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作者: かつお

 俺はいろんなことをしてきた。

 喧嘩も悪さもたくさんしたし、恋愛もいろいろとした。

 その中のどれも俺は本気になれず、なんとなく始めて、あとは惰性でこなしていた感じだった。

 日々を流されるままに過ごしている。




◆1

 十一月上旬。気温は下がりに下がってなんとか二桁といったところ。制服のブレザーだけでは、鋭い冷気を防ぎきれなくなった今日この頃。唯一の救いといえば、空は雲という遮蔽物が少なく、遠くながらもサンサンと俺たちを応援してくれる太陽の存在だろうか。というか、本当に地球は温暖化しているのか疑わしく思うくらいだ。いや、まあ、事実的にはばっちり温暖化してしまっているのだが…。

「ちょっと、待ってー」

「早くしないと遅れるよ!」

 先程まで聞いていたIPODをポテンと鞄の上に放り投げて、去っていく女生徒で教室は俺達の貸切となった。先程までベランダの陰に潜めていた体を起こす3人。

 さすがに十一月の気温の中、20分もベランダにいるのはしんどかった。

「あー、っさみぃぃ」

「あと、だるすぎる」

「俺は今日という日をセカンド日曜日と命名した」

 三人は各々に呟きながら、だるそうに欠伸をしたり、手を摩ったりする。月曜日というだけでテンションが下がるというのに、学校外美化活動なんかやられた日にはたまったもんじゃない。

 ちなみに学校外美化活動というのは、主に通学路を中心に練り歩き、落ちているゴミを拾ってくるという、高校時代においてなんの青春も感じられないむなしいイベントである。

「ほんと、テンション上がんねぇなぁ」

「日曜の夜6時のちびまるこちゃんが始まる辺りからの、テンションの下がり具合は半端じゃないよな」

「あー、わかるわかる」

 そんなどうでもいい会話は10分も続かない。

「あ、俺、美化活動終わるまで出かけてくるわ」

「俺は普通にパソコン室でエロ動画観てるわ」

 各々が適当な暇潰しをしに別れる。

「あ、なあ」

 去っていく二人を呼び止める。

「どした?」

「祐二の停学明けるのいつだっけ?」

 二人は指折り数えながら

「お、明後日だ。ったく、あいつもアホだよな」

「ま、でも、いいんじゃないか? あいつらしくて」

「それも、そうだな。ほんじゃ、またあとで」

「おう」

 こうして、教室は俺一人の貸切となった。

美化活動はみっちり三時間はある。どうやって時間を潰すかが問題なわけだ。持ってきた漫画も最初の二時間程度で読み終わってしまう。

「暇だ」

 こんなときに限って睡眠時間はばっちり足りており、昼寝する気にもならない。

「あ」

 俺は丁度手ごろな暇潰しを見つける。女生徒が鞄の上に置いていったアイポッドだ。確か、この席は稲村紗枝の机だった筈だ。彼女の印象は薄い。授業中に発表することもまずないし、部活動で大きな成果を出すとかいったことも

聞いたことはない。

印象の薄さはきっと外見によるものもあるのかもしれない。身長も低いことながら、顔も未だ幼さが残る感じがあり、下手すれば小学生料金で映画館とか

行けるかもしれない。

 そう、だからこそ、そんな印象の薄い奴がどんな曲を聞いているのか気になる。

「NHKみんなのうたとかか? ……やべっ! 似合いすぎる」

 さっそくイヤホンを耳にいれ、電源をオンにする。

「な、なに?!」

 耳に流れてきた曲はNHKみんなのうたなんかではなかった。90年代の名曲『クリスマスキャロルの頃には』が流れていた。その他にも懐メロがチラホラ…。

「意外だった…ってーか、この曲とか俺が生まれる前じゃん」

 と、1人で盛り上がっているうちに廊下から清掃活動から帰ってきた生徒達と思われる足音が聞こえる。俺はアイポッドを元の位置に戻す。

 一番最初に教室に入ってきたのは稲村だった。普段、おとなしい稲村をいじるとどんなリアクションをするかが今度は気になってきた。曲が懐メロだからきっとドリフみたいなリアクションをしたりするかもしれない。  

志村けんばりの二度見をかましたりとか

「よう、キャロ! お疲れさん」

 ポカンと不思議そうに俺を見る稲村ことキャロ。それから、数秒した後に俺を指差して顔を真っ赤に火照らせながら口をパクパクさせる。残念ながらリアクションは普通だった。

「…勝手に聞きましたね?!」

「うん、ごめんキャロ」

 キャロは恥ずかしがったり、怒ったりと大忙しな感じだ。こう、なんていうか小動物が、落ち着きなくチョコチョコ動き回っている感じ。これはこれでおもしろい。

「もう! 私は怒ってるんですよ!! なんでにやついてるんですか?!」

 う、あんまりからかうと、なんかちっちゃい子を虐めてるみたいでなんか良心に良くないかも…と思うのが普通かもしれないが、俺はドSなのだ。

「いや、まあ、なんていうか…ボンバーヘッドとかはなんかテンション上がるよな」

 今度は一転してウンウンと嬉しそうに首を縦に振るキャロ。

「上がらねぇよ、嘘だよ」

 一転して涙目で俺を下から睨み上げるキャロ。やばい、こいつおもしろすぎる!

「悪い悪いって、放課後牛乳奢ってやるから許してくれ」

 ジーっと半眼で俺を警戒するキャロ。

「どうせ、牛乳飲んで大きくなれよ! とか言うんですよね?」

「ぬぉっ?!」

 読まれているだとぅ?!

「それよりも、相沢君、今日、美化活動の時いませんでしたよね?」

 は、反撃か?!

「具合悪いんだったら、早く言ってください。私、保険委員なんですから」

うっ、これは流石に良心が痛む。心配そうに俺の体調を窺うキャロ。っつ、そんなに純粋な瞳で俺を見ないでくれ!!

