何でこっちに来たんだろ?
徐卯千川の戦いから五日。眞が江喜国を滅ぼした。江喜双歩は圏府を捨て、最後の城をも捨て、数百年の栄華を誇った江喜家は滅びた。
「はぁはぁ……」
家臣の肩を借り、双歩は険しい山中を歩いていた。公家風の化粧も汗で崩れ、鎧は破損、これが、名家の長の成れの果てだ。
「ご覧下さい、我が君! 見えて参りましたぞ!」
一人の家臣が、東の空を指差した。そこには、堅牢な山城がそびえ立っている。生気の無かった双歩の顔にも、僅かならが希望が差し込んだ。
「おぉ、やっと来たか……」
「もう一息です! 」
「うむ……」
さて、双歩が逃亡を続けるなか、玲祈は戦支度にいそしんでいた。
「はぁ、」
廊下の陰で、玲祈は一人、ため息をついていた。江喜国が滅ぼされるという凶報が届いたからだ。
「姫様。」
柱の向こうから顔を覗かせ、影奏が微笑みかける。玲祈はすぐに笑顔を見せるが、どうやら影奏には、全てお見通しのようだ。
「本当、姫様は作り笑いが下手ですね。」
「うぅ……、やっぱりそうかな?」
緊迫していた玲祈の顔に、笑顔が戻った。
「はい。咄嗟に作ろうとする時なんかは特に。 それより、江喜様が参られました。」
「本当?」
「はい。 既に広間にいらしています。」
「分かった。すぐに行くよ。」
玲祈が広間に移動すると、そこには双歩が座っていた。化粧も衣装も整えられているものの、顔からは一切覇気が感じられない。
「敗軍の将が、玲祈殿に拝謁致す。」
深々と頭を下げる双歩の手を取り、頭を上げさせた。
「江喜殿、面を上げてください。」
「いや、麿は国を追われた。 だと言うのに、見苦しく生きておる。 次の戦では、先陣を切って奮戦し、華々しく討ち死にしたく思っておる。」
あまりにも命を軽く扱おうとしている双歩に、玲祈は少しきつめに言った。
「そんこと言っちゃいけません。 必ず勝って、領地を取り戻しましょう。」
「……そなたは、優しいな。」
この日の内に双歩は、引き連れてきた二千の残党と共に、雄黄国の北部に位置する琅尹城に駐屯することとなった。
琅尹城は苑儒家との国境に位置する城であり、眞との戦が勃発しても、すぐに戦になることはない。国を追われ、自暴自棄になっている双歩に対する、玲祈からの心遣いであった。
双歩がやって来てから数日は、平和な日々が続いていた。そんなある日、玲祈は一人で廊下を歩いていた。様々な業務が立て込んでいた為か、少し疲れが見える。
(疲れた……。 でも、頑張らなくちゃ。)
玲祈は頬を叩き、気合いを入れ直した。すると、庭の方から、誰かの話し声が聞こえる。
話をしているのは二人。一人目は、昔から雄黄国に大使として駐留している江喜家の重臣。二人目は、双歩と共に逃げ延びてきた武将であった。両名とも、連絡係として雄黄城に留まっている。
「何故、雄黄国に逃げてきたのだ? 苑儒国や金統国の方が国力も高く、安心できたろうに。 玲祈様がお優しいから、という理由だけで来たわけではあるまい?」
大使の言葉に、武将は頷いた。
「はい。実は、他に選択肢が無かったのです。」
選択肢がない、という一言に、大使は首をかしげた。
「どう言うことだ?」
「それが、当初は苑儒国へ向かっていたのですが、敵の伏兵に合い、金統国へ向かったと思えば、そちらでも伏兵に合いました。故に、雄黄国へ逃れてきたと言うわけです。」
「ふむ。 強国の兵が増えるのを恐れたのやも知れぬな。」
一連の会話を聞いていた玲祈は、疑問を抱いた。そして、一つの結論にたどり着く。
(もしかして、江喜殿を匿ったことを名分に、うちに攻め込んでくるんじゃ……)
考えを巡らせる玲祈。そこへ、血相を変えた影奏が駆け寄る。
「どうかしたの?」
「眞から書状が届きました。」
それを聞くと、玲祈の顔が青くなった。玲祈は急いで書状を受けとると、目を皿のようにして書状を読み始める。
「……」
書状を読み終えても、玲祈は何も言わず、ただただ俯いていた。
「眞は何と?」
「……ちゃった。」
玲祈が、何かを呟いた
「今、何と申しましたか?」
「嫌な予感が当たっちゃった。」
それ以上何も言わず、玲祈は書状を影奏に渡す。影奏はまじまじと書状を読む。
その書状には、こう書かれていた。
“逆賊、江喜双歩を匿いしこと、許し難い。 これより、総力を上げ、雄黄国へ侵攻する。”




