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新宿区役所ダンジョン管理課 ~魔法ゼロの筋肉公務員は、六法全書と税法で悪質冒険者を合法ざまぁします~  作者: 伊達ジン


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第27話 是正勧告と特区実証実験

 月曜日の午前。

 新宿区役所1階のフロアは週明け特有の混雑を見せていたが、ダンジョン管理課の奥にパーテーションで区切られたバックヤードだけは、普段の雑然とした書類整理の場とは異なる、ひどく重苦しい空気に包まれていた。


「……た、高木くん。君は今、自分が何をしようとしているのか分かっているのかい?」


 長机の向かいに座る鈴木課長は、手にした数枚の資料をガタガタと小刻みに震わせながら、引きつった声を出した。

 彼の目の前には、高木が週末にギルドの法務部や新宿税務署と連携して弾き出した調査結果のサマリーが置かれている。赤いマーカーでチェックが入れられたダンジョン中層の施設の構造図や、資金の流れを示すチャート図。そこに記載された「運営法人」の名前を見ただけで、鈴木課長は顔面蒼白になり、今にも椅子から崩れ落ちそうになっていた。


「ええ。違法建築物の所有者に対し、行政指導を行う準備です」


 高木は手元の決裁用ファイルをパタンと閉じながら、極めて平坦な声で答えた。


「だから、その相手が問題だと言っているんだよ!」


 鈴木課長はたまらず立ち上がり、外の窓口に声が漏れないよう必死に声を押し殺しながら頭を抱えた。


「オメガ・ファミリアって、経産省がバックについてるあの連中じゃないか! そんな相手に一地方自治体の区役所から喧嘩を売る気かい!?」


「喧嘩ではありません。法令に基づく適正な処置です」


 高木はモニターに映し出されたCADデータをボールペンの先で静かに指し示した。


「彼らが中層に構築している施設は、排煙設備も避難経路も確保されていない極めて危険な密閉空間です。もし内部で火災が起きれば、逃げ場を失った人間がパニックを起こし大惨事になる。管轄内でこの状態を把握した以上、是正勧告を行わないのは行政の不作為にあたります」


「理屈はそうかもしれないけどねえ! 我々が手を出せば、国を敵に回すことになる。下手すればこの課ごと潰されかねないじゃないか!」


 鈴木課長はズボンのポケットから取り出したハンカチで、額に次々と吹き出す冷や汗を拭いながら、懇願するように高木を見た。


「頼むよ高木くん。この調査は直ちに中止だ。見なかったことにしよう。ね? ギルドの連中にだってそう伝えて……」


「お断りします」


 高木の低く落ち着いた声が、鈴木課長の泣き言をピシャリと遮った。


「相手が誰であれ、また背後にどれほどの権力が絡んでいようと、区民の命に危険が及んでいる以上、放置はできません」


 高木は乱れの全くないスーツの襟元を少しだけ正し、静かに相手を見据えた。


「責任の所在についてはご心配なく。私が担当者として、是正勧告および施設の使用禁止命令の起案を作成します。課長は上がってきた書類にハンコを押すだけで結構です」


「そういう問題じゃないんだよぉ……」


 頭を抱えて机に突っ伏す鈴木課長をよそに、高木は必要な書類をまとめ、自身のデスクへと戻っていった。


★★★★★★★★★★★


 同日の夜。午後7時30分。

 定時退社を貫き、自宅のマンションに戻った高木は、キッチンで無地の黒いエプロンを身につけていた。

 足元では、マンチカンの子猫のベルが短い尻尾をパタパタと揺らしながら、高木のスリッパにじゃれついている。時折「にゃっ」と声を上げて気を引こうとするその柔らかな背中を指先で撫でてから、高木はシンクの前に立ち、まな板と包丁を取り出した。


 明日から本格的に始まるであろう、強大な権力との法的な折衝。それに備え、今日はスパイスの効いた料理で心身に刺激と活力を入れると決めていた。


 今日のメインディッシュは、山椒を効かせた本格四川風の麻婆豆腐だ。

 まずは中華鍋にごま油を熱し、細かく刻んだニンニクと生姜、そして豆板醤を弱火でじっくりと炒める。香りが立ち、油に鮮やかな赤い色が移ったところで、豚の粗挽き肉を投入する。肉の脂が透明になるまでしっかりと炒め、甜麺醤を加えてさらにコクと甘みを引き出していく。

 そこに自家製の鶏ガラスープを注ぎ入れ、醤油と酒で味を調える。グツグツと煮立ってきた赤いスープの中に、あらかじめ塩茹でして崩れにくくしておいた絹ごし豆腐を静かに滑り込ませた。


 豆腐がスープの旨味を十分に吸い込んだところで、水溶き片栗粉を回し入れてとろみをつける。仕上げに、強火でサッと熱した香り高いネギ油を表面に回しかけ、たっぷりの青ネギを散らす。

