ロン・ブラアク
亡霊騎士団が去ってもしばらく余韻は残っていた。屋敷の外ではまだ町の連中と、町の外から来た者たちが理由もわからず殴り合い、屋敷の敷地に入ってきたヤツらは穴に落ちて足やら腕やら痛めた挙げ句、何故自分がここにいるのかも理解できずにいる。
それでもやがて何かがおかしい、自分たちは禁忌に触れているのではないかと気付き、誰が言い出すでもなく少しずつ自分の家へと戻って行った。喧噪が消え去った屋敷に残されたのは、沈痛な死の静寂。
皮を剥がれたグローマル殿下とワイラ妃殿下の遺体は、馬車後部の荷室から見つかった。バレアナ姫には下女たちと一緒に屋敷の中にいてもらおうと思ったのだが、次期当主としての責任があると頑としてその場を離れない。
「あなたのオマジナイには、強い炎を操るものはないのですか」
姫にそう問われては仕方ない。
「ええ、ありますよ」
「ならば、この馬車ごと荼毘に付してください」
俺はうなずき、全員を馬車から離して四頭の馬を解き放った。
「地を焼き燃え立て炎の翼、千を灰とし万を照らせ」
そうつぶやけば黒い馬車は一瞬黄金の光に包まれ、そして燃え上がる。金具と釘は残るだろうが、果たして骨が残るかどうか。姫はその光景を自分の目に、文字通り焼き付けるように見つめている。まったく、こういうのは何度やっても慣れないな。
ギリギリギリ、ギリギリギリギリ。大理石を削った固い椅子の上、王位継承権第三位、ロン・ブラアク親王は人差し指の先でこめかみを押し回している。見開かれた大きな丸い目が見つめるのは、正面の景色ではない。ここから遠く離れたリルデバルデの影屋敷。ロン・ブラアクは千里眼の持ち主であった。
小柄でずんぐりむっくりな体型、頭は不釣り合いに大きく、額は出っ張っている。前歯が二枚のぞくおちょぼ口が、自信に満ちた声でこう言った。
「ぴーちゃん」
「リンガルは上手くやった、と殿下は申されている」
そう通訳するのはロン・ブラアクの隣に立つ白い軍服の女。長い黒髪を後ろで結い、腰には片刃の剣を差していた。
「ぴーちゃん」
「それにしてもリルデバルデの入り婿はなかなか恐ろしい力を持っている。できれば味方に引き入れたいところだ、と殿下は申されている」
「ぴーちゃん」
「とりあえず、寝間着の皇太子はこれで策を練り直すだろう。とは言え、こちらに刃を向けるのは時間の問題だ。それを待っていたのでは話にならない。何とかヤツに先んじて動く必要があるな、と殿下は申されている」
「ねえ、ヘインティア補佐官」
軍服の女に不思議そうな顔で話しかけるのは、十歳ほどの少年。
「本当に殿下、そんなこと言ってるの?」
すると軍服の女、ヘインティアは不快げに眉を寄せる。
「私の通訳が間違っているとでも」
「間違ってるとかそういう話じゃない気がするけど」
顔の真ん中に赤い大きな十字をペイントし、つばの広い帽子をかぶった少年は、西の海のはるか向こうにある岩の大陸に暮らす民族。帽子も、身を包むマントのような服も荒野に転がる岩の色をしている。
「まあいいや」
少年は小さく笑って後ろを振り返った。ロン・ブラアクの宮殿の私室。しかし使用人の姿は見えない。それどころかネズミ一匹、動く姿は何もなかった。その誰もいない空間に向かって少年は言う。
「聞いていたね、兄弟たち。皇太子ウストラクトの首を獲っておいで」
そしてロン・ブラアクに再び向き直る。
「いいよね、殿下」
ロン・ブラアクはこう答えた。
「ぴーちゃん」
「期待しているぞリムレモ、と殿下は申されている」
ヘインティアも微笑んだ。
少年リムレモの背後で何かが動いたような気がしたが、ただの気のせいかも知れない。
夜の雨が窓を叩く。雷が鳴らなければいいな、とオブレビシアは思っていた。雷は怖いのだ。
母親譲りの漆黒の肌にピンクのフリルが可愛らしいドレス。もうすぐ寝間着に着替える時間だが、今日はまだ父様にお会いしていない。ドレスを褒めて欲しいのに、と、窓の向こうの本殿を見つめている。
ここはウストラクト皇太子の宮殿の離れ。渡り廊下を少し走ればすぐ本殿には行けるのだが、今夜はあの人が来ている。あの怖い女の人が。オブレビシアの顔など見たら、また大騒ぎするに違いない。だから父様は私に会いに来れないのだ、そう考えると恨みたい気持ちになるけれど、それはできなかった。
「誰かを嫌いになるのは仕方ありません。でも恨んではダメ。憎んではダメ」
それは母の口癖。六歳のオブレビシアには、誰かを嫌いになることと、恨むことや憎むことの違いはまだよくわからないが、母が悲しむことだけはすまいと小さな胸に誓っている。
母の立場を理解するにはオブレビシアは幼すぎる。それでも毎日窮屈な思いをしているのは何となく感じ取れた。我慢しているのは、自分と父様のためだということも。
オブレビシアが生まれるずっと前、大きな戦争があった。その結果、南方の大陸を治める王国の姫が、この国の皇太子の第二夫人として嫁ぐこととなった。それがオブレビシアの母、リネリアである。
政略結婚をした二人であったが、出会ってすぐに打ち解け合い、互いを愛するようになった。しかし、こうなっては面白くないのが第一夫人、ことあるごとにリネリアに難癖をつけ、いびり倒す。
もちろん、これには皇太子も立腹した。とは言え、第一夫人は国内の有力貴族の娘であり、その実家を敵に回すのは王家といえど憚られる。従って離婚することも罰を与えることもできない。リネリアを離れに閉じ込める形で物理的に距離を取るしかなかったのだ。
やがて十数年の時が流れ、リネリアは娘を産んだ。第一夫人との間には子供が一人もできなかったというのに。これで半狂乱となった第一夫人は、実家へと戻ってしまった。けれど時折、嫌がらせのように姿を見せる。今夜がその時折の日であり、だからオブレビシアは父様に会うことができないのだ。




