命の貴賤
地面に横たわったパルテアの死体の手を組ませ、ひざまずいたフロッテン・ベラルドは深く息を吐いた。
「……誤解なさらないでいただきたい」
その言葉は誰に向けられたものか。
「パルテアの人生はパルテア自身が決めた形で終わっただけのこと。誰かの罪でも誰かの責任でもござらぬ」
理屈は理解できる。だけど。俺は何と言えばいいのか、言葉が浮かばない。
「未来が見えるのは、人として決して幸福なことではござらん。人間は知らない方が良い事実があまりに多過ぎるが故に。されど、そんな中でパルテアは、自ら望んだ形の死を迎えられた。どうか、祝福してやって、くださら、ぬだ、ろう、か」
声が震えている。そしてフロッテン・ベラルドは地面を拳で殴りつけた。
「未熟。修行が足らぬ」
血の滲むような声を吐き出すと、その顔――毛だらけでどこが顔だかよくわからないが――を俺に向けてこう言う。
「王子殿下にお願いの儀がござる」
爆炎魔法の一撃。人の姿の毒獣となった兵士たちが吹き飛び肉片となる。だがその向こう側にキリカ、ノロシ、デムガン、ヒノフ、ミノヨの姿がある。ウストラクトはさらにその向こう側だ。
ジュジュは悔しさに歯がみをした。思わず反射的に爆炎魔法を使ってしまったが、この期に及んで自分の身など護っても意味がない。ウストラクトに可能な限り近付いて召喚魔法を唱えれば、自分は死んでも相手を確実に倒せたのに。
だがもう魔力が残っていない。体力も精神力も尽きかけている。万事休す、か。
ヒノフとミノヨ、そしてノロシが前に出た。この三人はいつも行動を共にしていたが、こんな有様になっても一緒に戦うのか。ジュジュの口元に笑みが浮かんだ。こんな終わり方も悪くないのかも知れない。
三人が跳んだそのとき、赤い閃光が宙を走る。ヒノフとミノヨ、そしてノロシの体は肉片となった。ジュジュが振り返れば、足をよろめかせて立つアルバの姿。
「ジュジュ、回復魔法だ」
そう口にするアルバをしばし呆然と見つめていたジュジュだったが、やがて笑顔でうなずき、右手のひらを向ける。パッと明るくなった直後、ジュジュは倒れた。精根尽き果てたのだ。
「……三割程度の回復か」
アルバに浮かぶ獰猛な笑顔。
「十分だ」
右手には魔剣ギルゾノームが赤く輝く。キリカとデムガンが動くより先にアルバは走った。声も上げずに肉片となる二人。しかしアルバは足を止めない。そのままウストラクト皇太子の元に一気に駆け寄る。
皇太子の口が動いた。何かを言おうとしたのかも知れない。だがもう、そんなことはどうでもいいのだ。アルバは魔剣ギルゾノームの赤い刃をウストラクトに叩き付ける。
けれどアルバは目をみはることとなった。ウストラクトが素手でギルゾノームの刀身をつかみ止めているからだ。
「ほう」
ウストラクトの表情が動いた。
「握っても砕けないのか。さぞ名のある魔剣なのだろうね」
「貴様、人を捨てたのか!」
叫ぶアルバにウストラクトは笑みを返す。
「人であり続けることに何の価値があろう。魔剣を手にした君に、この真実が理解できない訳があるまい」
ウストラクトが軽く腕を振ると、アルバは反対側の壁にまで飛ばされ、叩き付けられた。
「お……のれ」
床にずり落ちながら、なおも抵抗を見せようとするアルバに、ウストラクトはゆっくりと近付く。
「王は強くあらねばならない。何とも馬鹿げた思想だ。王に強さなど不要なのだ、本当なら。だがこの古い国では、強さは一つの物差しとなる。いずれ王を真に王たるべき存在と為すためには、まだしばらくは強さが求められるだろう。過渡期の王として、私には強さが必要だ。大変残念なことにね」
魔剣ギルゾノームを支えにアルバは立ち上がった。だが膝が笑っている。剣を構えることすらできない。
「殺す……殺してやる」
「可哀想だが、君では私の強さに及ばない」
