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四壁の王  作者: 真籠俐百
2/112

2024年12月現在、内容を修正中のため、話がちゃんと繋がっていない箇所があると思います。

修正してもなんだか納得がいかず、1~20話辺りを何度も書き直しています。

全然先に進めていなくて申し訳ありません。

時々誤字報告をくださる方がおり、大変ありがたく感じております。まだ待ってくださっている方がいるのかと思うと心苦しく、申し訳ない気持ちでいっぱいです。

来年こそ頑張らなくてはと思っています。

修正が終わったら、活動報告に上げる予定です。よろしくお願いいたします。

 そこは『壁の(ほとり)』と呼ばれる広大な森。めったに人が足を踏み入れることのない危険な森だ。

 今は冬――――。

 頭上を覆い隠すように鬱蒼と茂る木々には雪が降り積もり、見渡す視界の全てをただ真っ白に染めあげていた。

 今は曇天の夜であるのだが、降り積もった雪がほの白く輝きを放ち、辺りは視界を失うほどの暗闇ではない。

 その静寂に包まれた白銀の夜の壁の畔で、ウィルヘルミナ・ノルドグレンは今窮地に陥っていた。

 ひとまず、彼女の年齢は八歳と説明しておこう。

 なぜひとまずという注釈がつくのかは後々説明するとして、彼女の肌は北方民族特有の雪のように白い肌をしていた。

 やや癖っ毛で細く柔らかな金色の髪は、少年のように短くうなじで切りそろえられており、唇は愛らしい桜色をしている。

 表面的な特徴だけを見るのならば、文句なしの美少女でしかない。

 だが、力強い光を宿す切れ長なその目が、彼女を『少女』と言い切らせるのを阻むような空気を醸し出していた。

 向こう見ずで勝気な性格を如実に表している力強いその目が、『少女』と断じることをためらわせているのだ。

 そう、彼女の外見で何より特徴的なのは、力強い輝きを宿すその目だった。

 彼女の右目は、北方民族特有の青い目をしている。

 しかし左目は、大陸でも珍しい、澄み渡った新月の夜空のように神秘的な黒い目をしていた。

 一般的に『(しん)(じゅう)(がん)』と呼ばれるこの黒色の目は、古来より神獣の血を引く証しとされており、通称『四壁(しへき)』と呼ばれる四つの辺境伯爵家の血筋にのみ生まれる珍しい目だ。

 現在四壁で、この神獣眼を持つ者は十人に満たない。それほど稀少な目であるのだ。

 その稀少な目を持つ少女ウィルヘルミナは、後ろを振り返ることなく、夜の森の中を、雪を跳ね上げながら全力疾走している。

 子供特有の、もちもちとふっくらした丸い頬はほんのりと色づき、赤く上気していた。

 それは、この数時間ずっと外を走りっぱなしで寒さに晒され続けているせいだ。

 幼い口元から吐き出される荒い呼吸は、すぐに白く凍りつき、夜の闇に溶けていく。

 雪のちらつく夜の森の、凍てつくような寒さをまざまざと見せつけていた。



(くそ! あの陰険眼鏡! ふざけんな!)

 ウィルヘルミナは、天使のように愛らしい容姿からは全く想像のつかない、悪夢のような罵声を心の中で叫ぶ。

 表情もイラついたように苦々しく歪み、まるで子供らしくない舌打ちでもせんばかりの顔つきをしていた。

 ウィルヘルミナは今、何かに追われ、逃げている最中のようなのだが、しかし彼女の表情は全く恐怖を感じてはいない。ただ純粋に、何かに腹を立てているだけのようだ。

 その可愛らしい顔に、ただ怒りの色ばかりを張り付け、ウィルヘルミナは雪の降り積もる暗い森の木々の間を、子リスのように素早く走り抜けていた。行く手をふさぐ、こんもりとした雪山や木の枝を、雪に足を取られることもなく、まるで羽でも生えているかのように軽やかに飛び越える。

