序章-2
ハードダイスは群れる獣だ。
複数の雌が1匹の雄に従い、統率の取れた狩りを行う。閉所のダンジョンでは素早い動きで迫るハードダイスに多くの冒険者が命を落としてきた。手練れの冒険者の間では、遭遇した際にはなるべく息を潜めてじっと過ぎ去るのを待つのが良いとされている。
そのハードダイスは単独だった。
群れからはぐれたのか、それとも追放されたのか。
詳しく見るまでもなく、そのハードダイスは手負いである事が見て取れた。
後ろ脚を引きずり、尾から首筋にかけて深く裂けている。柔らかい腹の部分は無事なのは、やはり冒険者泣かせの獣だからなのだろうか。しかし、血を多く失っているのか息は荒く、視点も定まっていない。
こちらを視界を収めたのも、私が気付いてから10秒程経ってからだ。
「…」
じっとこちらを見つめる。
私も見つめ返す。
ふと疑問が湧いた。
私は発声する事が出来るのだろうか。
鏡が無いので私はいまだに自身の全体像を把握していない。口らしき器官があるのは分かっていたが、舌は無さそうだ。舌が無い人間は発声出来ただろうか。悠長にそんな事を考えていられたのは向こうが手負いの獣だからだろう。
「…あ…」
何も考えずに出まかせで腹から息を吐くと、気の抜けた声が出た。
獣は私が声とも言えない声を出した事に少しだけ反応した。
人の言葉を使えば少しは驚いてくれるだろうか。あわよくば私が残る気力を振り絞って逃げるくらいの時間を稼げればよいのだが。
『――――――グーーーーオーーーー――――――』
地底からの唸る響き。思わず身が竦み、私は身体を縮めた。目の前で血を流す獣の咆哮ではない。もっと知性が無く、野蛮で、原始的なけだものの咆哮だ。
私の事など、脅威とは見なしていないのか、ハードダイスはくるっと反転すると来るべき唸りの持ち主に身構えた。
地響きを立てながら現れたのはダンジョンにおいて冒険者が最も恐れる存在だった。
『――――――グーーーーオーーーー――――――』
四つ足を踏みしめて再び唸る野蛮の象徴。
成人男性の背丈ほどの大剣と、同じく巨大な丸盾を手にした孤高の剣士。
それは、ケンタウロスと呼ばれていた。