謝れば、なにをしてもいいんでしょう?
「ごめんなさいね、リアナさん」
私の義母こと、ボードール前侯爵夫人は柳眉に愁いを漂わせ、美しく謝罪の言葉を口にした。
「メイド長。リアナさんにきちんと謝りなさいな。いまの侯爵夫人は、リアナさんなのよ」
「メイドたちの管理不行届き、大変に申し訳なく存じます、若奥様」
メイド長は哀れっぽい声を出し、私、リアナに美しい淑女の礼を披露してみせた ―― イラッとする。
「ああ、次から気をつけてくれたらいいよ」 と、鷹揚に答えるのは私ではなく、夫のフェリクス・ボードール侯爵。
「フェリクス様! そのような甘いことを、おっしゃらないでくださいませ!」
「まあ……!」
私の抗議に、義母の眉がわずかに跳ね上がる。
「リアナさん。元平民の貴女には、なかなか身につかないようですけれど。寛容も貴族の義務ですのよ。謝られているのに許さないのは、好ましくないことでしてよ?」
「ですけれど、お義母様! 昨日も一昨日も、その前も。同じでしたわ!」
なにが同じかって、メイドたちの私に対する態度がだ。
呼び鈴を鳴らしても誰も来ない。
部屋の掃除もされていない。しかたなく自分でしようとホウキを手に取れば 「そのようなこと、わたくしどもがいたします」 と寄ってたかって押し止められる。そのくせ、誰も掃除に来ない。
頼み事をすれば 「はい、かしこまりました」 と言いながら、放置される。
昨日、一昨日…… いや。国王命令でこのボードール侯爵家に嫁いでから、ずっと、そうだ。
「謝らなくてもいいから、きちんと職務を果たしていただきたいものですわ!」
「ま、誠に申し訳なく存じます……」
メイド長はおどおどと涙ぐみながら、再度、完璧な淑女の礼を披露する。
その意味は 『おまえのような平民女になど仕えるか、ばぁか』 だ。
義母は美しく、口角をわずかに持ち上げた。内心では、メイド長やメイドたちの私に対する振る舞いに、さぞやご満足なのだろう。
もとは孤児だった女との結婚。そんなものを喜んでいるのは、このボードール侯爵家には誰ひとりいない。
「もうよろしいのよ、メイド長。リアナさんも、よろしいわね」
「いいえ、ちっとも!」
「もう一度、言いますわ。リアナさん、謝られたら寛容の精神を見せるのも、貴族の義務ですのよ。何度も教えているでしょう?」
義母は嘆かわしげに扇の陰でためいきをつく。
「わたくしでは能力が足りないのかしら。リアナさんには、教えきれないようだわ…… しばらく、ご実家で学びなおしてきますか、リアナさん?」
「母上。可哀想なことを言ってやらないでください」 と、夫が口を開いた。
やっと、味方してもらえる…… わけがない。
そんな幻想は、新婚1日目には崩れ去っている。
この人たちは、家格にまったく合わない平民の孤児を娶らざるを得なかった鬱憤を、貴族らしい迂遠なやり方で晴らしているだけなのだ。
「リアナの実家など…… 単に、我が家に嫁がせるためだけに、ルルー伯爵家の名を借りただけ、ということはご存知でしょう?」
「そうだったわねえ。わたくしときたら、そのようなことも忘れていたなんて、ごめんなさい。許してくださるわよね、リアナさん」
「ええ、ええ。もちろんですわ。お義母様のお頭は、嫁いびりで大層お疲れのご様子ですから、しかたのうございますものね」
「まあ……! なんて言いようですの、リアナさん!」
「リアナ、母上に失礼だぞ? あまりに過ぎた言動をするようでは、社交界に出せないな」
「まあ、フェリクス様。では、言い直させていただきますわ。性格の悪いイジメをする姑ババアなど、許すわけがないでしょう!?」
「まあ……!」
義母が額を押さえてふらついてみせる。
夫の額に青筋が浮かんだ。ざまぁ。
「メイド長。リアナは少し、疲れているようだ。ひとりで静かに休める部屋に案内してあげてくれるかな」
