した。


「俺にはさらなる困難が降りかかる、って言われたけどね」


「ならば、その通りになろうかと思われます。ただ、それが王子殿下お一人に降りかかる困難であるかどうかは不明でございます。それほどまでに大きな混沌が待ち受けているとお考えください」


 パルテアがフロッテン・ベラルドに宛てた手紙は、このあいだ読ませてもらった。あのパルテアが、リルデバルデ家の今後をこの男に託したのだ。適当な当てずっぽうを言っているとは思えない。


 おそらくこのフロッテン・ベラルドには未来が見えている。俺が思っているよりも、もっと鮮明に見えているのかも知れない。しかし、それならどうして全部話さないのか。話せない理由でもあるのか、もしそうじゃないなら、きっと簡単な理由だろう。


 つまり問われたことしか話す気はないんじゃないか。たとえそれ以外のことを知っていたとしても。だとしたら、問う側の想像力が試される。俺はいま何を問うべきなのか。


「……俺たちの当面の敵は、どっちの方角から現われる?」

「北でございます」


 フロッテン・ベラルドは、当たり前のように即答した。




 バレアナたちの宿は、その町の最高ランクだった。出発前に早馬を飛ばして、宿泊予定の町をロン・ブラアク側に指定しておいたのだが、宿泊料まで先に支払われているのはさすがに気持ち悪い。とは言え、曲がりなりにも同盟相手だ、無闇に機嫌を損ねても得るものはない。ここは黙って受け取っておくことにする。


 ともかく明日のことを打ち合わせしなければならない。夜の更けぬうちにロン・ブラアクに会っておこう。部屋付きの女中が開いた扉からバレアナが出たとき、廊下で待ち受けていたのはゼンチルダ。頭を下げるとこう言った。


「お恐れながら申し上げます、姫殿下」

「どうかしましたか」


 顔を上げたゼンチルダは青ざめて見えた。


「シャリティ殿下とミトラ殿下のお姿が見えません」


 一瞬目を見開いたバレアナだったが、すぐに平静を取り戻した。


「放っておきなさい」

「しかし」


「構いません。彼らを信頼しましょう」


 それだけ言い残すと、バレアナは歩き去って行く。何の心配もないと言わんばかりに。




 夜の闇をミトラは歩いていた。松明も持たず、ただ星明かりを頼りに。パルテアの元に戻るのだ、それだけを思いながら。


 その背後から、足跡が一つ近付いてきた。だがミトラは振り返らない。


「星の美しい夜ですな」


 シャリティはミトラのすぐ後ろを歩く。ミトラが逃げ出すかと思っていたのだが、彼女は淡々と、まっすぐに歩き続けていた。


「おや、流れ星が。あ、まただ。こっちにも流れた。なるほど、これが流星雨というヤツですか」


 しかしそんなシャリティの言葉にも、少女に空を見上げる様子や立ち止まる様子はない。


「人が死ねば星が流れる、そんな話を聞いたことがあります」


 シャリティもミトラを止めようとする意思はないように見える。


「母が亡くなったとき、空を見上げてみればよかった」


 少年の顔が空を見上げているのは、ただ星を見つめていたいからだろうか。


「余の母上は側室でした。余が生まれたときにウッドアード家には男子は余が一人だったのですが、三歳のとき本妻が男子を産みましてね。母上と余は領地の端の小屋に住まわされたのです。まあ小屋と申しましても、そこいらの庶民の家よりは立派です。おかげで自分が忌み子だと理解したのは八つ。それまでは裕福な家庭だと思っていましたよ」


 ミトラの足は止まらない。シャリティはまるで気にしていないように話し続ける。


「母上は誇り高い女性でした。他人に媚びることなく、常に孤高を保ち、己を律し、正義を断行する。とは言え神様ではありませんから、余は母上の言動に振り回されっぱなしでした。何度理不尽を覚えたか数えきれません。それは成長するごとに、大人たちの言葉の裏を理解するたびに増えて行きました。母上にもう少し協調性があれば、余はもっと子供らしい子供でいられたのでしょう」


 シャリティの足取りが、少しゆっくりになる。


「けれど、余は母上が大好きでした。三年前、十歳の秋に天に召されるまで……いや、いまでもです。いまでも、余は母上が大好きです。母上の息子として生まれたことを誇りに思います。だから胸が痛い。いまでも張り裂けるように痛い。いっそこの心臓が止まってしまえばいいと思うほどに。この痛みは、一生消えないのかも知れません。それでも」


 ミトラを見つめるシャリティの目から涙がこぼれ落ちている。その視界の中で、ミトラは立ち止まった。


「それでも、余は生きて行かねばなりません。誇りある母上の息子として、この世界に生まれてきた価値を体現せねばなりません。さもなければ母上からこの身に受けた愛情に、報いる方法がないではありませんか。母上が人生を賭して護ろうとしたこの命に、意味があるのだと証明したい。それがいま余の生きる理由です。笑いますか、ミトラ様」


 立ち止まったミトラはうつむいたまま振り返ると、シャリティに歩み寄り静かに抱きしめた。


「笑わない」


 その肩が小さく震えている。


「つらかったね」


 ミトラの言葉にシャリティはうなずく。


「はい、つらいです」

「苦しかったね」


「はい、苦しいです」

「ごめんね」


「あなたが謝ることなど、何もないのですよ、ミトラ様」


 空にはまた星が流れる。いくつも、いくつも。静かに、音もなく。まるで何かを祝福するかのように。

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