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深窓令嬢の真相 2話

「じゃあ、伯爵はずっとこの屋敷の中にいるってこと?」


 古いながらも手入れの行き届いた屋敷の中を速足で歩きながらジャックは聞き返した。

 

「マリの言う通りならな」


 ベルナールが頷くとジャックは眉間にしわを寄せる。


「帰れなくなっているんだと」

「……屋敷の中で?」

「あぁ」


 ジャックの眉間のしわがますます深くなる。その横顔をちらりと見ながら、ベルナールは持っていた葉巻を取り出し、ジャックに渡した。


「これは?」


 訝し気な顔で受け取り、端的に疑問を口にするジャックにベルナールは肩をすくめて口を開く。

 

「伯爵を探すのに使うんだ」


 *******


 ヴァロワ侯爵家の令嬢、マリ・ド・ヴァロワは社交界に向いていない。

 これは自他ともに認めることである。


 かつて社交場の貴族たちの視線を一身に浴びたヴァロワ侯爵夫妻の第一子であるマリは艶のある美しい黒髪と華やかな顔だち、澄んだ青い瞳を持って生まれた。その容姿は彼女を社交界の華とするための十分すぎる武器になるはずだった。

 しかし彼女は放っておくと一日中本を読み続ける典型的な本の虫。

 人付き合いも苦手で、お茶会やほかの家の主催するサロンにすら行きたがらない。


「マリ。いい加減支度をしろ」


 マリの部屋の扉を乱暴にノックするのは、ベルナール・ディ・ダリガード。マリと同じ年に王弟の次男として生まれた彼は政略的なものや親同士の親交の深さなどが相まって、マリと兄妹同然に育っていた。


「入るぞ」


 扉の向こうからは一向に返答が来ず、しびれを切らしたベルナールは近くにいたメイドとともに中に入る。

 中に入ってすぐ、目の前に広がった光景に、ベルナールは大きくため息をついた。

 本であふれかえった窓際の読書スペース。小さなテーブルに所狭しと広げられた、隅々までびっしりと書き込まれたメモ。その真ん中には椅子に座り眠りこけているマリがいる。

 ベルナールが机上のメモを一枚手に取って見ていると、マリがゆっくりと顔をあげた。

「……それ、気が向いたら集めといて」

 お使いを任せるような口調でメモを指さしたマリを見て、ベルナールはもう一度メモを見る。少し癖のある文字で、花の名前が十数種類並んでいる。

「わかった」

「なるべく早くお願い」

「気が向いたらって言ってなかったか」

「まぁ、そうね?」 

 マリはごまかすように笑う。笑顔のマリと渋い顔のベルナールは少しのあいだ見つめ合って、結局、ベルナールが折れる。


「わかった。やっとく。ほら、準備してこい」

「助かるわ。……準備はしたくないけど」

「いい加減腹をくくれ。今日も話すだけだ、何とかなる。今日の客人も令嬢ばかりだろう?」

「貴族令嬢全員がおしゃべり上手だと思わないで」

「知っているさ。駄々をこねるな。そろそろ社交場に慣れろ」

「うーーー」

 

 マリは不服そうな顔のままメイドと共に部屋の奥へと歩いていった。

 ベルナールはドレスを準備していたメイドにアクセサリーや化粧を一通り指示する。ベルナールはサロンの日のマリのドレスや髪形、アクセサリーのすべてを決めている。

 服が決まらない、アクセサリーが決まらないなどと駄々をこねて、なんとかサロンの開催を避けようとするマリと、巻き込まれて途方に暮れるジャックを見かねたベルナールが提案したことだ。

 いつのまにか完全にベルナールの仕事となったコーディネートのすべてを指示すると、マリの世話と準備をメイドに任せ、本と散らばった紙の片づけを始める。

 今日は空間デザインと建築そして、国内の建築史についての本ばかり広げられていた。


 ********

 