「かしこまりました」
「わたくしの部屋なら、案内など必要ありませんわ、フェリクス様」
「悪いね、リアナ。貴女の部屋は、まだ改装中だよ。メイド長が適当な部屋を用意してくれているはずだ」
「さあ、どうぞ若奥様」
メイド長が私の手を乱暴につかみ、引っ張る。
曲がりなりにも侯爵夫人の身体に、許可なく触れるだなんて! 普通なら、それだけで解雇になってもおかしくない。
だが夫のフェリクスも義母も、見て見ぬふり…… いや、その口元には満足そうな薄ら笑いが浮かんでいる。なお、私の部屋は新婚1日目からずっと改装中だ。
よろけそうになりながら、私はかろうじて命令した。
「なら、庭園のゲストハウスに案内してちょうだい。すぐに。明日の王太子殿下のご来訪前に、泊まりがてら、不備がないかをチェックするわ」
メイド長が口のなかでチッと舌打ちをした。
黙っていたら、また連れて行かれてしまっていたはずだ。
埃っぽい屋根裏部屋だとか、寒い地下の貯蔵庫だとか、ものすごく臭う堆肥置き場だとかに。
だがその手は、2度と食わない。
「あーもう! リアルのピンク髪ヒロイン、きっつぅぅぅ!」
ゲストハウスの天蓋付きふわふわベッドに寝っ転がり、私はひとりごちた。
ピンク髪ヒロイン ―― 前世、小説やら乙女ゲームやらに腐るほどいたヒロインの総称だ。
可愛らしいピンクブロンドに庇護欲そそる容姿、無邪気で明るい笑顔を有した脳内お花畑の恋愛厨である。
誰からも愛される正義のヒロインのはずだった。だが昨今の創作では大抵、悪役令嬢と呼ばれるライバルの婚約者に手を出したり逆ハーレムを狙ったりした挙句にザマァされるのが、お決まりのコースだ。
というかみんな、忘れてない?
イージーな美少女に鼻の下を伸ばす浮気者の顔だけ男など誰からもお呼びではない、ってこと ―― ピンク髪ヒロインにだって選ぶ権利があるんだってば。
まあ、ともかく。
私は 『聖女無双〜魔法も☆恋も♡チート級!〜』 という旧来型乙女ゲームのチート級聖女候補に転生してしまい、以降、悪役令嬢からのザマァを回避すべく目立たずこそこそと生活する道を選んで、今に至っている。
ゲームの舞台となっていた学園に入学したあとも、ピンク髪はひっつめてヘッドドレスで隠し、勉学には励んだが男漁りは一切しなかった。
平民の孤児なのに貴族の養女として学園に通えたのは絶大な魔力があったからだが、それも決してひけらかさなかった。
学園を魔王の手先である吸血コウモリの群れが襲ってきたときも、物陰に隠れ密かに結界を張って皆を守るだけにして、討伐は攻略対象たちに丸投げした。
それでも、魔王討伐となると、どうしても魔力の高い生徒から駆り出されるため、イベントが発生してしまう可能性大で。
だからこっそり魔王の元に先回りし、配下のデュラハンとサキュバスとソーサラーを人質にして講和を勝ち取り、戦争を事前回避した。
こうして、ひたすら地味に平和に、良いことも悪いことも表立ってはやらかさなかった結果。
聖女認定を免れ、魔力は高いが全く使えない凡人として学園を卒業した。ゲームでいえば、ノーマルエンドその2だ。
(ちなみにその1は『聖女認定あり&恋愛成就なし』ね)
―― なのに。
私は、絶大な魔力を持つ娘を他国に取られたくない国王の命令で、フェリクス・ボードール侯爵の元にドナドナされたのである。
まあ望んでいなかったという点においては、私とボードール侯爵家はお互い様。
前世のゲームではフェリクスは攻略対象のひとりだったが…… そんなこと本人は当然、知らないのだから、それはもう嫌だっただろう。
由緒正しい貴族家に元平民を迎え入れるなんて。
おかげで嫁入り前は暴漢に襲われかけたり、住んでた養家の離れに火をつけられたり、散々だった。
当然ながら暴漢は返り討ち、火事はさっくり消して物質再構成の魔法でなにもなかったことにしといたんだけど。
