仮面
十年ほど前だっただろうか。私は無数の顔を持つ化け物を見た。
当時十歳半ば、思春期の真っ只中にいた私の話を両親は夢だ妄想だと一蹴し、気を許した友人も漫画だのゲームだのとまともに聞いてはくれなかった。
しかし、私はそれ以来あの化け物に取りつかれてしまっている。
現在、仮面屋として働いている私はあの化け物を追い求め、無数の『顔』を作り続けている。
▽▼▽
私が仮面屋として働き始めて数年が経った頃だろうか。最初こそ面白がってか客足が少しはあったものの、この頃は一週間に一人、人が来れば良い方だった。
そのことに関して私は特に何も感じることはなかった。両親が裕福だったこともあり、まともな職でなくとも両親に対する迷惑というものを完全に忘れ去れば生きて行くことは容易だからだ。
純然たる趣味。それが私の仮面屋だった。
いつも通り静かな店内で『顔』を作り続けていると、いつの間にか店内に客がいることに気が付いた。
――いつ入ってきたのだろう?
私の疑問を知ってか知らずか、その客が、私の胸ほどまでしかない背丈の子供がこちらを見た。
「こんにちは、素敵なお店ですね」
声の高さやその顔立ちからは性別が窺い知れない。髪も首筋を隠すほどには長く、細い体躯も小さな鼻も性の境界を曖昧にさせている。ただ、その落ち着いた雰囲気からは年に似合わない、何か不気味なものが感じられた。まるで子供の身体を着こんだ老人を前にしているようだ。
私は木面を掘る手を止め、この奇妙な子供に体を向けた。
「その歳でお世辞とは、最近の子供は教養が行き届いているのかな」
「お世辞だなんてとんでもありません。僕は心から素晴らしいお店だと思っています」
僕、ということは男性なのかもしれない。そんなことを考えながら、私は四方に『顔』が敷き詰められた店内を見回した。
「素直に不気味だと言ってもいいんだよ。現にここに来た客は、ほとんどがそう呟いて帰って行く」
「見慣れていないからでしょう。それか自分に向けられる視線に耐えられないとか。ほら、人間ってそういうところあるでしょう?」
「難しいことはわからないが、とりあえず、君は変わり者ということだな」
私の言葉がどこか面白かったのか、少年はけらけら笑いながらこちらへ歩み寄ってきた。
「お面屋さん、でいいんですよね。どうしてお面を作っているんです?」
意外なことに、この質問をしてきたのは目の前の少年が初めてだった。私は短く「趣味だ」と答えようとしたが、この奇妙な少年ならあの話をまともに聞いてくれるかもしれない、と自分でもよくわからない気まぐれを起こした。
私は少年に化け物の話をした。
話し終えると、少年は満足そうに一度頷き、「なるほど」と一言洩らした。
「その化け物を見て、お面屋さんはお面を作るようになったということですか」
「芸術家を気取るつもりはないがね。あれを見た時の衝撃が未だに忘れられない。もう一度あの化け物を見てみたい。私が仮面を作るのはその程度の理由だよ」
「どうしてまた?」
「どうしても何も……見たいからという他には特に。見たいから見る。駄目かい?」
「ふむ、そうですか」
少年は暗い虚のような目をこちらに向け、ニタニタと笑っている。
不吉な少年だが、不快には感じない。この少年には不思議と私を引きつける魅力がある。顔か、話し方か、やはり雰囲気か。そういった性癖を持っているという覚えもない。こういった感覚は奇妙なものだった。
「話は変わりますが、お面屋さんにとって理想のお面とはなんですか?」
「理想の? そうだな……私は人の顔を作りたい、ような気がするよ」
「それも化け物の?」
「ああ、そうだね。あの化け物の持つ無数の顔。あれら全てを私は形に残したい」
「お面屋さんは、お面を被るよりも、それ自体を眺めたいんですね」
考えるまでもない。私の仮面作りは仮面そのものを作るというより、その『顔』を眺めるためのものだ。それを被ってしまっては意味がない。
「そうだよ」
私の答えに何度も少年は頷く。私はその一挙手一投足を観察する。この少年の魅力とは一体何なのだろう? それがひたすら気になっていた。
少年はいやらしい笑みを浮かべ、壁にかけられた仮面の一つを手に取った。
「お面……いえ仮面ですか。というのを着けることにはいくつか意味があるそうで」