 数時間後、ベルナールはマリの後姿をみて満足気に頷いていた。

 チャコールグレーの布に花の刺繍をあしらったドレスはマリの白い肌をより美しく見せ、艶のある黒髪に合わせたシルバーのアクセサリーも彼女の魅力を存分に引き立てている。

 少し離れたところでマリを視界の端にいれ、一人壁に寄りかかるように立つベルナールは、周囲の人々の視線を一身に浴びながらも、それに気が付くことはない。マリの後方で彼女に話しかけることもなくずっといるベルナールは、いつしかサロンの名物となっていた。


「ベルナール様。今回も助かりました」

 

 ジャックに声をかけられたベルナールは、そちらを向くと小さく首を横に振り、壁にもたれるようにしていた上体を起こした。ジャックとの身長差がより際立ち、ジャックは一瞬渋い顔をする。体格のいい美丈夫のベルナールとマリによく似た見目を持つ細身のジャックは並ぶとより周囲の目を引いた。


「気にするな、こちらも好きでやっている」

 あと、楽にしていい。ベルナールが続けてそう言うと、ジャックはお言葉に甘えて、と朗らかに笑った。

「姉さんもベルナールの選んだドレスじゃないと怖くて出られないってさ」

「それは光栄だが……こちらとしては早めに色を合わせてくれる相手を見つけてほしいんだがな。まだ婚約者は決まらないのか?」

 

 そう答えたベルナールはマリをちらりと見る。その様々な感情の込められた瞳を見ながらジャックは苦い顔で笑う。


「それは……難しいだろうね」


 ――王弟子息が好意を寄せている令嬢にアプローチする人なんていないよ。


 ジャックは小さな声でそう続ける。聞き取れなかったベルナールが聞き返そうとした時、マリが振り向いて、ベルナールの方を見た。


「ちょっと行ってくる」


 ジャックにそう告げてベルナールはマリのもとへ近づいていく。会話が聞こえるくらい近づくと、同じ席のルスボー伯爵夫人が話をしていた。邪魔をしないよう静かに後ろに控える。

 

 結婚してまだ一年に満たない新婚夫婦である夫人が話しているのは、ルスボー伯爵が帰ってこないという相談だった。

 執務室での書類仕事が多い伯爵は、毎食欠かさず夫人と食事をとっていた。

 ある日、昼食の時間になっても食堂に来ない伯爵を心配して執務室に行くと、伯爵はいなかったと言う。数分後に謝罪を口にしながら食堂へやってきた伯爵に夫人はどこにいたかと聞くと、伯爵は気分転換に庭の花を見に行っていたと答えた。その後もたびたび執務室からいなくなるようになったと言う。

 

「いつもは長くても半日なのですけれど、昨日は帰ってこなかったのです。手分けして屋敷中探してもどこにもいなくて……」

「それは不安ですね……昨日は何か変わったことなどはありましたか?」

「いいえ、とくには思い当たらなくて。朝に、執務机に座っていても庭の花が見られるようにしたいと話していたのを思い出して、主人がいない間に執務室の模様替えをして待っていたのです。ちょうど、力仕事ができる使用人たちの手が空いたので」

「……そうなのですね。いろいろご心配はあるでしょうけれど……ルスボー伯爵は大変お仕事に熱心な方だとうかがっていますし、仲間内では奥様の自慢ばかりされているといううわさも聞きますわ。すぐに帰ってこられますよ」

「そうだといいのですけど。……あぁ、みなさんごめんなさい。暗い話になってしまいましたね」

 伯爵夫人がぱっと笑うと、周囲は首を横に振り、また世間話を始める。

 マリはそんな彼女たちを見ながら、ゆっくりと席を立った。

 

 夫人たちに一声かけてテーブルを離れると、後ろについてきているベルナールを呼び、人目に付きにくいように作ってあるテーブル席に座った。

 

 テーブル席にの周りにいつも用意してあるレターセットとペンを手に取る。


「どうしたんだよ」


 ベルナールが不思議そうに聞くと、マリは手紙を書く手を止めることなく話し始める。

 

