その少年、喩えられるもの多く(2022/3/2)
砂漠地帯の中心にある魔法の街、フッブ。白い石畳の道、ならんだ石造りの建物が印象的である。
「──よし、先入観がつかない方法を探さなきゃ」
エントマ──昆虫のような体質や身体の特徴を持つ種族である少年は呟いた。……しかし彼の隣の席に座っていた少女は特に動かず、そのまま目線だけを彼に寄越す。
「……意味が分からない、ソルリア」
「実は僕も。自分の考えをちゃんと言えてるのかさえわかんないや。
なんか、例えば学校の宿題なら、宿題って身構えちゃうような面倒くさい形で出すより、自分達から復習しちゃうような面白さを授業で出していくべきだって思ったりしたんだよ。それでも結局やらないってやつは元々やらないだろ、ドリスとかさ」
少年ソルリアが出したドリスという名前は、彼らの学校でのムードメーカー的存在だ。といっても皆を和ませるとか、笑わせるという立ち位置ではない。
「皆で成長していくために、ある程度課題を出す事は不可欠よ。それにドリスはちゃんと宿題してるし、あなたを“劣等生”だって言える位には魔法も使える」
「えっそうなの」
「そうよ。とやかく言う前にあなたの先入観も何とかしないとね?」
「……返す言葉もないです……」
劣等生。習った魔法をことごとく使えないことから少年はそうよばれている。話に出ているドリスが最初に彼をそう罵り、その呼称を現在進行形でクラス中……いや、街中に広めたのである。少年からすると目の敵に値する存在なのだが、彼女はそれなりに優秀な為余計にたちが悪い。慣れない粗探しをしようとも、無駄な足掻きになるのであった。
「はぁ。これだから男……いや、ソルリアは」
「な、なんだよ……僕だってこんなこといってるけど、宿題も自習もしてるし、授業にもちゃーんと居る。その努力はルリちゃんも分かるでしょ!」
「そうだね、努力の割に魔法が使えないままだけど」
「う」
対して少年と話している少女はルリ。表情が乏しくばっさりと言葉をぶつけてくる所はあるが、誰とでも話をすることが出来る。
こうして彼女はソルリアだけでなく、ドリスからも色々な話や恋愛相談までも受けているのだが、それはまた別の話。
「っというか先入観云々のまえに、そもそも宿題が邪魔だからなくなれば良いのになーっ」
「最初からそういえばよかったのに。わたしは授業内容を見直す機会があってありがたいけど」
「ルリちゃんは魔法が使えるってのもあるでしょ。僕は使えない分、宿題をやるより自分の練習をしたいし、兄ちゃんの休憩時間を狙って会いにいきたいんだよなぁ」
少年の兄、エトワールは少年と歳差が多少あるものの、複雑な事情もあり幼いうちから街一番の魔法使いとして長を勤めることになった者である。そのため兄弟は、二人で共有出来る時間も減っていた。
ルリもその辺りの事情は詳しいため、相応しい言葉をなんとか探そうとする。
「最近、話せてないらしいね」
「……うん、会えてもない。仕事を邪魔してもわるいし……」
選択はどうやら間違ってしまったらしく、そのまま沈黙が流れかけてしまう。ならば、と新たに話題を投げかけるルリ。
「明日にでも、何気なく差し入れとかで行ってみたら?」
「差し入れ?」
「そう。食べ物とかなら、一緒に食べたりする時間に繋がるんじゃないかな。お話もできる筈」
なぜ明日なのか。実は明日が少年の誕生日であるということをルリが知っていたからである。
反応からして少年当人がそれをわかっていなさそうであったが、助言がうまくいったらしいことだけは、少年の輝かんばかりの表情から一目瞭然だった。
「──……いいな、それ!」
──────────
そんなこんなでルリちゃんの助言に従い、僕はちょっとした甘いお菓子を買って持っていったのだった。
「エトワール兄ちゃーんっ」
ほんのり甘い香りがするその部屋。奥の方にあるテーブルにはボウルとか、泡立て器とかが並んでいて。兄ちゃんはそこで大きな魔法の本に集中していたみたい。僕が呼ぶとガタリと音を立てたり手足を暴れさせたりしだしたから、とてもおかしかった。
「っそ、ソル?!」
「お菓子一緒に食べよっ」
ついに兄ちゃんはテーブルに立てていた本をバタン。と倒してしまった。床に叩きつけられたことで大きな音が鳴って、二人でびっくり驚いて。
……堪えていた笑いをついに溢した僕に、兄ちゃんも笑ってくれた。
「っうん、食べようか」
「やったー!」
