異母妹が苦手な理由
気になるのはどのくらい世界の強制力というものが働くかということだ。
執務室で今日の仕事をこなしながら、ふと手を止めた。考えるのは夜でもいいと思うのだが、こうしてふとした瞬間に思わず考えてしまう。まだまだこの状況に納得できていないのかもしれない。
強制力、ネット小説ではごく当たり前に使われている摩訶不思議な力だ。わたしがここにいるのだってよくわからない理屈なのだから、無敵な力が存在していても不思議はない。
わたし自身が今後の動きでどうになってもかまわないが、お母さまが残したこの侯爵家を潰すことは断じてできない。バネッサと融合したわたしは貴族令嬢として、そして侯爵として生きていく矜持をきちんと持っていた。
それには敵を正しく知ることから始めるべきだ。
そう思っても気が重い。バネッサとしての記憶が、義母を苦手とし、異母妹を疎ましく感じさせる。
ゲームでは語られなかったが、バネッサはどうしてあそこまで苦手としているのだろうか。
お父さまは義母と異母妹を愛している。わたしにはひとかけらも愛情を向けてはくれない。生まれた時からお父さまはわたしを愛したことはないが、わたしはお父さまの愛情以外に沢山の愛情をもらって育っている。そのせいか、お父さまにどうしても愛してもらいたいという思いはお母さまが亡くなったと同時に消えてしまった。
義母はねちねちとゴミのような役に立たない嫌味を言ったりしてくるが、この侯爵家はわたしが当主だ。幼い頃ならまだしも、17歳となった今では彼女たちを抑え込むのは容易だ。彼女の武器は言葉しかない。恐れることは何もないと思うが、二人のことを考えると面倒くささと憂鬱さを感じるのはどうしてだろう。
ぐたぐたと出口のないことを考え込んでいると、騒動はあちらからやってきた。騒々しい声が聞こえてきたのだ。その耳障りな音に思わず顔をしかめた。こちらからわざわざ咎めるために出て行くことはないが、本当にうるさい。
「お仕事中、申し訳ありません」
ノックの音がして、家令が入ってきた。彼はお母さまが幼い頃から勤めている家令だ。この家があの3人がいながらも正常を保っているのは彼の力によるところが大きい。家令は無表情を貫いているが、どことなく疲れた空気を背負っていた。
「どうしたの? 騒々しいわね」
「ローリング夫人が宝石の買い付けをしたようなのですが、代金が支払われていないと商人が訪問してきております」
「代金?」
首を捻った。わたしのものは侯爵家の代金から出ているが、義母と異母妹の買い物はすべてお父さまの働いて得たお金で賄われている。面倒なので生活費と使用人の支払いはこちらでやっているため、お父さまの労働の対価はほとんどお小遣いだ。
王宮に勤めているのだから、もらう金額も結構高い。領地持ちの羽振りのいい男爵家の年収くらいはあるはずだ。それは侯爵家の何十分の一かもしれないが、すべてを自由に使っていい金額として考えれば、わたしと同じくらいになる。
「私の勝手な予想でございますが……おそらく限度額を超えたのだと」
「え?」
驚きに固まってしまった。家令は置いた顔に疲れを滲ませた。
「このようなことをお嬢様に申し上げるのは余計なことでありますが……リーリア様の持ち物はお嬢様と同等のものが多いのです」
「同等……」
天を仰いだ。わたしは侯爵家の当主だから、それこそ王族が使うものと同じぐら品質のいいものを選んで買っている。時折、安いものも購入するがこちらは主に使用人達への慰労の気持ちで渡すためのものだ。
アンダーセン侯爵家の収入は領地経営や投資で得たお金だ。母の代から従事している人間がとても優秀なので、緩くではあるが右肩上がりの収入がある。使ってもすぐに埋まる程度の金額で物を買っているが、わたしの購入しているものと同レベルのものを購入となると。
お父さま、お金足りている?
