おばあちゃんのはなし
あのね。今日は、わたしの大好きなおばあちゃんの話をしたいと思うの。
聞いてくれる?
◆
わたしのおばあちゃんは、とても優しい人だったんだ。
おばあちゃんは、お母さんのお母さんで。
お母さんが仕事を始めてから、孫であるわたしたちの面倒をみるために田舎からやってきていっしょに住むことになったの。
わたしのお母さんは看護師さん。
若くして結婚して子供を産んで、わたしたち三人姉妹が全員小学校に上がるのを待ってから、看護学校に通って資格を取ったがんばりやさんだ。人よりだいぶ遅れて入学したから、クラスメートは自分より10以上も年下の子ばかりだった。でも負けず嫌いのお母さんは、涼しい顔をして主席をキープしていた。本当は、「若い時と違って勉強したことがなかなか覚えられない」と言って、陰ですごく苦労していたんだけど。だから、勉強は頭がやわらかいうちにしておきなさい、というのが口ぐせだ。
看護師の仕事は不規則だ。一晩中家にいない時もあるし、夜中にいきなり呼び出される時もある。
お父さんはいわゆる転勤族で、うちにいることがそもそもあまりない。
忙しいお父さんとお母さんの代わりに、おばあちゃんはいつでもうちでわたしたちの帰りを待っていてくれた。
おばあちゃんの作るおやつは、サツマイモの天ぷらだとか、ぜんざいだとか、ゆでたソラマメだとか、そんな感じのものばかり。よそんちのお母さんみたいにおしゃれな手作りクッキーや有名店のケーキが出てきたことは一度もない。でもわたしはおばあちゃんの素朴なおやつが大好きだった。
うちで、ごはんを主に作るのはお母さんだ。お母さんの料理は子供が好きなハンバーグや唐揚げなんかが多い。それにおばあちゃんが昼間に作った煮物や何かがプラスされる。夜勤の時はたいてい、作り置きできるカレー。お母さんは料理の時もシャカシャカ動くので、うちの台所に二人以上が同時に立つことは基本ない。たまにわたしたちがお手伝いする時も、お母さんにぶつからないように気を付けなくてはいけないくらいだ。
おばあちゃんの晩ごはんの時間は早い。6時だ。おやつをしっかり食べたわたしたちはまだおなかが空いていないし、お母さんは仕事から帰ってきたばっかり。
だからおばあちゃんは食卓にわたしたちの食器を配膳しておいてから、自分はテレビの前に座卓を出して一人で食べる。おばあちゃんの好みはわたしたちのものよりヘルシーな献立。煮物とか、サラダとか、お漬物とか。お肉もお魚も嫌いでめったに食べないんだけど、エビと鶏肉だけは例外。毎晩一杯だけお酒を飲むのが決まりだ。
おばあちゃんはお年寄りだから、食べ終わったらすぐに寝てしまう。お母さんも仕事で疲れているのか、夕ごはんの後は「少しだけ」と言って横になるとそのままイビキをかく事が多い。だから夜はわたしたち三人姉妹が交代でお皿を洗った。
お母さんの夜勤の日は少しさみしかったけど、姉妹は三人もいるし、自室で寝ていても同じ屋根の下におばあちゃんだっている、そう思えば長い夜も乗り切れた。
昔かたぎでがまん強いおばあちゃんは、夏に扇風機を使う事も、冬に暖房を使う事もしない。
真冬で雪が降っているような日でも、こたつに入りなよ、ストーブの前に座りなよ、そう何度呼んでも、
「おばあちゃんはいいんだよ。あんたたちが使いなさい」
にこにこ笑って言うので、おばあちゃんは寒さに強いんだと、いつのまにか誰も誘わなくなった。
姉妹だというのに似ていないわたしたち。
わたし以外の二人は、学校から帰っておやつを食べるとさっさと友達と遊びに行ってしまう。どちらかというと内向的で人見知りだったわたしは、放課後を自宅で過ごす方が多かった。
おばあちゃんと差し向かいでおやつを食べながら、その日一日の出来事をぽつりぽつりと話して過ごす。好きなテレビのある日とか本を読んでいる時はしゃべらない時もある。どちらにしてもおばあちゃんは、わたしがおやつを食べ終わるまで、にこにこしてただ座っていてくれた。
先生に怒られた日も、友達とケンカをしてしまった日も、うちに帰ればおばあちゃんがいる。
お母さんにしかられてべそをかいていると、おばあちゃんがそっとアメをくれる。
