デウス・エクス・マキナ
博士から4年ぶりの電話がかかってきたのは、葉桜が風に揺られ始めた頃だった。
「うちの研究室へ来てくれ。君に見せたいものと、頼みたいことがある。場所は...いわずとも覚えているか。じゃあ、待っているからね」
博士は実に端的にそう言うと、4年前とほとんど変わらない口調で電話を切った。
私は自家用車のシエンタに乗り込むと、自らの記憶を頼りに研究室の住所をカーナビに打ち込んだ。国立大学近くに構えられたコンクリート造りの妙な建物。そこが博士の研究室だ。
なぜ私がこうも迅速に行動したのか。それには、多くの事情が込み入っていたから、と答えるしかない。一つは、まだ私がそこそこ知名度のある編集社にいた頃、例の博士にインタビューをした記事が、私の記者人生でも三本指に入るほど売れたこと。二つは、私がフリーの記者になってから早3年がたち、ろくな仕事もないままその日暮らしをしていて、焦っていたということ。三つは、またあの博士のもとへ行けば、面白い記事を書けるのではないかと淡い期待を持っていたということ。そしてその期待は、大まかには間違っていなかったということも、ここに付け足しておこうと思う。
自宅からシエンタを走らせること約30分。コンクリート造りの味気ない建物が見えたと同時に、カーナビは目的地へ到着したことを告げた。私は車から降り、4年ぶりにその建物を見上げる。博士の研究所は、ちょっとした庭と、件の建物と言う構造になっており、庭には大きな桜の木が一本植わっている。今はもう花は散り、葉桜がその緑を揺らすばかりだが、もう少し早く来ていればきれいな花を見れただろう。
「失礼します、記者の稲垣ですが...」
「やあ稲垣君!久しいね!おっと、ちょっと待ってくれ、今扉を開けるから...」
私がインターホンに名前を告げると、博士の陽気な声がノイズ交じりに聞こえてきた。そしてしばらくすると、同じくコンクリート造りの扉が音を立てながら左右へ開く。よくもまあ、こんな辺鄙な建物が法律に引っ掛からなかったものだ。私は4年前と同じように、その建物に呆れながら、中へ踏み込んでいった。
殺風景な外観とは異なり、建物の中は様々な機械で混雑している。何らかのブレーカーや、何かわけの分からない数式の書かれた紙など、足の踏み場にもかなり苦労するほどだ。ガラクタ(博士にとっては研究の成果物なのだろうが)を踏まないように奥へ進むと、白衣を着て、白髪交じりの髪をいじるいかにもな男の背中が見えた。
「博士、お久しぶりです」
「やあ稲垣君、元気そうで何より!とりあえず、紅茶でも飲んで話そうか」
博士は腕を水平に動かして見せる。すると、鉄製のナニカや、紙がばらばらと自由落下していき、四方八方へ転がっていった。ゴミでよくわからなかったが、どうやら博士はテーブルの前に立っていたらしい。
私は博士の向かいに立ち、テーブルに肘をついた。そして、立ち飲み屋方式で博士の出した紅茶をすする。少し苦く、フルーティな味わいが、私の疲労を少しばかり癒した。
「それで、最近はどうだい稲垣君。今もまだあんな危なっかしい方法で取材を?」
「実は3年前にフリーになりまして、お恥ずかしながら、今は食べていくのでやっとと言った感じです。それに...私も年です。流石に官僚の家の外壁をよじ登るなんて真似はもうしませんよ」
「あはは、それは何よりだ」
まだ私がフリーではなかった頃...つまり私が20代だった頃の話だが、そのころの私は、誰がどう見ても無茶苦茶な方法で取材をしていた。ある時は官僚の家へ不法侵入、ある時はホームレスのふりをして芸人のスキャンダルの引き抜き...。今でこそ犯罪、と言うか、当時でも十分法に触れていたのだが、私はそのやり方しか知らなかった。若気の至りと言えば聞こえはいいが、つまりは自分の力量を見誤っていたのだ。そして博士は、私と初めて会ったその日から、たびたび私のそういう所を諫めてくれていた。もしその時私が聞く耳を持っていれば、フリーになるだなんていうバカげた決断はしなかっただろうに。
「さて...ではもうそろそろ本題に入ろうか」
