(3)暴風雪の中を追跡して来たトラブルの正体
あの悪趣味な、トリプルトサカ刺青男の命令を受けた追跡者が出たら、さすがにマズイかも。
アイヴィはアーケード通路には入らず、知る限りの抜け道をジグザグに縫って行った。足取りをくらますためだ。
場末の町角で目についた廃物収集ボックスに、使い物にならなくなった中古の防護マントを放り込んでおく。
昼下がりの刻なのに凍て付くような寒さ。季節の戻りだ。厳冬期なみの天候になるに違いない。
防護マント無しではズブ濡れになるし、シビれるし、凍えるけれど……あの凶暴な酔っ払いタップダンス男に斬り付けられるよりは、ずっとマシ。
斬り付けられた場所を確認すると、直感したとおり傷口が開いていて、血が流れ出している。
咄嗟に、本能的に竜鱗を表面に出していなかったら、もっと深い傷が出来ていたかも。自身より大きな竜体サイズの竜人と向き合う時は、どうしても避けられないリスク。
(竜体サイズの差は分かってたけど、あそこまで『トキメキ』キメ過ぎ野郎とは。こっちも本番に備えて秘密兵器を準備しなければ)
人体で雷電の中を走るのは、さすがに冒険者気質なアイヴィでも、慎重になる。
「しょうがない」
アイヴィは《変身魔法》を発動した。《水霊相》特有の青いエーテル光が身体全身を取り巻いた後、元の人体と同じくらいのサイズの、髪色と同じ緑色の竜体となる。背中に生える竜翼の色は、《水霊相》の青。
竜の舌で傷口を舐め、応急止血した後。
……『水のアイヴィ』竜は、全速力で駆け出した……
*****
「何故、全身に氷が張り付いてたの? アイヴィ」
ラベンダー色の目がウルウルしている。
『予想外に色々あって。でもちょうど良いでしょ、《異常発熱》の熱冷ましにもなって』
「それは、そうだけど」
アイヴィ竜は、兄バジルの錠前屋への帰還を果たしていた。
冷え切った竜体を何とかするべく、《異常発熱》で熱くなっているリリーと身体を寄せ合っているところだ。
アイヴィの方は竜体でフンフン吼えていて、リリーの方は人体で喋っているから、これはこれで、ちょっと妙な眺めではあるけれど。
リリーは《異常発熱》でフラフラしながらも、アイヴィ竜の片腕に触れる。
「怪我してるじゃない」
『かすり傷よ。それにしても、あの尖塔、超いかがわしい。魔法の杖の隠し場所に選ばれるだけあって』
「うん……うん」
充分に体温が回復したと見て、アイヴィは人体に戻った。リリーが既に、包帯その他の応急処置の道具を持って待機している。
「麻酔ナシで鱗を引っこ抜いた時のショックって、半端じゃないけど、竜体よりは人体の方がショックは少ないから。ベッドの真ん中に居てね」
「リリーは昔から鱗が弱かったせいで、こういう生傷、絶えなかったよね、うん」
アイヴィは負傷した部分の竜鱗を表に出しながら、ソワソワし始めた。動転するままに、ブツブツと呟く。
「例の『毒ムカデの尖塔44番3号』。その一、禁制ビールをきこしめしてる。その二、クラウントカゲ虐待の疑惑。その三、建物補修や備品管理がなってない。あのトリプルトサカ男、メンテナンス費用を横領してるのかも。だから、リリーの杖を取り返した後で、上にチクってやる。監査してたっていうけど、竜宮城の監査メンバー、そろって無能じゃんか」
リリーが力を込めて、アイヴィの刀傷ヒビの入った竜鱗を引っこ抜いた。特別なペンチで。
「……~~~ッッ!」
麻酔ナシだと、キツイ。キツ過ぎる。
――気が遠くなる……
プルプル震えながらも、バッタリと、ベッドに倒れ込む。
「よく頑張ったね、アイヴィ。替えの鱗、キレイに生える筈……」
リリーが包帯を巻いている間も、ショック性の涙と鼻水を流して、ヒイヒイと呻くアイヴィであった。
やがて。
アイヴィの魔法の杖の先端が青く点滅し始めた。
リリーが小型ペンの大きさにしてある杖を取り、目線で質問して来る。アイヴィはベッドにグッタリと横たわったまま、無事な方の腕を動かして耳をチョイチョイと指差した。
ひとつ頷き、リリーは青い魔法の杖の両端を、アイヴィの口元と耳元に近づける。
アイヴィは呼吸を整え、痛みに掠れがちな声音をごまかすべく、わざと明るく話し出した。
「ハーイ、……お兄ちゃん?」
『戻ってたか、アイヴィ。幸運にもクーロン爺ちゃんの手が空いてて、パパッと作ってもらえたよ。役所の魔法道具でも見分けがつかないくらいの精巧なレプリカを』
「やった。杖スリ替え作戦スタートよ、お兄ちゃん」
『あの例の尖塔、怪しいぞ。よろしくない連中が出入りしてるって、マジモンの噂があるぞ』
