黒子(くろこ/ほくろ)
初投稿、第1弾です。
2010年11月7日に、地方紙に掲載された作品です。
作品の季節は夏~秋頃の設定です。
今回もっと多くの方に、読んでいただきたく投稿しました。
グラスに注いだ酒を口に含む。
鼻から抜けていく息の中にアルコールが入っているのがよくわかる。
酒は百薬の長と言われているが私には全く通用しない。
どうしても苦手だ。
決して今の生活に不満があるわけじゃない。
ただ、少しの自信が欲しかっただけ―――。
今日も、いつもと同じ朝が来る。
朝から夕方までスチールの机と向き合う。
それが私の仕事。
当たり前だけど、毎朝私を出迎えるスチールの机は温もりなんか無くて、凍えそうな程冷たい。
もう、働き始めて今年で九年目。
毎日、決まりきった単調な仕事をこなす。
辞めようと思えば辞められるけど、そんな勇気もない。
どうしても事務の仕事がしたくて高校在学中から色々な会社を受けた。
あの頃は就職氷河期と言われていて一年頑張ったけど結局、卒業しても見つからなかった。
この会社も頑張って採用してもらった―――
ようやく掴んだ夢だった。
あの時の情熱が今もあるとは言えない。
この歳になると、街で子供の手をひいた同級生を見かける。
しっかり母親になっている人が増えてきた。
人付き合いも良いとは言えない。
人との関わりをできるだけ避けてきた。
恋人もいないし友人も殆どいない。
久しぶりに友人にメールをしたら来春結婚するとの報告。
幸せになって欲しいと心から願った。
ついに、私の周りにも現れだした。
―――結婚―――
焦ってなんかいないけれど多少、不安は残る。
私は今のままで幸せなのかって………
このままこの会社で働いて得る物は何なのだろう。
きっと結婚だってしない。
未来の私は幸せ?
後悔していない?
華やかな世界に憧れた事だってないわけじゃい。
百貨店の化粧品売り場で働いている人を見て素直にキレイだと思うけど、私には遠い世界なんだと思い知る。
なるべく目立たないように生きてきた。
小さい頃から背が高くてただそれだけで注目された。
しかも、額には大きなホクロがある。
一度も染めた事がない黒い髪は胸元まで伸ばし前髪はもちろん、ホクロを隠すために長めにしている。
まるで、歌舞伎で役者の邪魔にならないよう、黒い布を頭からすっぽり被った全身黒一色の黒子のように…。
ひっそりと生きてきた。
今、思い返せば本当にその生き方でよかったのか。
仕事が終わって暗くなった夜道を一人歩いて帰る。
毎日決まったルートで真っ直ぐ家に帰る。
寄り道なんてした事もない―――
ふと足を止めた。
急に冒険したくなった。
今、来た道を戻る。
だんだん人が多くなってきた。
店の前では客の呼び込みをしている人の姿も。
「こんな世界もあるんだ」
いつもの街並みが違って見える。
どこまで続くのだろう。
知りたくなって歩き続けた。
次第にライトが疎らになっていく。
ふいに通りかかった店のネオンがキレイだった。
立ち止まり見上げた真っ暗な空に一軒の看板。
「いらっしゃい。―――ひとり?」
普段の私ならあり得ない。
気が付いた時には店内にいた。
こじんまりとした店内は薄暗く、お洒落で落ち着いていて初めてきたのに居心地が良い。
「入り口に立ってたら、お客さんが来た時に危ないから、こっちに来てかけなさい」
手招きされるがままカウンター席にかけた。
「いくつ?」
「二十八歳」
「お仕事は?」
「事務を―――」
「フーン。落ち着いてるわね、真面目そう。
で、どうしてここに?」
「―――」
「何か飲む?」
「アルコール以外の物を」
「ま、仕事帰りに一杯って感じに見えないものね」
そう言って手際よく用意する姿はキレイだった。
白い肌に華奢な体。
凛とした顔立ち―――
美人って、この人のことを言うんだ。
「はい。今日は特別」
そう言って目の前に出されたのは
「牛乳?」
「ただの牛乳じゃないわよ。私の愛情がたっぷり入ったホットミルク。
この時期、外は暑いけど、事務ってほとんど動かないし社内は冷房キキスギて寒いって聞くから。
私は働いた事ないけど。
シナモン入れたから体の芯まで温まるわよ。
冷めないうちにドーゾ」
私の体を心配してくれた事が嬉しかった。
「………美味しい」
「でしょ?私の自信作。
温めることしかしないけどね」
牛乳を温めた鍋を洗いながら彼女は笑った。
「―――あの」
「何?」
彼女は手元を見たまま耳を傾けている。
「ここで雇ってくれませんか」
下を見たまま
「ごめん。
私、誰も雇う気ないのよ。
ほら、お客さんも来ないし、賃金だってまともに払えないと思う。
事務の仕事してるのに、お金に困ってるの?