「今すぐに、ルスボー伯爵の屋敷に行って。ジャックも連れて行ってね」

「は?」

「ベルのことだから、出かける用意はしてるでしょう?」

「確かに用意はしたが、何をするんだ」

「夫人に気づかれず伯爵を助けるのよ」

「え?」

「ほら、夫人の後ろについてる執事、彼にこの手紙を渡して」


 マリはそう言って手紙を差し出す。すぐに開けられるようになのか封蝋はしていない。その代わり、右下にしっかりとサインが入っていた。

 夫人の後ろを見ると、中年の執事が夫人についている。

 

「ルスボー伯爵は帰らないのではなくて、帰れなくなっているのよ」

 

 ********


 執事に手紙を渡すとトントン拍子で話が進んだ。手紙に何が書いてあったのかベルナールは知らないが、それを読んだ執事は婦人に屋敷で急な来客だと伝え、一緒に来ていたメイドに仔細を引き継ぎあっというまにルスボー家の馬車に乗せられた。屋敷へ向かう道すがら、ベルナールは引きずるようにして連れてきたジャックに事の顛末を話す。馬車に揺られ十数分で屋敷に到着した。

 

「旦那様が帰れなく……」

「思い当たることは?」

「いえ、ただ、旦那様が執務室に入ってから姿が見えなくなり、お帰りになるまで、執務室を出入りしたお姿を見た者が今までいないのです。屋敷にはいくつか隠し通路も存在するので、みな特別気にしたりはしていなかったようですが」

「隠し通路か」

 

 昔の貴族の屋敷には裏道や壁の奥にある小さな通路があることが多くあった。強盗や政敵の襲撃に備えたり、時には情報収集に使うなど用途は多岐にわたっていたが、近年建てられた屋敷にはあまり見られない作りだ。


「こちらが執務室です」


 執事に案内されてすぐにベルナールとジャックは行動を開始した。


「風が出てるところを探してくれって」


 ジャックにマリからの伝言を伝えると、ジャックは手に持った葉巻とベルナールの顔を交互に見た。


「本当にそう言った?」

「これ使ってって葉巻を渡されたからそう言うことだろ」

「いや、なんで?」

 

 思いっきり顔をしかめたジャック。その横でベルナールは葉巻に火をつける。部屋を右回りに探すベルナールと、左回りに探すジャックで上下に役割分担をして、壁や床をくまなく確認していった。


「なんで隠し部屋を作ったんだろうな」


 ベルナールは壁に葉巻を近づけながら呟く。


「それだけ世の中が荒れてたって話?」

「あぁ、それはそうなんだが、隠し部屋ってあんまり意味ない気がしないか?」

「んー? あ、燃やされたら終わりだから」

「あぁ。まぁ用途はいろいろあったんだろうけど」

「……もしかしたら今のほうが需要あるかもね」

「ん?」

「ほら、隠しておきたいものがいっぱいだから」

 ジャックの言葉にベルナールは渋い顔をする。ジャックがこういうことを言うようになって久しいが、ベルナールはいまだに慣れない。

 

「あったよ」

 

 ジャックの言葉で会話が終わる。

 案の定、机がぴったりついている壁の縁から細く風が出ていた。

 ベルナールとジャック、執事と手の空いている使用人で重たい執務机をどかそうと試みる。

 力仕事担当の使用人が動かしたという執務机はかなりの重さだった。


「いや! むり! 姉さんなんで僕連れて行けっていたの!?」

「あいつにとってはジャックも男手なんだろ」

「恨む!」

 

 騒いだりうめき声をあげるジャックとベルナールは何とか机をどかし、壁の前に立つ。

 何の変哲もなさそうな壁を前に、ジャックは困惑した様子でベルナールを見る。


「ここ、風が強いな」

 