おばあちゃんはわたしのおひさまだった。
ごくごくたまにある、家族そろってのお出かけの日。
姉と妹ははしゃいで両親にまとわりつく。そのくせ、きれいな景色、はじめて見る遊具、目新しいものがあればあっという間に前へかけ出してゆく。あぶないわよ、待ちなさい、そう注意しながらお母さんも楽しそうだ。
わたしはおばあちゃんに付き添ってみんなより三歩も四歩も遅れて歩いた。
わたしだってお父さんお母さんに甘えたいのに、一番最初に珍しいものを見つけてみんなに教えてあげたいのに、いつのまにかわたしだけが『おばあちゃん係』になってる。ハズレくじを引いたみたいで面白くなかったけど、
「いいんだよ、みんなと先に行っても。おばあちゃんは後からのんびり行くから」
おばあちゃんにそう言われてしまうと、首を横にふるしかない。
「いいの。わたしはおばあちゃんが好きだから」
「……二葉はやさしい子だ」
目を細めてうれしそうにするおばあちゃんに、ウソではないけれど、気持ちを少しだけごまかしたことが心苦しかった。だから記念に何か一個ずつ買っていいよって言われた時、わたしはおばあちゃんの好きなニッキ玉を選んだんだ。
「おばあちゃんと二葉は仲良しねえ」
いつだったか、お母さんに言われたことがある。あれは確か、お手伝いでサヤエンドウのすじを取りながら。めずらしく、わたしとお母さんが二人きりの時に。
「もちろんおばあちゃんは、一実のことも三花のことも好きなんだろうだけど。二葉はおばあちゃん似……というか、おばあちゃんの家系の方の顔だから、特別なのかもね」
「そうなの?」
「そうよ、お母さんは写真でしか見た事ないんだけど、死んだおばあちゃんの姉さんが二葉そっくりだったわ」
死んだ人に似ているなんて縁起でもないはずなのに、その言葉がとてもうれしかったのを今でも覚えている。
◆
あ、介護士さんが来た。身体を拭いてくれるんだって。わたしは邪魔になるから、ちょっと廊下に出ておくね。
ん?
だいじょうぶだよ、まだわたしは帰ったりしないから。
『お姉ちゃん』がウソついた事、あった? ないでしょ? だからイイ子で待っててね。
……あれ、ちや、目が覚めたの?
ぐっすり眠っていたんだよ。きっと疲れていたんだね。
綺麗になって良かった、気持ちいいでしょう。今日はこのまま寝てもいいよ。
そう。お話の続き、聞きたいの?
◆
はじまりは、ささいな事だったんだと思う。
ある年の冬。甘いはずのおやつのぜんざいが、しょっぱかった。
「おばあちゃん、これ、塩を入れ過ぎたんでしょう」
「あれ。間違えて二回入れちゃったかね」
甘みを引き立てるために最後に少しだけ足すお塩。二回くらいじゃここまでしょっぱくはならないんじゃないの、とは思ったけど。おばあちゃんの悲しい顔を見たら何も言えなくなった。
「ごめんね。無理しないで、残していいよ」
「……食べる」
なんとか飲み込んでみたけれど、いつもならお代わりするぜんざいの、一杯目のお椀を空にするだけで精一杯だった。
「砂糖を足せばいいかねえ」
おばあちゃんはお鍋を見ながらつぶやいたけど、帰ってきたお母さんの「身体に悪い」の一言で、 残ったぜんざいは全部流しに捨てられた。
そこから、時々、おばあちゃんがうっかりミスをするようになった。
火にかけていたお鍋を焦がしたりとか。
ハンカチにアイロンがかかっていなかったりとか。
回覧板を回しそびれてうちで止めてしまったりとか。
一つ一つは本当に小さな事で、だれだって気を抜いたら間違えてやってしまうような事。
だからみんな、「もう、しっかりしてよね」と言いながら、たいして気にもしていなかったんだ。
おばあちゃんがお洗濯ものを取り込むのを忘れてしまったこともある。
「ああどうしよう、いつも三時には取り込むのに、もう四時になってしまった。四時は縁起が悪い。だけど五時まで干していたらご近所さんになんて思われるか」
今時そんな事を気にしている人はあまりいないと思う。
けど本気でオロオロしているおばあちゃんが可哀想で、わたしは助け舟を出した。
「わたしが五時ちょうどにサッと取り込むから心配しないで」
「ありがとう。二葉、ありがとう」