兄ちゃんが真ん中にテーブルを魔法で瞬間移動させると、色んなものを端に寄せて、大きなお皿を一枚そのテーブルの真ん中に置く。その後に身長が小さな僕専用の椅子を持ってきてくれるまでに、僕は包みを開けてお菓子──沢山の果実をちりばめて飴で固めたやつとか、たっくさん買い揃えてきたそれらをお皿に並べていく。
「そのお菓子、とっても美味しそうだね」
「へへ、だろ?」
「こうなると飲み物もほしいな」
そんな時、まるで隠れて会話でも聞いていたかのようなタイミングでさっき僕が入ってきた扉がノックされ、兄ちゃんに普段から仕えてくれているじいやが入ってくる。
「エトワール様、ソルリア様。お呼びですかな」
いつも良いタイミングできてくれるから、僕らはついつい笑顔になっちゃう。
「あは、じいや。休憩にしたいから、飲み物をいただいてもいいかな。
ソル、サトウキビジュースでいいよね?」
「へへ、うん!」
「かしこまりました、少々お待ちくださいませ」
そんな僕らに不思議そうにしながら出ていったじいや。二人で見送り、顔を見合わせる。
「ナイスタイミング。じいやはいつもすごいよね」
「ね!」
僕と兄ちゃんの間にできてしまったように感じていた壁は、あっという間になくなっていく。二人でテーブルを挟み向かい合い、椅子に座って。まるでお茶会だ。
「ね、兄ちゃん、最近はお仕事どうなの?」
「毎日書類だとか、旅人の歓迎だとか。スッゴい忙しいんだけど、面白い出会いもたま~にあるんだよ」
「へぇ……! それもっとおしえて、兄ちゃんっ」
「うん、いいよ」
──そんな幸せなひとときは、
「ソルも、最近学校はどう?」
「いっぱい勉強してるよっ。僕、魔法を早く使えるようになって、外にも出てみたいっ」
「そっかぁ……へへ、ぽかぽかするな」
「ぽかぽか?」
「うん、ソルは俺にとって“お日様”みたいにぽかぽかだ。……いつもありがとう」
「僕こそありがとっ」
あっという間に過ぎていく。
「僕ね、ちょっとずつお料理も頑張ってるんだよ。えらい?」
「とってもえらいじゃないか。こっちが一段落ついたら、俺にもつくってほしいな」
「えへへ、任せて!」
……お菓子が半分も減らないうちに、扉がノックされる。兄ちゃんが歩いていってそのまま扉の先の人物と話すと、申し訳なさそうに僕の方を振り返った。
「──ごめんソル、今すぐいかなくちゃいけない用事ができた」
「危ない人が来た、とか?」
「うん。凶器を出して街を歩く不審者がいたんだって。ソルも気をつけてね」
兄ちゃんはこの街の長だから、先代が今まで守ってきたこの街や民たちは家族も同然だろう。僕も兄ちゃんと同じ立場ならすぐにとんでいく。仕方ないことだ。
「わかった。いってらっしゃい」
そう答えれば、兄ちゃんは少し申し訳なさそうに、しかし微笑んで頷いた。
「いってきます!
──さん、お待たせしました。すぐいきますので───────」
誰かと話しつつ扉を閉めた兄ちゃんに置いていかれた、僕とお菓子と飲み物。一気に静かになったその場所の後片付けを始める。
仕方ない。
……仕方ないけど、寂しいなぁ。
「────……い、」
「……」
「おい、劣等生!!」
「うおぁあっ?!」
重い足取りに時間をとられ、辺りもすっかり暗くなってしまった帰り。人通りも少ない道で後ろから叫んできたのは、頭にてっぺんに2本のアホ毛とグレーのぱっつんショート、ヘーゼルの瞳。少し大きめサイズな服を来た、男勝りと言われるような女の子。
「なっ……なんだよドリス?!」
「劣等生の癖に。何度も無視するなんて随分偉そうになったものね?」
「む、無視しようとして無視した訳じゃないしっ。偉そうなのはそっちだろっ」
今はあまり話せるような気分じゃないのに。そう心の中だけでこぼしつつ彼女に向く。……そこで気付いた違和感。いつもの彼女ではあったのだが、なにかおかしい。身体が震えていて、息も乱れているような気がした。
「……ドリス?」
「こんな時間に何してるのよ。……早く家に帰れば?」
「それはこっちの台詞だよ、僕はともかく女の子がこんな時間に──」
続けようとした言葉は、彼女の後ろの方で歩いてくる、何者かの影が視界に入ることで遮られた。
薄く闇に紛れる、しかしかなり大きな肢体。ふらふらと歩くその手に握られているのは、……月明かりに照らされてぎらりと光るナイフ。時折呻き獲物を探すかのようにブンブンと頭を振る様は、まさに不気味といえた。
そのぎらりとした目が、──こちらを捉えた。
