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老い花の姫  作者: 柚緒駆
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裏庭の来訪者

 朝、早馬は来なかった。食堂で顔を合わせたバレアナ姫とは当たり障りのない会話をしただけで、亡霊騎士団についてなど話しはしない。


 昨夜マレットと話し合ったような可能性をバレアナ姫に告げるつもりはなかった。もし告げて姫が自分で何かしようとでもしたりしたら、不確定要素が急増して手に負えなくなるだろう。姫には悪いが、しばらく耳目を塞いだ状態でいてもらうしかない。


「今日は何か予定が?」


 静かに問うバレアナ姫に、俺も平然とこう答える。


「まだ何も考えていませんが、姫は何か」

「いえ、私も今日は何もありません。読書でもして時間を潰すつもりです」


「そうですか……ああ、そうだ。屋敷の裏に小屋がありますよね」


 姫の表情は変わらない。だが、食事の手は止まった。


「ザンバに会ったのですか」

「ザンバというのですか、あの草刈りの老人」


 できるだけ白々しく聞こえないように注意深く言葉を選ぶ。


「僕はまだ、ここのことを詳しく知りませんからね、そのザンバ老人にも話を聞いてみたいと思っているのですが」

「それは……親しくなれる者が増えることは良いことでしょうね」


 姫は一般論でごまかしたが、どうやら俺がザンバに会うのには反対のようだ。しかしここは気付かなかったことにしよう。知らん顔で飯を食って、後でザンバに会いに行く。まあ、どこまで頼りにしていいのかはまだ未知数だけどな。




 亡霊騎士団がどんな連中で、何を目的にしているのかは不明だ。いまのところ確かめようがない。でも変化があるとしたら、いきなりこの影屋敷の中じゃあるまい。普通なら、まず町に何らかの変化があるはずだ。自分の目でそれが確認できれば早いのだけれど、何のために町に行くのかと姫に問い詰められるのは困る。そこで、だ。


 ザンバはここの使用人の中でも一番身分が低いはず。町まで馬車を使う訳がない。しかし身の周りに入り用な品はあるだろうし町へも行くだろう。つまり自力で屋敷と町を往復する手段を持っているに違いない。それを利用させてもらえれば、姫に知られず町の情報が得られるのではないか。


 俺がそう考えながら屋敷の庭を裏手へと回り込んだとき。


「誰だ貴様は!」


 響き渡るのはザンバの声。慌てて小屋へと走れば、その向こう側にある裏門のところでザンバが大鎌を振り上げている。


「盗人なら殺す。間諜なら殺す。逆賊なら殺す。さあ何だ、言ってみろ」

「ちょ、ちょっと待ってください、お助けを」


 ザンバの足下にはボロ雑巾のようなマントをまとう痩せ細った男が一人、頭を抱えてひれ伏している。


「ザンバ、待った!」

「これは若旦那様」


 ザンバは大鎌を下ろし片膝をつく。腕の下からこちらを見上げた痩せた男にうなずいて、俺はザンバにたずねた。


「いったい何があったの」

「は、怪しげな者が裏門より侵入致しましたので、斬り倒してくれようと」


「いや、くれようとじゃないから。いきなり殺すのはダメだろ」


 そして体を起こした男に問う。


「いったい何をしに入って来たんだ」

「はい、アッシはその、ちょっと三日ほどろくに食べておりませんので、食べ物でも恵んで頂けないかと」


「物乞いか! 殺す!」


 いきり立つザンバを「ハイハイ、それはいいから」と落ち着かせ、俺は重ねて問うた。


「でもおまえ、町を通ってきたんだよな。町にだって金持ちも貴族もいるだろう。何でそっちで恵んでもらわずに、ここまで来た」

「はい、それはアッシも思ったのですが、何だか町の空気が変だったもので、その」


「空気が変?」

「若旦那様、このような怪しげな者の言うことを信じてはなりませんぞ」


 ザンバはそう言うが、この状況だ。気にしない訳にも行かない。


「おまえ、名前は」


 痩せた男はこう答える。


「リンガルと申します」

「仕事は。何をしにここまで来た」


「アッシは物書きでございます。旅をしてあちこちで見聞きしたものを書きまとめて、それを売って暮らしておりますので」


 俺は大鎌を手にした不満げな老爺に目をやった。


「ザンバ、町まで行ってこれるかい」

「若旦那様、このようなヤツの申すことを信じるのでございますか」


「信じる信じないはまず確かめてからじゃないとな。おまえが行かないんなら僕が町まで行くけど」

「それは……おすすめ致しかねます」


 仕方ない、というようにため息をつくと、ザンバは不意に指笛を鳴らした。すると広い庭の向こうから、何かがトコトコと駆け寄って来る。馬か。いや、ロバだ。そして立ち止まった裸のロバに、ザンバはひらりと飛び乗る。


「では、ひとっ走り町まで行ってまいります。しかしくれぐれも、こやつにはご注意されますよう」


 そう言い残すとザンバはロバの尻を叩いた。


「行け、シウバ!」


 ロバのシウバは駆け出した。人間が走るよりは少し速いくらいではあったが。


「さて、と」


 遠ざかって行くロバと老人を見送りながら、俺はリンガルに向き直った。


「詳しい話を聞かせてくれ。パンと芋くらいなら出せるはずだ」

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