もうひとりの母親
娘を殺された母親がいた。
その母親にとって、その娘は遅くになってやっと出来たただ一人の子供だった。
あの日、いつもよりおめかしして出かけた娘はとても嬉しそうだった。
前の日の夜、好きな子に告白するの、と恥ずかしそうに言った笑顔を今も忘れられない。
素直で、優しくて、可愛らしい、私のたった一人の子供。
夫と、成人式のころは還暦に手が届くわ、と笑いあったこともあった。
花嫁姿を見るまでは死ねないね、と真剣に話したこともあった。
小さいころは、
「パパのおよめさんになるの」
といって夫を喜ばせた。
一日の出来事を笑いながら話してくれる娘を見るのが好きだった。
将来の夢を目をきらきらさせながら話してるのを見るのは幸せだった。
幼いころの写真を一緒に見ていると時間のたつのも忘れた。
一緒に台所に立つようになって、いつかお嫁に出す日の事を思って寂しくなった。
毎日が、娘といるだけで幸せだった。
多くのことを望みすぎたわけじゃない。
誰もが抱く、ほんのささやかな夢。
この幸せがこのまま続いて欲しかっただけ。
たった一人の娘、まどかが幸せになってくれればいいと。
………そう願っていただけ。
あの日、それは他人の手によって唐突に、突然に、この手から奪われた。
まどかの未来に開かれてた無限の可能性が、真っ暗な闇の中に消えた。
一人の母親の、人生が崩れ落ちてゆく。
ぼんやりと焦点の合わない一人の年老いた母親を夏木は見つめていた。
こんなふうになるとは誰も予想してなかった。やりきれない思いが、夏木の心を締め付けた。
「………あの少年を殺して、娘さんが生き返るとでも思ったんですか?」
母親の目から涙が溢れた。刑事の問いかけに、やるせない想いがあふれた。
「そんなこと………、思ってはいません」
母親は溢れる涙をぬぐおうとはせず、小さな窓から見える空を見つめていた。
「ただ………、あの娘のために何かをしてやりたかったんです」
母親は犯人の少年を殺したところで、娘が戻ってこないことぐらいわかっていた。
もうあの娘の笑顔は、二度と見られないことは十分にわかっていた。
それでも。
………母親は何かをせずにはいられなかった。
罪に問われることのなかった、その犯人に対して。
哀れな娘のために。
愛するたった一人の娘のために。
………何かをしてやりたかった。
罪だとはわかっていても、間違っているとわかっていても。
もうまどか本人にはもう何にもしてやれなから。
たとえ。………自分が少年と同じ殺人者と呼ばれることになっても。