「すいません」

 俺はペコリと頭を下げる。

「はい?」

「そのですね、こう、なんといいますか、サボりました」

 ちょっと間の沈黙後。

「サイテーです」

 プイっとそっぽを向いてトコトコと自分の席に戻ってしまう。

「なあ、ちょ、ごめんって」

「知らないです」

席に座った後も俺と目も合わせてくれずに、美化活動の記入用紙にゴミの捨てられていた場所や捨てられていた物なんかを、可愛らしい丸っこい文字で記入している。

「あ、ここ俺ん家近くじゃん」

「……」

 俺の言葉は完全にシカト。これは完全にキレてるな…。

「てか、懐かしいな。このキャロらが美化活動してったところとか小学校以来通ってねぇな」

 この辺りには確かでっけえ犬がいたっけ。

「なあ、キャロ。この辺に大きい茶色の毛並みの犬いなかったか?」

 さすがにずっとシカトするのは気に病むらしくキャロは

「いませんでしたよ」

 とそっけなくはではあるけど返答してくれる。

「そっか。カフェって名前の犬がいてさ、学校帰りによくその犬と遊んでたんだけど、もう七年前くらいだからなぁ…」

「その犬ならちゃーんといたよ」

と、ニヤニヤと笑いながらキャロの頭をポンポンと撫でる新島沙耶香。クラスの中でもムードメーカーの役割を果たす元気っ子。いや、悪魔っ子だ。こいつはおもしろいと思ったことにはなんでも飛びつき弄繰り回す奴で、なんていうか俺は苦手だ。同属嫌悪的な感じで。

「キャロ、嘘は良くないよ、嘘は」

「新島さんまでキャロなんて呼ばないで下さい!」

 すると、フフンと意地悪そうに笑いながら沙耶香は

「うーん、どうしようかなぁ、キャロと呼ばないか、それとも今日あった出来事を相沢に黙っているか…選択は二つに一つだよ? さあ、どっち?」

「えっ? あ、えっと、えーっと…」

 目を白黒させながら焦るキャロ。そんなキャロにさらに追い討ちをかける沙耶香。

「はい、残り三秒」

「えっ、えぇぇっ?!」

「はい、時間切れ。相沢聞いてよ、キャロったらさぁ、そのカフェって犬に…」

「わーわーわーっ!!」

手をバタバタと振り、大きな声を出して、沙耶香の告げ口を妨害しようとするがそれも徒労に終わり、キャロが隠したがっていた出来事を知ってしまう。

「マジで?! ぶははははは、カフェに追っかけられて半泣きで逃げ回ってたのか? なんか想像しやすい光景だな」

「泣いてないです! 新島さんも相沢きゅんも酷いです」

「「あっはははははは」」

 俺と沙耶香は同時に爆笑する。このタイミングで噛むとか反則だ。

「相沢きゅんって! 胸キュンみたいだねぇ。なになに? 相沢にMK5なわけ?」

 MK5とは、マジで・恋する・五秒前の略で、一昔前の歌の題名だ。

「もういいです!」

 と盛り上がっているところを切り裂くように突然怒号が飛ぶ。

「おいっ! 相沢!!」

 学年主任の平泉だ。角刈りの頭に180cmを超える長身、隆々とした筋肉の鎧で武装した厳つい先生だ。今まで冴えなかった剣道部を全国大会に導き、さらには彼の受け持つ世界史の担当学年は平均が80越えするという肩書きを持つスーパーティーチャー。んでもって、礼節やらをすげえ重んじるので不良とか俺とかには煙たがられている奴である。

「なんスか?」

 ガシっと制服の襟を乱暴に捕まれ教室から引きずり出される。

「っつ、痛ぇなぁ!!」

 振り払おうとするが体格さもあってか全然振り払えない。そんな様子を心配そうに見ているキャロ。平泉のいきなり乱暴な態度にキレかかっていた頭が冷える。俺は少しだけおどけた表情で笑いながら、キャロを安心させるために軽く手を振った。なんだか、あいつに心配をさせるのは気分が悪い。


◆2

 それぞれの階に一つずつ相談室という札が掛けられた部屋がある。使用用途は基本的には物置扱いで、大きな世界地図や仏像やら建物の写真など、普段の授業ではあまり出番のない道具と進路関係の資料が半々ずつくらい置かれている部屋である。

部屋の大きさは40人が授業を受ける教室の半分くらいであるが、道具がひしめき合っている為にさらに一回り小さい。ドアを開けると衝立があり、回り込んでいくと長机と、それを向かい合って挟むように椅子が二つずつ置いてある。

「座れ」

 平泉は乱暴に椅子を引き、ドカっと腰を落とす。俺はかったるそうに明後日の方向を見ながら

「いや、このままでいいスよ。話あるなら早くしてもらっていいっスか?」

「座れっつってるだろーがっ!」

 長机に思いっきり拳を叩きつけて怒鳴る平泉。このままだと長引きそうなので大人しく座ることにする。

「今日、美化活動に来ずにずっと教室にいたらしいな?」

「…」

「体調が悪かったのか? にしては元気そうだったが?」

「…だるかったんでサボりました。すいませんでした。」

感情もたいして込めずに謝ってしまう。余りの面倒臭さに捨て鉢になってしまったことを後悔する。ここは、申し訳なさそうな演技をした方がさっさと終わるというのに。

 平泉は怒鳴ったところで仕様が無いと思ったのか、はたまた、いくらか冷静になったのか、落ち着いた口調で話し出す。

「他のみんなが頑張って、なんでお前が頑張らなくていいんだ?」

「別に俺、一人いなかったところで大して変わらないじゃないっすか」

 そう、この学校には千人近くの生徒がいる。それだけの人がいるんだから、俺の代わりなんかいくらだっている。

「みんながお前みたいな考えだったらなんも成り立たんというのが分からないのか!」

 教師は正論の元に再び怒号を放つ。

 ああ、確かにもっともな意見だ。

 だけど、そんなものは理想や空想の類のものでとんだ戯言に過ぎない。正論然とした見せかけだ。

「誰もが俺みたいな考えをしたらなんてのは、所詮は空想じゃないっすか。現に美化活動は実現して終了してる」

 教師は俺に呆れたのか溜め息を一つつき、ワンクッション置いてから

「それはお前の視野が狭いからだ」

「視野が狭い?」

「そうだ」

 そのあとは諭すように平泉は語る。

 俺がズル休みすることで他の人間の士気が下がり、同じくズル休みをしてしまう可能性があるそうだ。最初は些細でも蓄積されていくうちに大きくなるらしい。

「じゃあ、士気を下げる俺は要らないっすね」

「あのなぁ・・・逆なんだよ。お前はさ、俺が見る限りだが、気に入った人間には割と仲良く接するだろ?」

「それが何か?」

「クラス全員とかそんなことは言わん。好きな人間の士気ぐらいは下げるな・・・というか楽しめ」

「楽しむ?」

「そうだ。美化活動だって友達と会話でもしながらやったらそれなりには楽しめるんじゃないか?」

 さらに続けるように締めくくりの言葉を紡ぐ平泉。

「視野を広げろ。つまらないものの中からもおもしろそうなことを見つけろ。そうしていくうちに本気になれる何かを探し出せるようになる」

 相談室を出る。なんか、怒られたっていうより最後は励まされたっつーか、なんつーか…。

鞄を取りに教室に入る。教室は遠くから聞こえる部活動の喧騒を僅かに含みつつも、静寂をぎゅっと閉じ込めている。吹奏楽部の練習している演奏が、僅かに喧騒から飛び出して、BGMとなり、耳に心地良い。

