第3話 名前も知らない彼女
スタメンとはスターティングメンバーの略です。
試合開始と同時に出場する選手のことです。
-後5分ぐらいで着くかなぁ。
川沿いの桜並木道に差し掛かった。
ここまで来れば高校まであと半分。
俺はふと上を見上げる。
満開に咲き誇る桜の花。はもうない。
花がほとんど散ってしまって葉桜と成り果てている。
でも、満開の桜よりも着飾ってない葉桜の方が俺は綺麗だと思う。
いや、これは俺の言葉じゃないか。
俺が彼女と出会ったのも、こんな春の終わりだった。
俺は緑でいっぱいの葉桜を見て想起する。
もう二度と会うことは無い彼女の事を。
*****
俺が中学生の時の話。
中学生って不思議なもんで、目の前の些細な問題でも、まるでそれが全てであるかのように思えてしまう。
今思えば、きっと俺が悩んでいたのも些細な問題だったのだろう。
それでもあの時の俺はやっぱり悩んで、いき詰まっていた。それは確かだった。
サッカー部に所属していた俺は、1年生の頃からスタメンに選ばれる為に人一倍努力していた。
だけど、結局1年生の間に俺が選ばれることは無かった。
でも俺はそんなに辛くなかった。
俺と同じように、努力しても選ばれる事がなかったやつが居たからだ。
我ながら最低だと思う。
春休みになった。
俺はまだスタメンに選ばれる事を諦めていなかった。俺の努力が足りないだけだ。そう思っていた。
春休みの間は毎日部活があった。
練習が終わってからも俺は一人で球を蹴り続けた。
俺が居残って練習をしていると、そいつも張り合うつもりなのか、俺が帰ろうとするまで練習を辞めなかった。
しばらくそんな毎日が続いた。
中学生二人が毎日そんな事をしていれば、嫌でも打ち解けて仲良くなってしまうもんだ。
彼の名前は楼里実と言った。
同じクラスになれたら良いな。
とかそんな話をしたっけか。
春休みが明け、2年生になった。まあ同じクラスになる事はなかったけど。ただ、実との関係は続いていた。
部活が終わればそこからもう二時間は一緒に練習をした。
俺たちは最初に比べるとかなり上達していたと思う。以前は出来なかった技ができるようになった。
練習は無駄じゃなかった。
運命の日は訪れた。
スタメンの発表の日だ。
俺と実は高鳴る胸をおさえて自分の名前が呼ばれるのを待った。
-以上だ。
・・・俺の名前は呼ばれる事はなかった。
だけど、実は選ばれた。
俺はその場で泣き崩れそうなくらいに悔しかった。
「春樹!俺...!...あ...ごめん...無神経だった」
実はとても嬉しそうに報告しに来た。
俺の様子をみて何かを察したのか、実はおれに謝った。
「謝らないでくれよ。悲しくなるだろ
また次頑張るさ!だからお前はもっと喜べ!」
俺は精一杯の作り笑いをして実を激励した。
「ありがとう!春樹ならきっと選ばれるよ。あんなに頑張ってきたんだから」
実は俺にそう言ってくれた。
あんなに頑張ってきた...か。
実が選ばれた事を全く喜べていない自分が居る。
そんな自分を俺は大嫌いになった。
俺はその後も練習には参加し続けた。
ただもう以前のように居残ってまで練習はしなくなった。
実は続けて練習をしていた。
しばらくして俺は練習に行くのを辞めた。どうせ何をやっても意味が無いからだ。
どんなに努力をしたって選ばれないものは選ばれない。
もう思う存分に味わった。
俺は半分自暴自棄になっていた。
学校と家を跨ぐ通学路には桜の木が沢山植えられているお花見スポットがあって、俺は学校の帰りにそこに寄った。
家にも帰りたくなかった。
地面に散らばる桜の花びらを踏みしめ、奥にある1本の大きな桜の木の下まで歩いた。
ここは昔良く妹たちと来ていた所で、この辺りは俺たちの遊び場だった。
俺はその桜の木に背中を預けそのまま蹲まった。
「もう嫌だ」
俺はポツリと呟いた。
「どうしたの?何悩んでるの?」
背後から女の人の声がした。
どうやら俺が持たれかかっている木の裏側に声の主は居るみたいだ。
俺は何も答えなかった。喋る気にならなかった。
「一人で何でも抱え込むんじゃなくて時には誰かを頼る事も大切だよ」
彼女はそう言った。
知ったような口を聞くこの女が無性に腹立たしくて俺は怒鳴ってしまった。ほとんど、八つ当たりだ。
