(10)そして海となり山となった恐るべき黒いカサコソ、一件落着の春
お嬢様が愕然となっている。
顔面蒼白だ。スゴイ目で、ギンッと男たちを睨み。
「話が違うわよ、このバカども! どついたるわ! 麻酔ナシで竜鱗、剥がしたるわ!」
「待て、急に毒ゴキブリが湧いて来た……!」
「何ですって!?」
哀れな手下の一人の指摘は、正確だった。
あらゆる隙間から、油っぽく黒光りする恐るべきカサコソが、『ざわ、ざわわーっ』と湧いて来ている!
毒ゴキブリの大群は、あっという間に床面に満ち、溢れ、嵩を増していった!
そして壁を、あらゆるパイプラインを、容器を、隙間なくウジャウジャと覆っていくのだった!
急速に増殖し暴走し続ける、恐るべき黒いカサコソの大群に埋もれ。その中でもがき始めた、お嬢様とガラの良くない男たちは、パニックだ。
「駆除だ、駆除の魔法道具、防虫剤、ゴキ撃退の煙、何処だ!」
「何が、どうして、こうなって……!」
アイヴィは呆然としながらも回答を口にしていた。
「レプリカ名工のクーロン爺ちゃん、リリーを孫娘みたいに気に入ってるから……毒ゴキブリ誘引剤、材料に混ぜ込んで……」
「ユーモア仕掛けの逆襲とは、愉快なレプリカ職人に違いないな」
セフィルはアイヴィを抱えたまま再び跳躍し、別の梁に移ると、お嬢様とガラの良くない男たちに、白く光る魔法の杖をヒラリと掲げて見せた。
「今までの話、ルシュド隊長たちに転送しておいたから」
「ごるあぁ!」
「あと、その首に巻き付いてる白いリボンの作成者は、先日、現行犯逮捕したばかりの竜隊士。君たちの方が良く知っているだろうね」
「ウソォ!?」
お嬢様が唖然と見上げて来ている。
セフィルは、いつもの不機嫌そうな表情が嘘のように、胡散臭いほどの爽やかな笑みを返しているところだ。
――何故か分かる。こういう顔の時のセフィルには、絶対、近付いてはいけない。
「双子が言っていたけど、そのリボンには奴隷妻を手に入れるための禁術が仕掛けられているそうだ。獣人の闇ギルドの定番商品。本稼働が始まっているから、それなりの魔法官に解析と解除を頼むとなると順番待ちだな。それも年単位で」
お嬢様とガラの良くない男たちは、尖塔全体を揺るがさんばかりの叫び声をあげた。
「な、なんだって――――!!」
次の瞬間。
セフィルは、高く跳躍した。大型竜体の主ならではの怪力で、尖塔の屋根パーツを一気に蹴り破る。
尖塔の屋根が、丸々吹き飛んでいった。
――『毒ムカデの尖塔44番3号』の上に広がる、はるかなる天球。
降りそそいで来る激しい暴風雨、雷電の閃光、轟音――
わずか数回ほどの跳躍で、セフィルとアイヴィは、尖塔を取り巻くフライング・バットレス高架の間に移動していた。
クラウントカゲ騎乗中の馴染みの機動隊が、高架を駆け上がりつつ喚いている。
「あの尖塔で何が起きてるんだ! 何で毒ゴキブリが大量発生してるんだ!」
「さっき魔法官に緊急出動を注文したところだ! アレ《下級魔物シールド》で現場封鎖するレベルじゃないか!」
「もう外の壁も、真っ黒ウジャウジャだぞ!」
程なくして、もう一匹のクラウントカゲが、ヒラリと高架を飛び越えて来た。騎乗しているルシュド隊長が、愉快そうに呼びかけて来る。
「リアルタイム供述の転送ありがとー。あの尖塔の関係者、ほぼ全員、容疑確定したぜ。想定外の余罪もな。ついでに身柄も塔の中に拘束済みなんだろう、セフィルくーん」
不機嫌そうに、ジロリと銀灰色の視線を返すセフィル。
ルシュド隊長は急にニヤニヤし始めた。妙な訳知り顔で。
「意外にご機嫌じゃないか、イイ事でもあったか? ……お、魔法官が到着したな。さっさと『毒ムカデの尖塔44番3号』たたんじまえ!」
ルシュド隊長の号令に応じて、今や遅しと待ち構えていた機動隊メンバーが、一斉に飛び出して行ったのだった。
*****
魔法官の形成した《下級魔物シールド》が、『毒ムカデの尖塔44番3号』をドームのように覆っている。
かつて尖塔だったものは、今や、ひとつの山岳のようになった毒ゴキブリの大群に埋もれていて、何が何だかだ。