ボードール侯爵家が陰で糸を引いていたのは、疑いようもない。
「いまから思えば、火事で死んだことにして失踪すれば良かったかなぁ…… あーでもそしたら、ルルーさん家が管理不行届きで国王から怒られるんだわ……」
ルルー伯爵家は私の養家だ。
とはいっても、実質はフェリクスが言っていた通り。
魔力を持つ孤児を王家の管理下に置くために家名を借りただけで、交流はほぼなかった。
学園卒業までは寄宿舎に押し込められて 『帰ってくるな』 と言われていたし、卒業後は侯爵家に嫁入りするまで、離れの別宅に住まわされて本宅へは1度も足を踏み入れなかった。
ルルー伯爵家は、無能な当主が詐欺師に騙されて作った借金をチャラにできるほどの特別養育資金つきで王家から押しつけられた元平民の娘を、いないものとして扱うことで貴族のプライドを保っていたのだ。
まあ 『家のために将来有望な高位貴族令息を陥とせ!』 などと言い出さないだけ、ルルー伯爵家はマシだった。特別養育資金は借金返済その他に使い込まれたが、衣食住にはぎりぎり不自由しなかったし。
家庭内放置され続けた結果、私は貴族のプライドも寛容も学ばず、ボードール侯爵家に嫁いでしまったのではあるが。
「もし教えられてても、学べなかった自信、めちゃくちゃあるわ…… 無理。貴族らしさなんてもう、198%、無理」
私は枕を抱えてためいきをついた。
私が夫や義母とあからさまに対立するから、使用人が嫌がらせしてくるのは知っている。
つまり 『そのうち離縁されて出ていくような嫁に仕えるより、真の主に媚売っといたほうが待遇が良くなる』 という、使用人なりの生存戦略なんである。
せめて貴族らしいやりかたとやらで、遠回しな嫌味には同じく迂回しまくった皮肉で返せるようにならないと…… 現状は変えられないだろう。
わかってはいるのだが、攻撃されたと感じたら神経反射で憎まれ口を叩き返してしまう。前世のクセで、つい。
「いや、まだ優しくしたほうよ? 私なりには頑張ってみたのよ? でも、そろそろ限界かな……」
これまでピンク髪ヒロインとしてザマァされないよう 『魔力あれども魔法使えず』 な役立たずとして地味に生きてきた。
その結果が、いま ―― 好きでも推しでもなかった夫とその母親から 『貴族らしい寛容』 とやらを押しつけられ、使用人からは 『謝れば済む』 と言わんばかりのナメた態度を取られ続ける毎日である。
こんなことなら学園時代、魔法実習でウッカリを装い単騎で敵を全滅させておいて 『なんかやっちゃいました?(ノ≧ڡ≦)テヘペロ☆』 したり、魔法を最大限に使い推しを推しまくったりしたほうが良かったんでは…… と、どうしても思ってしまう。
そうだ。そっちのほうが絶対に楽しかったはずだ。
そうすれば間違いなく聖女認定されていたからフェリクスとは結婚していなかったし、推しに堂々と接近してあんな表情やこんな仕草を堪能だって、できたはず。
もしかしたらザマァされるかもしれないが、真面目に生きても現状これなら、ザマァされてるのと大して変わらないし。
なにしろ今の夫、フェリクス・ボードールは私にとって、攻略対象ランキング最下位の最低男だったので。『氷の貴公子』 とか呼ばれてたけど、平民のヒロインを見下しまくる出会いが、個人的にムリすぎる。
「なのに、なんで、ついウッカリ 『良いところを見るようにしなきゃ。そしたらなんとかなるかもだし』 とかガマンして、結婚しちゃったかなぁ…… いや王家の命令だから、しかたないっちゃ、ないんだけどさあ…… ちょっと相手に注文つけてみるとか、仮病魔法でフェリクス・ボードール・アレルギー発症してみるとか……」
必死で抗えば、なにか良い方法を思いついたかもしれないのに。
ザマァされるのが怖すぎて、つい良い子ちゃんに徹してしまったことが、いまさらながら悔やまれる。
