光の群れ
食堂に入ってきたレイニアは恐れをなして右手で顔を隠し、シャリティの方を見ないようにしている。その目が俺の方を見た。俺とパルテア、そして背中を向けたミトラ姫が視界に入ったはずだ。すると。
「ふわぁ」
珍妙な声を上げてレイニアが立ち尽くす。右手で顔を隠すのも忘れてしまったかのように、表情は恍惚としてさえ見えた。
「レイニア、何が見えた」
たずねた俺の声が聞こえたのか聞こえなかったのか。しばし潤んだ目でミトラ姫の背中を見つめると、ため息交じりにこう答える。
「光、です」
「光?」
「たくさんの光が、大きな光、小さな光、強い光、弱い光、いろんな光がこの方を護るように包んでいます。凄いです。こんな方は初めてです」
語彙が少なくなっているのは、おそらく頭の中が感情でいっぱいになっているのだろう。しかしそんなに凄いのか。自分の目で見られないのは残念だな。
ミトラ姫はまた黙々と、味わう気すらない顔で食事を続けている。俺は言った。
「ミトラ姫様……いや、ミトラ」
ミトラの手が止まり、感情の浮かばない目がこちらを見つめる。だが、次に口から出す言葉次第でお前を判断してやる、という意思が目の奥に見えた。いいだろう、どう判断するか見せてくれ。
「ネーンの家を捨てる気はないか」
しかしミトラの感情は動かない。いまさらそんなものを捨ててどうなると言いたげだ。
「俺はネーンの家に『捨てられた』キミを見たくはない。ネーンを『捨てた』キミが見たい。その上で、バレアナ姫の軍師をしてくれないか」
これにはバレアナ姫が驚きの声を上げた。
「それはいったいどういうことです。勝手に」
「勝手なのは申し訳ないです。でも、たぶんそれが一番いい。これからの局面、僕は後ろに控えるより前に出た方が話が早いでしょう。あなただってわかっているはずだ」
「しかし」
まだ何か言いたげなバレアナ姫に一度うなずいて、俺はまたミトラを見つめた。
「敵に回すのは軍隊だけじゃない。魔法使いや魔物も相手にしなきゃならないだろう。誰にでも務まる仕事なら俺がやる。でもたぶん、これはキミじゃなきゃ無理だ。どうかな」
ミトラは口の中の物を飲み込むと、視線をそらせた。
「……何で私じゃないと無理」
「パルテアがそう信じてる」
そう答えた俺の言葉は、ミトラには十分ではなかったようだ。
「それは占いが」
「占いの結果を信じるにも理由はいるんだ。これがもしキミじゃなかったら、パルテアはそれを信じなかったかも知れない」
しかしミトラは、まだ抵抗するかの如く首を振った。彼女がこれまで何を言われ、どう扱われてきたかを思い出すように。
「私は……私はゴミクズみたいな」
「キミはゴミクズじゃない。キミ自身がそれを証明できるはずだよ、キミを信じる者さえいれば」
するとミトラはうつむき、小さくため息をついた。
「窮鼠猫を噛む」
「猫?」
俺の返事が間抜け過ぎたのか、ミトラの口元に笑みがこぼれる。
「相手の逃げ道をすべて潰してはダメ。無駄な反撃を食らうから」
「なるほど、ちょっと言葉が過ぎたかな」
ミトラの伏せていた視線が上がって俺を見た。イタズラっぽい子供らしい目で。
と、そのとき。どこからか大きな鐘の音が聞こえてきた。
「何事ですか」
立ち上がろうとするバレアナ姫に、手のひらを見せて抑える。シャリティが立ち上がっているが、これは気にしない。
「大丈夫ですよ、これもオマジナイなんで」
俺はそう言いながら席を立ち、窓際へと向かった。そしてのんびりと窓に沿って歩くと右端から三枚目の窓を開く。すると鐘の音は止まり、何やら粘液にでも包まれているかの如く、長い棒がゆっくりと入って来た。いや、棒ではない。太い矢だ。
やがて矢は床に届くと、ボテッと落ちた。
前回と同じく、矢には文の書かれた紙が巻き付けてある。しゃがんで広げてみれば。
――今夜半、人質を連れて行く。バレアナ姫を差し出せ
相変わらず素朴かつ曖昧な脅迫状だ。いったいどこに人質を連れて来るつもりなのか。門の向こう? 屋敷の前? それとも屋敷の中か? だいたい夜半の幅が広すぎるだろう。どう転んでも人質を返すつもりなんかないとしか思えない。
背後からのぞき込むバレアナ姫の顔に深刻さが浮かんでいる。俺は脅迫状をヒラヒラさせながら歩き、ミトラの前に置いた。
「どう思う」
「心理攻撃」
十二歳の女の子は即答した。俺は重ねて問う。
「どうすればいい」
「成功条件は」
「バレアナ姫を護りきること」
「人質は」
ミトラの真剣な目が俺を見つめている。俺は素直に答えた。
「そりゃあ奪還できるなら、そうしたい」
「優先順位は一つ目がバレアナ姫、二つ目が人質、三つ目が敵を倒すこと、それでいい?」
「できるのか」
「全部は難しい。私は敵を知らないし、こちらの戦力も知らない。でも全部やろうとしないと、たぶんどれ一つもできない気がする」
いい返事だ。俺はうなずいた。
「わかった。じゃ、俺たちは何をすればいい」
「情報を。少しでも多くの情報を」
いまのミトラの目には、もはや哀しみはない。占い師パルテアは、目に涙を浮かべてそれを見つめていた。