「……、ドリスっ」
「きゃ、」
それが纏う雰囲気は異質で、あれに捕まったら終わりだと僕の頭が警鐘をならす。すぐさま彼女の手を引き走り出すと、同時に得体の知れないそいつもこちらへと向かってきた──そういえば、兄ちゃんが凶器を持った不審者がいたと言っていたが、まさかあれのことだろうか。
手を引いたドリスは足元がふらついており、あまりスピードが出ない。
「もしかしてあれに追いかけられてたのっ」
「っ……」
彼女は荒く息をしながら俯き、なにも言わない。……そりゃそうだ。一人で、夜道であんなのに突然追われれたのなら。
ただ逃げるしかないし、絶対怖くて何も言えなくなる。先程のぎこちない悪態も、辛うじて強がっていたのか。
「隠れよう、このままだと追い付かれるっ」
建物の間の細道へ曲がって、曲がりくねって。あいつのこちらへの視線を感じなくなるまで続けて、警戒しつつも一度立ち止まる。手を引いていたドリスは荒い息をついてしゃがみこんでしまった。未だに動揺を隠せないでいるようだった。
……あれが例の不審者だとして、問題はどう兄ちゃんを呼ぶべきか。下手に叫ぶだけでは相手に気付かれるだけで、移動することで到着が間に合わない可能性もある──呼ぶ前にある程度相手の動きを止めたいけれど。
「……僕でも、出来るかな」
大丈夫、目一杯叫べば兄ちゃんは絶対に気付いてくれる。あとは……──
「ねぇドリス、一旦落ち着こう。あれは今兄ちゃんが探してる不審者のはずだ。助けを呼べば気付いてくれるよ」
「落ち着けるわけ……あんな、あんな不気味なやつ……」
わかってる。こんな状況で魔法も使えない僕といても頼もしくはない。けどせめてそう見えるように。自分が怖がっていたとき、兄ちゃんはどうしてくれたっけな。
「ドリス」
「なによ、」
──こうやってふんわりと抱きしめて、ゆっくり頭を撫でてくれたんだ。
「……大丈夫、俺に任せて」
直後、不審者の呻き声がすぐ近くから聞こえる。また走ることを彼女に目線で伝えれば、ぽかんとしつつも慌てて立ち上がってくれた。
彼女の震えは収まっていた。よかった、どうやら安心してくれたようだ。
「──……さあ、いくぞっ」
そこから飛び出せば、再び追われる側になる。手を引きつつ走り、今度は分かりやすい大通りの方へ。夜で外もかなり冷えてくる頃だから、巻き込んでしまいそうな人通りはない。
作戦はここからだ。意気込んで背後を見ると、先程まで追ってきていた不審者の視線は感じていたのに、その姿がなかった。
「え?」
──何処へ行ったんだ。そう思った直後、言いようのない悪寒が僕を襲った。
「んなッ」
「きゃっ……?!」
ドリスと僕の影から突然、それが伸びるように現れる。影に紛れ、出入りが出来る魔法なのだろう。相手に刃物を振られる前に、咄嗟にドリスを自分の後ろに引っ張って、僕自身が庇う形を取った。
「! ソルリアっ──」
想定外だけど、丁度良い。
そのまま向かってきた切っ先はわざと避けきらず、切れた頬から赤と黄色が混ざったオレンジの血が不審者の目元に上手くかかる。
──……僕のそれはエントマ特有のもの。捕食者から身を守れるような、かなり鼻にツンとする青臭い香りになってる。
しかもちょっとやそっとじゃ取れないその臭いに、唸り始める不審者。ここが最初で最後のチャンスだと、僕は思い切り叫んだ。
「っ助けて、兄ちゃん──ッ!!」
瞬間、バチバチッ!! ……と、唸る不審者に放たれた電撃。その意識を奪うまで消えなかったその魔法を使ったのは、勿論。
「……ようやく見つけた……! 大丈夫かい、二人とも!」
「……! 兄ちゃんー!!」
そのまま兄ちゃんがかけてきて僕らを抱きしめてくれる。不審者は後から来るじいやをはじめとする大人達に縛られ、連行されていくのみだ。
……もう、大丈夫だよ。その声にドリスは安心したのか、ぼろぼろと泣いていて。なんだか僕は見てちゃダメな気がして、顔を背けて──そのあとに、家まで彼女を見送った。
彼女の両親が兄ちゃんとお話ししているのを遠目に見ていた僕の背に、彼女の声がかけられた。
「ソルリア」
「?」
「今日は、一人で逃げることだって出来たのに。どうして助けてくれたの。あたし いじめっこ なのに……」
いつもと比べてしまうとまだその声は弱々しくて、僕はなにもしてない筈なのに罪悪感が過る。……言葉をちゃんと探すよりも、とりあえずパッと掴んでふんわりと投げることにした。
「先入観を付けたくないから?