「それは?」
「顔を覆い隠すこと。これは西洋寄りの考え方らしいですね。あとは――被ったものになりすますことですか。神様とか、他人とか。これは日本寄りだそうですよ」
少年は手に取った陶器で出来た仮面を顔に当てた。途端に目の前には別人が現れる。肌が白く、一重まぶたの女性の顔だ。えくぼは浅く、ほんのりと頬が朱に染まっている。唇は緩いカーブを描いて笑みの形を作っている。
「お面屋さんの作っているものはそのどちらなんでしょうね。もちろんあなたの場合、自身がではなく、相手に対して求めるものということになりますが」
少年ではない何者かが口ごもった声で言った。
どちらなのだろう。
私の作り上げた『顔』が意思を持って喋る。その光景には少なからず感動を覚えた。なら、後者の方が近いだろうか。それとも、私は心のどこかで少年の顔が気に食わず、それが覆い隠されたことに喜びを感じているのだろうか。これなら前者だろう。
「ちょっと、わからないかな」
「そうですか」
さして残念そうな様子もなく、少年は仮面を元の位置へ戻した。
「僕は思うんですがね、お面屋さんが見た化け物というのは、やはりあなたの妄想なのではないかと」
変わらない笑顔で少年は言う。私の口からはため息が洩れ、手は自然と作りかけの面へと伸びていた。
「いえ、この表現は正確ではありませんね。夜中に枯れ木がお化けに見える、なんて話がありますよね? それと同じで、あなたは何かと勘違いしているのではないかと」
「勘違い? そんな馬鹿なことがあるか。私は確かに化け物を見たんだ」
木面のささくれをやすりで削り取り、少年の話を流す。
「では、例えば話していただいた化け物の話。化け物の特徴や、信じてもらえなかったお面屋さんの心情などはわかりましたが、その化け物を見た場所を教えてはもらえませんか?」
「……家の中だ」
「家の中に化け物? おかしな話ですね。それでは、その化け物の大きさはどれくらいでしょう?」
「人と、同じくらいだった」
「では最後。化け物は何かをしたのでしょうか」
化け物が何をしたか。
その質問に私の手は完全に止まってしまった。
化け物は確かにその名にふさわしい行いをした。私の家で、私に気が付くことはなく。
「私の父をたぶらかした。その無数の顔で」
「そうですか、そうですか」
少年はその変わらぬ笑顔で何度も頷いた。その様子を見るに、私の答えは彼の望むものであったらしい。
「明確な解答は、もういいですね。とりあえず先ほどの答えを出しましょうか」
「先ほど、というと」
「覆うのか、なりすますのか。あなたはどちらを望んでいるかという話ですよ」
少年は一層喜色を浮かべる。
「あなたは無数の顔が恐ろしいんでしょうね。だから、一つの顔であってほしい。トラウマは転じて執着となることもある。二つの思いが混在したまま、あなたは無数の固まった『顔』を作り続けていた。だから、あなたは変わる表情を覆い隠し、その顔になりすましてほしい」
「両方、ということかな」
私の手は再び木面を削る作業に戻っていた。少しは賢い少年のようだったが、やはり子供は子供のようだ。憶測でものを言いすぎる。
「真面目に聞いてませんね。まあ、それでも構いませんが」
少年はそう言うと踵を返し、出入り口へと足を運んで行った。
私はまたもや気まぐれを起こし、最後に一言声をかけてやりたくなった。
「君はなんだったんだい」
口にした言葉に少々後悔したが、少年は気にした様子もなく、外へ出る直前に答えた。
「化け物ですよ」
終始変わらなかった、仮面のような笑顔で。
どうも、桜谷です。一時創作の短編というものに今年着手し始めました。
読んでどんな感想を持ったでしょうか。
作中の少年は化け物か、それとも主人公である「私」の父の浮気相手の関係者なのか。私なりに考えて書いたつもりです。
あえてぼかして書いた部分が多々あります。まず主人公に関しての表現は非常に曖昧に書いてありますし、「私」の店の中にある『顔』たちは男性の顔なのか、女性の顔なのか、はたまた別のクリーチャーの物なのか等も明示してはおりません。読者の側で少年が化け物であるか否かの解釈の余地を残したつもりです。
感想があればどうぞよろしくお願いいたします。