 そして少し開けた場所を見つけると、雪に沈む足を踏ん張って止め、すぐさま地界第七位の魔法を唱えた。

「カイタバ!」

 ウィルヘルミナの足元がぐにゃりと歪み、突如雪の下から土の壁が出現する。

 その土壁に、何かが激突して悲鳴を上げた。

「ギャイン!!」

 続いて、グルルと唸るような声がいくつも聞こえ、すぐに周囲を四つ足の獣に取り囲まれる。

 ウィルヘルミナは、間髪入れずに火界第七位の魔法を唱えた。

「アラーユダ!」

 土壁が消え失せ、代わるようにして炎が出現し、周りを囲む獣の群れに襲い掛かる。

 炎の出現で、暗闇に溶け込んでいた獣の姿が鮮明に浮かび上がった。

 低いうなり声をあげているのは狼に似た獣だ。しかし、似ているのは顔だけで、その姿は狼とは程遠い。

 その獣は、一つの体に二つの頭を持ち、額には角が生えている異形の生き物だ。

 ウィルヘルミナが生み出した炎の魔法は、轟音を立てて異形の獣たちに襲い掛かった。

 だが、その炎では獣たちを葬り去ることはできない。わずかばかりの火傷を負わせ、警戒するように後退させることに成功しただけだ。

 獣たちはグルグルと唸り声をあげながら、ウィルヘルミナの周囲を取り囲む。じりじりとその距離を詰めてきていた。

(これでもダメか。あの陰険クソ童貞眼鏡め!! 絶対にこれを見越してやがるよな。っとに腹の立つ奴だな。だいたい爺さんも爺さんだよ。孫娘が可愛くねーのか!? それにおっさんも見捨てるなんてひでーよ。そうだよ、一番常識持ってるはずのおっさんが、なんでこの状況を止めねーんだよ!)

 ウィルヘルミナの思考は恨み言に逸れ、一瞬だけ魔法を使うことに躊躇した。

 がしかし、飛び掛かってくる獣の群れを見てすぐに腹を決める。

「ロヴィアタル!」

 先ほどより上位にあたる火界第六位の魔法を使った。

 今度は白い炎が出現し、あっという間に周囲一帯を焼き払う。

 高温の炎に炙られ、獣たちの命は一瞬にして奪われる。後には焼け焦げた無残な死体ばかりが残っていた。

 ウィルヘルミナは一仕事終わったとばかりに息を吐き出し、冷めた目で獣の死体を見下ろす。

(一位上げただけでこれだもんな…。やっぱ気をつけねーとな。爺さんの思惑通りに家を継いで、野郎と結婚とかマジでむり)

 想像したことで覚えた寒気なのか、はたまた外因である寒さのせいなのか判然としないが、とにかくウィルヘルミナは体をガタガタと震わせた。

「さっぶ」

 小さく声を漏らし、体を両腕で抱きしめるようにしながら丸めると再び走り出そうとする。


 しかし――――。


 思わぬ横やりでその行動は引きとめられた。

「お前、何者だ? 何故人間の子供が、一人でこのような場所にいる?」

 己以外は無人と思われた森の中で、突然聞こえた声に驚き、ウィルヘルミナは飛び上がって振り返る。

 すると、そこには長身の男がいた。

 その時、まるで狙ったかのようなタイミングで夜空を覆っていた雲に切れ間が生じ、星明りが男を照らし出す。

 男は、きめの細かい白い肌と、北方では珍しい絹のようになめらかな黒髪をしていた。

 その顔は恐ろしいほど整っており、この世のものとは思えないほど美しい。

 男の目は、確かにウィルヘルミナへと向けられているのだが、しかし、それは文字通りただ向けられているだけだった。

 男は、まるでこの世の全てに興味がないとでもいうかのような死んだ目をしており、その虚ろな眼差しを、ただ漫然とウィルヘルミナへと注いでいる。

 ウィルヘルミナは、男の突然の出現に驚きつつも、敵意がない事を感じ取るとすぐに警戒を解き、しばしの間呆然と立ち尽くした。

(敵ではねえみてえだな。それにしても、いつの間にこんなすぐ側まで近づいてたんだよ。全然気配しなかったぞ)

 得体のしれない気味の悪さを覚えつつも、男をしげしげと眺める。

(つか、よく見ると、むかつくほど奇麗な顔した奴だな。こういう奴に限って、近寄る女をてきとーに食いまくって捨てるんだよな。なのにモテるという不条理。あ、考えただけで腹が立ってきた。イケメン滅べ)

 勝手な先入観で全てを決めつけ、一人腹を立てはじめたウィルヘルミナだったが、男の顔をじっくりと見つめるうちに、あることに気づいた。

 瞬時に表情を変え、ぎょっと目をむく。

(――――て…え!? え!? ちょ、待てよ、こいつの目!! まじかよ!?)