本当に、なにもかも、しまった。
―― でも、あれ? よく考えてみれば。
「これって、いまからでも遅くなくない?」
私は久しぶりに、魔力を解放した ――
翌朝。
「げ、ゲストハウスが……!」
「ま、まあ……! なんてこと……!」
何もない敷地に、呆然とたたずむ夫と義母。
今日これから、ゲストハウスにこの国の王太子が滞在する予定になっているため、自ら準備を指揮しようとやってきたボードール侯爵たちが見たのは、全壊した建物の残骸と、瓦礫の山のなかで頭を下げる私だった。
「大変、申し訳なく存じます! 魔力が暴走してしまいましてっ」
「なんだ、と…… リアナ、おまえのせいなのか!?」
「どうしてくれるの、リアナさん……!」
「大変、申し訳なく存じます、フェリクス様、お義母様! 私の魔力が強すぎるばかりに! お詫び申し上げますっ」
「あ、謝って済む話ではないだろう!」
「その通りだわ、リアナさん! なんてことを、してくれたの……!」
「……?」
私は顔を上げ、まじまじとふたりを見る。
「あら、寛容は貴族の義務なのでしょう? 謝られているのに許さないのは好ましくない、と、おっしゃっていたではないですか」
「なっ……!」 「そ、そのようなこと!」
ダブスタを突かれて一瞬たじろいだ夫と義母だが、すぐに態勢を立て直してきた。
「時と場合による!」 「よりますわ!」
「それはつまり、貴族の義務は気に入らない嫁をいじめる場合にのみ発生する、ということですね?」
「いっ、いじめてなど!」 「そうよ! わたくしは、ただ、貴族としての心得を平民のあなたに教えてあげようとしただけ……!」
「具体的には、使用人に嫁を冷遇させ、嫁が改善を申し入れると表面的に謝罪させ 『謝られたら許すのが貴族』 と寛容を押し付けるだけ押し付けて、使用人の態度は一向に改善させないのが、貴族の心得、ということですね」
「冷遇させたんじゃない! 使用人が勝手にやったんだ!」 「そうよ! わたくしは別に、指示など出していないわ! 前から言っていますがそもそも、あなたが使用人を掌握できていないのが、問題なのですよ」
「その点に関しては、私も反省しております。ですから……」
私がさっと手を振ると、廃墟の上に檻が出現した。前世のゲームではリアナが敵対する魔族をとらえるために使っていた空間魔法 ―― 効果は絶大だ。
執事、メイド長を始め、私に嫌がらせをした使用人が全員詰め込まれている。みんな、状況を把握しきれていないらしい。呆然とした顔だ。
私はニコニコと癒しスマイルを浮かべた。悪役令嬢のように 『笑ってるのにこわい』 表情は、スペック上、無理なので。
「いまから使用人たちを、徹底的に掌握させていただきますわね」
宣言したとたん、使用人たちの目と口元が、怒りと苛立ちで歪む。
まだ、こちらをナメているのね ―― いいでしょう。
「若奥様! あんまりでございます!」 「わたくしどもが、何をしたというんでしょうか!」 「早く、出してくださいませ! 業務が滞ってしまいます!」
「むしろ 『しなかった』 と言うべきかしら? あなたがたときたら、檻に閉じ込められなくても、業務を滞らせていたじゃない?」
口々に訴える彼らに、私は天使の微笑みで応じる。
「パンが古い、肉が冷めている、と言えば 『失礼いたしました。お取り換えします』 と返事はするけれど、いつまで経っても取り換えに来ない。
主人階級のドレスにスープをひっくり返すだけでも有り得ないのに 『申し訳なく存じます! すぐにお着替えをご用意いたします!』 と平身低頭しながら、そのまま放置。
出来の悪い怠け者の使用人を解雇するよう言っても 『次の者が見つかりません』 などと言い訳して無視し、次の求人を全く出そうとしないのは、おまえじゃないの、執事。