「テキトーに行って、ブツをスリ替えるだけよ。クーロン爺ちゃんのなら絶対バレないわ」
『ホントに一人でやるのかよ、妹よ。あー、その、『風のセフィル卿』にも話を通しておいた方がいいんじゃないか? なんだかんだ言っても、バディだろ』
「ああいう『卿』付き大型竜体の、しかも上層回廊の御曹司、下層回廊の場末まで出て来たら逆に目立ちまくって、……ッツゥ、作戦どころじゃなくなる、わ、よ」
『……おい、アイヴィ、どっか痛いとこあるのか!?』
「な、何でも無い。とにかく急いで帰って来て。途中で変な酒場に寄ったら承知しないからね、お兄ちゃん」
アイヴィの目配せを受けて、リリーがそそくさと魔法の杖をアイヴィの手元に戻す。杖の先端部の青い発光は、既に終わっていた。
次に、リリーが目を向けると。
一時的な身体反応ではあるけれど……アイヴィは、竜鱗引っこ抜きショック性の失神に、落ちていたのだった。
*****
――とある回廊街区の国道、アーケード通路。
一定距離ごとに立てられている停車ポールの前で、三本角が牽く乗り合いバスを待ちつつ。
アイヴィの兄バジルは口をポカンと開けたまま、ウンともスンとも言わなくなった魔法の杖を眺めた。
気温が急低下し、厳冬期さながらの雪嵐が舞い始めている。
不吉な予感に口を引きつらせ……恐る恐る、背後を振り返る。
「え……ハ、ハハ……?」
そのヘーゼル目は、予想どおりの存在を、しかと認識した。
彼は極限まで青ざめつつ、後ずさった……
*****
失神から回復したアイヴィは、早くも夕食の準備にかかっていた。
同時並行で、錠前屋の店番として錠前の修理や交換などの注文をさばきつつ、クルクル動き回る。小気味よい動きで、長い裾を降ろした青い衣装が軽快に揺らめいていた。
手先が器用なリリーは、今夜のアイヴィの特別任務のための、華麗な総レース羽織やアクセサリー類を並べている。髪結い道具も。
窓の外を見れば、既に暴風雪。天球を飛び交う雷電も勢力を盛り返している。
「そろそろ閉店時間……セフィルとの約束の時間も迫ってるし、もう閉めるか」
ひときわ大きな雷電が走り、辺りがビリビリと震えた。思わず身を固くする。屋内は安全と分かってはいるものの、本能的な反応は止められない。
アイヴィは、雪と氷が張り付いた吊り下げ看板に手をかけ……
「……!?」
よく見ると、そこに無い筈の、小っちゃな『トカゲ雪だるま彫刻』がくっついている。暴風雪に吹き飛ばされて来たかのように。
思わず、ガシッとつかむと。
その丸っこい『トカゲ雪だるま彫刻』は、弱々しく「きゅー」と鳴いた。
*****
「凍死寸前のクラウントカゲ幼体って、大事件じゃない。この暴風雪の中を逃げ出して来たって……最寄りの隊士の詰所まで届けなくて良いの?」
「今の時点で届けたら超マズイ。『毒ムカデの尖塔44番3号』で虐待されてた子なの」
傷だらけのクラウントカゲ幼体は、毛布にくるまって、ウトウト状態だ。よほど疲れていたに違いない。
「ベイビー。明日、ルシュド隊長のとこの厩舎に連れてってあげる。ちゃんと話せば秘密を守ってくれるし、治療も保護もしてもらえる。竜宮城の近衛隊士のパトロールもあるんだよ」
小っちゃな幼体は、「イヤ」と言わんばかりに、もがき始めた。必死の形相で「きゅうきゅう」と鳴き始める。
その『古代恐竜語』を翻訳してみると。
「双子だったの!? で、例の尖塔の中に閉じ込められてる双子の兄弟が心配?」
「きゅう」
リリーが『古代恐竜語』辞書をひきながら、口を引きつらせた。
「問題が大きくなってるよね、アイヴィ……兄弟を安全に連れ出せるまでは、厩舎へは絶対に行かないし、治療を受けるつもり無いって」
「むむぅ。双子もろともに塔からドロンされたら……こりゃ不意打ちで攻め込まないと」
「その刀傷、完全に治ってない。替えの鱗が生えて来ないうちは刃物受けたりとかは、ダメだよ」
その時。
締め切った錠前屋の店頭ガレージを、乱暴に叩くものがあった。
――雷鳴と風雪の合間に聞こえて来る、騒音。
ガレージをゴンゴンと突く、破城槌のような……
「ごるぁ! クラウン双子その一、居るのは分かってんだ! その二のチビ、逆さ吊りにして《雷棒》で百回たたいたら、ゲロッたからな! 偉大なる『三首竜アジダハク』の刺青にかけて! とっととロックを解かねぇと、地獄もかくやと、ブチ破るぞ、オラ、オラァ!」
一気に緊張するアイヴィとリリー。
クラウントカゲ幼体は心臓が止まるくらい驚いたのか、『死んだフリ』状態になって、グッタリとのびてしまった。
(リリー、ベイビーと一緒に隠れてて!)
(気を付けて、アイヴィ!)