ここが初戦ぞ! さぁ逃げろ!
琿陀羅城の西に、砦があった。国境すれすれの場所に建っているこの砦は、砦と言うよりも城である。深い空堀に堅い壁、そして無数の櫓に守られ、長期戦にも耐えられるよう、各所に兵糧を備蓄する蔵があった。
その砦の櫓から、影奏は迫り来る二十万の大軍を眺めていた。とは言え、一歩でも雄黄国に脚を踏み入れれば山ばかり。大軍ではむしろ不利である。だと言うのに、影奏は驚きの指示を飛ばす。
「皆の者! よく聞け!」
影奏の声に反応し、全ての兵が影奏に視線を向ける。
「今まさに、眞の大軍が迫っている! まともに戦えば、我らに勝ち目はない! よって、この砦を放棄し、琿陀羅城まで撤退する!」
まさかの指示であったが、影奏に怯えている様子はない。この状況を、不思議に思いつつも、兵達は返事をした。
「「「御意!」」」
もぬけの殻となった砦は、無傷のまま眞軍に占拠された。そんな砦に、あの男が足を踏み入れる。
「ふははっ! 戦わずに逃げるとは、田舎武者など大したことはない!」
なんと、大都督自ら雄黄国に攻め込んできたのだ。普通、雄黄のような小国を相手にする武将など、ほとんどいない。だが、この大都督は、弱者に対して極めて厳しい男だった。故に、大軍で雄黄国を踏み荒らしてやろう、という腹積もりらしい。
早速、砦を奪取できた大都督は、意気揚々と次の下知を下す。
「この砦に本陣を設営する! 二万の兵を守備として残し、残りの十八万は三つに別れ、東にそびえる三城へ同時に攻め込むのだ!」
眞軍の士気は、時間が経つと共に上がっていく。誰もが、雄黄軍など敵ではないと高を括っているのだ。
六万の先発隊が、琿陀羅城へ向かっていた。だが、道は進んでいくごとに狭くなり、大軍の動きは鈍くなる。加えて、途中から断崖に挟まれた崖下を歩くようになった。冷たく尖った岩肌が、眞軍に不安を覚えさせる。
進軍開始から三時間。未だに崖下を歩くのが続いている。すると、空から何かが降ってきた。色は黒く、粉のような何かだ。誰もが、山深い土地だからこれくらいある、と言って気にしていない。
粉のような何かが降ってきたその時、崖の上には、小さな袋を手にした影奏達がいた。影奏達は袋を逆さにし、袋一杯に詰められた粉を蒔いていた。
「よし、引き上げるぞ。」
粉のことなど、眞軍の兵は皆忘れた頃、先頭にいた兵が声をあげた。
「城が見えたぞ!」
岩肌の隙間から、城の灯火が見える。距離からして、一時間もあれば辿り着くだろう。やっと一安心できた、誰もがそう思ったことだろう。だが、それも束の間、霧が立ち込めてきた。霧は数分としない内に、六万の大軍を包み、兵達には不安の色を見せる。
それを見た将軍は、兵達を叱りつけた。
「騒ぐな! この霧の中では敵も襲っては来ない! 一旦退き、体勢を立て直すのだ!」
その時である、影奏の声が、辺り一面に響き渡る。
「放てぃ!」
赤い光をまとった矢が、一斉に降り注いだ。崖の上では、影奏率いる雄黄軍が、ある物を印に矢をいかけている。
さて、奇襲を仕掛けられた眞軍は、大混乱に陥っていた。霧で互いが見えないと言うのに、どうして雄黄軍は、自分達の位置を特定できるのか。その秘密は、あの黒い粉が関係していた。
「何故我らの位置が分かるのだ!? ……ん?」
騎乗していた将軍は、いち早くあることに気付いた。それは、兵達の体が、所々光っていることだ。まさかと思い、将軍は自分の頭を軽く撫で、掌を見る。
「!」
なんと、先ほどまで何ともなかった掌が、兵達と同様、光輝いていた。それは、ヒカリゴケの一種であった。しかも、霧に触れると強烈な光を放つ特別なものだ。
将軍が、奇襲の仕掛けに気付いたものの、時既に遅く、眞軍は壊滅的打撃を受けた。大軍が狭い地形で密集し、敵は手の届かない崖の上、そして正確に放たれる矢の雨。最早、眞軍に反撃の余力はない。
そして、これと同じことが他の二部隊にも起こり、眞軍は三万の死者と五万の負傷者をだし、惨敗を喫したのだった。
だが、影奏の反撃はこれだけでは終わらない。先発隊が全て壊走したと知ると、次なる指示を出す。
「敵軍は壊滅した! これより、敵本陣を突く!」
「「「応っ!」」」
影奏は自ら先陣を切り、半日前に放棄した砦へとかけた。地の利がある影奏達からすれば、山野を駆け抜けるなど造作もない。その驚異的な進軍は、砦にいた大都督を驚愕させる。
「ひぇぇぇぇぇぇっ!!!」
鎧を脱ぎ捨て、命からがら逃げる大都督。砦は陥落、兵達は既に逃げ、大都督を守ろうとする者は一人もいなかった。そして、その背後から、一角獣に股がった影奏が、槍を構えて追ってくる。
「待てっ! 大人しく観念しろっ!」
「嫌だ……嫌だぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
何とか逃げようとするものの、大都督は石につまずき、盛大に転んだ。その鼻先に、影奏の槍の穂先が突きつけられた。
「その首級、もらった。」
「ま、待ってくれ……」
「ならんっ!」
そのまま大都督は、悲鳴を上げる時間も無く、首を切り落とされた。