そういえば、指示したお茶会用の茶葉を 『予算がないので』 と別のものに変えて、私の評判を落とそうとしたこともあったわね」
私が何をしようとしているかを察知したのだろう。使用人たちの表情が、怒りから恐怖へと変わっていく。
「全員、いますぐ、解雇です」
私は見たらSAN値を回復できる極上の笑顔で、指を鳴らした。
無数の白い封筒が、空中に舞う。封蠟されたその中身は、彼らの経歴とこれまでの仕事ぶりが書かれた侯爵家の紋章入りの便箋 ―― すなわち、紹介状だ。
己の手におさまっていくそれを見た、使用人たちの顔色が青ざめいく。
―― まさかこんなにすぐ、紹介状を用意できると思っていなかったのかしら? おあいにくさま。
嫌がらせをされたら名前を把握し経歴を調べ上げ、いつでも解雇できるよう準備しておくのも、侯爵夫人の仕事よね。執事がまったく働こうとしない場合は。
ちなみに内容は、事実しか書いていませんが?
「そんな!」 「たまたま多忙でしただけで、決して悪気があったわけでは!」 「以降、気をつけます! お許しください!」
哀れっぽい声と態度で懇願する使用人が続出するなか、メイド長が憤然と反論してきた。
「わたくしたちを全員、即時解雇などなされば、御屋敷が回らなくなってしまいます! お困りになるのは、ご主人様がたなのですよ?」
「あら、それは大変なことですわね」
私がもう一度手を振ると、使用人たちは檻ごと消えた。侯爵家の敷地の外に転移させたのだ。
チート魔力、最高。
ついで、使用人たちの私物も全て敷地の外へと飛ばし、表門も通用門も、彼らには通行不可となる魔法をかけておく。これでもう、侯爵邸には2度と入れない。
「はい、解雇、完了」
あとはどうぞ、ご勝手に。
「なにをしているんだ、リアナ!」
「リアナさん! そのようなことをしたら、今後、我が家にはロクな使用人が入ってこなくてよ!?」
「これからの生活を、どうするんだ!」
夫と義母の顔が、赤くなったり青くなったりしてる。面白い。
使用人がいなくても私の魔法ですべて補えるから無問題なんだけど、黙っとこっと。
「それに、王太子殿下のご来訪は、どうすればいいの!? 使用人が誰ひとりいないだなんて、ありえないわよ、リアナさん!」
「うううっ……」 私は両手で顔を覆ってうつむき、肩を震わせた。
夫と義母が、たじろぐ。
ピンク髪ヒロインの嘘泣きをナメないでいただきたい。それはもう、かわいそうに見えてしまい、とてつもなく庇護欲をそそるので。
というか、いま気付いたんだけど…… 私、新婚初日からこうやって嘘泣きしておけば、嫌がらせなんてされなかったんじゃ。しまった。
「たっ、大変に申し訳なく、存じますっ…… ううっ、ひくっ…… 許してくださいませ、旦那様! お義母様!」
「ううっ……」 「そんな、はずは……!」
自然とあふれ出てしまう庇護欲に対抗しようと、義母は自ら手の甲をつねっている。
「フ、フェリクスも! しっかりなさい!」 「はっ、そうだった!」
夫も、義母の叱咤で正気を取り戻したみたい。私から目をそらしながら、髪をつかんできた。固定される。
逃げられないことはないけれど、私は敢えてあらがわなかった。チート魔力でうっかり殺人者になっちゃうのはイヤだもんね。それに、これも計算のうち。
夫は優位を確信したらしい。そのまま、耳元でわめいてくる。
「ゆるすわけがないだろう! いますぐ、解雇をなかったことにし、使用人たちを元に戻すんだ、リアナ!」
頬に、義母の平手が勢いよく近づく。私はとっさに魔法でガードした。ダメージはないが、打たれた部分が赤く腫れて見えるように幻術を重ねがけする。高い音が響き、私はよろけそうになる。
夫が髪の毛をつかんで引き戻す。
「もう顔も見たくありませんわ! 図々しい平民が!」
義母が扇を持った手を上にあげた。しばかれる……!