オレンジ色した夕焼けの柔らかい陽射しは、窓ガラスを通り、光と陰のコントラスを生み出す。そんな中にキャロがポツンと一人、席に座っていた。

 時計は夕方の四時を刻んでいる。この時間になると、大抵の人間は部活やら帰宅やらで教室はもぬけの空と化す。

 キャロは俺に気付き心配そうに口を開こうとするが、言葉を紡げずにいる。なんと声をかけていいものか悩んでいるようだ。

 ふと、俺は平泉の言葉を思い出す。好きな人間の士気ぐらいは下げるな、楽しめか。

 人各々の解釈の仕方があるだろうから、一重にそれが真意なんてことはいえないけど、周りの気持ちが高まれば自分も気分が良い筈だし、その逆もある。

 まあ、要は、楽しんだもん勝ち、されど、楽しむには周りの力もいるってことだよな。

「うぃっす、ただいま!」

「お、おかえりなさい」

 キャロはペコリとかわいらしくお辞儀する。そのあと、上目づかいで俺の様子を探るように

「あ、あの大丈夫でした?」

「よゆー、よゆー。平泉の説教はなかなか良い話だったよ」

「なんか、平泉先生、相当怒ってたみたいだから心配でした…」

「ありがとな。俺は大丈夫だ」

力瘤を作るポーズをしながらにっこりと笑ってみせる。

「良かったです」

安堵のため息を着きながら、ほにゃっと柔らかく微笑むキャロに、俺はニヤリと意地悪く笑いながら、

「とかなんとか、言って、本当は俺の心配じゃなくて、牛乳おごってもらえるかどうかが心配だったんじゃないの?」

「そんなわけないです!」

「んん〜? むきになるところが怪しいなー」

「もうっ! 本気で怒りますよ!!」

「うそうそ、ごめんって! ジュースでも奢るから許してくれ」

ジト目で俺を疑うキャロ。

「いや、ほんと、イタズラとかじゃないから」

「じゃ、じゃあ、私、苺ミルクが…」

 目を爛々と輝かせ、少しだけ遠慮しつつもおねだりする。

 娘におもちゃをおねだりされてついつい買ってあげる父親の気持ちがちょっと分かるかも。

「っていうかなんだかんだで結局牛乳系じゃん」

「うぅっ」

 キャロは赤面しながらも好きなものは好きだからしょうがないです、とごにょごにょと呟いた。


◆3

「相沢、お前、稲村って子が好きなのか?」

時間は12時10分とちょい過ぎ。いつもよりもキンキンに冷えた空気。雲の陰からこっそりと下を見下ろす弱弱しい太陽。そんな中で俺は祐二と昼飯を食っていた。

 祐二は隣のクラスの同級生で、中学からのツレ。今日、ようやく、停学処分が解けた。停学の理由は煙草所持だ。割と周りの友人が停学処分食らってる中で、自分だけ食らわないのはなんか寂しいとかいう、アホな理由でだ。

 それはともかく停学明け早々の祐二の質問は唐突過ぎる。まあ、こいつの場合は気になったことや心配になったことがあったら、放っておけないという、超が付くほどの世話焼きだからな。今に始まったことじゃないといえばそうなんだけど、一体こいつは何を心配しているんだろうか? 

 俺は少しだけ考えてから

「キャロ…稲村からかうとすげぇおもしれぇけど、恋愛とは別だ」

 楽しい=付き合うとはならない。いや、楽しさの種類にもよるか。俺にとってキャロは友達の楽しさだ。

「そっか」

 残念そうにに軽く溜め息をつく祐二。

「んだよ。なんか不満でもあるのか」

「別に。ただ、きっかけになればと思っただけだ」

「きっかけ?」

「祐一はさ、自分にとってこれだっていうようなものはあるか?」

 これだというもの…。

要は本気になれるものが有るか無いかってことか。そういえば…特にはない。

 俺が返答に詰まっている様子をしばらく伺ってから

「そういうことだ。本気になれそうなことは探せばありそうなもんだけどな」

 それを探すためにいろんなことをしてきた。それこそ、悪さなんかもたくさんしてきた。だけど、俺が本気になれるものはなんにもなかった。

「どうしたもんだかなぁ」

 ここで、祐二の奴に聞いたところで意味はない。これこそ、自分で見つけなければならないものなんだろうな。ま、今すぐにみつけようと思ったところでみつかるわけでもなし、のんびり探すしかないだろう。

 コンビニ弁当のゴミを近くのゴミ箱に捨てながら祐二は、

「さて、俺は午後はエスケープするわ」

「なら、俺も付き合おうか?」

「いや、いいよ」

祐二は手をヒラヒラと振りながら背中を向けて歩き出す。なんだか、難しいというか厳しい忠告を受けた昼休みだった。


 午後の授業は眠い。飯食ったから尚更だ。なんで飯を食うとこんなにも眠たくなるんだ? そういや、なんかで聞いたことあるけど、胃に血がいくかららしいけどよく分からない。

…駄目だ眠い。寝てもいいけど、今は平泉の世界史だ。寝たら後々が面倒臭い。なんか暇潰しは無いか? 辺りをキョロキョロと見回すと…発見!

キャロ隊長が睡魔軍団と徹底交戦中であります!

まずは戦況を分析。キャロ隊長は窓から差し込む日の光を浴びてトロンっとした目をしている。そして、そんな戦場から約五席分の斜め後ろが俺の席。

(くっ、こいつぁ、ロングショットになるぜ)

さらには俺とキャロを結ぶ線上には座高が130はある大西君がそびえたつ。

弧を描くシュートが要求されるが、ロングアーチのショットは苦手だ。

(んだとぅ!?)