この仕事で稼ごうと思わないできちんと働きなさい」
「違います!お金になんて困っていません」
「じゃあ、どうして?」
洗い終わった鍋を置き私を見ながら言った。
「自分に自信を持ちたいから。
私、人付き合い苦手だし社交性もないし、化粧っ気もないけど、ここで働いたら変われるかもって」
「甘ったれるんじゃないわよ。
人付き合い苦手で社交性ないって言ったら、この仕事に向いてないじゃない。
私、遊びでこの店やってるんじゃないの。
それ、飲んだら帰りなさい」
断られるのは、わかっていた。
彼女を怒らせてしまった。
「ごちそうさまでした。
お代は?」
「いらない。
言ったでしょ、ホットミルクはメニューにないのよ。
初めから、お金取ろうなんて思ってないから。
帰りなさい」
店を後にした。
後味が悪い。
いつもと変わらない朝が来た。
今日もスチールの机は私を出迎える。
まるで、昨夜の事を知っていて私を嘲笑っているように見える。
スチールの机は冷ややかだ。
「所詮、スチールの塊にはわからない事よ、残念だったわね」
スチールの机相手にムキになった自分が情けなかった。
彼女に促されて帰ってから、私は本当にこのままでいいのかずっと考えていた。
もしかして、今まで歩んできた人生そのものが間違いだった?
ここまで生きてきて、残りの人生、後悔したくない!!
「いらっしゃ―――また、あなた?」
「昨日は、ありがとうございました」
「雇う話は、断った筈だけど?」
「お願いします!
どうしても、ここで働きたいんです!
私、本気です!
認めてもらえるまで毎日、通います!
決めた事は、最後までやり遂げるタイプですから」
「―――好きにすればいいわ。
ただ、仕事の邪魔はしないでちょうだい」
「それって!」
「認めたわけじゃないわよ。
私も頑固な方だから、あなたの本気見せてもらおうじゃない」
その日から毎日、通い続けた。
お客としてではなく、認めてもらいたいという気持ちだけで。
それでも、なかなか認めてもらえない。
「こんばんは」
「―――いらっしゃい」
今日はカウンターに、お客は一人。
いつものようにカウンターの奥に座った。
「最近、よく見かけるね」
カウンター席に座っていた中年の男性が話しかけてきた。
常連客の一人だ。
「―――はい」
「人見知りするのよ。
あまり話しかけないであげて」
「へぇ。何が飲みたいの?
おじさんが奢ってあげるから、言いなさい」
近寄りながら、そう言ってきた。
「結構です」
「お名前は?いくつ?」
どうすればいいか、わからなかった。
「………ハァ。
せっかく来てくれた中、悪いけど、今日はこれで閉めるワ。
ごめんなさい。
今度来てくれた時に、サービスするから」
「来たばかりだぞ」
「お願い―――ねっ?」
お客は渋々帰っていった。
お客を見送って帰ってきた彼女に
「ありがとうござ―――」
「ちょっと、あれだけ仕事の邪魔するなって言ったでしょ!
あなた、店に通い続けてもう、半年過ぎてるのよ、何してたの!
少しはお客さんのあしらい方、身に付いていると思ったのに。
あなたの本気って、こんなものだったのね」
失望した眼差しだった。
「―――あなた、ここで働いて変わりたいって、自分に自信持ちたいって私に言ったけど。
その後、どうしたいの?」
「どうって―――」
考えていなかった。
「来なさい」
そう言って、彼女は店の奥へ。
彼女の後について行く。
そこは、小さな衣裳部屋。
「服、脱いで」
「ここで?」
「ほら、早く。
もう、店閉めたから誰も来ないワ、心配する事もない。
早く脱いで」
服を脱いだ私を、大きな鏡の前まで連れていき、赤いドレスを手渡した。
「着て」
彼女の言葉に従った。
こんな派手な服は着たことが無かった。
鏡に映った私を見て
「思った通り。ピッタリね。
あなた毎日、だぼっとした服を着て体の線を隠そうとしてたでしょ?
自分の体形を知っておくべきね。
肌の露出が多い少ないで色っぽいとか思ってる人が多いけど、そうじゃない。
体の線をいかに綺麗に見せるかよ。
あなたの場合、ウエストが人より上なの。
だから、タイトなマーメイドのドレスを着た方がスラッと見える。
事務の仕事で、日中は外に出ないから肌も白い。
赤が映える。
下着は地味ね、買い替えなさい」
「………似合わない」
「そう、似合わないのよ、今のあなたのそのメイクが。
その椅子にかけなさい。
このドレスには色が薄すぎるの。
ね、口紅付けてる?