「おっ、お許しください! どうか! お許しくださいませ!」
私は切実な悲鳴を上げてみせる。
こうしてると、義母と夫が私を虐待しているようにしか見えないわね。
「解雇を取消すまで、打ち据えなければしかたないようね、リアナさん?」
「申し訳なく存じますっ…… お、お許しくださいませ……!」
義母の口角がきゅっと吊り上がる。楽しそうだ。
貴族の義務は、どこにいったのかしら。
夫が私の髪をぐいと下に引っ張った。勢い、私は地面に這いつくばってしまう。
扇がしなり、私の背中にぶつかってくる。
たかが扇とはいえ、打ち方によってはかなりの殺傷力だ。
魔法でガード済みのため痛みは感じないが、私は大袈裟にうめき、謝罪の言葉を繰り返し叫ぶ。
そのとき。
目の前の石畳に、すらりと背の高い影が落ちた。
「いったい、何をしているんだ」
「「王太子殿下!」」
義母の手からぽろりと扇が落ちた。夫が慌てて私の髪を離し、紳士の礼を取る。
「ど、どうして…… まだお時間では、ないはずですのに……」
「早く着きすぎたのだ。迷惑だったか?」
「い、いえ! めっそうもございません!」
と、ボードール侯爵。
王太子が多少早く到着したからといって 『どうして』 は失言なのだ。
「それより……」
王太子は、義母とボードール侯爵、それに私を交互に眺める。
「この事態は、いったい何事だ? 侯爵家は、庭園で夫人を虐待する習慣でもあるのか?」
「そっ、それは!」 「リアナが、王太子殿下が滞在されるゲストハウスを全壊させた…… ひょえっ?」
「普通に、建っておるではないか」
うん、ついさっき、しばかれながら 『物質再構成』 の魔法で建てなしておいたからね。
義母と夫は王太子の目線の先を確認し、真新しいゲストハウスを見て、へたへたと座り込んだ。
ふたりとも私をいじめるのに夢中で、背後でゲストハウスがにょきにょき再建されていっているのに全然、気づいていなかったのだ。ウケる。
「そっ、そんなはずは……!」 「たしかに、リアナが……!」
「侯爵家ともあろう者たちが、事実無根の言い訳をして、王家の仲介で娶った夫人を虐待していいとでも、思っているのか!」
「で、ですが……! リアナさんは、勝手に我が家の使用人を解雇してしまったのですわ!」 「そんなことをされたら、屋敷が回っていきません! 罰は当然です!」
「ほう、使用人を……」
口々に訴える義母と夫は、王太子の目が厳冬の湖のように冷えていっているのに、気づいていない。
王太子は魔力持ちの平民の保護を担当していた縁で、もともと私と面識がある。割とウマが合ったため、プライベートでは気軽に話す仲だったりもする。
それでもボードール侯爵家で使用人に嫌がらせされているのは、言ったことがなかったんだけど…… なんなら今も、精霊使役の魔法で作った使用人に王太子を出迎えてもらったばかりだったりするし。
まあ夫と義母が自ら墓穴を掘るならば、全力でのっからせていただこう。
私は控えめに指を鳴らして魔法を発動させ、サボり執事の執務記録と元使用人たちの紹介状の写しを王太子の前に積み上げた。
「殿下、解雇した使用人たちの仕事ぶりは、すべてこちらに記載しております。私は、このようなレベルの低い使用人たちを雇ったままにしておくのは侯爵家の恥であると判断したに過ぎません」
