第2西暦
「おい……こいつも感染してんじゃねぇかよ……。」
冷たい鉄の壁に僕の姉の声が響く。
長く白い髪の毛と優しそうな緑の瞳に反した口調は、どこか僕のお母さんに似ていた。
この暗い地下室でたった2人だけ、まともな声を出せる人間がいる。
それは、ミル・スミスと僕……ラル・スミス。
第1西暦3705年生まれ、17歳。
僕らは3つ子の姉妹だった。
だった、というのは2年前末っ子のアルが感染症で死んだからだ。
アルは両親の死を境に狂い始め、この地下室から脱走し感染症に感染して死んだ。
正直なところ自業自得な死に方だったが、アルが死んですぐは僕の姉も僕も物凄く悲しんだ。
唯一この地下室で元気な人間だったからだ。
それに、両親が死ぬまでは1番頭の切れるやつだったし、1番優しいやつだった。
もう彼女に対する未練は全くないが。
死に対する考え方がここ最近で一気に変わってしまった。
今までは遠く感じていた「死」は今ではもう隣人どころか肉親ほど近くに来てしまっている。
「お姉ちゃん……その手袋外すなよ……。」
この感染症はありとあらゆる方法で僕らの安全な居場所を奪いに来る。
飛沫感染、経口感染、接触感染、空気感染、その他諸々……。
その感染方法の多さからアルは「空気アレルギーかよ……」とよく呟いていた。
実際この感染症に感染すると、空気から何から、すべてのものにアレルギーを発症してしまう。
アレルギーを発症すると、目が美しい紅になる。
そして、声はか弱いソプラノのような音になり、症状が悪化するにつれ声を出すことすら困難になってしまうのだ。
僕も今までに沢山見てきた。
食べ物を食べることだってできないし、飲み物を飲むことも出来ない。
だって、アレルギーが出るから。
だから、発症すれば致死率は100%。
そのアレルギーの症状が酷ければすぐ死ぬし、湿疹程度の軽いものであれば苦しみながら少しの間だけ生きることが出来る。
まあ生きれても安楽死を求める人がほぼだけど。
「ミルはさぁ……こんな所にいて楽しい?」
ふと出てきた疑問の言葉だった。
今まで、第2西暦に入ってから、心から笑ったことなんて数える程もない。
唯一笑えたのは……何だろう。思い出せもしない。
辛いことは覚えてるのに、楽しいことは覚えてないもんだなぁ……。
僕はギリギリ第1西暦生まれだけど、ここには愚かにも第2西暦に生まれてしまった子達もいた。
その子たちが死ぬ瞬間がとても苦しそうだったのを覚えている。
「楽しい訳ねぇだろ……。」
「そう……だよなぁ……。」
ああ。
当たり前のことだ。
なのになんで聞いたんだろう。
僕もアルみたいに狂っちゃうのだろうか。
なんだかすごく怖くなった。
「外に出たいと思わないの……?」
まだ生きていると思われる感染者に無理矢理水を飲ませながら言うのはなんだかその人に申し訳なかった。
「あいつみたいな死に方はしたくねぇからなぁ……。だが防護服が出来たら直ぐにも出たいけどなぁ……。」
姉は感染者の湿疹だらけの体に毛布をかけながら言う。
もう自分の名前も言えないんだなぁと思うとここにいる生きているであろう感染者5名が可愛そうでならなかった。
「逆に聞くが、お前はどっかに行きたいのか?」
行きたいのか?と聞かれたか、逝きたいのか?と聞かれたのか。
わからないけれど、僕は逝っていいから外に出てみたいと思ったことが年に数回ある。
「そりゃあ出たいに決まってるよ。僕、今までに何回お姉ちゃんの奇術使われたことあるか分かってる?」
姉は「奇術」というよく分からないものを使うことが出来る。
今まで何回も姉の奇術で半殺しにされてきた。
「ははは……確かにな……。あたしの奇術が役に立つ時なんてこれくらいしかないからなぁ。」
姉の少し悲しそうな声が胸に刺さり、私も力ない笑い声をあげるしか無かった。
「奇術、あんまり僕もわかってないんだけどさぁ、あれ、結局どういうものなの?」
今まで聞いたこともなかったが、少し気になった。
というよりかは姉と話す口実が欲しかっただけか。
姉は僕を見ながら少し考える素振りをする。
「そうだなぁ。教えてやってもいいけど難しい。正直なところあたしもあまりよくわからずに使っている状況なんだ。」
「えっ。お姉ちゃんも理解できないってどんな代物?」
姉は相当頭がいいから、少しというかそれなりに気になった。
「奇術って言うのはさぁ、結局は科学らしいんだ。このイカれた世界に夢の国は無いらしい……。あたしが使った奇術、覚えてるか?」
お姉ちゃんに使われた奇術は全て氷を操るものと金属を操るものだった。
あれをどうやって科学的に使うのだろうか。
今から1000年前に「ターミネーター」とか言う映画があったらしいと聞いたことがあったけど、あの技術はその500年後には完成していたらしい。
だからもう科学はそんな感じに「科学的に」頭お花畑を再現しているのだろうか。
疑問が次々と頭を飛ぶ。
「氷と……金属を使ってた。」
「そうだ。あたしはそのふたつを操ることが出来る。氷は簡単。体内の水を全て圧縮して一時的に指先に集める。そしてそのコピーを作る。だから、体内の水が物差しで、物差しの長さが限度ってこと。」
姉はふぅー……と長すぎる息継ぎをし、続きを話す。
「んで、その水を解凍時の死ぬほどに冷やされた爪先から出すだけ。爪先の温度はあたしには分からないけどそれなりに……というか物凄く冷たいんだろう。冷たいの領域を超えているのかもしれない。」
ふーん。
単純な話だった。
なのに何故姉は理解ができないのだろう。
いまから300年前くらいでも出来そうな、ほんつっとに単純なものなのに。
体内の水のコピーを作って、発車途中で凍らせる。それだけ。
誰でも氷を操ることが出来そうなのに。
何故か僕にはできた試しもやろうとした試しもない。
何故だろうか。
いや、普通に考えてコピーを作るとか、指先に全ての水を貯めるとかは出来ないはずなのだ。
だってそれは機械がすることだから。
物質のコピーも、物質の物理学に反した圧縮も、もう出来ている。
けれど、それは機械を使った時の話で、人の体内でそれを行うなんてまだまだずううぅっっとさきの話のはずなのに、何故姉がそんなことが出来るのだろうか。
「お姉ちゃん。」
続きを話そうとする姉を止め、聞いてみた。
「なんでお姉ちゃんは機械にしかできないであろうことが出来るの?」
「ああ、まだ話してなかったか。」
僕は姉に慈愛の目で見られたような気がした。
何だろう。この先に何があるんだろう。
病人の世話なんかどうでも良くなってきて、僕は姉のそばへ駆け寄ってみた。
「おい……。3番の調子、見といてやれ。」
さっきから何も言わず……いや言えずにつらそうな紅い瞳で訴えかけてくる3番は見るに耐えられなかったが、それよりも姉が気になっていた。
ごめん、3番。名前ももう分からないのにね。
「それで……なんてそんなことが出来るわけなの?」
「……」
姉は黙りこくった。
姉の真剣な目つきはなんだかんだ言って怒られる時か病人の世話をする時しか見た事がない。
そんなに重要な話なのだろうか。
「……あたしらの」
姉の言葉を遮ったのは、大きな大きな、化学反応の音だった。