 ベルナールがそう言いながら、床との境をなぞって確認していく。不自然に小さなくぼみのある場所を見つけた。

 顔を見合わせたジャックが頷いたのを確認して、ベルナールはくぼみを押した。くぼみがさらに深く沈みこんだ次の瞬間、壁が手前に開き始めた。

 その奥に疲れ切った様子で座り込むルスボー伯爵と目が合う。

 部屋には絵の具と油のにおいが漂っている。部屋の奥にはイーゼルに立てかけられた夫人の美しい絵があるのを、二人ははっきりと見た。


 ********

 

 ジャックとベルナールが自室に入ってきたことに気が付くとマリは顔をあげた。疲れているがどこか晴れやかな表情の二人と目が合う。

 

「見つかったのね」

 

 涼しい顔でそう言うマリは、今朝ベルナールが手配した花に囲まれていた。

 

「部屋は?」

「あぁ、言った通り机で出入口がふさがっていたよ」

「伯爵は何をしていたのかしら」

「さぁ、教えてくれなかったよ」

「ラブレターでもあるんじゃない」


 絵を描いていたことは他言しないでくれと頼まれた二人は本当のことを言えず、あいまいに笑いながら答えた。

 その二人を見て、マリはすべてわかっているかのように笑う。ルスボー伯爵が夫人にべた惚れであることは男性貴族であれば一度は耳にする話だった。マリが耳にしたうわさもジャックやベルナールから聞いたものだ。

 

「男性も隠し事が多いのかしら? ジャック、絵の具が顔についてるわよ」

 

 マリの言葉に二人が勢いよく顔を見合わせる。ジャックの顔に何もついてないことを確認したベルナールが苦虫を嚙み潰したような顔をして、それを見たジャックも似たよう表情をした。


「サプライズなのかもしれないけれど、部屋の出入り口は誰かに教えておいたほうがよかったかもしれないわね」


 続けて畳みかけるマリの言葉に、ジャックは小さく笑った。


「本人も反省してたよ」

「夫人は? 大丈夫そう?」

「あぁ、夫人が帰ってくるまでに原状復帰もできた。気付かれてはないだろう」


 ベルナールがそう言うとマリは満足そうに頷く。


「よかった。ありがとね。二人とも」


 笑顔で礼を言うマリに二人は頷くことで答えた。

 それをみてマリは花の方へ意識を戻す。


「今朝の花か。もう届いたんだな」

「ちょっと気になることがあって」

「それ、手紙に描いてあった花?」


 マリは頷くと、ぶつぶつと独り言を言いながら、一番近くの赤いバラに触れたり、花を一つずつ観察していく。マリは背中を丸めて考え込む仕草をして、しばらくすると、顔をあげてジャックの方を見た。


「ジャック、フィリグリー子爵令嬢主催のお茶会、代わりに行ってきてくれる?」


 清々しいほど悪びれることもなく言うマリにジャックの顔が見る見るうちにひきつっていく。ジャックは深呼吸を数回して意を決したようにまっすぐマリの目を見た。


「理由は」

「この間の手紙の件。いくつか聞いてきてほしいことがあるの。彼女もジャックに悪い印象は持ってなかったようだし話してくれるでしょう」


 ジャックの眉間にしわが寄っていくのを気にする様子もなく、マリは言葉を重ねる。ベルナールは黙って成り行きを見守りながら、少しずつジャックたちから距離をとる。


「……本音は」


 地を這うような低音に加えボソッとささやくような声になったジャック。そうなってもマリはまったく気にしない。

 むしろさすが私の弟ねと言ってにっこりと笑う。カウントダウンが始まった。

 

「私は行きたくない」


 姉弟喧嘩開始のゴングが鳴る。理不尽を怒るジャックとのらりくらりと丸め込もうとするマリの言い争いを横目に、近くにいたメイドへジャックのお茶会用の服を仕立て直すよう頼む。

 ジャック様の服だけでいいのかと聞き返すメイドにベルナールは苦笑いをして頷いた。


「いつものことだ」


 *******


 その日、フィリグリー家のお茶会は主催者不在、客人はジャックだけを迎え入れ開かれた。

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