筆箱の中身を確認して愕然とする。弾丸の素である消しゴムは僅か少ししかない。生成できる弾丸はおよそ2発。

とりあえず狙いを定めてみる俺。

…駄目だ! 大西君の座高に阻まれ、的を絞れない! 弾丸にもう少し余裕があれば、誤差修正しながら攻撃できるというのに・・・。

せめて、ほんの僅かでも大西君が動いてくれれば、得意の直線的なショットで攻められるというのに…。

(イチかバチかだ)

俺は消しゴムを削り、机に置く。それを定規のしなりを利用しぶっぱなす!!

弾丸は弧を描くことなく真っ直ぐに空気を裂き飛んでいく。

「痛っ」

声を上げたのは大西君だった。被弾した右手を見るために顔と上半身が僅かに傾く!

(そこだっ!)

既に次弾は装鎮済み。

(ファイヤッ!)

放たれた弾丸はキャロめがけ真っ直ぐ飛んでいく! この弾道ならこめかみだ!

が、さらに眠気が強まったのかカクっと頭が落ちる。

空振る弾丸の先には

「痛ったぁ」

沙耶香がいたのだった。

自分の被弾した箇所、視界、周囲の人間の性格から射手を推測したのだろう。奴の背中は語っていた。

分かっているぞ・・・相沢!

奴が定規(得物)を出すのに要した時間はゼロコンマ5秒。弾丸装鎮にゼロコンマ5秒。合わせて1秒で反撃体制を整える。

その手際の早さよりも装鎮された弾丸に目がいく。

消しゴム丸々一個だとっ!?

射撃というよりは砲撃だ。

ドンっと狙いも定めずに後方に砲撃!

奴は後ろに目でもついているのかと思う程の正確性を持ってのショット。

その一撃は確実に俺に当たる筈だったが。

睡魔に抗い、ガバっと顔を上げたキャロのデコにクリーンヒット!

「あイタっ!」

デコを摩りながら何が起きたのか把握できずにいるキャロ。

俺はひたすらに笑いを堪える。

この戦場は俺が完全に制しているぞ。

「相沢、新島、稲村、授業終了後、三階相談室に来なさい」

完全に制していたのは平泉だった。そして、俺ら三人は仲良く教室掃除を一週間やらされることになったとさ。


◆4

 相変わらずに普通に毎日を過ごしていた。ただ、一日一回はキャロをからかって楽しんでいるのが新たに増えた日課だった。

気づけば、十一月も半ばを過ぎようとしていた。体中を切り刻んでやると言わんばかりに冷気は鋭さを増し、布団やらコタツが俺にとっての唯一絶対神だぜといった今日この頃。唯一の救いといえば、この地方は雪が降ることはあまりない。6年前に珍しく積もるくらい降ったきりだ。

そんなこんなで寒さを紛らわすためにもいっちょキャロをからかいにでもいくかと腰を上げたとき、

「あ、ちょい相沢」

「あ? どした」

 沙耶香は周囲を気にしながら手招きで俺を呼ぶ。

「今日の放課後なんだけどさ、時間作ってくれない?」

「? 構わねぇけど、なんかあるのか?」

「実はさ…キャロが臼井から告られるらしいんだよ」

「臼井か…」

臼井という人名が出ただけで話の大まかな内容が把握できる。

臼井智和。整った顔立ちから溢れる爽やかな笑顔でほとんどの女は落ちる。それが、普通に女ったらしならまだ可愛げがあるが、見境なく付き合って速効ヤりまくって捨てる奴だ。

そんな風に扱われた女の末路は二つ。

一つは臼井に貢ぎに貢ぐ金ヅル。

もう一つは壊れる。男性不信、人間不信、表立って公開はされてはいないが、その果ての自殺なんかもあるらしい。

もちろん、そんな有り様を気に入らない男は山の様にいる。だが、あいつ自身もさることながら、臼井のお零れ欲しさにつるむプライド無しのハイエナ集団が行く手を阻む。

一番いいのは関わらないことだが、キャロのことだ話を聞きに行った上で結論を出しにいくだろう。ってか、キャロもあんなのが好きなんだろうか…。

…そういえば、俺、キャロのこと何にも知らない。

「私はあいつ自身のことを教えた上で、行くのを止めたんだけど断るにしろしっかり話して断るってさ」

「そっか」

あいつらしい。ほんとにあいつらしい。

相手がどんな奴でも必ず真正面から向かっていく。眩しいくらいに輝いてる。それに誘われるように俺はキャロの近くにいるんだろうな。

…そして、キャロにはずっと輝いていてほしい。

「で、俺はどうすればいい?」

「私も部活内の選抜が終わったらすぐに行く。それまでキャロの様子を見守ってて」

「わかった」

ホームルーム終了後、キャロはなんだか落ち着かない様子で教室を出る。その後をそっと後をつける俺。

渡り廊下から旧校舎へ行き、さらに階段を上がる。

旧校舎の三階は人通りも少ない。今みたいに掃除の時間であってもさぼられる区域なため賑わうことはまずない。

キャロは物理準備室の前で立ち止まり、ときおり周囲をキョロキョロ見回している。

俺はというと、物理準備室の隣の教室から、ベランダを使って物理準備室に入り込もうとする。

「あ、やっぱ鍵がかかってるか」

窓に鍵がかかっている。

が、ここのセキュリティは甘い。

ベランダにはゴミやら何やらで散らかっている。掃除がほとんどされてないから当たり前だ。その中から針金を折り曲げただけのような簡易な作りのハンガーを見つけ出す。俺もよくやるが更衣室からパクってきて、これで雨の日とか制服とか乾かしたりする。

スライド式のよく見かけるタイプのポピュラーな窓だ。それをグッと押すとサッシとサッシの重なる部分に僅かな隙間ができる。そこからハンガーを通して、鍵に引っ掛けて開ける。

 物理準備室に忍び込み、壁に耳を当てて様子を伺う。丁度、キャロが立っている位置と壁越しの位置だ。

「ごめんね。待たせちゃったかな?」

 どうやら臼井が来たようだ。

「い、いえ、全然待ってないです」

 少しだけ声が上ずっている。結構、緊張してるみたいだ。

「そっか。良かった」

 臼井は笑顔で安堵の表情を浮かべているだろう。なんか、イラつくな。そもそも、キャロもこんな奴の話は聞かずにシカトしとけばいいのに。あいつの人当たりの良さがなんか今になって癪に障る。

