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Flight to Chaos  2話

@機内 エコノミークラス 客席



 離陸前の待機時間が妙に長い。

 久我は心の中で他の乗客に謝罪する。彼に過失は無いのだが、自分の不運のせいだと確信していた。


 理由が分からず待たされるのは、大きなストレスになるのが普通の反応だ。機内には不満の空気が漂いつつあった。

 数列前に座る先ほど久我が見かけた幼児が退屈に耐えかねたのか、あるいはシートベルトが窮屈だったのかぐずりだしてしまう。


 母親があの手この手で必死に宥めようとするが、効果はいまひとつのようだった。久我には、その母子おやこのコミュニケーションがうまくいっていないように感じられたが、余計なお世話だなと自戒して考えるのをやめた。


 待機ストレスに子供の泣き声が加わって、不満で張り詰めた客席の空気が遂に弾ける。いかにも気難しそうな高齢男性が母親にわざと聞こえるように大きな声で呟いた。


「大人しくしていられない子供を飛行機に乗せるなよ!」


 乗客の中で高齢者はマジョリティだ。ストレス発散のために非難する声が波紋のように広がっていく。見かねた乗務員の責任者(チーフパーサ―)が割って入ろうとした所で久我が自席でおもむろに立ち上がる。


「私は子供の泣き声が大好きなので、是非私の隣に座ってください。幸い周りにあまり人がいませんので。私の大好物に文句がある方は、今後は私にお願いします」


 最初に非難した高齢男性の倍近くはある音量で久我はそう言い放った。よく響く発声法は、強行犯を制止したり乗客に避難指示を出したりするために、SM(スカイマーシャル)の必須スキルだ。

 その迫力に騒いでいた高齢者達は静まり返る。時が止まったような違和感を幼児も察知して、キョトンとした顔で泣き止んだ。

 しかし、乗客や乗務員達が久我に奇異な目線を向けているのが彼は気になった。


 凶悪な犯人達と切った張ったを繰り広げる多くの武装警察官がそうであるように、彼は繊細さに欠ける。自分の直情的(ストレートな)物言いが一般人にどういう印象を与えるのかあまり理解していなかった。


 一般的感覚からすれば、先の発言は彼が小児性愛のサディストだと受け取られかねないものだ。

 無論、方便()だ。子供の泣き声など久我はむしろ嫌いであったが、何の罪もない母子を寄ってたかっていじめる者達に立腹した故の行動だった。


 また、任務搭乗により警察官としての悔しさが蓄積していた事も行動の理由となった。

 職務時は目立たない普通の乗客を演じなければならない。凶悪犯がSMを認識すれば真っ先に潰しに来るので、認識されないことがまず第一の任務だからだ。潜伏し、いざ事を起こしそうになった時に速やかに制圧するのだ。

 つまり、重大なインシデントでない限りは久我は積極的に関与できないのだ。トラブルが目の前で起こり善良な市民が困っているのに手助けすることができない、これは久我の大きなストレスになっていた。

 今、積年の思いが解消されて久我は少しだけ誇らしい気分だったので、人々の奇異な視線は納得がいかなかった。


「よ、よろしければ、そうさせていただいても……」


 母親の一言に一同はホッとした。ここで彼女が断れば機内は微妙な空気に包まれていただろう。


 CP(チーフパーサー)は母子の安全のため、洗練された所作で久我の身なりをさりげなく確認し、顧客に見えないように手元のタブレットでDPAX(ディーパックス)を開き、彼の情報を閲覧した。


 ちなみに久我の情報はフェイクだ。SM(スカイマーシャル)に就任した瞬間に、警察官の身分はプライベートでも秘匿されるのだ。警察内でも空テロの人事情報は発表されない徹底ぶりである。