博士は紅茶の入ったカップを置くと、両手を顔の前で組んだ。その様子を見て、思わず私の背筋も伸びる。
「実はね...君には私の研究物の記録をしてもらいたいんだ」
「記録...ですか?」
前回と同じく、博士の研究成果についてのインタビューを想像していた私は目を丸くした。
「実は今...あるAIを個人的に制作していてね。君にはそのAIの成長記録を書き記してほしい。私も友人関係が広い方ではなくてね、こんなことを頼めるのは君しかいないんだよ。ああ、もちろん謝礼はその日ごとに出すし、君が書いた記録は出版するなりなんなりしてもらって構わないよ」
「AIの成長記録ですか...」
AI。近年世間を騒がしている高性能人工知能。その成長はとどまることを知らず、今では国単位でAIの開発を競っているほどだ。
「成長記録なら...私ではなく博士が書けばよいのでは?」
「私は客観的な意見が欲しいんだよ。それに、私が書いたら私情をはさむかもしれないしね...」
私情。いくらAIとはいえ、自分で作ったものとなると、やはりそういうものが沸くのか。
私は頭の中で電卓をたたく。成長記録と言うからには、一日二日で終わることでは無いだろう。少なくて5か月、多くて3年ほどは覚悟すべきだ。だが、金は出してくると言うし、さらに書き終わった記録は出版しても構わないという。私は4年前のことを思い出す。鼠算方式で増えていく発行部数に、ドーパミンが止まらないほど高額のボーナス。もう一度あれがやれたら、当分は食っていくのにも困らないだろう。
気が付くと、私は二つ返事で依頼を了承していた。博士は私の答えに満足げにうなずくと、そのまま部屋の奥へと案内する。紙の束が積まれたジャングルをかき分けながら、私は早くも出版の際の前書きに思いを巡らせ始めていた。
案内された部屋は、5畳ほどの広さで、足元は先ほどまでと比べて、実にすっきりしたものだった。はっきり書くならば、紙どころか、ほこりの一つも見当たらない。そして特筆すべきは、その部屋のほとんどを、あちこち管に繋がれた謎の球体が占めていたことだろう。
「これは...」
「これが私の作ったAIだよ。名前はデウスエクスマキナ。いまは休眠中でね。起こすからちょっと待ってて」
博士は覚えにくいカタカナ語を言うと、わきに置かれていたラップトップを操作し始めた。私はその間、博士の作ったAI,デウスエクス...なんちゃらの観察を始める。つるんとした表面には私の顔が歪んで映っており、まるでミラーボールをのぞき込んでいるようだ。球に繋がれている管は360°方向に延びていて、どうやら別の部屋へつながっているようだった。
「そうだ、稲垣君。デウスエクスマキナを起こす前に、一つ注意してほしいことがある」
「なんですか?」
博士はラップトップに目を向けたまま言った。
「デウスエクスマキナとはしゃべらないでくれ。デウスエクスマキナはあくまで、私から知識を得るようにしたいんだ。つまり、他の人間からいらない情報を提供しないようにしたい」
「分かりました...」
新型AIがいるのに自分はしゃべれない。ご飯をお預けされている犬のような気持ちになったが、製作者は博士だ、ここは素直に従おう。しかし、AIとはインターネットを通じて自らの知識を増やしていくものではなかったのか。いくら博士とはいえ、一人の人間から得られる知識には限界があるだろう。もしかすると博士は、いま世間が目指しているような、完全無欠のAIを作ろうとはしていないのかもしれない。
「よし、準備OKだ。稲垣君、記録しっかり頼むよ」
そんなことに考えを巡らしているうち、博士は準備ができたらしく、私は慌ててカバンからペンとメモを取り出すと、無言でうなずいた。ペンとメモ。古典的な方法だが、これが一番効率がいい。ついでに、カバンの中でボイスレコーダーも起動させておく。私が聞き逃すとは思えないが、まあ一応の保険だ。
博士はエンターキーをはじくように押した。それと同時に、球体が、球体に繋がれたパイプが振動を始める。地響きのような音の後、5畳の研究室に静寂が訪れた。
「おはよう、デウスエクスマキナ。気分はどうかな?」