 ウィルヘルミナは、驚きのあまり目をまん丸に見開いて固まった。

 男の目は、両方が黒色――――つまり神獣眼だった。

(こいつ四壁の人間なのか!? けど…あれ? 北壁に神獣眼はオレ以外にいねーはずだよな…? しかも両目とも神獣眼て…そんなの聞いたことねーぞ)

 首を傾げて考え込みはじめたウィルヘルミナに、男は音もなく近寄る。

 パーソナルスペースを無視した男の接近に気付いたウィルヘルミナは、慌ててのけぞって距離をとった。

 そこで、はじめて男の目に感情の色が宿る。

 まるで虚空にぽっかりと開いた穴のようだった男の黒い目に、その時、確かに感情の色が灯った。玩具を見つけた子供のようにくるりと揺れる。

 それまで無表情だった男が、不意にフッと笑った。

「異界の匂いがする。懐かしい匂いだ」

 ウィルヘルミナはぎくりと体をすくませる。

(へ? 懐かしい匂い? オレ、なんか匂うか? まさか…くさいのか!? 風呂ならちゃんと毎日入ってるぞ! くさいわけがない!)

 ウィルヘルミナは、思わず腕を上げ、自分の匂いを嗅ぎはじめた。

 しかし、すぐに動きを止めて首を傾げる。

(つーか異界の匂い? 匂いでそんなことがわかんのか?)

 男の言葉に、一部思い当る節のあったウィルヘルミナは怪訝な表情を浮かべた。

 ウィルヘルミナの百面相を見守っていた男は、興味深いといった様子で目を細める。

「私はイルマリネン。イルと呼んでくれ。お前の名は?」

 その質問で我に返ったウィルヘルミナは、怪しむような半眼になって男――――イルマリネンを見上げた。

(オレのこの目を見た上で名前を聞いてくるとか…。モロ怪しいんですけど。でも、たとえモロばれだとしても、オレの場合正直に名乗るわけにもいかねーんだよな。一応偽名でも使っとくか)

 ウィルヘルミナは適当な名前を答えようとする。

 しかし、イルマリネンの指がつと静かに動き、開きかけたウィルヘルミナの唇を押さえて言葉を遮った。

 とっさに何をされたのか分からなかったウィルヘルミナは、一瞬あっけにとられた。

 しかし、イルマリネンの人差し指が、己の唇をそっと押さえて開かないようにしていることに気付くと、驚くほどの速さで後ずさり距離を取った。

 ウィルヘルミナは、ピタリと背中を木に押し付け、青ざめた表情で固まり、不審者を見るような目でイルマリネンを見返す。

(きしょ!! きっっっっしょ!! 何してくれてんだよ!?)

 ウィルヘルミナは、触れられた部分が汚くなったとばかりに、己の唇を手の甲でごしごしと擦った。

 だが、イルマリネンはそんなウィルヘルミナの様子に全く頓着せず続ける。

「私は真名を教えた。お前も真名を教えてくれ」

 ウィルヘルミナは、またしても固まった。周回遅れでイルマリネンの言葉を理解する。

(えーと、つまり嘘つくなってことか? 何で偽名使おうとしたことわかったんだよ?)

 ウィルヘルミナは釈然とせず、顎をつまんで首をひねった。

「つか真名ってなんだよ…。普通に名前の事だろ? 変な言い方すんなよ。てかお前さ、まさか人間じゃないとか?」

 冗談交じりに聞いてみるが、イルマリネンは曖昧な笑顔を浮かべたまま答えなかった。

(よ、読めねー。何なんだよいったい…。名前の事を真名とか言うから、適当に聞いてみたけど、まさか本当に人間じゃねえとか? だったら精霊なのか? でも、精霊だとしたら聞いたことねえ名前だぞ? それに、どこからどう見ても人間にしか見えねーよな)

 この世界には精霊が存在する。

 精霊は、意思疎通ができるのだが、だいたいは獣の姿に似ており、概ね四つ足をしている。しかし、高位の者は比較的に人に近い姿をしており、二足歩行が可能なのだが、よく見れば耳の形が違っていたり、指の本数が違っていたりと明らかに人とは違う特徴があるのだ。