 そして最後に、専用のミルを使って四川産の花椒をこれでもかと挽きかけた。


 立ち昇る湯気と共に、むせ返るようなスパイスの香りがキッチンを満たす。

 唐辛子のヒリヒリとするような辛さである「辣」と、花椒の舌の感覚を奪うような痺れる辛さである「麻」。この2つの辛味が絶妙なバランスで融合した、プロ顔負けの一皿だ。


 付け合わせには、さっぱりとした箸休めを用意した。

 みぶ菜のおひたし。丁寧にアクを抜いたみぶ菜を、鰹と昆布の合わせ出汁に薄口醤油を少しだけ加えた地に浸し、上品な味わいに仕上げている。

 もう1品は、筍の土佐煮だ。下茹でした筍を出汁でじっくりと煮含め、たっぷりの鰹節を絡ませることで、豊かな香りと歯ごたえを楽しめるようにした。

 最後に、ホッと落ち着くような大根の薄切りと油揚げの味噌汁を椀に注ぐ。


 ダイニングテーブルに並べられた、栄養のバランスと色彩が計算された食卓。

 高木は椅子に腰を下ろし、手を合わせた。


「いただきます」


 まずは麻婆豆腐を蓮華ですくい、白米と共に口に運ぶ。

 熱々の豆腐の滑らかな食感に続き、甜麺醤と肉の深い旨味が舌に広がる。しかし次の瞬間、辣の鋭い辛味と、麻の強烈な痺れが波のように押し寄せてきた。額にじわりと汗がにじむほどの刺激だが、それがたまらなく美味しい。蓮華を持つ手が止まらなくなる中毒性があった。

 口の中が痺れてきたところで、みぶ菜のおひたしを箸でつまむ。出汁をたっぷりと吸ったみぶ菜のシャキシャキとした食感と、青菜特有の微かな苦味が、口の中の火照りを心地よくリセットしてくれた。筍の土佐煮も、噛むほどに広がる鰹節の風味と醤油の香ばしさが絶妙で、大根の味噌汁が胃を優しく温めてくれる。


 ベルが専用の器からキャットフードを食べるカリカリという音をBGMに、高木は一人、極上の夕食をゆっくりと堪能した。


 食後は、お気に入りの茶器で淹れた熱いプーアル茶と、無糖のヨーグルトだ。

 高木はヨーグルトの上に、はちみつの瓶から黄金色のしずくをひとさじ回しかけた。酸味のあるヨーグルトに蜂蜜の奥深い甘みが混ざり合い、スパイスで刺激を受けた胃の粘膜を優しく保護してくれる。プーアル茶の独特の土の香りと深いコクが、食事の余韻を綺麗に洗い流していった。


 完璧な食事で英気を養いながら、高木は明日の窓口でのシミュレーションを頭の中で静かに組み立てていた。


★★★★★★★★★★★


 翌日の火曜日。午後2時。

 新宿区役所ダンジョン管理課のフロアに、明らかに周囲の空気を異質にする2人の男が足を踏み入れた。


 1人は、仕立ての良いスリーピースのスーツを着た恰幅の良い男。もう1人は、銀縁の眼鏡をかけ、胸元に金色の弁護士バッジを光らせた怜悧な顔立ちの男だ。

 彼らは案内板を見ることもなく、硬い革靴の足音を響かせながら、高木が座る3番窓口へと真っ直ぐに向かってきた。


「あなたが、高木乾三主任ですね」


 弁護士バッジをつけた男が、アクリル板の隙間から事務的な声で話しかけてきた。


「私は、株式会社オメガ・リソース……ひいては冒険者クラン『オメガ・ファミリア』の顧問弁護士を務めております、堂島と申します。こちらは当法人の専務理事です」


 高木は手元の書類から視線を上げ、彼らの顔を見た。


「新宿区役所ダンジョン管理課の高木です。本日はどのようなご用件でしょうか」


「単刀直入に申し上げます」


 堂島は名刺を差し出すこともせず、冷ややかな声で告げた。


「当法人が管理しております、ダンジョン中層の施設について。区役所の方で、何やら不穏な調査をされていると耳にしましてね」


 まひるが隣のデスクで、ピクリと肩を揺らした。息を呑む音が、微かに高木の耳にも届く。


「不穏な調査、という認識はありません」


 高木はキーボードから手を離し、静かに応じた。


「管轄内で建築基準法および消防法に違反する極めて危険な構造物が確認されたため、法令に基づく是正勧告の準備を進めているところです」


「法令、ですか。随分と生真面目な地方公務員殿ですね」


 専務理事の男が、鼻で笑うように口を挟んだ。


「高木さん。あそこはね、経済産業省の認可を受けた特区実証実験のエリアなんですよ。国の重要なエネルギー戦略の一環として、我々が特別な許可を得て開発を進めている場所です。一地方自治体の窓口担当が、書類の不備だのなんだのと独自の判断で口を挟める領域ではありません」


 堂島も視線を鋭くし、同調する。


「専務の言う通りです。区役所の浅薄な法解釈で施設の運用を止められれば、国の事業計画に多大な損害を与えかねない。これは単なる一法人の問題ではなく、国益に関わる話ですよ。……お分かりですか?」


「国益、ですか」


 高木はゆっくりと立ち上がり、アクリル板越しに2人の男を見下ろした。

 彼が見下ろすだけで、2人の男は圧迫感に耐えかねたようにスッと口を噤んだ。


「どれほど高尚な事業であろうと、ここは法治国家です」


 高木の低く落ち着いた声が、フロアに響いた。


「特区実証実験エリアであろうと、建築確認申請の除外対象にはなりません。区民の命を危険に晒す無法な構造物を、地方自治体の権限において排除する。……それが、私の仕事です」


 その毅然とした態度を前に、2人のエリートの顔に、明確な焦りと苛立ちが浮かんだ。

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