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不死身の富士見

作者: 芹なずな

学校の屋上が解放されていたらよかったなという願いを込めて

周りには誰もいない。下駄箱も間違えてない。この手紙を間違えて藤枝くんや不破くんに渡してしまうと大変なことになってしまう。「藤枝」「富士見」「不破」よし、大丈夫。聞いたことないけど他学年の富士見くんがいないかも兼ねて学年も確認。よし。

産まれて初めて書いたラブレター。どれだけ書いても書ききれないし、伝えきれないと思ったから場所と時間だけ。

「補習後、校舎裏で待ってる」

 誰が送ったかわからない。自分に宛てたものなのかもはっきりしない。そんな手紙じゃ富士見くんは来ないんじゃないか、いいやきっと来てくれる。そう言える経験をしたのは私だけなんだから。


「まだ中に人が残っているんだぞ!」

 その言葉を聞いて初めて富士見くんが好きなことに気付いた。

 煙とすすが肺を灼いていく苦しみは今もたまに夢に出てくる。校内行事で使った施設で火事があって、居眠りしていた私は置いてけぼりになってしまった、らしい。いろんなものが焦げ付いた鼻につく匂いで目を覚ますと、誰もいない暗闇の中で熱気に炙られていた。

 真っ暗な中で炎だけ目に映っている光景を最初は夢だと思った。こっちに飛んできた火花が頬を焦がしたのに驚いて出ようとした。なのに脚がちょっと火に触れたら動けなくなって、そうなったからこれで最期。のはずだった。

 煙が染みこんで目が痛いし、煙で体が内側から焦がされていく。こうやってじわじわ死んでいくんなら、思い切って煙を一気に吸い込んだ方が楽になれるかもしれない。足も痛いし、指先も痺れてきたから、やるなら早くしないと。

 深呼吸。息を吐ききったら、できるんだよね

 息を吐ききってしまえば、あとは吸うだけ。肺がこの空気で満たされればたぶん死ぬ。怖くて息を吸えなくてもこの地獄みたいな場所なら普通の酸欠よりは少しだけ早く死ねる。かもしれない。

 息を吐くために唇を緩める。苦いとか、エグいとか、そういう気持ち悪い味が口の中に広がる。あと数秒で舌も乾ききってしまうだろうから、すぐに終わらせないと。

今、向こうのドアが動いた気がする。しかも何かこっちに向かって、火を避けながらペタペタ這ってきてる。あの世に連れてってくれる死神ってあれのことかな。嫌だな。

「大丈夫だな。よぉし、伏せて伏せて。煙にめっちゃやられるから。ほらほら、この袋の空気で深呼吸。すっきりするよ頭」

真っ黒な蜘蛛みたいな何かの正体は富士見くんだった。煙の中を這って炎を避けながらここまで来てくれたみたいだ。私を助けに、こんなところまでわざわざ。

 炎や煙で先に進めない私を背中に乗せて、シャカシャカと床を這って行く。富士見くんは大丈夫と言っていたけれど、ここまでくるまでに何回か燃えたらしく制服や体のあちこちから煙が吹いていた。

匍匐前進と四つん這いの真ん中くらいの姿勢なのに、早歩きくらいの速さでよく動けると思う。

煙が薄くなって、目の前がはっきり見える所で富士見くんは私を降ろしてくれた。出口までついていってくれると思ったら、服についた焦げ付きをはたきながらまた炎の方に向き直っていた。

「うっし。もう出口見えるね。もう一回行ってくるからさ、じゃまた」

「またって。まさかあの中にまた突っ込んでくの」

「いや別についてこなくていいよ、めっちゃ暑いし熱いから」

「なんでそんなことするの、死んじゃうよ」

「まだ中に人が残っているんだぞ!」

それだけ言って、富士見くんは床に這いつくばりながらまた黒い空間の中に入っていった。

 黒くなって煙。天井まで届くようになって眩しく目を潰すように輝く炎。危ないと思って止めようとしたけど、ぶつかってくる熱気と振動に押し返されてしまう。目を瞑って、耳を塞げば進めると思ったけれど足が震えて動けなくなかった。

 止めなければ死んでしまう。

 炎に焼かれるのかもしれない。熱に焦がされるのかもしれない。煙で息を詰まらせるのかもしれない。崩れた何かに挟まれてしまうのかもしれない。それともなにか。もっと別の。

