お父さまはわたしを愛したことがない
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ため息が出た。
侯爵家の執務室に積まれた報告書を何度か読み、内容が変わらないことを確認するとがっくりと力が抜ける。昨日届けられた報告書はわたしの想像以上のものだった。昨夜の夜会に行く前に読まなくてよかったと心の底から思う。
ある程度は予想していた。前世の記憶というものがあり、その中でも乙女ゲームというも未来視ともいえる記憶がある。すべてがそこに答えがあるとは思わないが、現状を踏まえて予測することはさほど難しいことではない。
知らない内容であっても辻褄が合うかどうかを調べるだけでもかなり違う。今回はお金の問題だけあって、その辻褄の合わなさは半端ない。
お父さまの能天気さを思い、もう一度ため息を漏らした。せめて、パッと見ただけではわからないくらいの細工をしてほしかったと思うのは駄目だろうか。いや、犯罪なのだからわかりやすいのはいいことなのだけども。
手に持った報告書に力なく視線を落とした。
どのくらいの規模でお金が足りていないのか、何を購入していたのか、そして収入は。
実際に何かしらの手段で手に入れた金額の推定額。しかも大金を手にした日付と金額さえ細かに記されている。
一目でわかるようにまとめ上げられていた。これを作った人もそうだが、調査した人もかなり優秀だ。疑問を持ちようがない。
細かな調査結果は私の想定額を超えていた。二人の女性の買い物は信じられないくらい多額で、その上、リーリアに至っては可哀そうだからと孤児院へばんばん寄付していた。お金は勝手に湧いてこないのだが、お金のやりくりをしていないから、稼ぐ大変さがわかっていないのだろう。
お父さまの収入源が王宮での仕事でしかないことと、何かを売り払ったこともしていないことから、大金を手に入れた日や金額や想定しやすいのだと思う。単純なのだ、お父さまは。大金を手にした次の日に代金を払いに行くのだから。バレバレすぎる。
こちらのできる範囲で行われた調査ではあったが、不明点が少なくこれは何かあるなと感じさせるには十分だ。もしかしたら王宮の上層部までことが発覚しているかもしれない。
今後どのようにしたいいのか、考えがまとまらずに焦る気持ちばかりが募る。
「お嬢様」
アントンが労わるように呼び掛けた。わたしが視線を上げると、そっと一枚の紙が差し出された。
「なに、これ?」
「資料が抜けております」
どうやら手の力が抜けて一枚落ちていたようだ。気落ちしたまま、それに視線を落とした。さっと読めば、もう動悸が止まらない。
それは過去に横領や恐喝をした人間の辿った末路が書かれていた。恐喝した内容や横領額で処罰が変わるらしいが、印を付いているところを見れば息が止まりそうになる。借財がないところを考えて、横領や恐喝によって大金を手に入れていると調査した人も考えていることがわかる。
「ねえ、アントン」
「なんでございましょう?」
「わたしの自由になるお金ってどのくらいある?」
ぐりぐりとこめかみを揉みながら聞いてみた。もちろんわたしは自分の資産くらい知っている。知っているが……客観的にどのくらいまで自由にしてもいいものか判断が付かないのだ。今までも個人資産には手を付けてこなかった。普通に侯爵家の利益で十分だったからだ。
「その件に関しては、ゲインを呼んでおります」
アントンが冷静に返してきた。ゲインと聞いてこめかみを揉む指を止めた。
「ゲイン、王都に来るの?」
「はい。先週には手紙を出しております。あと数日でこちらにつくでしょう」
ゲインはアンダーセン侯爵領にいる管理人だ。侯爵領まで馬車を使っても5日ほどかかるので、アントンのいう説明では手紙を出してすぐにこちらに来るように書いているのだと思う。
彼は母の代から仕えていて、とても優秀。わたしも小さいときから可愛がってもらっていた。眼鏡をかけて、背が低く棒のように体の細いおじさんだ。一見、頼りない風貌をしているが、眼光は鋭く、意志の強い人間でないとなかなか反論できない空気を持っている。
「お父さまを絞めておいた方がいいかしら?」
「いえ。方針を固めてからの方がよろしいと思います」
「どうして?」
今すぐにでもズタボロにしてやりたいのに、アントンがやめておくようにと進言してきた。
「その後、逃げられてしまいますから。やるなら一気にやらねば」
「そうね」
やる、という言葉がどうにも <殺> の字が使われていそうで怖い。
アントンなら淡々として実行しそうだと思いながら、書類を机の上に置いた。
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お父さまがわたしを愛していない、と幼い頃から気が付いていた。
