死でもなく生でもなく。
「あんたー!ご飯よー!」
親の声が聞こえた。
どうしよう。
そう考えるもこれはアインシュタインでさえ解決できない問題な気がする。
朝起きたら自分じゃない誰かになっていた。
しかもそれはどこかで見たことがある人で……。
なんてただのファンタジー小説だ。
正直にわからないふりをして下に行くか…。
というかそれしかないよなぁ。
俺は仕方なしに階段を登り、二階にある食卓兼リビングへと向かった。
「あぁ…。」
先程までは俺の声だったはずの喉から絞り出される空気の震えも、全てが俺じゃない美少女だった。
その声は美しくも低く、力強いアルトの声。
高い声が自分の小さな細い首から出て行く感覚が、物凄く怖かった。
違和感を通り越して怖かったのだ。
LINEや何かでよく乗っ取りがどうとかあるけど、自分の体のパスコードを知られて、完全に乗っ取られたような恐怖だった。
身体の支配権こそ俺にあるものの、このまま容姿のように俺のこの意識でさえも全て乗っ取られてしまうのではないかと思ってしまう。
階段を踏むごとに、恐怖が倍々になって行く。
食卓兼リビングが見え始め、俺の心臓はいつもの2倍以上の速さで鼓動を打っていた。
階段の最後の段を踏み終わり、恐る恐る食卓兼リビングのドアを開けた。
どうしよう。
どうしようもできない。
殺される直前の死刑囚より、ずっと恐怖を感じているのような気がする。
「お…かあ…さん。」
声を出すことすら怖くて怖くて、心臓はバクバクしている。
「は?」
案の定お母さんの驚愕の声が聞こえた。
当たり前といえば当たり前すぎるけれど。
俺だということを知ってもらわなくちゃ困る。
嗚呼どうしよう。
「お母さん…俺…なんか…その…」
「誰だ!?」
お母さんの声が俺の声を遮る。
警戒心マックスの声。
何を言えばいいのかわからず、俺はどうでもいいことを口走ってしまった。
「まって。俺は俺だよ。お母さん。お母さんの好きな食べ物は明太子で嫌いな食べ物は…トマトだ!それで…」
「なんでそんな事を知ってるわけ!?!?」
お母さんはパニックになるのが早い…と思ったが当たり前か。
自分の子供の容姿も性別も一気に変わって、それなのに自分の好き嫌いを当てられるなんて、俺でもたまったもんじゃない。
もうなんだか諦めかけていた。
「でてけ!!!いつ私の家に入った!!!!」
まるでゴキブリを追い出すかのような邪魔者を見る眼差しに、「大好きだよ…お母さんはあんたのことが大好きだ…」と言ってくれたことを思い出す。
「でてけ盗っ人!!!アルビノ!!」
お母さんは元からアルビノに偏見を持っていた。
確かに俺の今の容姿は完全にアルビノだからその点に加えてもあれだ、嫌われる。
嫌われる以前の問題だけどね。
そんなことを頭に残して前を見た。
お母さんがすごい形相で走ってくる。
え。
は?
その手にはキラキラと銀色に光るものがあった。
包丁!?
目の前に包丁がどんどんと寄ってくる。
後ろは壁だ。
どうしようか。
これもまた同じでどうしようもどうしないも無く。
迫ってくる包丁を避けるしかな…
包丁の刺さる音がする前に、俺の体…いや、誰かの体は意識を失った。
「アル!?アル!!ミル!!!アルがいる!!!アルが!!…アル?」
最後の最後、俺の耳に残ったのは誰の声ともわからない、謎の声だった。