「俺さ、なんか稲村のこと好きになっちゃったみたいでさ、付き合ってくんないかな?」

 俺は、なぜだか分からないが知らず知らずの内に拳を強く握っていた。

「ごめんなさい…私、臼井君とはお付き合いできないです」

「は?」

 場に沈黙が流れる。臼井はおそらく断られると思っていなかったのだろう。気づけば握り締めていた拳が解けていた。なんだか、よく分からないけど安心した。

「あはははははっ」

と、臼井が高笑いし始める。

「まさか、本気にしてたのか? 俺が君と付き合うなんてありえないじゃないか」

「どういうことですか?」

「連れの連中との賭けだよ。君がイエスというかノーというかでの賭け。でも、まあ、俺はイエスだったから損しちゃったな」

 臼井の野郎! 俺はたまらず物理準備室から飛び出す。

「あ、相沢君?!」

「てめぇ、あんまなめたことしてんじゃねぇぞ!」

「なんだお前? ああ、稲村の彼氏とかか?」

 彼はつまらなさそうに俺を見る。

「違う…けど、てめえのその態度は気に入らねぇ」

「違うなら静かにしていてくれないか?」

 彼氏とかそういうんじゃないけど、キャロがもてあそばれるのは我慢ならない。

「キャロに謝れよ」

「はあ? 意味わかんねぇんだけど?」

 臼井は先程までポケットに突っ込んでいた手を出す。

「地面に這い蹲って謝れつってんだよ!」

「それはお前だよ」

 臼井は力強く俺に踏み込み、腰元から最短距離の一直線で拳を俺の顎に突き出す。洗練された動作から繰り出されるそれは、まさに磨き上げられた空手の突きだ。  

それを首を捻る動作でかわし、臼井の横っ面に拳を叩き込む。そのまま地面に転がる臼井。昔の感覚は今も尚衰えていないようだ。

「は、空手やってるから自信あったんだろうけどよ。パンチなんざ振って当たればなんだっていいんだよ」

 完全に気を失った臼井の腹を二、三発蹴り込んで意識を浮上させてやる。

「…っぅぅ」

「や、やめてください!!」

 キャロが急いで俺の腕を引っ張り、押し留めようとする。それから、俺の正面に回り込み頬を思いっきりビンタする。パンッという乾いた音が廊下に響く。

「暴力振るうなんて最低です!!」

「悪い。でも、キャロがひでぇこと言われてたから、一言言おうと思ったら向こうがやる気満々になったから…」

 涙目ながらもキッと俺を睨みながら怒鳴る。

「いつ、私がそんなことしてって頼みましたか? 勝手に後をつけてきて、その果てに暴力なんて何を考えてるんですか!!」

「頼まれてねぇけど…心配するのがそんなに悪いことなのかよ!」

 つい俺も怒鳴り声をあげてしまう。確かにやり過ぎたかもしれない。だけど、それは結果で、心配するという過程までも否定されるのは納得できない。

「それは心配じゃないです。なんで、もっと私を信じてくれなかったんですか?」

 返す言葉がない。そう俺は心配していたんじゃない。信じることができなかった。俺自身が何か変な不安に憑かれて、後をつけて盗み聞きや暴力まで振るってしまった。沙耶香が俺に頼んだことは見守ることだった。俺がやったことは見守ることじゃない。よけいなお世話だ。

 心の中がぐしゃぐしゃだ。自分のしたことはよく分かる。でも、行動原理が分からない。友達がやられたからやりかえすとは、また違う。

 気分が悪い。だから、放棄することにする。もう、どうでもいい。

 俺は背を向けて歩き出す。キャロのすすり泣く声が聞こえる。それがまた俺の心をかき乱した。


◆5

 空は今にも泣き出しそうなグレーをしている。そういえば、天気予報によると昼過ぎからどしゃぶりらしい。そんな天気の具合を家の窓から見ていた。

 十一月十日・土曜日の午前八時三十分。本来ならば教室の席に座っていなければならないが、どうもキャロと顔を合わせづらいということからサボってしまった。昨日の臼井を殴った一件は公にはされていないようだ。

むしろ、公にされて停学処分でもくらえば当分は学校をサボる口実になるのにな…。

 ともかく、今はひたすら眠っていたい。起きていると余計なことばかりを考えてしまう。

 次に目が覚めたのは午後十二時過ぎだった。雨のザーザーと屋根を叩く音で目が覚める。いくら、昨日眠れなかったからといってもこれ以上は眠れない。

「腹減ったな」

 一人暮らしが気侭なのはいいけど、実家だと飯、風呂、洗濯なんでも親がやってくれていたから楽で良かったな。

 確か、冷蔵庫は空だった筈だ。面倒くさいけど、買い物に行こう。

 財布をポケットに突っ込み、ダウンジャケットを羽織って外に出る。

 そこには沙耶香が俯き加減で立っていた。妙だ。学校はまだ終わっていない筈だ。

「……のよ」

 声が震えていてよく聞こえない。

「どした?」

「なんで、なんで学校に来ないのよ!!」

 上げた顔は涙と怒りと混乱が入り混じっている。いつも元気でかつ落ち着いているこいつらしくない。現状が把握できない。

「俺が学校に来ないとなんか困るのか?」

「キャロが、いじめにあってる」

 燻り出した火の粉が、今にも燃え上がらんとするのを必死で抑えながら、沙耶香に詰め寄り話を聞きだす。

「誰にだ?」

「一部の女子」

 それだけで全てが納得できる。事の発端は昨日の出来事だ。

 俺は沙耶香を押しどけて走り出す。降りつける雨は氷のように冷たいが、そんなものでは俺の頭は冷えない。

 臼井がけしかけたのか、はたまた、一部の女子が暴走したのかは分からない。だが、どちらにせよ、臼井をぶっ倒せば話が早い。

 臼井をぶっ倒すことで臼井が命令を下しているのならば、それで終わるし、女子が勝手に暴走しているのなら、これ以上やるなら臼井をさらに痛めつけるとでもいえば、静かになるだろう。

 校門を潜る。まずは臼井を探さなければ…。

 教師に対しての外面は良いあいつのことだから学校には来ている筈だ。時間は十二時半。授業が終わってホームルームの時間だ。ともすれば、教室に行けば…。

 と、正面玄関を潜った廊下には五人の男子生徒の姿。俺の顔を見てニヤリと笑って、近づいてくる。

「相沢、臼井さんから…」

 相手が言葉を遮るように駆け出し、飛び上がって横っ面に蹴りを叩きつける。それで一人崩れ落ちる。そこで他の連中もようやく構える。着地するか否やの状態で近くの奴の胸倉を掴んで、そいつの顔面に頭突きを叩き込む。ぐしゃっと、鈍い音と共に血を流しながら崩れ落ちる。