おばあちゃんは顔をくしゃくしゃにして泣きだした。わたしはぼんやりとした違和感をかかえながらおばあちゃんの背中をさすっていたっけ。
お母さんは時々、おばあちゃんをしかるようになった。
おばあちゃんが包丁を出しっぱなしにしたり、傷んだものに気付かずに食べようとするからだ。
カビの生えたおまんじゅうを捨てられて、おばあちゃんはため息をつく。
「百代はあたしの事がきらいなのかねえ」
「そんなことないよ、親子でしょ」
わたしはスナック菓子を食べながらおばあちゃんをなぐさめた。
その頃のおやつはそんなものが多くなっていた。
「お母さんはさ、おばあちゃんの事が心配だから言ってるんだよ。わたしだっておばあちゃんがケガをしたり、おなかをこわしたりしたらイヤだもの」
「そうかしらね……」
おばあちゃんは頼りなさげにわらった。
寒い、寒い冬の日。
わたしたち三姉妹はコタツに入って宿題をしていた。
テレビはついていたけどおばあちゃんのお気に入りの時代劇だ。
いつものようにテレビの前に座って一人早目に夕ご飯を食べるおばあちゃんに、わたしは何の気なしに声をかけた。
「寒くないの。おばあちゃんもコタツに入ったらいいのに」
いつもみたいに「おばあちゃんはいいから」と返事が返ってくると思ったら、ふりむいたおばあちゃんと目が合った。おばあちゃんは、顔からこぼれ落ちそうなくらいに真ん丸な目をしていた。
「……あたしも入っていいの?」
そのささやきを聞いた時、わたしはとっさに言葉をつまらせた。姉と妹の、字を書いていた音が止まる。わたしたち姉妹は顔を見合わせた。
「いいんだよ! ダメなんて言う人、このうちには一人だっていないんだよ!」
やっと出せたわたしの声は怒ったみたいに震えていた。
妹が宿題を寄せてコタツの一角を空け、姉がおばあちゃんのごはんを運んできた。わたしはおばあちゃんの手を引いてコタツの前に座らせて布団を膝にかけてあげた。
「あったかいねえ」
おばあちゃんはふんわり笑うと、またテレビを見ながら食事を再開した。
わたしたちはだまって宿題を続けた。
次の日から、おばあちゃんの夕ご飯は座卓ではなくコタツに置かれるようになった。
その日は、たまたまお母さんが夜勤明けで、家にいる日だった。
一眠りして夕方に起きてきたお母さんが、「おばあちゃん知らない?」と、わたしたちに聞いた。
買い物に行くって言ってたよ、と姉が答え、そう、とお母さんは眉を寄せてつぶやく。そのまま数時間がたって夜になってしまってもおばあちゃんは帰ってこない。近くのスーパー数軒を探しても見つからなかった。うちじゅうで心配していると、何度か家に来たことのあるお母さんの看護師仲間から電話があり、しばらくしてからおばあちゃんを車に乗せて連れてきてくれた。
「あのね。偶然見かけて、すごく遠くの所でウロウロしていたから、声をかけたんだよ。百代さんから話は聞いていたし。……この人、千夜おばあちゃんだよね?」
お母さんの顔色がサッと変わり、おばあちゃんを抱きしめた。ありがとう、ありがとうと、お母さんは友人にくり返しお礼を言う。その様子をわたしたち姉妹はかたずをのんで見守っていた。
くつをはいて出て行ったはずのおばあちゃんは、寒空になぜかはだしだった。
「ごめんなさい、おかあさん。まいごになってしまったの。おこらないで、ごめんなさい……」
おばあちゃんはお母さんに向かってそう言うと、子供のように泣いたんだ。
◆
……眠そうだね。今日のお話はこれくらいにして、わたしは帰ろうか。宿題もしなくちゃいけないし。
ああ、そんな顔しないで。
だいじょうぶ、またすぐに会いに来るよ。だからさみしがって泣いたりしちゃダメだよ。
この次はお母さんもつれてみんなで会いに来るからね。
ん? なあに?
『お姉ちゃんのおばあちゃんなら、あたしにもおばあちゃんか』って?
……うん、そうだね。ちやも他人じゃないんだから、ちゃんと覚えていてね。
わたしはおばあちゃんのことが大好きだったし、今でもそうなんだよ。おばあちゃんが変わってしまっても、たとえわたしを孫だと覚えていなくても、その気持ちだけは変わらないんだよ。
いつまでもずっとずっと。
―――大好きだよ、おばあちゃん。