勘違いには気が付かない - リーリア -
気が付いた時にはわたしとお姉さまには距離があった。
物心がついた頃にはすでに隠れるように街で暮らしていた。わたしが5歳の時にお母さまがお父さまと結婚した。二人が結婚して、8歳になった時に下町からアンダーセン侯爵家に引っ越した。
今まで住んでいた小さめの家とは違い、とても大きくてお城のような屋敷だった。玄関をくぐれば使用人が沢山出迎えてくれた。驚きの連続で口が開けっ放しになる。わたしは使用人に世話をされることが慣れていなかったが、それもすぐに慣れた。
お母さまはこのころから侯爵家にふさわしくあるようにと言うようになっていた。侯爵家にふさわしく、その言葉の意味がよくわからない。わたしは勉強は嫌いだし、深く考えることも苦手だ。お姉さまのようにはなれない。
「やっとここまで来た……!」
お母さまは歪んだ笑みを浮かべていつも呟いた。わたしの頭をゆっくりと撫でながら言い聞かせる。
「今はまだ外者扱いだけど、お前がこの家を継げば侯爵家は自由にできるわ」
「お母さま?」
「あの女の娘は追い出してやる」
恐ろしい呟きだと思ったが、お母さまの生い立ちを思えば仕方がないのかもしれない。お母さまは男爵家の娘だったけど、結婚に失敗し、平民以下の暮らしを長い間していた。お父さまと出会ったことで一気に生活が楽になったのだと言った。わたしにも結婚相手は爵位のある人間でないと、と繰り返し繰り返し刷り込む。
お母さまの言っていることはよく理解できなかったけど、このことを言い聞かせるお母さまはどこか恐ろしくてとりあえず頷いた。お母さまを怖いと思いながらも、時々しか家にいなかったお父さまと一緒に暮らすようになって、お姫様のような暮らしになってとても幸せだった。
ここでの生活が慣れてくれば、わたし達が厄介者であることは早いうちにわかった。使用人たちはとても礼儀正しいが、しっかりと屋敷の区域が分かれていたのだ。お母さまが時々お姉さまに突っかかっていったが、お姉さまは無表情にお母さまを見るだけ。
「わたしが侯爵夫人なのよ!」
ある日、全く相手にされないことに癇癪を起こしたお母さまが金切り声で叫んだ。噛みつくように怒鳴られて、お姉さまが初めて表情を崩した。大人に怒鳴られて恐れているというよりは、哀れに思っているのか、憐憫の色が強かった。
「よく理解していないようですが」
お姉さまはとても9歳とは思えないほどしっかりとした言葉を話した。わたしなんかとは違うとぼんやりと思った。
「アンダーセン侯爵家当主はわたしです。ここでの生活に不満がるようならば、外に屋敷を用意いたします。そこで暮らしてください」
「はあ?」
お母さまの素っ頓狂な声が廊下に響いた。信じられないものを見るように目を大きく見開き、口もはくはくと何度も開けたり閉じたりしている。お姉さまが不可解そうに眉を寄せた。
「知らないのですか? 爵位を持っていたのはわたしの母です。お父さまは成人するまでの間、わたしの後見人ではありますが、再婚したことによって実家であるローリング姓に戻っています」
「なんですって……」
お母さまが呻いた。ショックで力が抜けてしまったのか、へたへたと床に座り込んだ。それをお姉さまが眺めながらため息を付いた。
「貴族界では皆知っている話です。幸い、お父さまは王宮へ勤めております。平民よりは豊かに暮らしていけるでしょう」
それだけ告げて、お姉さまは行ってしまった。それからお母さまはお姉さまに突っかかることはしなくなった。その代わりにお父さまに噛みつく。
「どういうことなの!」
「どういう事って? 僕は今まで一度も侯爵だと名乗ったことはないよ」
「そんな、だってあなた、ジャン・アンダーセンって言ったじゃない」
何をおかしなことを、とお父さまは首を傾げた。お父さまはお母さまが何をそんなに激高しているのかわかっていないようだった。
「そうだね。再婚するまではアンダーセンの姓を名乗ることは許されていたからね」
「そんな……そんな! それじゃあわたしは貴族じゃないの!?」
お父さまはその言葉を聞いて、ああ、と納得したように頷いた。
「そうか、そういうことだったのか。君は貴族になりたかったのか」
お父さまの温かい瞳が一気に冷えた。その空気の変化を感じ取ったのか、お母さまが縋るように笑みを浮かべた。
「いやだ、ちょっとした言葉の綾よ。本気にしないでちょうだい」
「いいんだ。僕が少し夢を見すぎていたようだ」
お父さまはそれからしばらくの間、お母さまの所には帰ってこなくなった。この屋敷にさえ戻ってきていないようだ。変化といえばそれくらいであったが、ようやく一緒に暮らせるようになったお父さまに会えなくてとても寂しくなっていた。
お母さまは何かを埋めるかのように買い物をするようになった。わたしのドレスや宝石も沢山増えていく。こんなにあっても着ていくところなどないのに、欲しくないものばかりが増えた。それがお父さまと距離ができた代償だと思えて悲しかった。
「そこで何をしているの?」
お父さまに会いたくて玄関ホールにある吹き抜け階段に座って待っていると、二階から降りてきたお姉さまが声をかけてきた。顔をあげればお姉さまと使用人がいるから、この使用人がお姉さまを連れてきたに違いない。
「お姉さま」
「部屋に戻りなさい」
表情を変えずにお姉さまが告げるが、わたしは動かなかった。ただじっと下からお姉さまを見つめた。お姉さまは怪訝そうな表情になる。