そう感じたのは、お母さまが亡くなる前からだ。お父さまはわたしを見て可愛いと言いながらも、どこか複雑そうな目でいつもわたしを見ていた。それがどうしてなのか、わからなかった。今でも理解しているとは言い難いが、ある程度の知識から想像はできる。
お父さまは男性の割には華奢でとても可愛い感じの人だ。男らしさが少ないというのか……。人形のように整った容貌をしている。大輪の花のように生き生きとしたお母さまと一緒に並ぶと無表情で整った容姿ばかりが目立ってしまい、生きていないようにも思える。
お母さまと一緒にいても作ったような笑顔ばかり浮かべていた。わたしはお父さまが心から笑ったところを見たことがない。
そんなお父さまが感情を露にしたのは、お母さまの葬儀ではなくて再婚すると言いに来た時だった。本当にうれしそうにお前の義母になる人だと紹介してきた。その眩しい笑顔にこの人も生きていたのかと思ったほどだ。
お母さまに言わせれば人が良く善良であるお父さまであったけど、それはお母さまの目線で見た場合だ。
常に足を引っ張ることしか考えていない貴族たち、二心がないかと確認してくる王族、利益をかすめ取ろうとする商人。
そんな環境の中でお父さまの凡庸なところが輝いて見えてしまったのだ。それがお母さまとお父さまの不幸なのだと思う。
お父さまは伯爵家の4男で、当然成人後は平民になることが決まっていた。突出した才能がないのだから、爵位を得るのは難しいと誰もが思っていた。お父さまの性格は平民になって静かに暮らした方がよかったと思う。
身の丈に合わない身分にお金。
お母さまと結婚してぐるりと世界が変わってしまっただろう。いい部分だけではない。陰では貶められたり、暴力だってあったと聞いている。アンダーセン侯爵家の関係者はそんなことはしないだろうが、社交界は違うのだ。素直だったお父さまが徐々に歪んでしまっても仕方がない。そういう教育を受けてきていないのだから。
お父さまの歩んできた道を思えば、わたしの存在が複雑でどうしていいのかわからない、無視してしまえとなるのは仕方がないと思う。だから再婚すると言った時には反対しなかった。後見人を18歳までは務めると言い張った時にも否とは言わなかった。たとえわたしへの愛情ではなく、貴族としての付き合いを継続したいという打算の結果だったとしても構わなかった。
わたしもお父さまと真正面から向き合うことはしなかった。頭で愛されていなと理解していても、面と向かってそれを知る勇気がなかった。知っているから言わなくていい、そんな感情がどうしても抑えきれない。
わたしがお父さまを愛しているのかと問われたら、愛していないと答える。お父さまとお義母さま、リーリア、3人は愛情で結ばれているように見えて、その実お金でつながっている関係だ。わたしの求める家族の愛情などそこにはありはしない。記憶が戻ってからはなおさらだ。
お父さまはいつでも自分の不遇を嘆いて、誰かに聞いてもらう。いい記憶が多ければ懐くけど、そうでなければ無視するのだ。道理をわきまえず、ただ煽てて持ち上げてくれる義母はお父さまにとって居心地のいい存在なのだ。
「お父さま、今日はお帰りになるか知っている?」
「外泊の連絡はもらっておりません」
「そう……まだ気が付いていないのよね、きっと」
暢気に家に帰ってこられるのだから、色々なことがバレているとは思っていなさそうだ。ため息を吐くとアントンが珍しく表情を緩めた。
「お嬢様」
「なあに?」
「一般的にローリング様はクズでございます」
クズ、というところをやたらと強調している。わかっているけど少し怯む。
「ええ?」
「侯爵家の前当主であるお嬢様の母上に引き上げてもらいながら、他の女を囲う。努力をすることをせず、己の不遇だけを嘆く。クズそのものでございます」
「……そうね」
否定できずに頷くと、アントンはふっと小さく息を吐いた。
「温情はいりません。もし、辛いようでしたら私とゲインで対応いたします」
ああ、彼らはわたしの心を心配してくれているのか。
ほんのりと心が温かくなる。こうやって血のつながらないながらも心を込めて仕えてくれる人がいる。お母さまはお父さまがわたしに愛情を持っていないとわかっていて、わたしに愛情を注いでくれる存在を側においてくれたのだろうか。
もう記憶の彼方になってしまったお母さまを思い出した。お母さまの愛情を今でも感じることができる。それだけでわたしはここに前を向いて立つことができる。
たとえ実の親を切り捨てたと陰口をたたかれようとも、自分自身に誇りを持てる。
「ありがとう。でも大丈夫。これはわたしのやるべきことだから」
「お嬢様……」
「心配しないで。わたしにはお父さま以上に大切なものが、守りたいものがある」
この侯爵家を支えてくれる使用人達、領民、そして大好きなレスター。
愛には愛が育つけど、愛がないところに愛は育たない。
お父さまの愛など必要ないほどわたしは愛されている。
時間経過がわかりにくいので少し変更しています。大筋には影響ありません。