 けれども、目の前にいるイルマリネンの外見は、人と違うところは全く見受けられず、精霊とは思えない。

 だから問い質してみたのだが、イルマリネンからの返事は一向になかった。

(なんだよ、突然現れて一方的に絡んできておきながら、こっちの質問には答えねーつもりか? あーもういいわ、めんどくせーわ。知りたいなら教えてやろうじゃねえか、オレの本当の名前を)

 ウィルヘルミナは開き直り、面倒くさそうに頭の後ろを掻きつつイルマリネンを睨む。

「ウィルヘルミナ・ノルドグレンだ」

 煮るなり焼くなり好きにしろ、攻撃してくるなら倍返しにしてやるからなとばかりに、威嚇するように言い捨てた。

 今の北壁で、この名前を名乗ることはかなり危険な行為なのだが、ウィルヘルミナがそれに頓着する様子はない。相手の動きを注視しながら、いつでも攻撃できるように構える。

 しかし、イルマリネンの反応はウィルヘルミナの想像していたものとは全く違っていた。

「ウィルヘルミナ、よい名前だ」

 うっとりと微笑み、大切なものを噛みしめるようにその名を口にする。

(へ? それだけ? こいつ、ノルドグレンが送ってよこした刺客とかじゃないのか?)

 肩透かしを食らったウィルヘルミナは、攻撃態勢を解き、まじまじとイルマリネンを見返した。

 このトゥオネラに存在する人間ならば、ノルドグレンという北壁辺境伯爵家の家名を名乗った時点で、たとえ子供であってもウィルヘルミナの素性を知ることができる。それだけノルドグレンという姓は認知度があるのだ。

 にもかかわらず、イルマリネンはそこには反応せず、名前の方だけに興味を持った。

(こいつ本当に何者なんだ? 意味わかんねー)

 ウィルヘルミナは両腕を組み、半眼で顎を突き出すという子供らしくない姿でその綺麗な顔を見上げていると、不意にイルマリネンが顔をあげて熱っぽくウィルヘルミナを見返してきた。

「私と契約するか」

「は?」

 唐突に言われ、ウィルヘルミナは腕を組んだ状態で、間抜けな表情になって聞き返す。

 だがそれに対するイルマリネンの返事は、全く返事になっていなかった。

「そうだ、契約しよう」

「え? ちょっと待て、契約って何の?」

「手を出して」

 イルマリネンは強引に話を進めていく。

 ウィルヘルミナは、組んでいた腕を解いて慌てた様子で手を振った。

「いやいや、だから人の話を聞けって。契約ってなんだよ。まさかお前本当に精霊なのか?」

「精霊ではない」

 イルマリネンは、ウィルヘルミナの腕を取ろうと手を伸ばす。ウィルヘルミナはその手をかわした。

「じゃあ契約って何の?」

「何のとは? 契約は契約だろう」

 ウィルヘルミナはイルマリネンをかわしつつも、わけがわからないといった表情になっていた。その脳裏には疑問符ばかりが思い浮かんでいる。同様に、イルマリネンの方でも首を傾げていた。

(契約っていったら、普通は精霊契約の事だよな? なのになんでこいつとは話がかみ合わねーんだ?)

 ウィルヘルミナは、頭の中を整理するように首を捻りながらイルマリネンを見返す。

「ちょっと待てって。一旦落ち着け。お前の言っている『契約』がオレの想像している契約なら、お前は精霊ってことになる。でもお前は精霊じゃないんだよな?」

「そうだ」

「だったら何の契約なんだ」

 イルマリネンは、意味が分からないと言った様子で首を傾げつつ返す。

「通常の契約だ」

 ほんの一瞬、二人の間に沈黙がおりた。

 ウィルヘルミナは、ふーと息をはき出しつつカリカリと頭を掻く。

(もしかして馬鹿なのかこいつ。全然話が通じねー)

「なんなんだよそれ。ぜんぜん意味わかんねーよ。オレの質問ちゃんと聞いてたか?」

 呆れた様子で首を振り、油断しきっているウィルヘルミナの手を、イルマリネンが強引にとった。

「とにかく手を」

 手を掴まれて、ウィルヘルミナはぎょっと目をむく。反射的に振り払おうとするが解けない。

「おい! ちょっと待てって。話を聞けよ! 訳の分からねえ契約なんてできねえよ! それに、オレはこれ以上契約増やす気なんかねーんだよ。だいたい契約するなら魔法陣はどうしたんだよ。普通はそれで召喚してから契約するものだろ?」