 そこまで考えてしまったら足が動いていた。

 あの時の気持ちは、今この時になっても言葉にできない。

 それができたとしても、もう気にしなくていいか。


置き勉を繰り返したり、お小遣いをやりくりしたりして持ち込んだ赤いヒールとかパヒュームとかいろいろ。大丈夫、店員さんと相談したしいろいろ探して一番と思うものを選んだ。人に見られず集中できるようにお化けが出るっていう噂のトイレの鏡で化粧したから大丈夫。やっぱり怖くてちょっと失敗したかもしれないけど、家でたくさん練習したから平気。

一生で一度、こんなにお洒落をするのはこれが最後。体調というか、コンディションは頑張って整えた。髪も肌もつやつやだし、初めてなくらい下地がきれいにのった。ちょっと派手かも思っていたグロスだって、こんなに綺麗に塗れた。

よく、似合ってるんじゃないかな。

こんなことで、こんなにうれしくなれるなんて。

気づいたのはあの火事だとして、いつから好きになったんだろう。初めて目にしたときから、なんとなく放っておけなかったけれどそれで私は人を好きになるのかな。


「うおおおおおお。結べねえぇえええ」

 集会に遅れそうだったから、早歩きをしていると奇声が耳に入ってきた。それが初めて富士見くんとの出会いだったはず。

 その時はどういう訳か知らないけれど、富士見くんのネクタイが真ん中の辺りで裂けていた。裂けているどころか、千切れて元の長さより短くなっていた。 

 千切れた部分を結べばもっと短くなってネクタイを結べなくなるし、ネクタイを結んでから千切れた部分を結べば首が詰まって苦しそうだった。というより、廊下を半分歩いたところで我慢できずに千切ってしまったのを見つけてしまった。

 千切れた部分を唾で糊付けしようとしたのが失敗したのが、あんまりにも滑稽だったから笑ってしまった。笑っておいて、見て見ぬふりもなんだか悪い気がしたので助けることにした。

「これ。あげるから使っていいよ」

「なにこれ」

「裏に両面テープあるから、フィルム剥がして第一のあたりに貼ってごまかして」

「え、ごまかせってこれ。えぇ。紙じゃんこれ、ネクタイプリントして切っただけって」

「そうだよ、バレたらおしまいだね。頑張って」

 あの秘密兵器は役に立ったのか、今になるまで聞けないままだった。

 そういえばあれ女子用のネクタイを印刷したやつだから、柄でバレたと思う。


「よっこいしょ」

 ヒールを傷つけないように持ちながらフェンスを乗りこえるのは大変だったけど、下を覗いたらちゃんと富士見くんがいた。豆粒みたいに小さく見えるのに、屋上から覗いても富士見くんだとはっきりわかるのが恥ずかしいようで嬉しい。

このヒールも一度しか履いてあげられなかったけれど、それでも最期に履くならこれと迷わず選べるくらいいい靴だった。

感謝とお詫びを込めて、ちゃんと揃えて置いておく。

グロスを薄く塗りなおす。制服しか着られないし、スカートの丈も決められない学校でできる精一杯の死に装束。

大丈夫、ちゃんとトイレにも行ったし。頭から飛び込めばまず助からない、と思う。そうじゃないとちょっと困る。

今日この日、この夕暮れに、沈んでゆく太陽と一緒に私も落ちて、富士見くんと。


あの火事の時から富士見くんの回りをうろつく人間が増えた。チョコを贈るなら、彼氏にするなら本人がどういう人間もしらないで身勝手に話す女の子が増えた。富士見くんがどういう人なのか私に聞いてくる女の子もいた、そんなに仲がいいなら渡してほしいと私を頼ってくるのもいた。

 あの出来事がなかったら、いいえ富士見くんが話題になっていなかったら見ようとすらしなかったくせに。

 富士見くんを一番最初に好きになったのも、富士見くんが助けてくれたのも、私なのに。  

 でも、私は富士見くんを好きになった女の子たちの誰かに負けるだろう。女子同士で腹の探り合い、手の探り合いをしている今なら、誰よりも先に私が告白すればほんの少しの間だけでも富士見くんの特別になれたかもしれない。

 その女の子たちの中には私よりかわいい子がいた。頭のいい子がいた。スタイルのいい子がいた。富士見くんよりずっと前から校内で有名になってて、今だって大人気な女の子もいた。お金持ちでたくさん趣味があって、優しくてカッコいい女の子もいた。私にはわからないけれど、富士見くんにはわかる魅力を持っている子もきっといるだろう。

