王さまが〝なみだ〟を流すとき
涙を流したことのない王さまがいました。
森に囲まれた広い盆地にある、豊かな国の王さまでした。国民は美しい花や木の実を他国に売って生計を立て、王さまは国民から徴取した税金を湯水のように遣って暮らしていました。
王さまはよく笑いました。隣国の王族との晩餐会のときも、自国を襲った盗賊団を処刑したときも。
王さまはいつも笑っていました。お妃さまが亡くなったときも、上手に歌が唄えなかったときも。
ある日、町に下りた王さまは、海岸沿いの道で涙を流す少女を見つけました。王さまは少女に問います。
「ひとみからながれているそれは、なんだ?」
泣きはらした顔を上げて、少女は答えます。これは、涙というものです、と。
「〝なみだ〟!」
王さまは大きな声をあげました。
「なんてうつくしいんだ! なんてうつくしいんだ!」
そうだ、と王さまは手を叩きました。
「その〝なみだ〟を、あつめよう!」
城へ戻った王さまは、さっそく兵隊に命令を出しました。明日の朝までに、出来るだけたくさんの〝なみだ〟を集めてくるように。いつものように笑顔を浮かべている王さまに意見する者は、ひとりもいませんでした。
王さまは、王さまなので、兵隊を思うようにできるのでした。思うようにならない者は、追い出されたり殺されたりするので、兵士は誰ひとりとして逆らいませんでした。
兵隊総出での〝なみだ〟狩りがはじまりました。
できるだけたくさんの〝なみだ〟を、という命令だったので、兵士たちはあらゆる手を使って国民の瞳から〝なみだ〟をこぼさせました。悲鳴を上げる者、血を流す者、呼吸を止める者。
国民の瞳から集めた〝なみだ〟は、城のある中央広場に置いた大きな大きなガラスの瓶に注がれました。巨人が使うコップのような、それはそれは大きなガラスの瓶でした。
夜を徹して行われた〝なみだ〟狩り。やがて朝日が昇って、王さまへの謁見の時間になりました。
〝なみだ〟の詰まったガラスの瓶を見て、王さまはいつものように笑いました。瓶を指差して、ひとこと。
「もっとだ!」
結局、それから何日も〝なみだ〟狩りは続いて、ひとり、またひとりと国民は死んでいきました。国民の数と反比例するように、ガラスの瓶の中身は増えていきました。
兵士の数も減って、王族の数も減って、ガラスの瓶にはどんどん〝なみだ〟が溜まっていきました。
「もっと! もっとだ!」
王さまは、自らの手で国に住む者たちを傷つけはじめました。城の王族や召使いを銃で撃ち、痛みと恐れゆえに溢れる〝なみだ〟をコップに注いで、
「うつくしい!」
満面の笑みでガラスの瓶に移し替えました。
城に〝なみだ〟を流せる者がいなくなって、今度は町へ下りました。血まみれの王さまを見て、国民は逃げ回ります。
「〝なみだ〟をよこせ!」
銃声を響かせながらさまよう王さまは、やがて城のある中央広場に戻ってきました。町には生きている者がほとんどいなかったので、〝なみだ〟はあまり集められませんでしたが、それでも王さまは笑っていました。
王さまは長い梯子をゆっくり上って、集めてきた〝なみだ〟をガラスの瓶の口から注ぎます。瓶に並々と溜まっている〝なみだ〟の水面はゆらゆらと揺れていて、王さまはそれをうっとりと眺めました。
不意に強い風が梯子を揺らしました。てっぺんにいた王さまは、息つく間もなくガラスの瓶の口から瓶の中へと真っ逆さまに落ちました。〝なみだ〟の海の中でもがく王さまを助ける者はどこにもいません。王さまを見て〝なみだ〟を流す者は、どこにもいません。
誰もいなくなった国に、そうとは知らない旅人がやって来ました。
おかしいな、確かにここには国があったはずなのに……。旅人はぶつぶつ呟きながら、手に持った地図と目の前に広がる湖を交互に眺めました。
「ようこそ!」
背後からの声に驚いた旅人が振り向くと、ぼろ切れのような服をまとった、ぼろ切れのような老人が立っていました。
「ようこそ! わたしのくにへ! ようこそ!」
老人は皺だらけの顔いっぱいに笑みを浮かべて、両目から滝のような涙を流して、久し振りの訪問者を迎えました。