 当たり障りのない偽経歴に彼が危険人物ではないとCP(チーフパーサー)が判断すると、母子を久我の隣へスムーズに案内した。


 久我はその段取りを見て感心する。この乗務員は仕事ができる(珍しく当たりだ)、と。

 例の如く大概はハズレで、久我は任務時に冷や汗をよくかいていた。乗客の死のリスクが近づいてしまうからだ。


 平時に業務を円滑に回せない者が、緊急時に役立つ事はまずないからだ。ゼロならまだましだが、マイナスになる可能性の方が高いと久我は経験から確信していた。


 今回は任務ではないが、安心材料が増えて久我は少し胸を撫で下ろした。


「あの、ありがとうございます」


 母親は席に座ると、躊躇いがちにそう言った。その瞳には複雑な感情が宿っている。助けてもらった事への感謝、久我への若干の警戒心、旧友に意外な所で遭遇したような驚き、それが混ざったものだ。


「いえ、礼を言われるような事は何も」


 久我はぶっきらぼうに応える。正義感から人助けはするが、彼は人付き合いを極力避ける。関わる人が多ければ、それだけ不運に見舞われる確率が高まるからだ。


「おじさん、子供の泣いている声が好きなの? 絵本で見たワルモノと一緒だね。おじさん、ワルモノなの?」


 母親と久我の間に座った幼児は、少し怯えた様子だ。ヒーローが活躍するお話に憧れる時期で、ヒーローと悪役の区分がこの世に存在していると信じ切っている。


「いや、どちらかと言うと正義の味方だ。少なくとも俺はそう信じている」

「えー! すごい! 変身とかするの?」

「変身しなくても十分強い」


 子供に対して口調を合わせることなく淡々と答える久我に、母親は吹き出す。


「あっ、すみません。本当は子供、苦手なんですよね?」

「いえ、そんなことは……」


 彼らはそれから自己紹介や旅行の目的など他愛の無い世間話をした。久我は終始事務的に話したが、母親、四海(しかい)の話し方に少しだけ違和感を感じていた。

 

 子供をあやしている時もそうだったが、母親を演じているような雰囲気があるのだ。一般人と接する分にはスルーされるだろうが、リスク管理のために深く人間の言動を観察する久我は引っ掛かりを感じていた。

 ただ、子連れで滅多な事はしないだろうと深入りするのはやめた。



 四海母子との会話が一段落すると体が小刻みに震えている事に久我は気づいた。飛行機には何度も乗っているが、初めての症状だ。


 凶事が起きることを久我の体が激しく主張している。不運へのアレルギー反応と言ってもいい。

 久我は諦観し備えることにしたが、震えが収まることは無く離陸の時が近づくほどに、久我の顔色は悪くなっていった。


「ヘイ、ヒーロー! そんなに青い顔してどしたんや? ワシがいる限り、このフライトはめっちゃええ感じやで! 泥舟に乗ったつもりでおればええで、しらんけど」


 脂汗を書いている久我を見かねたのか、ブロンドの白人CAが気さくに日本語(関西弁)で話しかけてきた。左胸の名札にはエミリーと表記されている。

 CAエミリーの過度な気さくさに久我は鼻白む。惚けた顔で黙ったままの久我を見かねて彼女は続ける。


「舟ちゃうやろ!!! ってツッコんでくれなアカンわー。兄ちゃん、ノリ悪いで」

「……いや、飛行機と舟の違いよりも泥である事の方が問題だろ。泥舟は比喩で悪い意味だ」


 久我は気分が最悪ながらも冷静に問題点を指摘した。エミリーの顔が輝く。


「ええやん! やればできるやん、自分! これプレゼントや。お守りにしたって」


 エミリーは久我に航空会社のロゴが印刷された紙袋を押し付けて、すぐに次の客へと絡んでいく。2列先に座る、先ほど久我に絡んできた巨漢黒人(ダグ)とアニメの話で意気投合したようだ。

 なお、ダグの規格外の体は2席分スペースを取っているが、彼はしっかり2席予約している。根は真面目なのだ。


 久我はその様子を見て溜息をつきながら、紙袋の中身を捜査資料を確認するように慎重に(あらた)める。

 乗務員から何かを受け取る時は業務上重要なメッセージが含まれている可能性が高いからだ。強烈な不運の予感に備える久我は、既にこの搭乗を任務だと認識を変えていた。武装していないのが何とも心もとない。


