ある夜のこと
夜の闇の中、私は不意に煙草が吸いたくなって目を開けてみた。
夜に布団の中で寝そべって目を閉じていたからといって私は眠っていたわけではない。
完全な夜型人間の私にとって朝昼というものが睡眠をとる時間であって、夜はその闇の中で覚醒している時間なのである。
万年床から身を起こすと手探りで煙草の箱をつかみ、これもまた手探りで探り当てたライターで火を灯す。
一瞬闇の中に小さな光が生じたがライターの火は煙草の先に火をつけるという役目を終えるとすぐに消え去った。
今が何時かはわからない。
時刻を知ろうという気にもなれない。
ただ私が闇夜の中に身を置いているという事実があるだけで充分だ。
大体が私の家の中の時計というものは役に立たない。長年母親と暮らしてきたこの家も母が亡くなり、私一人で暮らすようになると、あっという間にゴミ屋敷へと変じた。親戚縁者に縁を切られ友人もいない私を訪ねてくる人などいようはずがないと思って、生来の怠け癖も手伝って家を荒れるがままにしている。母が亡くなって約5年。家の色々なところに置かれた時計も電池を切らして止まっている。それでも母が生きている時分なら、しっかり者だった母親の手前時計が止まればまめまめしく電池を取り替えていたものである。
その母も今は亡く、私は止まった時計の電池を交換するということすら億劫で、そのままうっちゃったままにしてある。
そんなわけで我が家にある時計の全てはそれぞれ電池切れで力尽きた時刻を指しながら止まっている。
(今夜も闇が心地よい)
私は煙草を吹かし缶チューハイを口に運びながらそんな事を思った。
こうして闇の中に身を置いていると日中の煩雑なことを忘れることができるような気がする。
度重なる法整備ですっかりお行儀の良くなっと消費者金融もこんな時間に借金の催促の電話をかけてこない。
どんな形であれ、他人と交わることが苦痛である私にとって世人が眠りにつくこの真夜中こそが心安らぐ時間なのである。
夜の闇の中、見回す全てが夜の闇に溶けるようにその形を失くす。
そのまま私自身も夜の闇の中に消えてしまえばいいのに、などと考える。
私にとって朝昼を照らす太陽などは唾棄すべき敵だとすら思ってしまう。
こうして夜の闇の中に身を置く。周囲の全てが判然としなくなる。この夜の闇だけが私の視界に横たわっている。
私は立て続けに吸った煙草に満足し、再び夜の闇の心地良さを堪能すべく万年床に身を横たえた。