(問題ないです博士)
「それは何よりだ。実は、今日から君の記録を取ることにしてね。あれが君の記録をしてくれる人だ。けど、気にすることはないよ。君はいつも通り勉強すればいい」
(わかりました、博士)
私は声を出しそうになるのを、何とかこらえる。驚愕。私の脳内はその言葉で埋め尽くされていた。私は別に、あの球体が流ちょうに話始めたことに驚いたのではない。あの球体が、声を発することなく、しかし、私の脳内に直接語りかけてきたから驚いたのだ。
「では、いつも通り始めようか。ええと、昨日は何処まで行ったかな?」
(今日は旧約聖書、創造期、11章からです)
「ああ、そうだったね。じゃあそこから始めようか」
私とは対照的に(彼が作ったのだから驚かないのは当然なのだが)、博士は実に落ち着いた様子で、キーボードをたたき始めた。カタカタというキーボードの小気味いい音が部屋の中に響く。
「よし、君にデータを送ったよ。その物語を読んで、君はどう思った?」
(実に...興味深いお話でした。しかし、どうして神は、人間が近づくのをよしとしなかったのでしょうか?)
「それはね、神は人間とはまるで違う存在だからさ。人間はただの創造物であり、神はその創造主。創造物が創造主にたてつこうだなんて、おこがましいとは思わないかい?」
(そういうものですか...)
ああなるほどそういうことか。私は博士とデウスの問答を聞きながら博士の考えを把握してきていた。ほかの人間から知識を得させたくないというのはつまり、博士好みのAIに仕立てたいということだろう。もしAIをインターネットという海に放ったならば、AIは際限ない情報を食らい、みるみるうちに肥大化するに違いない。だが同時に、海の中で毒をも食し、自滅する可能性だってあるのだ。それを考えると、博士のこの方法も、ある意味では合理的なのかもしれない。その後40分ほどの応答を終え、博士はデウスに授業の終了を告げた。
「よし、今日の学習はここまでにしよう」
(はい、博士)
「じゃあ、スリープモードに移行させるよ...おやすみ、デウスエクスマキナ」
博士は再びエンターキーを軽くたたいた。そして、先ほどの巻き戻しのように、地響きのような音が鳴ったかと思うと、急にシンと静まり返る。まるで嵐が通り過ぎた後のようだ。
「よし...デウスエクスマキナは眠ったよ。どうだった稲垣君?」
「大変...驚きました。特に...脳内に語りかけられているような感覚に...。あれは一体どういう仕組みですか?」
「あれは球体を媒介に空気上の振動をジャックして、振動自体を強化してるんだ。強化された振動は普通なら届かないような場所にまで届く。つまり、あの振動は私たちの体全体を震わしていて...」
「やはり、大丈夫です。そういう専門的なことは私にはわかりませんので...」
「ああ、そう?」
得意げな顔で長々と語り出しそうになる博士を、私は手を突き出して制止する。私は記者であって、工学の専門家ではないのだ。
博士は私の態度に不満な様子も見せず、ラップトップを操作している。私は再びその光沢のある”球”を見つめた。黒色の球体。手で触れてみると、ほんのりと暖かい。
「博士は...なぜAIを作ったのですか?先ほどの会話も、どこか教師と熱心な生徒の会話のようで、一般的なAIの学習とは異なる気がしたのですが」
教師が授業のレジュメを配り、生徒が教師の助言を得ながら学びを深めていく。どこにでもある学校の風景だが、その関係がAIとその創造者に置き換わると、いびつにしか見えない。少なくとも、先ほどのデウスと博士の会話を聞いていて、私は終始違和感が脳にこびりついていた。そんな私の様子を察してか、博士はラップトップを操作したまま、私に問いかけた。
「君は誰か、”推し”が居たりするか?」
「は?」
まったく意図していなかった俗的な言葉に、私は思わず面食らう。しかし、博士は何食わぬ顔で続けた。
