常勝丞相動き出す
「栃瀬山城には一万石。胡久原城には五千石搬入して。」
「御意!」
雄黄城の広間から、玲祈の軽快な指示が飛ばされる。戦が始まってから半月、戦況は雄黄軍有利に進んでいた。半月も経っていると、玲祈も仕事に慣れ、スムーズに指示を飛ばせるようになってきている。そして、余裕が出てくるにつれ、玲祈にはある心配事ができてしまう。
「……」
「どうかなさいましたか?」
無言で筆を見つめる、と言うより、何もないところを見詰めて呆けたようになっている玲祈に、文官が声をかける。
「ちょっと心配事があって。」
「よろしければ、お聞かせ下さい。」
少し言いずらそうにしていた玲祈であったが、胸のつかえを取っておこうと思ったらしく、全てを話した。
「実は、江喜殿のことが心配で……」
玲祈の心配の種は、江喜双歩であった。国を追われ、挽回の機会を望んでいるにも関わらず、未だにその機会は巡ってこない。加えて玲祈は、最初は双歩が無茶をしないようにと、主戦場から離れた琅尹城に据え置いた。だが、時間が経過するにつれ、双歩の焦りは募っていくばかり。それを玲祈は心配しているのだ。
「確かに。では、江喜様の臣下に探りを入れてみましょう。」
「それはさっき聞いたよ。」
先回りして聞いていたことを知り、文官は玲祈の成長ぶりを実感したかのように、小さくうなずいた。
「そうでしたか。 それで、何と申しておりましたか?」
次の瞬間、玲祈の表情が曇る。どうやら、良いとは言い難いらしい。
「あんまり元気ないって言ってた。」
「なんと、それは問題ですな。 では、他の文官達に声をかけておきます。さすれば、何かいい案が出るやもしれません。」
良かれと思ってした進言したのだろうが、玲祈はそれをすぐに止めた。
「待って、それは駄目。」
「何故でしょう?」
「敵の間者がいたら、すぐに知られちゃうかもだから。 あたし達二人だけの秘密にして。」
「承知しました。 考えが至らず、申し訳ありません。」
「謝らないで、悪気は無いんだもん。」
著しい成長を見せる玲祈。もう数年早く戦を経験していれば、この戦でもより素晴らしい功績を挙げたことだろう。間違いなく、名君の片鱗が見える。だが、それ故の不幸が起こりつつあった。玲祈が危惧している双歩のことだ。
雄黄城の北西、琅尹城。ここに、双歩率いる二千の軍勢が駐留していた。その琅尹城の本丸から、小さな物音が鳴り響いている。
金槌で軽く板を叩いたようなその音に、臣下達も苛立ちを覚えている。この物音の正体は、双歩の貧乏揺すりであった。鼻息を荒くし、目の下には隈ができ、目は充血している。恐らく、ろくに眠っていないようだ。
「出陣はまだなのか?」
「はい。」
「おのれっ!」
怒りに身を任せ、双歩は机をひっくり返し、逆さに倒れた机に追い討ちをかけるように、何度も踏みつける。
「我が君、落ち着いて下され!」
「これが落ち着いていられるか! 未だに出陣の指示が来ぬ!
こうなればっ!」
自らの刀を取りだし、外へ飛び出そうとする。臣下達は血相を変えて、双歩を取り押さえた。
「お待ちくだされ!」
「離せっ! このっ!」
このまま押さえ付けるのは不可能と判断した将軍が、双歩の腹にきつい一発を食らわせた。
「御免っ!」
「むっ!?」
双歩は力なく倒れ、寝所へ連れていかれた。だが、起きればまた暴れだすかもしれない。それを心配した臣下達は、玲祈に使者を送り、何とか出陣できるようにしてもらおうとした。だが、その試みはあまりにも遅すぎた。あの女の策謀が、今まさに、この琅尹城を呑み込もうとしていたからだ。
「」