 そんな女の子たちが鎬を削る争奪戦で、私は玉座をいつまで守れるのだろう。

 たぶん。きっと。どれだけ頑張ったところで。

 そこまで考えてしまう癖に、富士見くんが離れてしまうのが怖い。

 やりもしないし、できもしないことを考えるのが辛くなったから剃刀を首に当てた。

 震えて腕が動かせなかったから、首を横に動かすことにしたけれど皮一枚切れたところで止めてしまった。血が滲みすらしなかった。いくら流したところで死ねるわけでもないのにたくさん泣いた。

 涙を流し切って空っぽになった頭から最初に浮き上がったのはやっぱり富士見くんのことだった。富士見くんに告白する勇気はないのに、富士見くんがいるならあの炎の中に飛び込める。

 そんな勇気のどこになんの意味があるのか。

 使い道が思い付かないのが悲しくて、それでまた泣いた。


 一晩泣き明かしてやっと思い付いた。

 そうか。こうすれば良かったんだ。

 

 通学一時間前の電車に揺られること数十分。降り立つのは富士見くんの家の最寄り駅。いつも遅刻気味だけどたまには早く来るかもしれない。とにかくここで、バレないように富士見くんを待つのだ。

 ほら来た。

 まだ。電車が来るまで待たないと。ここで見つかったらダメ。勝負は電車が来てから目の前を通り過ぎるまでの一瞬なんだから集中しないと。


まもなく電車が通過します。白線の内側までお下がりください。


 構内放送も聞こえた。こっちに来る電車も見えた。次の電車は快速だから失敗するかもしれないし、失敗できない。

 小学校のかけっこで一位を取った足を信じてゴーゴー。

 可能な限り荷物は学校に置いていったのに鞄が重い。足の何かが千切れる音がする。

 マズい。少し全力を出しすぎたかも。ううん、こんなタイミング、目の前で逃すより早すぎてズレる方がずっといい。だからお願い止まらないで、どうか誰も止めないで。

 叫びだしたくなるのをぐっと抑える。このままいけばぶつかって一緒に線路に落っこちていける。

 よし、ぶつかった。うっかり目を閉じちゃったけど大丈夫、しっかりと当てられたし。浮き上がるような感じもあった。ちょっと走馬燈というか、地面に落ちてから轢かれるまでがちょっと長いけど。そういうものかもしれない、死ぬんだし。

 なら、最期くらいもう少し欲張っても。そう思ってしまって手を伸ばすと。

「おはよ。やーあぶなかったよ、今の電車特快だからさ通過すんの。ラッキー」

 うん、生きてた。どっちも。私の全速力はふつうに弾かれて終わったらしい。

その後もホームからもう一回落としてみようとしたり、押してダメなら引いてみようと階段で引っ張てみたりもした。火とか火薬の類だけは怖くて使えなかったけど、重い荷物を背負って崖から自分もろとも突き落としてみたり、林間学校の時川に飛び込んだ富士見くんにしがみついて一緒に溺れようとしてみたり。

 何回も仕掛けてみたけど、ダメだった。今のところ傷一つないのは、喜ぶべきなのか。情けないと思うべきなのか。


「いよーし。できたないただきまーす。」

 鍋はぐつぐつと煮えていておいしそうな湯気を放っている。こっそり鍋に味の素入れたから、実際おいしいと思う。

 富士見くんと佐良くんが潮干狩りに行って、取れた貝を鍋で食べるという話を聞いたから、鍋パーティーに混ぜてもらった。潮干狩りについていって、富士見くんと死ねる方法を考えたけど、正直思いつかなかったので一計を案ずることにしたのだ。

 富士見くんが潮干狩りに行く日、私はキノコ狩りに行くことにした。狙いはアサヒタケ。見た目はおいしくて食べられるマビヒダケそっくりだけど有毒。そして毒はゆっくり効いて、食べ終わって寝てる間に死ぬ。

 鍋に混ぜれば二人ともサクッと逝けるんじゃないか。それを可能にしてくれるかもしれないマジカルキノコを知った私は早速実行したのだ。

 クラスメイトの佐良くんも食べるけど毒キノコ食べるのは勝手だし、事故だと思う。

なにはともあれ、初めての手作り鍋。富士見くんには男の子なんだから、致死量くらいさくっと食べてほしい。おいしくなるようにカレー粉も多めに振っておいたんだし。睡眠薬も混ぜておいたから完璧にして無問題。すやすやころり。