「ふむ……」
書類を次々と確認していく王太子の表情が、次第に険しくなる。
「このような態度をとる使用人を、ボードール侯爵も前夫人も放置していたのか?」
「あっ、謝らせました……! 使用人たちがきちんと反省し、謝罪したからこそ、許したのです!」 「そのとおりですわ! 謝罪があれば寛容の精神を見せるのが、貴族の義務では、ございませんこと?」
「いま、貴様らは、謝罪している侯爵夫人を 『許さぬ』 と叫びながら打ち据えていたではないか」
王太子にぎろりとにらまれた夫と義母の全身は、ガクガクと震えている。顔面は、紙の束よりも真っ白だ。
「ずいぶんと都合の良い貴族の義務だな?」
「あっ、あのあのあのあの!」 「お、お許しくださいませ……!」
「許さぬ!」
王太子の一喝。
騎士たちが動く。
「寛容は王族の義務ではない! ボードール侯爵と前侯爵夫人を、王族不敬罪で捕らえよ!」
夫と義母は、なにやら謝罪の言葉をわめき散らしながら、数名の騎士に引きずられていった。
王太子の目の前で、王命により娶った嫁を虐待してみせたのだ。義母も夫も、処罰は免れないだろう。
「さて、ところで……」
あたりが静かになると、王太子は落ち着かない様子できょろきょろしはじめた。
「麗しの魔王陛下は、まだなのか?」
「まだ、約束の3時間前でございます、王太子殿下」
「そうだった。面白いものが見れるから早めに来るよう、昨晩、そなたが使いをくれたんだったな」
「ええ。上品ぶったお貴族様の醜い真実、お好きでしょう、殿下?」
「ふふっ…… 気遣いに感謝するよ、リアナ。早すぎたのはわかっているんだが、つい、気がせいて……」
王太子の瞳にさざなみが立ち、頬にうすく朱が差す ―― なんとも、ほほえましい。
今日はこれから、王太子と魔王のお見合いなのだ。
前世のゲームでは、攻略対象と魔王が恋に落ちてしまうのはバッドエンドだった。
が、私は、王太子と魔王のカップル推しだったのだ。
影のある腹黒王子と苛烈な黒髪赤瞳美女が、お互いを見つめるときだけは表情が変わるのが、もう好きすぎて ―― あのスチルだけでごはん3杯はいける。
だから魔王とこっそり講和を結んだとき、ついでに王太子との見合いも取り付けておいたのだ。
幸い、私が魔法で投影したPVでお互いに第一印象はバッチリだったようで話がサクサクと進み、いまに至る。
スケジュールがなかなか合わず、実際に会うのは今回が初めて。だが、2人とも文通ですでに、相手への好意が高まっていそうな感触だとか。
1ファンとして期待が高まる展開……!
「お見合いは、私のチート魔力にお任せください!」
私はウキウキと胸を叩いて見せたのだった。
―― ボードール侯爵家のついでに私の特別養育資金を着服していたルルー伯爵家も王への詐欺行為を働いたかどで取り潰しになり、婚姻無効を勝ち取った私が、王太子と結婚した魔王の侍女として推しカプのあんな表情やこんな仕草を毎日、朝から晩まで味わい尽くしているうち、同じく王太子×魔王推しの騎士と意気投合するのは…… それから、しばらく経ったころ。
読んでいただきありがとうございます!
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