 そこからはくるりと180度背を向けて駆け出す。

「野郎っ!!」

「逃げられると思ってんのか!!」

「待てこらぁ!!」

 20m程走ってから、角を曲がったところで待ち伏せ、後を追ってくる先頭の奴の腹に拳をぶち込む。体が九の字へと曲がったところで相手の両耳を掴み、下に引き寄せて膝蹴りを顔面に突き立てる。

 残りは2人。じりじりと2人は俺を前後で挟むように立ち位置を変える。距離は2m弱。

「だらぁぁーーーーっ!!」

 前方から一人が殴りかかってくる。ゾリっと俺の頬を相手の拳が削いでいく。

それから一秒に満たない時間差で、俺は巻き込むように握り締めた拳をそいつの頬に叩きつける。吹っ飛ばされ壁に叩き付けられ、ズルリと壁に寄りかかったまま崩れ落ちる。

振り返ると同時に鼻の中がジンっと熱くなり、血がボタボタと滴る。続けざまに頬に拳が迫る。ギシギシと歯を食いしばり、ギチギチと首に力を入れて、ゴンっと頬で拳を喰らいながらも受け止める。

相手の伸びた腕を左手で掴み、右手は胸倉を掴む。そ思いっきり引き寄せて、相手の脹脛辺りを思いっきり自分の足で刈り、地面に叩きつける。

まともに受身を取れずに背中を強打した相手はゴホッと苦しそうに肺の中の空気を吐き出す。そのままマウントポジションで相手に跨り、髪の毛を引っつかむ。

「おい、臼井の奴はなんだって?」

「っぅう、相沢が来たら適当に痛めつけとけって…」

「で、その臼井はどこだ?」

「今の時間なら旧校舎の三階の空き教室に…」

「そうか、ありがとなっ!」

 そいつの腹を踏みつけてから、旧校舎の三階を目指す。

 渡り廊下を渡り、階段を駆け上がって、旧校舎の三階に辿り着く。

 辿り着いた廊下で見慣れた後姿を見つける。

「キャ…ロ…」

 俺の呟きは思った以上に大きかったらしく、キャロは振り返る。

「相沢君?! その怪我は」

 駆け寄ってくるキャロ。

「なんで、お前がここにいるんだ?」

「昨日のことで臼井くんに謝ろうと思って…」

 意味が分からない。謝るのはあいつだ。

「キャロが謝る必要ないだろ」

「だって、私の断り方が悪かったから、臼井くんは気分を悪くしちゃって、それで、相沢くんと喧嘩しちゃったから…」

 意味が分からない。なんで、こいつは他人の心配ばかりしているんだろう。今、いじめられて辛いのは自分の筈なのに。

「それより、相沢くん、その怪我どうしたの?」

 顔は殴られた青アザや鼻血で彩られている。

「昨日のことに関係してるの?」

心配そうに俺を覗き込むキャロの瞳は涙で潤んでいる。ハンカチを取り出し、顔についた血を拭う。

「相沢くん、ごめん…ごめんね」

キャロは加害妄想してしまう節があるんだと思う。どこか自分にも原因があるんじゃないのか? とか、自分がもっとうまくやればといった気持ちが強く出てしまうんだろう。

そして、自分の中でどんどんと溜め込んでいってその重みで潰れてしまう。

 俺はキャロの頭をポンポンと撫でる。

「お前はなんにも悪くないから」

 ポロポロと泣き出してしまうキャロ。

キャロがどこで誰とどんな風に生きてきたかは知らないけど、今まで、誰もキャロがここまで自分を責めて、溜め込んでいくなんて気づかなかったんだろう。

たった一言、お前は悪くないって言ってやれば溜め込むこともなかっただろうな…。でも、今回のようなが起きたことでキャロのそんな面に気づくことができたのは大きい。

…さて、あとは臼井の奴をぶっ飛ばして終わりだ。

俺は立ち上がり空き教室に向かう。

 歩き出そうとする俺の腕がぎゅっと掴まれる。

「駄目…喧嘩しないで」

 それは無理だ。ここまでやられて黙っていられる程、お人好しにはなれない。

「それは無理だ。それに、このことはもうキャロには関係ない」

 俺はキャロの腕を振り払って歩き出す。

このことはもうキャロには関係ない。きっかけはどうであれ、あいつは俺に喧嘩を売り、そして、俺は買った。キャロに何かを言われる筋合いも何もない。

「駄目!!」

 今度は俺の行く手を阻んで止めるキャロ。

「もう、お前は関係ないんだ。だから、どいてろ」

「暴力は駄目!!」

 痛い思いをするのも、痛い思いをさせるのも全部は俺と臼井の間だけのことだ。キャロは何にも感じることもない筈なのに、なんでここまでして俺を止めたがるのだろうか。

「どけよ!!」

 語調を鋭くして睨みつける。ここまで強く言わなければキャロは退かないだろう。

 が、キャロは一瞬ビクンと体を竦めたが、退こうとはしなかった。

 キャロが俺を止める理由が分からない。それに、ここから先は今まで平穏に生活してきたであろうキャロが踏み込むには汚すぎる。そんなことに関わる必要もないし、関係もない。分からず屋のキャロに腹が立つ。関わらせたくないっていう、俺の気持ちをなんで分かってくれないのか。

