鎧の下は永遠少女〈後編〉
「あの、試着良いですか?」
だからこそ此の言葉を待っていた。
"彼女"が来店したのは暫く後。
なるべくグラマーサイズも揃えるようにしているのは前々から。
けれど、流石に要望までは分からない。
好みと一致しなかったらしく、すぐ帰るだけの日が続いての事。
今日になって、やっとお気に召す物と出逢えたらしい。
きっと色白の肌によく似合うと思う。
選び取った下着は、チョコレート色の花が咲く淡い桃色。
お菓子を連想させる甘いデザイン。
どうぞ、と試着室まで送ってカーテンが閉まる。
きちんと身体に合っているか否か。
此処まで来て駄目ならがっかりさせてしまう。
その為、待つ時間は妙な緊張を含む。
「すみませーん、会計お願いします。」
けれど、すぐに別のお客さんに呼ばれてしまう。
生憎と今の時間は私一人。
離れてレジを打っても、意識は何となく試着室。
どうも気になって落ち着かないのに。
こう云う時に限り、細々した物が多くて手間取ってしまう。
「あっ、此れ下さい!」
そうこうしているうちに、勢い良く開かれるカーテン。
合っていたなら何よりだけど。
そんなに嬉しいのか、財布を開くにも上機嫌。
なかなか溜まらず、よれ気味のポイントカード。
律儀に記された名前は……、八木椿さん。
折り重なる花弁のようなスカートと良い、よく似合って愛らしい。
尤も、彼女から思い起こさせる色は赤より白。
目にするたび、密かに考える事。
「お好みの物見つかったようで……、良かったです。」
「はいっ、甘い感じのデザインずっと探してたから嬉しくて!」
どんな体形であっても、女性は少なからずコンプレックスを抱く。
そう口にしていたのは誰だったか。
けれど、見えない所で着飾れるのも女性だけの愉しみ。
レースは柔らかに優しく身体を包み込む。
装う物を提供するのが私の仕事。
それが、彼女一人だけの愉しみだなんて限らなくても。
それから後日、またメインストリートで彼女を見掛けた。
隣に、金茶の髪で長身の男の子。
店内に視線を送っても一瞬、前を素通りしてすぐに消える。
カップルだって毎日幾らでも居るし、連れ添って訪れる事もある。
でもあれは、ずっと考えないようにしていた事。
ランジェリーショップに通う理由なんて、彼氏の為に決まっているのに。
目の当たりにしてしまうと鈍い重みが圧し掛かる。
何だか、身体の真ん中が気持ち悪い。
桃色とチョコレートを纏った彼女の素肌。
あの男の子は、もう見たのだろうか。
そんなに泣いてばかりで酷い顔してると、お嫁に行けなくなる。
祖母に言い聞かされていた台詞が不意に蘇る。
私は男の子なんて要らない。
どうせ好きな女の子に触れる事が叶わないのなら。
自覚した瞬間の失恋。
息が詰まりそうな中で滲んでいく視界。
限界まで膨らんだ涙が、透明な珠になって零れ落ちる。
目を腫らして接客する訳にいかないのに。
無人の店内、レジカウンターに隠れて泣いた。
「稲荷さん……、大丈夫?」
不意に、胸にまで沁み込んでいたピアノが遠退く。
片側だけのイヤホンを外された所為。
もう一方に繋がるのは、シュシュで纏められた髪の中。
眼前のパソコンからすぐ隣へ移した視線。
此方を覗き込む、少し戸惑った椿ちゃんの表情。
「そんなに泣く程、でした?」
「ん……、こんなの作っちゃうなんて、凄いと思って。」
あまり至近距離で見ないで欲しい。
簡単に泣いたりして、恥ずかしくなってしまう。
けれど顔を隠すまでも無かった。
「稲荷さん、可愛い。」
優しく巻き付いた細い腕。
甘く緩んだ声色一つ、抱き締められた。
腰掛けた状態のままでは胸元に顔が埋まる形になる。
私の涙で水玉が散ったTシャツ。
ふかふかの柔らかさに安堵して、目を閉じた。
こうなった切っ掛けは一つの勇気。
渡すだけなら、と震えを噛み殺して差し出したトリュフ。
それが今年のバレンタインの出来事。
あれから知った、名前以外の情報。
幼稚園の先生になりたくて前々からピアノをやっていること。
それが高じて、自分でもVOCALOIDを使って曲を作っていること。
動画サイトにも投稿して「カプラP」の名前で知られていること。
岸さんと同じ大学で、そうしたサークル活動をしていること。
あの男の子は友達で、彼氏なんて居ないこと。
「LuLu」に通っていた本当の理由は、私に会いたかったこと。
「そろそろ……、名前の方で呼んで欲しいな。」
「あっ、はい、えっと……、す、すずみ……涼さん。」
涙で言葉が詰まったままじゃ知り得なかった。
大切な事も全部。
目許を拭ったら、笑みに変わる。