 紙袋の中身はメモと普段、機内食に添えられているプラスチック製のナイフとフォークだった。メモには「ええドジョウ」と幼児のような字で書き綴ってあり、添えられたイラストは彼女なりのドジョウなのだろうが、どう見てもウツボにしか見えなかった。

 

 久我は首を傾げる。


 恐らくジョーク(これを食べて元気出せ)だろうが、合衆国のセンスはよく分からない。まさか、一休(いっきゅう)頓智(とんち)のオマージュなのか!? だとしたら日本通(マニアック)過ぎると久我は紋々と考えながら、一方で「良い物が手に入った、何も無いよりマシだろう」と本能レベルに刷り込まれた危機意識が告げる。


 紙袋に()()()()戻して網状のシートバックポケットに無造作に放り込んだ。そこへ機長のアナウンスが入る。


「大変、お待たせいたしました。当機はこれより離陸いたします」


 離陸準備の整ったジャンボジェット機のスピードが上がっていく。微かに重力加速度を体に感じるのを切っ掛けに、不安が頂点に達する。飛行機の揺れ以上に体が芯から震えていた。


 ふと、左手に温もりを久我は感じる。


 左隣に座っていた四海の息子が手を握ってきたのだ。左手は母親、右手は久我、それぞれの手を握り目を瞑って必死に恐怖を抑え込んでいる。


 飛行機が浮力を得る。


 連動するように久我への重荷プレッシャーが緩和される。人の温もりには、他者を安心させる作用がある。

 ましてや、こんな小さな子供が恐怖を克服しようと戦っているのに自分が怯えているわけにはいかなかった。


 久我は正義の味方なのだから。



@機内 コックピット



 副操縦士のスコットは東京の管制から通信が入っている事に気がつき、機長に伝えた。

 さて、最終テストの時間だとスコットは通信内容を聞き取る事に集中する。


「東京の空テロ隊長の松永です。警報はご覧になりましたか?」

「見た。まさか、当機に乗っているのか?」


 機長の対応は高飛車だ。日本、いやアジア人をあからさまに見下している。プライドが異様に高く、故に御し易いとスコットは内心で機長を(さげす)んだ。


「確定情報はありません」

「なら何の用だ? スピード違反で切符を切りにきたのか? 日本の警察はそれくらいしか能がないからな」


 機長は嘲笑する。日本の警察に個人的な恨みがあるような口振りだ。

 対する松永はどこまでも冷静に応える。


「リスクは存在しています。万が一のため、コンタクトを取りたい人物がいます」

「俺がいる限り万が一なんて起きないけどな。それにSM(スカイマーシャル)は搭乗していないはずだ」

「ええ、任務中の者は。ただ、休暇中の者が偶然搭乗しているんです」


 機長が大きな笑い声をわざとらしくあげる。知性が感じられなくて、とても見ていられないなと副操縦士は目を逸らす。


「話にならんな。休暇中という事は非武装の一般人だろ。それをお前と話させるために聖域コックピットへ連れて来るのか? 一般人を聖域(コックピット)に!? はっ! そのリスクも分からないほどお前達は馬鹿なのか? もし、そいつがクロだったらどうする? 休暇中のSMがテロリストになるなんて何の意外性もなくて、ハリウッドが鼻で笑うぞ」

「CAに伝言を頼む形でも構いません」

「断る。そいつがクロである疑いが晴れない以上、何もできない。そして何を言われてもその疑いが晴れることは無い。機内の安全は俺の責任で守る。万が一誰かを頼るとしても、それは合衆国の機関であり、日本ではありえない。話は以上だ」