 やっぱり美味しい。これなら富士見くんもたっぷり食べてくれるだろう。最期の晩餐、あーんくらいさせてくれてもバチは当たらないよね。

「ぐええええええ」

 なにこれ。

 どれを食べてもらおうか、皿によそった具をつついていたら。佐倉君が鍋に顔を突っ込んでぐつぐつと煮られていた。

 え、せっかくの鍋にどうしてそんなことするの。鍋とかコンロの用意して、貝の殻剥いたり、キノコ切ったり、出汁とか用意して灰汁取りとかしてたの佐良くんでしょ。

 富士見くんに鍋から引きはがされた佐良くんが口から泡を吹いて痙攣している。もうキノコの毒が回り始めたのか。それとも佐良くんがとってもキノコ毒に弱いのか。

 カレーのスパイスとキノコ毒が化学反応を起こしたかもしれないけれど、今はそんなことどうでもいい。

 鍋に毒が入ったときづかれる前に、富士見くんが佐良くんの看病に気を取られているうちに、人工呼吸しようとする富士見くんの唇が佐良くんの唇に触れる前に、早く包丁を背中とか首に刺さないと。

「あ」

 天井と床が溶け始めて、手の感覚がなくなっていく。白く塗りつぶされる視界の中でなんとか手を富士見くんのほうに突き出したけれど、たぶんもう手には包丁なんてないと思う。毒が効いてるんだからこのまま死ぬとして、意識が消えてしまう前に一度でもいい。富士見くんの顔が見られたらいいな。

 

 あぁ、こっちを向いてくれた。やっと。

  

意識が戻ったらしいので、目を開けてみる。富士見くんに死んでもらえたのか分からなかったのは残念だけど、それでも最善は尽くした。暖かいから地獄じゃないと思うし、未練はあるけど後悔はしてないから目を覚まそうと思う。

「ん、おはよ」

「佐良くんも死んだんだ」

 富士見くんでなく佐良くんを道連れにして、儚かった私の恋路は終わりになった。

 のではなくどうやら私と富士見くん、ついでに佐良くんも生きているらしい。

 食中毒で病院に運ばれたのは確かだけれど、原因は私の持ってきたキノコでなくて富士見くんたちが採ってきた貝だったこと、一人だけ毒にやられず倒れなかった富士見くんが適切な処置を二人に行ったこと。私がアサヒダケと勘違いして普通に食べられるマビヒダケを取ってきたこともある。

 うっかりはあれど、だいたい富士見くんのおかげで私は命を長らえたのだ。

 以上、万策尽きた私は最後の計画を発案し、さくっと実行するに至ったのだ。


「はっくしょん」

 ハンカチで顔を拭いたり、手紙を読み返したり、なんかこう下心丸出しでそわそわしてる富士見くんがなんだか可愛くて思い出を振り返るのに熱が入ってしまった。

 夕方の屋上でそんなことのこのこしてるから、見つかるくらい大きなくしゃみなんてしてしまうのだ。こうなったらもう引けない。富士見くんに向って飛び込むしかない。昔からダーツは得意だったから無問題。あいきゃんふらい。

 水泳の飛び込みとか、スカイダイビングの練習とかしておけばよかったかもしれない。少しバランスを崩したけれど、激突するまでにはちゃんと頭から飛び込んでみせる。

 富士見くんに近づいていく速さが、飴のように引き延ばされていく。富士見くんの驚いた顔が視界を占めていく。あぁこれで全部終われる。

 徐々に頭が地面の方に傾いて行って、これならちゃんと頭から落ちていける。気がする。

 お父さんやお母さんのこと。初めて制服を着た日のこと。海で溺れかけたこと。辛いことも、楽しかったことも、悲しかったことも、嬉しかったことも、脳裏に流れては過ぎていく。目の前に映っているのは富士見くんだから、走馬燈も富士見くんのことばかりになっていく。


 長いなと思った瞬間、富士見くんが一気に近づいて。


「ぐええええ」

 頑張って飛び降りたんだけどなぁ。

 また、また私は富士見くんに命を助けてもらったのか。うん、いろいろおかしいと思うけど驚かせちゃったようだからどかないと。なんて言ってごまかそう、それこそ告白とかするしかないかもしれない。

「あのね、富士見くん」

「放課後の誰もいない時間に、誰にも見られない校舎の裏。しかも誰にも知られないように下駄箱で呼び出し。逃げられないように上からマウント。これもしかしてさ」


 産まれて初めてカツアゲしたお金は、ラーメンを帰りに富士見くんとたべるのに使うことにした。

潮干狩りの貝もたまに物凄い毒を持ってるやつがあるので気をつけよう。

磯で拾ったのは色んな意味で食べるの「ダメ。絶対」

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