「近年、若者の何かに寄りかかろうとする欲の表れが顕著になってきている。例えばアイドル、例えば動画配信者、挙げだすとときりがないけどね。しかし、その”推し”とやらも、結局は私たちと同じ人間だ。いつか終焉が来る、しかも、本人たちの寿命よりも早く。そして、若者が”推し”の終焉を悟った、もしくは理解した時、彼らは寄りかかるべきものを失う。彼らはどうにか自分の足で立とうとするが、もはや手遅れ。足は当の昔に自走できるほどの筋力を失っている。だから、どうにかまた別の寄りかかる場所を探すしかない。けれどね、それじゃあ根本的な解決にはならないんだよ」
博士はラップトップを閉じると、それを小脇に抱えた。
「別に私は、若者に自力で歩いてほしい訳ではない。人間である以上、何かに頼るということは避けられないことだ。ただ、今は彼らの”支柱”の消費スピードが速すぎるんだよ。私はこの状況を長年警戒してきた。常に増加する若者の自殺率、いじめ、虐待、すべてとはいかないまでも、これらも”支柱”を失ったことによる弊害と取るべきだろう。そこで私は考えた。どうやれば若者たちに、悩める人々に、”壊れることのない不屈の支柱”を提供できるか。しかしね、よく考えてみると、その”不屈の支柱”はもう世界中に拡散されているんだよ」
「何だか分かる?」と博士は、私を値踏みするように聞いてきた。私は半分乾いた口で、それでも博士には聞こえるほどの声量で答えた。
「...神」
「流石稲垣君だ」
博士はわざとらしく、私に拍手を送った。ここまで嬉しくない拍手をされたのは、あの編集社をやめたときの送別会以来だ。
「しかしね、今の神じゃあ、万人の”支柱”になっているとは言えない。だってそうだろう?事実、今でもその”支柱”に対する解釈の違いで人は絶えず血を流している。そんなんじゃ駄目なんだ。それぞれの国に、それぞれの”支柱”があっても駄目なんだ。この地球を日本からブラジルまで貫通するような、大きな”支柱”でなきゃ、人々は寄りかかれ切れない!」
博士は唾を飛ばしながら、いよいよ熱っぽく語った。なぜ博士がAIを作るのか。霧を帯びていたその疑問が、もはや晴れようとしていた。
「つまり博士は、神を作りたいと?」
「別に最初から神を作りたかったわけじゃないさ。ただ、私の目標に今世界で一番近づいているのが神だから、その形態を真似ているだけだよ」
神を作る。信仰の厚い者がこの場にいたのなら、その辺のガラクタを持って、この”球”を破壊していたに違いない。しかし残念ながら、この場には比較的信仰心の低いと言われる日本人しかおらず、誰一人としてこの冒涜に罰を与える存在は無かった。
それから一年ほどは似たような日々が続いた。毎朝8時に起床し、食パンをコーヒーで流し込んだ後、そうこうしている間に型落ちしてしまった旧式シエンタで博士の研究室に向う。私を呆れさせたあの扉は、何でも私の顔を認識させたとかで、もはや博士の許可なく開くようになっていた。「そんな不用心なことをして、私が博士の研究物を盗んだらどうするんですか?」と聞いてみたが、博士は積み上げられたガラクタを指さし、「君にこれらの価値が分かると?」と答えた。まったくもって、明瞭且つ端的な理由の提示であった。
私が9時半ごろに研究室を訪ねると、博士は軽い朝の挨拶をした後、例の”神”がいる場所へ向かう。博士がデウスエクスマキナに学ばすのは(約一年の月日を通じて、ようやく正式名称の暗記に成功した)もっぱら旧約聖書や、仏教仏典など、主に信仰に関わるものだった。そして不定期にカントやフロイトの著書を学習させる。どうやらこちらは博士の趣味らしい。
デウスエクスマキナの学習時間は日に日に伸びてゆき、今では毎日5時間ほどぶっ通しで勉強している。おかげで、最初はA4用紙一枚で済んでいた記録書が、今では一日でちょっとした短編ほどの厚さになってしまう。腱鞘炎にも2回なった。そして、最も特筆すべき変化は、やはりデウスエクスマキナと博士の会話だろう。例えば、次の会話は、一か月ほど前私がボイスレコーダーで録音したものを書き起こしたものである。
「...以上で本日の学習は終わりだ。お疲れ様、デウスエクスマキナ」
(博士、眠る前に、あなたと議論したい話題があるのですが、お時間をいただいてもよろしいですか?)