「どけっつってんだろ、犯すぞ!!」

「いいよ、別に…」

 そう言って、キャロはブレザーを脱ぐ。

「お前、何して…」

「だって、服、邪魔でしょ…」

 震える手で、涙で目を潤ませ、ブラウスに付いたリボンを解き、ボタンを一つずつ外していく。

「何してもいいから、だから、暴力だけはやめて…」

「っ!!」 

俺はキャロの腕を掴んで、服を脱ぐのを止める。

「分かった、分かったから、もうやめてくれ!!」

「私は、相沢くんが嫌いな人と同じことやってほしくないんです!!」

 何かに耐えるように自分の腕をぎゅっと握りながら、涙ながらに語りだす。

 自分が片親だということ。

 父親の酒乱による暴力で家族がバラバラになったこと。

 その父親に生まれてこなければいいとまで言われたこと…。

 世界で一番嫌いな人。お父さん。

 俺にそうなるなというキャロ。

 本当に哀しそうな顔で、辛そうな顔で…。

 思い出すことでさえ辛いことを俺に話したということは、つまりは、俺に信頼を寄せてくれたということ。

キャロは俺の瞳をじっとみつめる。

今にも泣き出しそうな弱く脆い瞳でじっとみつめる。

俺はキャロの瞳をみつめて誓いを立てる。

「信じろ。二度と暴力は振るわない。約束する」

 キャロは浮かんできた涙を拭い、力強く頷く。

「臼井のとこにはいくけど、話し合いだけだから、キャロは先に戻ってろ」

「私も…」

 キャロの言葉を遮る。

「沙耶香が心配してた。沙耶香のところに行っといてくれ、んで、終わったら教室に行くから…」

 キャロは心配そうな視線を俺に向けつつも、頷いて旧校舎から立ち去る。

 俺はキャロとの誓いを胸に空き教室の扉を開けた。


◆6

 何発殴られたのだろうか。とりあえず、20発辺りからは数えるのがしんどくなってきた。

「相沢、いや、東海帝王と呼んだほうがいいか?」

 懐かしいあだ名だ。中学のとき、ひたすら喧嘩と悪さに明け暮れてた頃、気づいたら、この辺りの誰にも負けてなかった。それでついたあだ名が東海帝王。

 腹に蹴りが叩き込まれる。グエッと無様に呻いて床に転がる。

「その東海帝王さえ、俺の前ではこの様だ。この前はちと油断してたが、これで実力差ってのが分かっただろう?」

 優越感に浸った顔に、見下した視線。すげぇ気に食わないが不思議と頭はクールに冷え切っている。俺の目に映るのは、誓いを立てたキャロの瞳。

「は、実力差? そんなへなちょこ攻撃なんざ効いちゃいないんだよ」

 蹴りが腹に叩き込まれる。

「がぁっ!!」

もう一発腹を蹴り込まれる。飯を食ってなくて良かった。食ってたら確実にぶちまけてた。

だけど、全然痛くなんかなかった。もしも、痛いのがあるとしたら、キャロとの誓いを破ることだ。

俺は一度キャロを信じられずに、後までつけた上に暴力まで振るって余計なお節介をしてしまった。あいつの怒った顔と泣いた顔見る方がよっぽど堪える。

「なんだよ、その目。立場ってのが分かってないのか?」

頭を踏みつけられる。

「にしても、稲村って女もバカだよな。俺に媚売っておけば静かな学園生活を送れたのにさ」

 踏みつけられている足を払って、ゆっくりと立ち上がる。体中が立つだけでギシギシと悲鳴を上げているが、そんなものは全部無視して立ち上がる。臼井程度なら難なくぶっ殺すくらいの力は残っている。

―――信じろ。二度と暴力は振るわない。約束する。

 握り締めた両拳を床に叩きつける。それから、

「頼むから、稲村にちょっかい出す女共を止めてくれ」

 と懇願する。

「あっははははははは!! 何何? あんな普通の安っすい女に惚れ込んじゃってるわけ?」

 心底おかしいという具合に高笑いする。その高笑いに対して、さらに高笑いが重なる。

「ほんっとにおっかしいな。あの無気力脱力だった東海帝王がこんなに必死になるなんてなぁ」

 いつの間にか臼井の後ろには祐二が立っていた。

「なんなんだ?! てめえはよぉ!!」

 鳩尾に最短一直線の突きが臼井から放たれる!! それを、払ってから臼井の顎先を祐二の突きが打ち抜く。ガクっと膝が折れたように体勢を崩したところへ、定規で線を引いたかのように、スーッと祐二の足が臼井の顔面に吸い込まれるように一直線!! 臼井は地面に叩きつけられて転がり、軽く呻いて起き上がらない。

「よ、イケ面。すんごい化粧してんなぁ」

「うるせぇよ」

 ヨロヨロとだが、なんとか立ち上がる俺に手を貸す祐二。

「にしても、お前変わったなぁ」

 祐二は俺を見てニヤリと笑う。

「どこが?」

 変わったのは殴られて血まみれの顔とかぐらいだと思うが…。

「退屈を紛らわすために喧嘩や悪さばっかして、仕舞いにはそれさえも惰性でやってたお前がさ、自分から喧嘩おっ始めるんだもんな」

 そう言われてみればそうかもしれない。夢中で何にも気づかなかった。

「初めて何かに本気になったってことだな」

 祐二はニヤニヤと俺を見ている。

「な、なんだよ、ニヤニヤして気持ち悪ぃな。っていうか、俺が一体に何に本気になったって言うんだよ?」

 ぷっと吹き出してから、大笑いする祐二。

「くっ…はははは、照れるな照れるな!! 本当は気づいてるくせによ」

 なんなんだ、こいつの今日のウザさは。

「さてと、さっさと行ってこい。教室っていう宝箱に入った宝石を取りによ…つってな、だっははははははは」

 自分の臭い台詞にか、怪我だけじゃなく顔を真っ赤にしているであろう俺の顔に対してか分からないが、大笑いしながら祐二は俺に背を向けて、手をヒラヒラと振ってどっかへ行ってしまう。

 まぁ、後で祐二は殴っておくとして、今は教室で心配している宝石のところに行くとするか。


◆7

 土曜日の午後一時を三十分も過ぎれば教室には人影はまったくなくなる。大抵の生徒はすぐに帰宅して週末を楽しむか、昼飯を済まして部活動に勤しむってところだ。隔週で午後の特別講義なんかもあるけど、今日は確か講義は無い日だ。そのせいもあって校舎内はほとんど空っぽに近い。

あれだけ、降っていた雨も今は止んで、雲を透かして僅かではあるが日が照り始めている。

そんな中、俺はというと更衣室に忍び込みジャージを拝借する。というのも、私服のまんま学校まで来てしまったため目立つ格好は避けようと考えたからだ。ただでさえ、俺に絡んできた五人の姿が発見されて軽い騒ぎにもなってるから尚更目立つワケにはいかない。

