(1)宮廷陰謀のとばっちりを受けた不運な親友
天球いっぱいに、雷電がひしめく。
竜王都を擁する山岳地帯。牡丹雪の混ざった嵐が荒れ狂っている。
季節は早春。
連日の気温上昇に伴い、厳寒に凍て付いていた山岳地帯を彩る巨大な氷瀑の群れは、無数の氷柱を伸ばし続けていた。
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重厚な執務室の窓を、雪嵐がたたく。
窓辺に立つ二人の人影。
中年武官が、前途洋々の青年文官に向けて、ニヤリと笑みを浮かべた。面白がっている風だが、ベテラン隊長の目は鋭い光を宿している。
「惜しくも取り逃がしたけど、容疑者は再び出て来るだろうな。宮廷でも話題の、謎の『青いドレスのエフェメラル』が目的で」
中年ベテラン隊長をジロリと見返す、銀灰色の視線。
やがて青年文官は目を反らし、相変わらずの不機嫌そうな眼差しで、眼下に広がる城下町を眺め始めた。
「……あのボケナス……」
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緑髪を振り乱し、上空を苛立たし気に仰ぐのは、成体になるかならないかの、うら若い竜人の娘。
宮廷で見る令嬢のよう、という訳では無いけれど、量販の中古の防護マントを羽織っていてなお、ハッとするような清楚な透明感や溌溂とした明るさが目を引く。
再び雷電が走り、娘の紺碧色の目が細められた……
……アイヴィが立ち止まっていたのは一瞬だけ。
次の瞬間には防護マントをひるがえし、駆けてゆく。
山頂の竜宮城エリアを発し、各所の城下町エリア――回廊街区の中央を貫き、山岳地形の変化に沿ってクネクネと続く、竜王都アーケード通路を。
城下町の各役所に勤める一般スタッフの制服は、男女問わず、山岳地帯対応のパンツスタイルだ。カッチリとしたアオザイ風の膝丈の表着を合わせる。
娘らしさを示すのは、竜王国の紋章の入ったヒラの女官用リボン付きベレー帽と、少女趣味な花簪タイプ装飾のみ。
雷鳴に伴う轟音で路面が震えるものの、ブーツを装着した足さばきに乱れは無い。
アーケード通路の向こう側からやって来た貨物満載の三本角車をかわし、三々五々の通行人もかわして、なおも足を速める。
残り一ブロック。
その分岐のある一角で、アイヴィは足を止めた。
竜王都の誇る壮大な城壁が、奥の方に威風堂々とそびえている。
城壁を支えるフライング・バットレス高架の支柱と、回廊街区の中央を走るアーケード通路とに挟まれて、ひとかたまりの雑然とした行列よろしく並ぶ下町商店街。
その中のひとつ、どの回廊街区にも一軒はあるような平凡な錠前屋を、ひたと見つめる。
国道でもある広幅のアーケード通路の中は、魔法防壁に守られていて濡れずに移動できたが。雑多な商店街を縫う脇道の群れは、剥き出しの雪嵐に叩き付けられている。
これこそ下町。
ベレー帽のリボンを留め紐として顎の下で結び直すと、落雷の合間をついて、最後の一ブロックをダッシュして行った。
*****
夕食の刻。下町の錠前屋の中の、一室。
「リリー、薬草スープならお腹に入るよね?」
私服に着替え、アイヴィは料理を乗せたお盆を抱えて、クルクル動き回っていた。
ベッドに横たわるのは、急な発熱でグッタリとした同い年の親友。
リリーは辛そうに息をつき、夢見るようなラベンダー色の目を開いた。
「急に押しかけて、ゴメンナサイ」
「気にしてないわよ。さすがに一生分の驚きは使い果たしたけど」
「アイヴィが幻覚魔法スルーする体質で良かった。この身体、知らない男の人の《化けの皮》掛かってて、誰も私だと信じてくれないんだもの」
「天国のママからの遺伝なの。でもヘンテコな特技って感じで実用レベルとしては全然。錠前のゴマカシを区別するくらいかな」
外は相変わらず雷電と雪嵐が荒れ狂っている。しかし、窓や壁に触れては防護魔法で弾かれてゆく牡丹雪は、春の訪れを告げていた。
「アイヴィ、《異常発熱》専用の薬草ブレンドを手に入れて来るの、大変だったでしょ? 上層回廊の方じゃないと扱ってないし」
「お兄ちゃんが得体の知れないビールに運悪く当たって、朦朧としたまま別人の魔法の杖で酔い覚ましの魔法を使って、《異常発熱》でブッ倒れたって説明したから、『これで様子を見て』って事でスムーズに支給してもらえたわ」
「……バジル兄さんの名誉とか、経歴とか? ……大丈夫?」
「へーき。『トキメキ・マーケット』盛り場で、そういう『革命的な新酒!』っていう胡乱なのが日ごとに出てるの。それで酒乱して、全裸でトキメキ乱闘祭りとかビンゴ祭りとか」
「ホントに、変なお酒に手を出してなければ良いけれど」
「あのロリコン事件から後は、そういうの無いから。あんな呑んべ兄ちゃんでも、考えるとこ、あったんだな」
「毒ゴキブリ誘引剤が入ってたお酒の事件の時は大変だったよね。蔵元さんの方で、誤記ラベルのせいで原材料から混ざってしまったから、そのお酒を扱ってたお店とか、お酒を飲んだお客さんが……」
「今も界隈の語り草で笑い種よ『夏の夜のゴキ笑い』事件。アレでも革命的な美味だとかで、肝試し酒としてヒットしてるって話。呑んべの考える事って謎だわ」
軽い夕食が済み、アイヴィはデザートの果物の皮を手際よく剝き始めた。
「話を戻すけどリリー、例の『毒ムカデの尖塔』にある筈の、本来の魔法の杖さえ取り戻せれば、この《異常発熱》も、今の変な《化けの皮》も、何とかなるのよね?」
「解除の魔法陣の構築、先生の書庫で勉強したから。何とかなる。元々こんな風になったの、あの杖が、私のじゃなかったせい」
リリーが巻き込まれた陰謀は、普通では無い。
だいたい、《化けの皮》を使ってリリーの外見を別人に変えてしまったという事実が、普通じゃ無い。
誰かがリリーに成りすまして、好き放題に悪事をやっているとしたら……
それに、個別に設定された魔法の杖は、そもそも本人以外の者が使ってはいけない。無理に使おうとすれば、魔法パワーが逆流して、かえって自身の命を失うリスクも大きい。
改めてリリーの全身に、紺碧色の目を走らせるアイヴィ。
不気味な色で呪いの邪眼模様をビッシリ描き込んだ、という風の、エーテル魔法で出来た暗いベールが、親友の全身を覆っていた。かろうじて目の場所に穴。そこから、本来の、夢見るようなラベンダー色の目が、のぞいている状態。
(とばっちりにしては、悪意と殺意がすごすぎ。魔法の先生も対応に苦労してるとか、上層回廊とか竜宮城の陰謀って、異常よ)
アイヴィはブルッと身体を震わせた後、不吉な予感を振り払うべく、明るい声を出した。
「ハイ、リリー、フルーツ半分ね。これも《異常発熱》に割と効くやつ」
「ありがと」