1章-1
ハードダイスは戦いに勝った。
しかし、勝つ事が生存に繋がるとは限らない。元からの失血に加え、今の戦いで多くの血を失ったはずだ。
静かに、眠るように横たわるのは狩人としての矜持があるからなのか。
「…あ…」
大丈夫か!と、発声するつもりが腑抜けた声がまたしても出てしまった。発声はしばらくリハビリが必要だろう。これから先が思いやられる。
ひとまずの安全が保たれた。
ほっと一息つくかと思えば、勝利の立役者が三途の河を渡ろうとしている。私としては目先の脅威が無くなって嬉しいはずだ。先ほどは声援を送ったり、助けようと押し倒したりしたのに現金なものだ。
だが、一度情を持ってしまったのもまた事実。
私はまたもや冷静に考えてしまったのだ。
彼と友好関係を築くことが出来れば生存の可能性も高まるに違いない、と。
この決断とも打算とも言えない妥協が私と彼の命運を決めるのだった。
ケンタウロスの死体をあらためる事にした。
原始の獣として知られるケンタウロスだが、長く生きた個体は冒険者を多く倒し、その戦利品で武装するのだという。素早く動く為か鎧等は身に着けていなかったが、大剣、丸盾の他に、ベルトに装着されたいくつかのポーチを身に着けていた。
彼、ハードダイスとの戦闘で喉を食い破られ既に絶命しているケンタウロスだが、やはり怖いものだ。びくびくとしながらベルトを外し、ポーチを確かめる。麻布で出来たポーチは三つ。
一つ目の封を開けると、中には水止めの加工がされた古い、しかし大きな水筒が入っていた。
途端に私は喉が渇いていた事を思い出した。
「…あー!…」
思わず感情が声となってしまう。
焦る気持ちを抑え触手を蠢かせる。しかし、生前の要領で開けようとすると水筒を押しつぶしてしまい水を溢してしまう。貴重な水だ。一滴も溢してはならない。
試行錯誤して4本の触手で抑え、絶妙な力加減で水筒を開けたのは、それから10分後だった。
水筒が粘液塗れになったのは愛嬌ということで大目にみてもらいたい。
喉(喉かどうかは分からないが)を潤して、ふと視線を手負いの彼に向ける。
横たわる狩人の身体からは今も失血が続いている。
今更彼に襲われる心配をしても仕方があるまい。場合によっては彼と友好関係を気付くのだ。
いや、彼と手を合わせねばこの先も生き残ってはいけまい。
それは私だけではなく、彼にとっても同じ事だ。
「…あーあーあ…あー…」
敵意が無い事を示す為、唸って見せるが、彼の獣耳がぴくっと動くだけだった。
近寄っても反応を示さない。
いや、近寄っていることは知覚しているに違いない。
反応するだけの体力が残っていないのだ。
「…あー…」
触手をさし伸ばす。身じろぎする気配を彼は見せたが、瞼を見開く事で身体を動かすことは留めたようだ。私は触手で水筒を支え彼の口元へと伸ばした。私が3分の1程水筒から飲んだので幾ばくは残っているはずだったが、器用に水筒を奪った彼は、これまた器用に中身を全てを飲み干した。
手負いの彼も余程喉を乾かしていたのだ。
次はこの失血をなんとかせねばなるまい。望もうが望むまいが彼には何としても生き延びてもらい、私の延命に手を貸してもらわねばならないのだ。
「グウゥ…」
裂かれた傷口が痛むのか彼は唸りを上げた。
そういえば残りのポーチに何か入っていないだろうか。二つ目のポーチにはいくらかの金貨、銀貨、銅貨が詰まっていた。大陸共通通貨もあれば帝国通貨もある。見た事の無い古い刻印の通貨もあるので、元の持ち主が一人で無い事が伺える。ケンタウロスはかなりの手練れだったようだ。
街へ行けば薬草や清潔な包帯がいくらでも買える額だが、ここでは何の役にも立たない。通貨では止血は出来ないのだ。
最後のポーチには干し肉が入っていた。役には立つが、今は使い時ではない。
残るは……
私は彼に同情の視線を向け、そして敗者から戦利品を頂く事にした。
なんとか彼の止血に成功し、一息ついたのはあれからしばらくしてからだ。
日が見えないので時間の感覚はあまり無い。ついさっきの事のようにも思えるし、ずっと昔の事のようにも思える。二度目の生を受けてからどれくらいの時間が経ったのだろう。一日か?数時間か?数分ということはないだろう。
「ガゥゥ…」
不満げに鼻を鳴らす彼になるべく視線を向けないようにして私はため息をついた。
止血の道具はケンタウロスが身に着けていた布切れ。
彼の血を止めるにはあれしかなかった。お世辞にも衛生的とは言えない布切れだが、失血して死ぬよりはましだろう。悪戦苦闘している内に彼の身体が粘液塗れなったのも不機嫌の理由の一つだろうが。
「あー」
しかし、意外な事が一つ。
彼の身体に決して良い影響は与えないと思っていた私の粘液だが、なんと粘液が触れた箇所からみるみるうちに流血が止まっていったのだ。私の特性はアンデットに近いと思っていたが、どうやら的を得ていたらしい。
ハードダイスと私のアンデッド特性が相乗して治癒の効果をもたらしたのかもしれない。私が神聖属性で無くて良かった。私の粘液が聖水の如く彼を浄化していた事だろう。
どうやら彼に私を喰らって糧とする気はないようだ。
止血の具合も気に入ってもらえたようでなにより。
「ガゥゥウ」
低く唸る彼に少しの親しみを覚えて私、いや、私達はひとまず生き延びる事が出来た。