 またしてもイルマリネンは首を傾げた。

「今、扉は必要ない」

「は?」

 再び沈黙が下りる。ウィルヘルミナは困惑気味に眼を瞬いた。

(ニュアンスからして、魔法陣が扉ってことなのか? だめだ、全然意味わかんねー)

 しかしイルマリネンは、ウィルヘルミナの戸惑いなどまるで無視して、美しい微笑みを浮かべる。女性であるなら、一目で恋に落ちるはずの極上の微笑みだ。

「契約しよう」

 相変わらず全てを無視して勝手に話を進めるイルマリネンに、ウィルヘルミナは怒りを覚えて体を震わせた。

「だから人の話を聞けって――――」

 言いかけたその言葉を遮り、イルマリネンは掴んでいたウィルヘルミナの手の甲を、風界の魔法で切り付けた。それも無詠唱で。

 あまりの出来事にウィルヘルミナは呆気にとられる。

 止める間もなく、イルマリネンは流れ出たその血を舌で舐めとった。

「ああ、美味い。やはり、想像した通りだ」

 顔をあげて極上の微笑みを浮かべる。

 ペロリと官能的に唇の血を舐めとったイルマリネンを見て、ウィルヘルミナの全身に鳥肌が立った。

「何すんだよ!? 勝手に舐めてんじゃねーよ!! きめーよ!!」

 腕を払いのけるようにして振りほどくと、走って逃げ出す。

(だめだこいつサイコパスだ。全く話が通じねー。だいたい今のオレにはサイコの相手してるヒマなんかねーんだよ。これ以上、こんなヤツにかかわってなんかいられねー。もう逃げるしかねーわ)

 ウィルヘルミナは、青ざめた顔で猛ダッシュしつつも、追跡されているかどうかを確認するために、一度だけ背後を振り返った。

 すると、微笑みを浮かべたままのイルマリネンと目が合う。

 ウィルヘルミナがゲッとつぶやいたのと同時に、イルマリネンが聖界の魔法を無詠唱で使った。

 逃げることに必死だったウィルヘルミナは気づかなかったが、イルマリネンにつけられた手の甲の傷がみるみるうちに塞がっていく。

 イルマリネンは、微笑みを浮かべたまま挨拶するかのように片手を上げた。

「いつでも呼んでくれ。お前の召喚には喜んで応じよう。ただし人前で真名を口にしてはいけないよ」

「ざけんな! 誰が呼ぶか!!」

 威嚇しながら脱兎のごとく猛然と走り出す。その顔は、恐怖のあまりひきつっていた。

(オレ、サイコってはじめて見たわ。パスみがやばい。前世でもあんな奴に会ったことなかったのに、幼女に生まれ変わってサイコに狙われるとか…。ないわー)

 そう、何を隠そうこのウィルヘルミナは、いわゆる転生者という枠に当てはまる人間だった。

 しかも、彼女の前世は『彼』であった。

(しかもあのサイコ、ロリコンなのか? 今のオレの場合、しゃれになんねーよ)

 実害がなく、嗜好を心の中にとどめておけるのであれば、他人の性癖に文句をつけたりはしないのだが、しかし、その性癖が自分自身へと向けられているとなると話は違ってくる。

 ウィルヘルミナの疲労はピークに達していたのだが、疲れた体に鞭を打ち、全身に鳥肌が立った状態で全力疾走した。

「せっかく生まれ変わったのに、三歳の時は刺客に殺されかけて命の危機にさらされるし、八歳では変態サイコに遭遇してウザ絡みされるとか運悪すぎだろう! オレは波乱万丈とか勘弁なんだよ! 静かに生きさせてくれ!」

 これ以上のトラブルはごめんだとばかりに、絶叫する。

 実のところ、今の独り言で言い放った『三歳で刺客に殺されかける』というこの出来事こそが、彼女の前世の記憶を呼び戻すきっかけとなっていた。

 今から五年前、ウィルヘルミナが三歳の時、刺客に襲われ臨死体験をしたことで、彼女は『彼』であった頃の記憶を取り戻したのだ。

「ロリコンとか絶対むり!! マジでないから!!」

 ウィルヘルミナは恐怖に引きつった表情のまま、途中で一度も止まることなくまっすぐ家に逃げ帰った。


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― 新着の感想 ―
[一言] 久しぶりに読み返えそうと開いたら前書きが追加されててビックリしましたよ。頑張ってくださいね!
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