二十八歳でしょ?
もっと、きちんとしなさいよ」
言い方は厳しいが、メイク直しをする手は優しかった。
「それに、ずっと気になってたのよ、この前髪」
彼女の手が前髪に触れた瞬間、思わず彼女の手を叩いてしまった。
「!! ごめんなさい!
私、額に大きなホクロがあって!
それで、前髪伸ばしてて!!
それでっ」
「見せて」
「でも―――」
「逃げるの?
自信持ちたいんでしょう?」
きっと彼女なら無理矢理、私の前髪をあげることが出来たのに、自分から見せるまで待っていてくれた。
右手で前髪をあげ、恐る恐る彼女の顔を見た。
「ナーンダ。
大した事ないじゃない。
そんなの気にしてたの?」
予想外の言葉だった。
「気にするな…って言っても、ムリだと思うけど、チャームポイントにしたら?
そしたら、好きになるんじゃないの?
そのホクロの事」
「チャームポイント?」
「人ってコンプレックスの一個や二個は持っているけど、他人から見たらそれが可愛かったりするものよ。
一個隠そうとしたら、一緒に十個くらい良い所も隠れちゃうのよ。
それって、損だと思わない?」
そう言って、私の後ろに立った。
「髪の毛、アップにしたことある?」
「ないです」
「前髪も、アップにしていい?」
「それは!!」
彼女は優しく、私の髪の毛を櫛でとかす。
「自分で自分の事、好きにならないと誰も好きになってくれないの。
ホクロの事、隠すってことは否定してるって事でしょ?
ゆっくりでいいわ、時間をかけて自分の事を好きになってごらん」
彼女に言われると、好きになれる気がした。
「はい、できた。
鏡の前に立って」
「キレイだ―――」
鏡の中の私は、別人だった。
人ってこんなに変われるんだということを知った。
「それが本当の自分の姿。
おでこ出した方が、肌の色が明るく見える。
どお?
好きになれそう?自分の事」
「はい!
夢みたい」
「あなたの笑顔、初めて見たワ。
とっても笑顔が素敵よ。
これで、自信が持てるかしら?
自分のことをもっと好きになれば、あなたはもっとキレイになる」
いつもと違う朝が来た。
いつもと同じメイクと服装だけど、心は全く違った。
今日も、スチールの机は冷たい。
まるで、嫉妬しているよう。
「いつも、ありがとう」
自分でも驚いた。
机に感謝する私がいた。
昨日、あれから話をした。
キレイになった姿を見て、自信が持てるようになれば店へ来る必要が無くなるからと。
その来ていた時間を使って自分を磨きなさいと。
「こんばんは」
「………どうして………」
「お願いします!!
ここで、働かせてください!!
一晩、考えたけど当分の間、事務の仕事は今まで通りの姿で働いて、キレイな自分になるのはこの店だけにしたいの。
迷惑なのは、わかっています!
でも、一緒に働いたらもっとキレイになれる気がするんです。
お願いします!」
「あなた、相当頑固ね。
―――わかった。
そのかわり、一つ約束して。
事務の仕事は、辞めないで。
事務の仕事に支障が出るようになれば、すぐ店を辞めてもらう。
時間は一日二、三時間。
それが嫌なら、他を当たってちょうだい」
「よろしくお願いします!」
「名前は、ユキね。
話しかけられても、まずは私が相手をする。
私も名前、ユキだから。
無理はしないで、いつでも辞めて構わないから」
そう言われて、二年を迎えようとしている。
相変わらず、事務の仕事は続けているけれど、飽きたというのが本音。
この二年で、私はだいぶ変わった。
自信を持っただけで、性格まで明るく積極的になるなんて思わなかった。
「お疲れ様でした。
お先に失礼します」
スチールの机を残して、会社を出る。
平凡な一日が終わり、楽しい一日が始まる。
店は繁盛してきた。
きちんと雇って欲しいというのが、今の素直な気持ちだ。
「ダメよ、約束忘れたの?」
彼女の返事に迷いはない。
服を着替えて髪もまとめて、最後に紅いルージュをひく。
「初めの頃は、無口で人形さんかと思ったけど、最近はよく喋るようになったな」
「ダメ?
久しぶりに会えたから、嬉しいの」
「よく喋る、ユキちゃんの方が好きだ」
彼女が時計に視線をおくるのを確認して
「ありがとう。
でも時間なのよ、またね」
飲みかけの酒を一気に飲み干し、黒子に戻る。
そう、私は三時間だけのシンデレラ。
第1弾を読んでいただき、ありがとうございました。
第2弾「風見鶏」もございますので、読んでいただけると幸いです。
よろしくお願いいたします。