あのウジャウジャとうごめく黒い山の中から、容疑者全員を発掘するのは……気の遠くなるような大仕事。
アイヴィは、不意に気付くところがあった。動転するままに、セフィルの腕の中でジタバタする。
「……セフィル、あの時いつから起きてたの!?」
「人工呼吸の方じゃない、本当のキスをしてくれたら教えても良いかな」
「このチャランポラン!」
*****
数日後。
ルシュド隊長の執務室。
処理を引き継いだ部下たちによる『毒ムカデの尖塔44番3号』事件報告書が、次々に上がっているところである。
品質管理局に勤めるアイヴィの上司がやって来て、困惑顔をしつつ、未整理だったままの書状をルシュド隊長に提示した。
「このアイヴィ嬢の魔法署名付き『バディ解消申請書』なんだが。この空欄にセフィル卿の署名を求める事に関しては、本気で命の危険を感じる。アイヴィ嬢は、事件トラウマ治療のせいで覚えてないが、セフィル卿の《宝珠》って事実は、我々含む訳知りの連中の間じゃ公然の秘密だ」
「毒ゴキに食われて紛失した事にしとけば良いだろ。あの尖塔、まだ毒ゴキの駆除が終わってないから、何かの時にでも放り込んどけよ」
「ほほぅ成る程、その手があったか」
安心したついでに、アイヴィの上司は、先ほど野次馬気分で見物して来た光景を、ポロッと思い出したのだった。
「あの因縁のロリコン事件のあやつ、毒ゴキの海に沈められたのが原因だけじゃ無いな、トコトン燃え尽きた顔してるぞ」
「ロリコンなりに、アイヴィ嬢にホの字だからな。バジル兄さんを酒盛りで酔っ払わせて、幼女だった頃の彼女との婚約証書ゲットしてたくらいだ。幼体との婚約の場合は、保護者が代理で魔法署名する形だから、本物の有効な魔法署名付き証書だった」
ルシュド隊長はシミジミと回想している。
「なんという奇縁か、当時、竜宮城をめぐる爆弾テロの調査で、セフィル少年が下町まで出張していて、アイヴィ嬢の婚約証書について揉めてるところに遭遇した。即刻、婚約証書の無効化のための決闘手続きに移行し、竜角・四肢・竜尾にわたる骨格の完全粉砕という、伝説の半殺しが展開した。まぁ詐欺罪と連続幼女殺害の罪その他多くの余罪で、監獄入りは確定してたが」
「辺り一帯、血飛沫だの、竜角や竜鱗の破片だの、凄まじい有り様だったそうだな。大型竜体は総じて苛烈。幼女のトラウマ記憶喪失の処置は正解だった訳だ」
「あの娘、伝説の『坑道のカナリア』さながらに発動前の不確実な《毒気》魔法陣に反応してた。古代の鉱山奴隷『紺碧』の末裔。超高感度な分、禁術・幻術の焦点がズレまくるんだな。トラウマやら、実用レベルじゃ無いくらいに。セフィル君が気付いて手を打たなかったら……それに、竜角の美容整形で再びの禁術の類を使ってなければ、ロリコン男にも希望はあったかもな。モテるタイプの美形だし」
「セフィル卿に締められるぞ、最後の言い草」
「ハッハッハ! 秘密を共有する友よ、この事件、ヤバい展開してるぜ。竜宮城や上層回廊の暗黒面が芋づる式でな。ついさっき、例のユレイシア嬢、及び『偽・リリー嬢』の《化けの皮》が剥がれ落ちたという緊急連絡が回って来たんだ。ガッツリ女装した、のぞき魔とバーサーク殺人魔の前科持ちの男たち、要人暗殺が目的だった可能性ありとかで、近衛隊もショックを受けてるようだ」
アイヴィの上司は息を呑んだ後、次第に思案顔になっていった。
「実に際どいタイミングだったようだな。今、リリー嬢は元気で、アイヴィ嬢と一緒に出勤して来てるんだ。あと一刻もしたら、あの二人、クラウントカゲ幼体の双子を竜宮城の城門の厩舎へ連れてゆくところでな」
「……今、お前、一刻後の私の命を救ったぞ」
「何の事だ、ルシュド?」
「いや、こっちの話さ。いずれにせよ遠くないうちに、政変レベルの大捕り物になるだろう。これから忙しくなるぞ、友よ」
窓の外は、既に春。
明るい陽射しが青空に満ちている。竜王都を擁する山岳地帯の各所で響くのは、融雪の音。
今まで膠着状態だったものが大きく流動し始めるのを予兆するかのように、数多の白い雲が迅速に流れていたのだった。
―《終》―




