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老い花の姫  作者: 柚緒駆
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許しを請う姫

 かつて大陸最強と謳われた黄昏の魔女ジルベッタの伝説も、もはや知る者すら絶えたこの時代、皇太子ウストラクトの巨大なガラス温室を早朝に訪れる老婦人が一人。痩せのノッポと小柄なデブッチョ、二人の道化がそれに気付く。


「これはまた、お早いですな、ハイ」

「相変わらず、お元気そうで何よりなのデス」


 老婦人は優しげな笑みでうなずく。


「あらあら、あなたたちもご苦労様。殿下はおいでですか」


 二人の道化も笑みを浮かべ、草の蔓が壁のように絡み合う方を振り返った。そこにはまた夢中で虫眼鏡をのぞき込む寝間着姿のウストラクト皇太子が。


「殿下」


 老婦人が声をかけると、ようやく気付いたのか、皇太子はキョトンとした顔で振り返った。


「どうした、ジルベッタ。何かあったのか」


 すると老婦人ジルベッタの大きなスカートの向こう側に隠れていた小さな影が、怖々顔を出す。


 皇太子は驚きの顔を浮かべた。


「オブレビシア」

「ごめんなさい、父様。今日はドレスがとてもよく着られたので、ばあばにお願いしたの。父様に見てほしいって」


 叱られると思っているのか、半べそをかいているオブレビシアに、皇太子は苦笑した。


「こっちにおいで。ドレスを見せてごらん」


 ジルベッタの陰から出てきたオブレビシアは、泣きそうな顔のままクルリと回った。白いドレスの裾がヒラヒラと広がる。


「素晴らしい。とても素敵だよ、オブレビシア」


 嬉しそうにはにかむオブレビシアの髪を撫でながら、皇太子はジルベッタに小さく頭を下げた。


「朝早くから済まない」

「あらあら殿下、もったいのうございます。本日はまた午後からお客様とのことでしたので、ならば朝からと思いましたまで。年寄は朝が早うございますからね」


 と、そのときである。


「何をしているのですか!」


 背後から聞こえた金切り声に、オブレビシアはジルベッタのスカートの陰へと隠れた。そこに下女を三人引き連れた、無闇にヒラヒラの多い薄手のドレスをまとう女が、二人の道化を突き飛ばすかのように近付いて来る。そして人を呪い殺しそうな視線で憎々しげにオブレビシアをにらみつけた。


「蛮族の小娘が何故ここにいるのですか! 汚らわしい!」


 ジルベッタはオブレビシアを背中に隠すと、女に笑顔を向ける。


「あらあら、これは奥様、おはようございます」

「おまえなどに用はありません!」


 怒鳴る女とジルベッタの間に、皇太子が割り込んだ。


「ダナリー、今日は午後から来るはずだろう」


 するとダナリーと呼ばれた女は、今度は皇太子をにらみつける。


「何故私が、皇太子正夫人のこの私が、宮殿に来る際いちいち連絡をしなくてはならないのですか! ここは私の宮殿でもあるのですよ!」

「勝手に出ていったのは君だろう」


「あなたが追い出したのでしょう! あの蛮族の女を寵愛するから!」


 ウストラクト皇太子がやれやれ困ったという顔をすれば、ダナリーの怒りの炎にはさらに油が注がれ、その狂気をはらんだ目がオブレビシアに再び向けられる。彼女の白いドレスにその手を延ばさんとしたとき。


「ぐぇっ」


 妙な声を上げてダナリーは首を押さえた。その顔が苦しみに歪み、周りの下女に何か言おうとするのだが、「ぐえっ、ぐえっ、ぐえっ」としか声が出て来ない。何か尋常ならざる事態が怒っていることを感じ取ったのだろう、ダナリー第一皇太子妃は背を向けると走り去ってしまった。下女たちは慌ててその後を追いかける。


 二人の道化は呆気に取られ、肩をすくめた。


 ウストラクト皇太子はため息を一つつくと、ジルベッタに探るような視線を送る。


「私もまだまだ修行が足りませんね。完全に油断しておりました」


 ジルベッタはそう面白くなさげにつぶやき、そしてスカートの陰に隠れるオブレビシアへと優しい笑みを見せた。




 石畳の道を馬車が走る。行く先はライナリィ・ラインナル孤児院。町の様子は以前とは違う。景色は同じでも空気が違った。人々が無言で馬車に向ける視線は、悲哀と恐怖、そして申し訳なさの入り交じったもの。いつ自分たちに罰が下されるのだろう、そんな疑念が目に見えるようだった。


 これは早い段階で何とかした方がいいのかも知れない。だが、その判断をするのは俺じゃない。向かいに座るバレアナ姫は、いつものように凜と背筋を伸ばし、静かに馬車に揺られている。


 やがて蹄の音が孤児院の前にまで届いたとき、そこには町の人々が集まっていた。誰かが命じた訳でもあるまい。促されたのでもないだろう。人々は、大人も子供もみな自ら進んで肩を寄せ合いここに集まっている。馬車を取り囲むように、近付き過ぎず、離れ過ぎない距離を保って。


 馬車が停まり、御者のターベルがドアを開く。姫は普段通りに降り立つと、凜とした顔を正面に向けた。そして。おもむろに両膝を地面についた。


「許しを請います」


 人々が息を呑み、目を丸くする中、バレアナ姫はこう続ける。


「先般、我がリルデバルデ家は敵の侵入を許したばかりか、あなた方まで争いに巻き込んでしまいました。この地の守護を任ぜられた者としては甚だ遺憾です。損をした方もいるでしょう。ケガをした方もいるでしょう。それについて、金銭的保証はすぐにも開始しますが、その前に、まずはここに許しを請いたいと思います」


 人々は愕然と立ち尽くしている。こんな場面でどんな反応をすればいいのかわからないのだろう。俺は馬車を降り、姫の隣に立った。


「姫様の言いたいことを通訳するよ。こないだのアレは、あんたらには罪はない。一切、これっぽっちもだ。リルデバルデ家が全部悪いんだから、あんたらに謝りこそすれ、罰を与えるなんてつもりはまったくない。安心していいよ、ってことだ」


「……けどよ」


 最前列の松葉杖をついた若い男が困惑している。


「オレたち、お屋敷の敷地に勝手に入ったり、松明振り回したりしたヤツもいるんだぜ」

「それが楽しかったかい。嬉しかったかい」


 俺の言葉に、松葉杖の男は口ごもる。


「そんな、そんなことはないけど」

「そりゃそうだ。あんたらは操られてただけなんだから。だから誰も悪くない。少なくとも姫様はそう思ってる。そう信じてる。だったら、それでいいんじゃないか」


 突然、子連れの女が泣き出した。大柄な男が膝から崩れ落ち、老婆は顔を覆い老爺が涙を拭う。しくしくと、そしてさめざめと、やがておいおいと泣き声が上がり、町を涙が包んで行く。


 結局、姫が孤児院に入るまで小一時間かかった。町の人々の中に暗殺者が紛れていたらとヒヤヒヤしたが、敵もそこまでは想定していなかったようだ。まあ、王族が領民に膝をついて許しを請うなんぞ前代未聞だしな、想定しないヤツを間抜け扱いはできない。

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