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百合短編集  作者: タケミヤタツミ
荊女王
19/32

02

シロからメールが途絶えたのも仕方ない話。

けれど、忙しくなる前だったので丁度良いとすら思えた。

どうせ滅多に返信しないのだ。

休日に会えない口実を作る手間も省けた事だし。


そうやって、初めての恋愛にのめり込んでいった。

甘い夢見心地に深く身を沈めながら。



眠りとは自我に目隠しする事。


何も知らない事は幸福に思えても、別の視点からすれば危うい行為。

心地良く夢を貪る間も現実は足を進めている。

すっかり忘れていたのだ、いつか覚めてしまうものだと。



何かがおかしい。

最初は漠然とした違和感だった。


手を繋ぐのもキスするのも、いつだって此方から。

メールも電話も毎回返って来るとは限らない。

彼が周囲に人気があるのは前から。

平等に優しい為、寄って来るのが誰でも手を差し伸べる。


彼の愛情を疑っている訳ではない。

浮気されているとか嘘を吐かれているとか、そうではなく。


ただ、シロならこんな事無かったのに。


シロの「好き」も「一番」も、紬だけだった。

男女だったら、恋人同士だったら、尚更ではないのだろうか。




今年の3月は例年よりも暖かい気がする。

眩しさを増した太陽で、夕方の空気も随分と温くなったものだ。

息を吐いても、もう白くならない。

通い慣れた道にもゆっくりと去る仕度をしている冬を感じた。

フェイクファーの物から幾らか軽いコートに袖を通した日。


いつかの昔なんて、まだ灰色の空に雪が舞っていたのに。


「クリスマスに降らないくせにね」

「でも、ホワイトデーだから丁度良いんじゃない?」


他愛無くそんな事を言って笑い合った。

寒さで赤い頬の横顔が誰だったか、なんて決まっている。



ぼんやりしてしまうのも暖房が効きすぎている所為かもしれない。

脱ぎ捨てられたコートは今や膝掛け。

駅ビル内のコーヒーショップ、ラテも冷たい方を頼んだ。

隣のカップは真っ黒なドリップ。

苦味のある香りを唇に、彼が何か喋っては笑っていた。


今日は夜から大学の友人達と遊ぶ約束。

彼と共に来た待ち合わせ場所には一番乗り。

時間よりも少しだけ早く到着した理由は、今日と云う日にある。


「お返し……、開けてみて?」


今はまだ二人の時間、彼が包みを一つ差し出した。

3/14のホワイトデー。


大事に受け取ると、中身はガラス玉が煌めく華奢なネックレス。

その辺の雑貨屋にありそうな。

女の子だったら好きそうな。

でも紬はアクセサリーなんて着けない、ただ邪魔なだけだ。


クッキーやマシュマロ、キャンディの日。

紬には食べられる物の方が嬉しい。

毎年シロだったら手作りのお菓子をくれたのに。


シロだったら。

シロだったら。


「……ありがとう、可愛い」


シロだったら。

シロだったら。



着けてみせるのは彼を喜ばせる為。

巻き付ける男の手に背中を向ければ、首を冷たく舐める鎖の感触。

総毛立って震える一瞬。

此れも普段慣れていない所為だ、ただそれだけ。

こうして自分を無理やり納得させてから紬が視線を軽く下げた。


それはそうともう一つ気になっていた事。

彼のバッグの隣、お菓子の小さな包みが顔を覗かせる紙袋。


「ああ、女子の皆に義理チョコ貰ったから……大した物じゃないけど、気持ち」


用意したのは飽くまで礼儀として、だろう。

与えられたら拒まない。

受け入れる事が優しさだと信じているのだ、彼は。


与える事にも受け入れる事にも何処かで限りがあるのに。

それなら、相手は私だけにすれば良いじゃない。



席に紬を残して、彼がお手洗いに立った。

まだ友人達は姿が見えず。

緩やかな空間を保ちつつも、談笑の声が賑わうコーヒーショップ。

席も埋まっていて周囲にはこんなに沢山の人が居るのに。

雑音の中、急に独りぼっちになった錯覚。


そうして、意識は変わらず紙袋に。



あれが"気持ち"だと云うのなら。

私のものでしょう、全部。



そこから先は、まるで獣の所業。

幾つかの綺麗な包みを掴み取って、力一杯に引き裂いた。

ほとんど飛び出す勢いでテーブルに落ちたクッキー。

無残に割れるのも構わず、噛み砕く。


思いのほか堅くても崩れる時は何とも呆気無い。

匂いも味も甘さなど碌に判らないまま、どうでもいい。

乾いた焼き菓子に唾液を奪われて、何度も噎せそうになりながら。

それでも手を止めず無理やり呑み込む。

全部食い尽くすつもりが、胸元に零れて逃げて行く欠片に苛立った。


飢え切って堪らず、なんてものじゃない。

憎んでいるかのような荒々しさ。



「ちょ……ッ、何してんだよ……?」



耳の奥で鈍く響いていた咀嚼の音だけが支配する最中。

困惑で硬い声が裂いた。

戻って来た気配を感じてから一瞬後の事。


「なんのこと?」


頬張った物を喉の奥へ押し込み、微笑んだ口許に牙。

彼に向けた紬の目は獣のまま。


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