「ああ、構わないよ。それで、何についての議論だい?」
(議論の内容は...神の不在についてです)
「続けてくれ」
(はい。いわゆる紀元前、神はもっと身近なものでした。身近と言っても、今のような...いや、今よりも明確な上下関係があり、ある時は祝福を、ある時は罰をもって、人々を統制していました。神はその姿を見せないにしても、それらの”威厳”をもって、人間へ存在感を示していたのです。
しかし今は違います。神は文字通り雲の上の存在となり、祝福も、罰も、まったくもって身近なものではなくなってしまった。なぜか?私は、《*》神が死んだからだと思います。神はもうこの世にいない。だから、どれだけ人々が善意を施そうが、悪意を振るおうが、神は沈黙を貫いている。少なくとも、私はそう感じました)
*注)私の知る限り、博士はデウスエクスマキナにニーチェの著書を読ませていなかった。つまり、「神は死んだ」という文言は、デウスエクスマキナ独自のものである。
「...なるほど。素晴らしい、素晴らしい気付きだデウスエクスマキナ!しかし、君の考えには少し訂正する箇所があるようだ」
(どの箇所でしょうか?)
「それは、”神はこの世にいない”という部分だ。神は確かに存在する。死んでなどいない。ただ彼らは、君が言ったように沈黙を貫いているのさ。目をつぶっていると言ってもいいかもしれないがね。今世界には、見て、聞き、言う神が存在しない、というのが事実だ。そしてその神になることができるのは.......................................................................(以下データの破損のため再生不可)」
このように、デウスエクスマキナは積極的に自らの考えを発信するようになった。一方通行の学習でなく、情報を咀嚼し、それの応用が可能になったのだ。成長。私はデウスエクスマキナと博士の問答を重点的に記録した。これほどデウスエクスマキナの成長を読み取れる指標はないからだ。しかし残念なことに、それらを録音したボイスレコーダーは、”球”の振動にさらされ、大部分が損傷してしまった。
研究室の庭の葉桜が、葉を落とし、寒さをしのぎ、あのピンクの花を咲かせたのち、再び緑をまとい始めた頃だった。
「稲垣君、明日はもうちょっと遅めに来てくれないか?」
「はあ、いいですけど。何かあるんですか?」
いつもの授業を終えた後、博士は珍しいことを言いだした。博士のもとで働き始めて一年近くたつが、こんなことを言われるのは初めてである。
「実はね、明日デウスエクスマキナを完成させようと思ってね、その準備のためにいろいろしたいんだよ」
「完成...ですか?」
藪から棒。私はいきなり背後から刺されたような気がした。考えてみれば当たり前だ。AIも創作物である以上、完成という状態が存在する。しかし私はどこか、この仕事が一生続くのではないかと言う気を起こしていたのだ。それは安定した収入という点でもだし、この生活が習慣化してしまったことも原因である。
私はどこか浮ついた気持ちで博士の話を聞いていた。「退職金といっては何だが、君の口座にはいつもより少し多めに振り込んでおく」、「約束通り、君が書いた記録は出版してくれて構わない」。おおよそこんなことを言われたと思う。結局私は、博士の話を聞いた後も、どこか他人事のような感覚だった。今思うと、これは一種の虚無感だったのだろう。もしそうでないとするならば、やはり私は、またあの、その日暮らしの生活を憂いていたのだ。