アルバに伸びるウストラクトの手。しかし、トドメを刺すには至らなかった。皇太子の背後から声が聞こえたからだ。
「どうやらそのようだな」
ウストラクトが静かに振り返れば、顔を包帯でグルグル巻きにした白髪の男。その右手には白く輝く魔剣。
「世界樹の種を飲んだか」
「ほう。詳しいのだね」
ウストラクトは手を下ろし、棒立ちになる。しかしそこに不安は見えない。
白い魔剣の男は言った。
「おまえは確かに強さを得ている。だが、強さを理解していない」
「どういう意味かね」
首をかしげるウストラクトに、相手は落ち着いた足取りで近付く。
これにアルバが怒りを向けた。
「待て! ランス、そいつはこの手で!」
「ランスではない、俺の名はランシャだ」
皇太子はくすっと小さく笑った。
「覚えておこう、ランシャ」
「俺の名を覚える意味などない」
「不思議なことばかり言うのだね、君は」
柔らかく持ち上がった手がランシャに向けられる。だがそれは一瞬のこと。次の瞬間には肘から先が消え失せてしまった。
困惑するウストラクトにランシャは繰り返す。
「おまえは強さを理解していない。だから蟻は踏み潰せても、獅子は踏み潰せない」
「私は殺されるのかね」
「答えるまでもない。安心しろ、娘もすぐに後を追う」
このとき初めて、ウストラクト皇太子の顔に感情らしき物が浮かんだ。
「……何をする気だ。オブレビシアに何をする気だ! 貴様、許さ」
首が飛ぶ。ウストラクトの首は音もなく宙を舞い、ゴトリと音を立てて床に転がった。そこに貴賤はない。いかに高貴な血を引こうと、死ねばただの物体と化すのだ。
すすり泣きが聞こえる。もちろん死者の恨みの声ではない。アルバが泣き崩れているのだ。ランシャはジュジュに目をやる。意識はないが息はしている。生き残っているのはこの二人だけか。
しばし白い魔剣を見つめると、ランシャは質問に答えるかのようにこうつぶやいた。
「成り行きというヤツだな」
朝が来た。しかし光が差す前から、王宮は蜂の巣をつついたような大騒ぎになっている。皇太子の宮殿が襲撃を受けたとの早馬があり、その後、近衛隊の隊長によってウストラクトの死亡が確認されたのだから。
建前はどうであれ、実質的なことを言えば、末端の王族と皇太子とで命の価値は同じではない。亡霊騎士団なる連中が暴れ回っていることは知っていたが、それが即この国の体制に影響を与えるとは王宮の誰も考えていなかった。
だから世間向けには動揺するな、落ち着けと言いながら、実のところ政府は適切な対処など何もしていない。鬼神の仕業でもあるまいに、いずれどこかで討ち取られるに違いない、そんな甘い目算があったのだ。
だが皇太子の死の持つ意味は、ただ王の跡継ぎが死んだというだけではない。国家のメンツが丸潰れであり、国内には不安定さを、対外的には弱体化の印象を与える。それがただの印象だけで終わってくれればいいが、実力を行使する周辺国が出て来ないとも限らないのだ。
さらに厄介なのは、次の皇太子を誰にするかだ。
常識的に考えるなら序列二位のイボルト・ネーンがなって当然である。だが、イボルトは重い病に伏せっている。皇太子の責務をまっとうできるはずもない。
ならば序列三位のロン・ブラアク・ソジアンを皇太子とするのか。しかし有り体に言えば、ロン・ブラアクには人望がない。家柄血統的には文句なしだが、本人の資質に問題がある。王家主催の饗宴にすら顔を出さず、他の王侯貴族と横の繋がりを持たない。とても王の器とは思えないという意見が少なからずあった。
ではいっそのこと、ウストラクトの一人娘オブレビシアに王位継承権第一位を横滑りで与えてはどうか。我が国には女王を禁止する規定はない。そんな意見も出るほどに侃々諤々の議論が巻き起こった。まだウストラクトの葬儀の日程すら決まっていないというのにである。