 機長は通信を一方的に切った。大した演技力だとスコットは舌を巻いた。()()()()()()()()()()なのに、まるで愛国心が強すぎるように感じる。


「再び通信が入っていますが……」


 答えは分かりきっていたが、スコットは規定通り責任者に確認した。


「今後は一切無視しろ」

「了解」


 テストの第一段階はクリアだと彼は認定し、なんの感慨もなく事務的に制服の内ポケットから拳銃を取り出して、にやついている隣の上司へと照準を合わせる。


「何の真似だ? まさかお前が要注意(カテゴリー)―」


 機長が冗談を言い終える前に彼の耳を銃弾が捉え、血が計器に飛び散った。

 スコットが一切の躊躇なく発砲したのだ。消音器(サイレンサー)がついていたため、発砲音はほとんどしなかった。

 機長は獣のような悲鳴をあげる。擦り傷で大袈裟だなとスコットは呆れた。


「余計な言動があれば、今度はその口を撃ち抜きます。今から機長ができることはひとつ。私の質問に答えることだけです」

「馬鹿か、お前! コックピットで銃をぶっ放すなんて! 堕ちるぞ!」


 なるほど、機長キャプテンとしての矜持は失っていなかったらしい。自分の身より飛行機を案じるのは流石だ、と少しだけ副操縦士は感心した。

 しかし、感心も束の間、今度は反対側の耳を正確に撃ち抜く。悲鳴が再度あがる。


「私はまだ質問していません。ご自身の立場が理解できましたか? ちなみに当然フランジブル弾を使っているのでご安心ください。まあ、真面目に研修を受けていない貴方にはどんな弾かも分からないでしょうけどね」


 フランジブル弾とは、着弾時に細かい粒子になる銃弾の事だ。飛行機内など目標以外の破壊を避けなければならない場所で使用される。情報をきちんと更新している旅客機のパイロットにとっては当たり前の知識だったが、己の能力を過信している機長は知らなかった。


 機長は苦虫を嚙み潰したような顔になり、両耳の痛みに耐えながら渋々首を縦に動かす。


「単刀直入に聞きます。貴方は金銭を対価として、この飛行機を目的地とは異なる場所へ着陸させようとしてますね」


 これは()()()


 何故ならばスコットが所属する組織がその裏工作をしたから。

 ギャンブル依存症の機長を買収するのは、ルーレットで赤か黒を当てるよりも遥かに簡単だった。呆気なさ過ぎて、自分がおびやかす立場でありながら、スコットは合衆国の将来を憂いだくらいだ。


 そして今、組織の命令オーダーを確実に実行できるかの最終テストを課している。


「な、なんのことだ? お前は何か勘違いしているんじゃないか?」


 この返答は想定済。認めればどうやっても自分が損をするという事は、卑しい機長にはすぐに計算できるだろう。


「国防に関わる重要な事なので私の勘違いかどうか、早急に確認しましょう。今すぐ東京に戻ります。そこで然るべき方々とお話してください」

「お前にそんな権限は無いっ!」

「権限? ここにありますよ。2回も痛い目にあったのにまだ分からないのですか?」


 スコットは呆れ顔で拳銃を指し示す。機長は押し黙った。


「3つ数えるうちに決めてください」


(スリー)


(ツー)


(ワ……)


「わ、分かった! お前の言う通りにするよ」

「そうですか? それは()()()()


 副操縦士は機長の左胸と額に向けて正確に発砲し、スコットの役職が機長へと繰り上がった。


 元機長が唯一生き延びる術は強い抵抗を示すことだった。

 

 死の覚悟を持って組織のオーダーを全うする。そういう人間でなければ、利用するのはリスクだ。金で動く人間は軽い。自分の命が脅かされればすぐに裏切る。

 また副操縦士が拳銃で脅すという状況に違和感を感じられない程度の頭脳では、不安要素にしかならない。


 いずれにせよ、()()()目的のためには、この機長には死んでもらうしかなかったが、こんなにも早い段階でそうなるとは拍子抜けだった。

 長い年月をかけた孤独な戦いの締めが呆気なく終わりそうで、スコットは安堵よりも退屈を感じ、ターゲットが少しは手強い奴である事を期待さえしていた。


 そして、その期待は応えられる事になる。

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