「お父さまがね、帰ってこないの。今日は帰ってくるかと思って」
「お父さまは今日、お帰りにならないわ」
納得したように頷くと、そう教えてくれた。驚いて目を瞬く。
「どうして?」
「知らないわ。ただ帰らないという連絡が来ただけ」
お姉さまはお父さまのことが嫌いなのか、あまり興味がなさそうだった。わたしはお父さまもお母さまもいてほしいから、お姉さまのことがよく理解できない。お姉さまは寂しくないのだろうか。
「このままだとお父さまは外に別の女性を作るわよ。そうローリング夫人に伝えて」
「お母さまに?」
「ええ。お父さまは辛いことがあると逃げる癖があるの」
お姉さまが何を言いたいのかわからないまま、お母さまに伝えた。お母さまは真っ青になってぶるぶると体を震わせた。
「嫌よ! この生活を手放すなんて!」
ぶつぶつと呟くお母さまはどこか怖かったが、わたしは何もしなかった。時間さえ過ぎれば元に戻ることはわかっていた。この屋敷に来る前は、いつもそうだった。お母さまが一緒にいたいと嘆き、お父さまの足が遠のく。しばらくしてまた元に戻ってと繰り返していた。結婚した時だってすぐに一緒に暮らせなくて、お母さまは癇癪を起こしていた。
今回もきっと同じになるのだろうと漠然と思ったのだ。
数か月後、お母さまとお父さまの仲はゆっくりと戻っていった。初めはぎくしゃくしていたけれど、徐々に戻って今では毎日帰って来てくれる。
それが嬉しかった。たとえそれが壊れかけたものだったとしても。
幸せな家族のように思えればよかった。わたしは幸せだと思える何かがあれば、それだけ見ていれば本当に幸せを感じられるから。全部が幸せである必要はないの。
******
何年たってもお姉さまとの距離は縮まらない。わたしは15歳、お姉さまは16歳になっていた。
お姉さまは相も変わらず忙しそうに領地と王都を行き来していて、婚約者になったレスター王子を王宮まで訪問していた。時折、レスター王子もこの屋敷を訪問しているようだが、わたしとお母さまが出かけているときに訪れることが多く、たまたま顔を合わせても軽くあいさつする程度だ。
レスター王子はとても素敵な人で、できればもっとお話がしたかった。王子様らしくキラキラしていてとても優しい笑顔でお姉さまに向けている。その笑顔を私にも向けてほしかった。
彼がこの屋敷に来そうなときにはお気に入りのドレスを着て待っていたけど、わたしに声がかかることはなかった。お姉さまが意地悪をして呼んでくれないのだ。だからそっと様子を伺って、入っていけるときには無理やり割り込んだ。
レスター王子はわたしが入っていくといつも顔をしかめていた。きっとお姉さまが嫌いなんだと思う。愛情を知らないお姉さまだから、レスター王子も心が休まらないはずだ。
お姉さまではなくてわたしを見てほしかった。そうすれば、お姉さまは侯爵家に残れるし、わたしはレスター王子と結婚できる。レスター王子はわたしといた方がずっと楽しいと思うし。
ほら、誰が考えてもいい組み合わせだわ。みんなが幸せになれる。
「久しぶり! リーリア」
「メリー」
お母さまと観劇に来ていた時だった。同じく観に来ていたのか、メリーが声をかけてきた。メリーは商会の娘だ。知り合うきっかけは覚えていないけど、数少ない親しい知り合いだ。
「ここで会えてよかったわ。紹介するわね。婚約者のヘンリーよ」
彼女は少し離れて立っていた男性をそう紹介した。
「婚約者?」
「そうなの。つい先日、婚約したばかりなの」
幸せそうに笑みを浮かべて彼女はそう教えてくれた。ヘンリーはわたしに人当たりのいい笑みを向けると手を差し出してくる。
「いつもメリーがお世話になっているようで」
「ヘンリー、リーリアはあまり気取っていないからわからないかもしれないけど貴族なのよ」
「へえ」
彼の抜け目ない視線に居心地が悪くなる。なんか、値踏みされているような感じだ。
「メリー、貴族ってあまり言ってほしくない。あなたと距離があるようで寂しいわ」
「ごめんなさい。そう言われるの、嫌いだったわね」
メリーは素直に謝ってきた。貴族と持ち上げられても、わたしは下町育ちだから貴族っぽくないし、貴族の勉強が大嫌いだった。お母さまが素敵な人の所へ嫁げるようにと詰め込んでくるけど、本当につらい。お姉さまと違ってわたしは頭があまりよくないから……。
「でも、リーリアのお姉さま、王子さまと結婚するのでしょう? そうすると侯爵家を継ぐのは貴女になるんじゃないの?」
「え?」
思わぬ言葉に瞬いた。メリーは首をかしげる。
「違うの? この間、知り合いのおじさまが第二王子さまが新居の準備で沢山商品を買ってくれると喜んでいたから」
確かにレスター王子はお姉さまが18歳になったら結婚する。その爵位はどうなるかは考えたことがなかった。
「リーリア」
後ろの方からお母さまに呼ばれた。どうやら馬車が車寄せについたらしい。わたしは慌ててメリーとその婚約者に挨拶するとお母さまと一緒に馬車に乗り込んだ。
わたしが侯爵になる?
お母さまも言っていたけど、他人から言われるとまた少し違う。本気で考えたことはなかったが、レスター王子がわたしを選んでくれないのならそれもいいかもしれない。侯爵になればわたしを一番大切にしてくれる人に出会えるはずだ。
いつまでもメリーの言葉だけが頭の中をめぐっていた。