それから、水道で血を洗い流す。青アザや小さな裂傷のせいで、傍から見ても明らかに喧嘩してきましたって感じだ。でも、血を洗い流した分、幾分はマシにはなっただろう。

それから、教室へ向かう。

ガラガラっと教室の扉を開ける。

キャロと沙耶香が一斉にこっちを見る。

「…ただいま、約束はちゃんと守ったぞ」

 なんていっていいかよく分からないので、ともかく適当なあいさつをしてみる。ついでにブイっとピースサインもしてみる。

 すると、キャロは走り寄ってきて、俺に体当たりするように抱き着いてくる。

「うぉぅ、痛てぇよ、イテェって…」

「大丈夫? 相沢くん大丈夫?」

 正直、傷の痛みやら、抱きつかれていることやらで、いろいろと大丈夫じゃない。

「あー…私はちょっと、傷薬やら絆創膏をもらってくるね」

 沙耶香は教室を後にする際に軽くウインクして親指を立てていく。

 それからは、大丈夫? と、大丈夫!! の応酬を5回程繰り返してようやくキャロは離れてくれる。

「相沢くん…ご――」

「チョーップ!!」

 ゴスッとキャロの頭にチョップを食らわす。割と加減を間違えて強めに打ってしまったせいか涙目でうらめしそうに俺を睨むキャロ。

「うぅぅ!!」

「あ、悪ぃ。でも、あれだ、お前が謝ろうとしたのが悪いんだからな?」

「でも、私のせいで――」

「チョチョーップ!!」

「ダブル?!」

 ゴスゴスっと頭に両手でチョップする。

「キャロ、言ったろ? お前は悪くないって。っつーか、加害者ぶられたらこっちが迷惑なんだからな」

「でも…やっぱり」

 どこか納得できないでいるキャロ。これはなかなか筋金入りだ。

「よく考えてみろよ。今回の件で、俺が怪我したのも、喧嘩したのも、一番の原因は臼井だろ? お前が気に病む必要はないし、気に病まれたところで俺のテンションが下がるだけだ」

 弱弱しくだがキャロは頷く。

「でも、私はどうすればいいんですか?」

 いくらかは納得しても、申し訳なさのようなものが心に残ってしまうんだろう。

「私は、相沢くんのために何をしたらいいのかな…」

 呟いて考え込むキャロ。キャロに俺がしてほしいことなんかただの一つしかない。

「笑ってろ、お前は笑ってろよ」

 キャロは一瞬戸惑った後に、ニコッと極上の笑顔を浮かべた。

 ドクンっと爆発したかのように心臓が高鳴る。

 殺人的な笑顔だ。かわいすぎる…。

「あれ? 相沢くん、顔が真っ赤ですよ!! もしかして、傷の所為で熱が?!」

 確かに傷の所為だ。キャロにハートを射止められた傷の所為だなっと、頭の中に祐二が臭い台詞を吐いてから、高笑いする姿が何故か思い浮かぶ。

 これでも今まで女の子といくらか付き合ったりしてきて、充分免疫はある筈なのに…。

 …なるほど。祐二の言ったことは間違いじゃない。俺は、本気で女の子を好きになったんだ。

 今までの恋愛は適当だったり、中途半端な気持ちで付き合ってきた。つまり、俺にとってのキャロは多分、初恋なんだ。

「傷は別に大丈夫だ。こんなの舐めときゃ治る程度のもんだ」

 必死で気持ちを落ち着ける。平常心平常心。

「そうなんですか?」

 なんだか、キャロまで顔を真っ赤にし始めた。それから、グッと決意を秘めた目でこっちを見て、顔を近づけ…

 そっと、唇を重ね合わせる。

「い、痛いのなくなりましたか…」

「あ、ああ…」

 2人して顔を真っ赤にしてる中、ガラガラっと教室のドアが開けられる。

「傷薬もらってきたよ〜…って、何、2人とも顔を真っ赤にしてんの? はは〜ん」

 ニヤリと笑いながら、俺らを交互に見た後

「いろいろ、えろえろだったのかな〜」

「沙耶香っ!! んなわけあるか!!」

「そ、そうですよ、相沢くんにキスとかしてないです!!」

 墓穴を掘る人一名。

「ば、バカ!! キャロ、お前!!」

「ああっ!!」

 口を押さえて動揺するキャロ。それを見てさらにからかいに拍車をかける沙耶香と、とことんからかわれる俺ら二人。

 ようやく、日々の中で本気というものを知り始めた俺。

 ようやく、溜め込んでいた余計なものを降ろせるようになり始めたキャロ。

 俺たちは一味足りない料理だ。

 だから、互いにエッセンスを加え合う。

 そうして、ようやくちゃんとした料理になるのだ。

 俺たちの日々はこれから始まる。




エピローグ

 十二月の二十四日。クリスマスイブ。

 恋人達には外せない重大かつビックなイベント。

 街は凍てつき凍える寒さなどものともせずに、キラキラとネオンとラブラブな熱気が漂っている。いや、恋人のいない者はいろんな意味で寒さに打ちひしがれたりしてはいるが…。

 まあ、俺には関係ない。キャロがいるし。

 約束の時間は午後六時だ。ちなみに今は午後五時五十五分。あと、数分もすればキャロが家に来ることになっている。

 ピンポーンと呼び鈴が鳴る。

 この時間に俺ん家を訪ねてくる奴に心当たりはない。

 がちゃりとドアを開けると、

「メリークリスマス、雄一ちゃん」

 母方の妹で、祥子さんだった。俺にとっては叔母にあたる人だ。

 何にせよ意外な人だ。

「ごめんね、突然なんだけど明日までこの子預かってくれないかな?」

 確か今年で七歳になる咲子ちゃんだ。っつーか唐突過ぎるだろ?!

「あ、これ、おこづかいとか必要経費とかに使って頂戴ね」

 握らされる二万円。

「じゃあ、いい子にしているのよ。雄一君のことはパパだと思って、言うことを聞くのよ」

「はい」

「ちょ、まっ、祥子さん?」

 ドタバタと祥子さんは言いたいことを言って去っていってしまった。

 それから、入れ替わりでキャロが家に来る。

「メリークリスマ…あれ? その子どうしたんですか?」

「ああ、咲子ちゃんっていうんだけど…」

「パパ…お腹空いた」

 トンデモナイことを言う咲子ちゃん。

 それを真に受けてしまうキャロは…ブチ切れる!!

「最っ低です!! まさか子供作っているなんて知りませんでした!!」

 キャロの怒りは頂点を超え、しまいには涙目になっている。

 それを不思議そうに見つめる咲子ちゃん。

「ちょ、キャロ待て、おい!」

 家から出て行こうとするキャロを止めようとするが、それを振り払って出ていてしまうキャロ。

 とんだクリスマスプレゼントが家に届いてしまった。

「クリスマスにサンタじゃなくて、コウノトリ祥子さんが来ちまったってか…笑えねぇ」

 苦笑いとキャロが出て行ったドアから吹き込んだ冷気だけがその場に残っていた。


Fin





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