あっでも、さっきの不審者は先入観があったから対応できた……ないほうがいいって訳でもないんだなっ」
「……はあ、?」
「──あー、えっと、いじめっこの前にお前はドリスだ。今日のお前はすごく怖がってたし、助けなきゃと思ったから助けた。それだけだよ。
というかいじめ? みたいな自覚あるなら止めろよな、こっちだって意地悪言われたら結構心に来てるんだからさ。まぁでもまたこんなことがあったら、また助けてって言ってくれていいから……って……」
言いたいことを言っていたら、ドリスがわなわなと震え出した。あれ、僕何か不味いこと言ったかな。いや言ってないぞ。少なくとも普段のドリスよりは言ってない。そう結論付けた僕がその場から逃げ出す前に、彼女は玄関先にあったらしい袋を持ってきてこちらに押し付けてきた。
「これ残飯だけどあげるわ! 中に一緒に入ってるのは道端に落ちてた花! 魔法が使えない劣等生にはお似合いよ!」
「えぇ?!」
「それと、口調変えた方が格好いいぞ馬鹿!!」
「っなにそれほんと?! ……じゃなくて、なんでここで残飯渡そうと思ったわけ?! ちょっと、ねえ!」
彼女はそれ以上何も言わず、兄ちゃんと話を終えて家に入っていく両親と一緒に家の扉を閉めてしまった。
「……なんだよあいつ~……っっ」
それは言葉とは裏腹に丁寧に箱に入れられていて、それを開けると一切れのケーキとメッセージカード、そしてくす玉状に咲いている桃色の花──アルメリアが入っていた。
「ケーキが残飯って勿体無い! なになに、『魔法が使えない劣等生世界記録更新おめでとう』? ……とりあえず皮肉なのは分かるぞ……!
って、このお花も……!」
この国では他の場所より花を贈る際、花言葉を意識する文化が根付いている。アルメリアはこのあたりには咲いていないもので、道端に落ちてたにしては綺麗で砂利一つ付いていない。それの花言葉は──
「ちょっと、そんな 同情 されても腹立つだけなんだけどっっ?!」
仮にも助けた側なのにあまりの仕打ちだ。いや、まぁ別になにか期待してはなかったけれど。見事にもやっとさせられた僕に、それまで離れて見守ってくれていた兄ちゃんが歩いてくる。
「ソル、そろそろ帰ろうか。誕生日のお祝いも出来てないし」
……へ、誕生日?
「その顔、もしかして忘れてたの? 今日はソルの誕生日だよ。俺も朝から用意はしてたんだけど、いかんせん初めてで、ソルが来た時はまだ焼けていなくてね」
「え、じゃあ、あの甘い香りって……」
「へへ、実はケーキだったんだ。後は盛り付けだけだから、出来たら一緒に食べようね」
「!!!!」
……思わず、僕はドリスから渡されたそれの中身を二度見した。
「……………………兄ちゃん、これ、貰ったんだけどさ。毒とか入ってないよな?」
「?!」
やっぱり先入観はついちゃうけど、どうにかしないとな。こういうサプライズも素直に喜べないのって、勿体無いよね。
──────────
「────……でね、その後は兄ちゃんともっといっぱい話せたんだっ。ヒヤッとすることもあったけど、ルリちゃんのおかげでとってもいい日になったよ、ありがとう!」
後日の学校。顛末を嬉しげに報告するソルリアに、ルリは頷いた。
「だからドリスも今日、いつもよりあなたへの睨みがキツいんだね」
「……彼女のケーキも美味しかった。なんか直接伝えるのは癪にさわるから、ルリちゃんが伝えといてっ」
「っはは。今回に限ってはそうした方がよさそう。わたしからも言わせて。ドリスを助けてくれてありがとう、“王子様”」
「ん。たまたま遭遇できたから、ってだけだけど……ってなんだよその呼び方」
「ふふ、さあ?」
ルリは、この直前にドリスから『まるで王子様のように格好よくて、あたしに思いやりまで見せてくれた』──……なんて惚気話をされていた。
事実を聞いたルリから見れば王子様、だなんて少々美化されているように感じられる。しかしドリスからはそうみえたと言うのだから、決して間違いでもないのだろう。
「お疲れさま、ソルリア。劣等生でありお日様でありアルメリアの花が似合う王子様」
「うわ、滅茶苦茶。それだけあればどんなやつなのかわかんなくなってくるな…………
あっ。そうすれば良いのか」
「え?」
「先入観も詰め込みまくったら、打ち消せるんじゃないかって思ってさ」
「……なら、まだまだ詰め込みがいがあるね。もっと知り合って、劣等生とかだけじゃない、ちゃんとしたソルリアを相手に刻み付けてもらわなきゃ」
「そういうことになるっ」
──そうすればいつかドリスも、自分を介さず彼ともっと素直に話せるようになるだろうか。そんな瞬間をふと想像して、ルリは微笑んだ。