「お前なんかに何がわかんだよ!そもそも会った事すらないだろうが。知ったような口を聞くな」
「そうだね。僕は何も知らない。だから教えて欲しい」
彼女は少しの躊躇いもなく言い切った。
「なんで顔も知らないやつに言わなきゃなんねんだ」
「そうだね。じゃあ顔は見せないとね」
スタッスタッ
足音が近づいてくる。
彼女は俺の顔を覗き込む。
「はい。顔は見せたよ。話してくれる?」
俺は言葉を失った。
彼女の顔や手や足には、見るのもはばかられるような痛々しい痣が沢山あった。
俺には聞く勇気が無かった。
「分かったよ」
そこからは俺は全てを話し始めた。
スタメンに選ばれる為に努力をしてきたこと。
一緒に練習する仲間が出来たこと。
自分は選ばれず彼だけが選ばれたこと。
そんな彼に酷く嫉妬して、避けてしまっている事。
「辛かったね」
彼女は、それだけしか言わなかった。
俺にとってはそれだけで充分だった。
俺は声を上げて泣いた。
俺が泣いている間彼女は何も言わずに俺の頭を撫でていた。
「俺は一年間本気で努力した」
「うん」
「俺は選手に選ばれたかった」
「うん」
「俺は実と試合に出たかった」
「うん」
「・・・俺は実に謝りたい」
「そうしよう。まだ間に合うよ」
彼女は優しく柔らかな声で言った。
少し間を置いてまた口を開く。
「最後に、一つだけいいかな」
「なに」
「君は満開の桜と葉桜どっちが綺麗だと思う?」
質問の意味がわからなかった。
「そりゃ満開の桜だろ」
俺は間髪入れずに答えた
「僕は着飾った桜よりも、ありのままの葉桜の方が綺麗だと思うんだ。君から見た僕はどっちの桜に見えてるのかな」
彼女フフっと小さく笑った。
彼女は今にも折れそうな細い腕で俺の肩を持って立たせると ポンッ と背中を押した。
「ほら、やるべき事を見つけたんでしょ?
行っておいで」
「ありがとう。話を聞いてくれて。話すだけで大分楽になったよ」
「こちらこそ。ありがとう。話をしてくれて。
僕の痣のこと聞かないでくれて」
-違う。聞く勇気が無かったんだ。
俺が言葉を発する前に彼女は俺の背中を強く押した。
そして確かにこう言った。囁くようなものすごく小さな声で。
「-いつか僕を助けて」
それから俺はすぐに実に謝りに行った。
実はすぐに許してくれた。俺はまた部活に参加することを皆に約束した。
俺はもう一度あの女の子に感謝を伝えたかった。
彼女が居なければきっと俺は実に謝ること無く、そのままサッカー部を引退していただろう。
それに彼女が最後に言ったあの言葉が頭から離れない。
俺はすぐに件の桜の木まで走った。
彼女はもうそこにはいなかった。
俺はその日から毎日のように桜の木に通い詰めた。でも、彼女と会うことは一度もなかった。
俺は彼女に沢山伝えたいことがあった。
ちゃんとさようならを言いたかった。
俺は何となく悟った。
-もう二度と会うことはないのだろうな。
*****
そうして高校生になった今でも、彼女の事を忘れられる訳もなくて。
名前すら知らない彼女の事を。
彼女が取り持ってくれた俺の人間関係は壊れること無く、寧ろ以前よりも強固に結びついた。
実とは高校は離れたけど、今でもSNSで話したり、たまに遊びに行ったりする仲だ。
最後の最後で俺は試合に出る事も出来た。
彼女が居なければ俺はとっくに部活を辞めていた。
今頃どうしているのか。元気にやっているのだろうか。
葉桜を見るとそんな事ばかり考えてしまう。
-ハァハァ
後ろから乱れた呼吸音が聞こえる。
少しだけ期待した。あの子じゃないかって。
そこに居たのは秋音だった。
何をしに来たんだろう。
「兄さん。一緒に学校、行こ」
俺の聞き間違いじゃなければ、確かに秋音はそう言った。
正直なんで俺を誘ってくれてるのかは分からない。
でも、彼女が俺の背中を押してくれた事を思い出す。
やるべき事を見つけたんでしょ?
そうだ。関わらないように逃げ続けるのは簡単だ。
あの時の俺は目の前の問題から逃げ続けていた。
でも、自分から歩み寄らなければ問題は解決しない。
彼女がまた俺の背中を押してくれた気がする。
「分かった。一緒に行くか」
俺はにっこりと笑って返す。
秋音もとても嬉しそうに笑った。