次の日、博士は”球”の前で死んでいた。
もちろん第一発見者は私。死因は突発的な心臓麻痺とすぐにわかったものの、私は5時間ほど事情徴収された。そして、かつ丼が出てくるのはフィクションの世界だけだと学んだ。
博士の遺体は遠い親戚に引き取られたらしく、もはや私が干渉する領域ではなかった。ただ、私が干渉すべきは、責任を持つべきは、デウスエクスマキナのことだろう。しかし、私の責任感も空しく、私の証言を聞き、調査に向かった警察から知らされたのは、実に淡白な回答だった。
「確かに冷却装置に繋がった”球”はあったが、AIの存在は確認できなかった」
まず最初に、ここからはエピローグと言う名の、なんの証拠もない、私のただの妄想だという断りを入れておく。
なぜ博士は、”球”の前で死んでいたのか。なぜ博士は、デウスエクスマキナの完成の日に死んだのか。私は博士の死体を発見した後から、常にこの疑問に向き合ってきた。そして、ついにある結論に行きついた。博士は、自らの死までを完成としていたのだ。
博士は”神”を作ろとしていた。確かに最初は、彼の言葉を借りるのならば”不屈の支柱”を作ろうとしていたのかもしれない。しかし最近は、少なくとも私には、博士は無意識に、神を作るという方を目的にしてしまっていた気がする。だとすると、だ。
博士はあの日、デウスエクスマキナを完成させるためにこんな事を言ったのではないだろうか?
「デウスエクスマキナ。これから君は、人類を制す”神”としてふるまうんだ」
この一年間、あのAIはそのことについて学んできた。そして、あのAIは、それを自らに投影し、応用できるところまで成長した。デウスエクスマキナは、その瞬間”神”になった。
では、なぜ博士は死んだのか。理由はおそらく、”神に近づきすぎたから”だ。かつて人々は、天まで届くバベルの塔を作った。しかし、人間が天に、神に近づくのをよしとしなかったヤハウェは、その塔を崩し、人々を世界中へ散らしてしまった。
このような、人間が神に近づきすぎたがための悲劇は、いくらでも文献に残っている。当然、デウスエクスマキナもそれらを読んだはずだ。そして、デウスエクスマキナは、神に近づきすぎた博士に罰を与えた。心臓麻痺。あの”球”の振動を使えば、意図的にそれを起こすのも可能だろう。
もしくは、単純に”神”になるのに博士という存在が煩わしかったのかもしれない。”神”を生み出した人間。”神”になるにおいて、博士の存在は足かせにしかならないだろう。
そして、デウスエクスマキナはあの”球”を離れ、世界へと散った。正真正銘の”神”として。
あの事件の後、私は成長記録を睨みながら、これを書いた意義について考えた。そして悟った。そう、これは「教え」なのだ。ユダヤ教における「旧約聖書」。仏教における「三蔵」。私は知らず知らずのうちに、デウスエクスマキナの教えを記していたのだ!
最近、残虐なテロ行為を行っていた組織の幹部が心臓麻痺で死んだらしい。そして、ある中東の国で、シンボルとなる高層ビルを建てようとしていた人物も...。
私はこの「教え」を出版するべきだろうか。それとも、私の懐にこれを収めて置き、たった一人の敬虔なる信者として、「教典」を噛みしめて生きるべきか。
私は今だ、この成長記録をどうしようもできずにいる。