本気で心配になってくる。わたしもそれなりに買っているが、二人の購入量は本当に半端ないのだ。右から左を差して、ここまで全部ちょうだい、とか平気で言う。指定した中には粗悪品も入っていたりするから、いいカモになっているなと思ったものだ。二人がカモになっても、わたしには影響ないので放置していた。わざわざ指摘して騒がれても面倒だというのも大きい。
「ねえ、アントン」
家令の名を呼ぶ。呼びながらもすぐにいい言葉が出てこなくて、考え込んだ。彼は黙ってわたしの言葉を待った。
「……考えても仕方がないわね。その商人に会いましょう」
何が出るかはわからない。部屋にこもってあれこれ悩んでみても前には進まないのだ。
気合を入れなおすと、アントンに案内されながら騒動の中心へと向かった。
***
「ごきげんよう」
優雅に見えるように微笑みながら部屋に入った。許可など取らずに入ってきたので、義母が勢いよく立ち上がった。まさかわたしが出てくるなど思っていなかったのだと思う。
「なんて無作法な! 出て行きなさい」
自分がお金について突き上げられているのを知られたくないのか、義母が金切り声を上げた。隣には我関せずと座っているリーリアがいる。
「そうしたいのはわたしも同じ気持ちですが……先ほどから脅しつけるような声がしているので心配になってしまって」
お前の恫喝する声が聞こえているわよ、と言外に伝えてみれば義母が青くなった。わたしは黙った義母を一瞥してから、商人ににこりと笑みを浮かべる。
「ローリング夫人と何を揉めているのかしら?」
「私共から買った商品の代金が支払われていないのです。支払いができないのなら、商品を返してもらおうと思いましてこちらまで足を運びました」
「まあ、そうでしたの」
あまりにも真っ当な言い分に頷くしかなかった。悪徳商人だったら、値切ってチャラにさせようと思ったのだが。普通過ぎて肩透かしを食らった気分だ。
「お姉さまが来てくださったのなら、話は早いわ。こちらの方が先ほどからいくら説明しても納得してくださらなくて」
困ったわというようにリーリアが頬に手を当てた。
何を説明?
視線だけで商人に問うと、彼は小さな声で説明した。その内容を頭の中で整理したが、理解できない。
「リーリアの宝石の代金を何故わたしが支払わなくてはならないの?」
仕方がなくリーリアに尋ねた。リーリアはこてんと可愛らしく首を傾げた。
「あら、だってこの家を継ぐのはわたしでしょう? お姉さまは第二王子と結婚するのだから。将来のためにもわたしの宝石もお父さまのお金ではなくて侯爵家から出してもらいたいわ」
眩暈がした。全く彼女の言葉が理解ができない。それはきっとわたしだけではないはずだ。アントンも側に黙って控えながらも怖いくらいに殺気を出しているし、使用人たちは隠すことなく侮蔑を含んだ視線を向けている。ニコニコと場を読まない笑みを浮かべているのはリーリア一人だ。
「まあ、リーリア!」
そんな冷えた空気の中、義母がどこから出てくるのかわからないような甲高い声を上げた。耳が痛いからやめてほしいのだが異母妹を諫めてくれるのなら、それくらいは許容しよう。
「なあに、お母さま?」
「なんて賢いのでしょう! そうよ、この子が次期侯爵になるのだからもっといい宝石を手に入れなければ」
ちょっと待ってよ。
いや違う。まずは落ち着け、わたし。冷静にならないと二人の勢いに飲まれてしまう。
引きつる顔を何とか抑えながら、リーリアにできる限り優しく諭した。
「何を言っているのかよくわかりませんが……。この家の当主はすでにわたしです。当然ご存知だと思いますが、この家の後継者はすでに国が管理しております。わたしに何かあった場合、次の後継者もすでに決定しております」
「え? どういうこと?」
リーリアが疑問符を大量に発生させていた。理解できないのかしきりに首をかしげている。
「教養として勉強していると思うけど……この国は一時期乗っ取りが横行していたわ。それを回避するために、国の定めた血筋を持った人間が爵位を継ぐことになったの。だからアンダーセン侯爵家の血を持たないリーリアは侯爵家の人間ではないのよ」
「お姉さまってひどいわ! そんなに私が嫌いなの?」
いや、今は嫌いとかそういう問題じゃないのだけど。国の決まりの話であるはず。
え……どこか説明間違ったかしら?
「リーリアのことが憎いからと思っていても言って悪いこともありますよ」
難しい顔をして義母がそう窘めてくる。リーリアは潤んだ瞳でわたしをきっときつく睨みつけた。
「お姉さまの言葉なんて信じないわ! わたし、夜会でもお茶会でも侯爵令嬢とちゃんと言われているのよ。あなたほど美しい侯爵令嬢はおりませんって」
「ほらごらんなさい。お前がどんなに認めないと言っても周りはきちんとわかるものです」
「そうよね、お母さま。国の方が登録を間違っているのだわ。人間だもの。そういうこともあるわよね。お父さまとお母さまがローリングであってもわたしはお姉さまの妹だもの。血がつながっているのは間違いないのよ」
リーリアの言葉に義母が頷いた。
「お前は優しい子ね。文官の間違いを許してあげるなんて。後継者の問題はお父さまに言って訂正してもらいましょう。リーリアほど爵位を継ぐのにふさわしい子はいませんよ」
誰か助けて。
どこをどうとればそんな解釈ができるのだろうか。確かにリーリアとは血のつながりはあるが、今そこが重要じゃない。重要なのはアンダーソン侯爵家の血が入っているかどうかなのだ。
リーリアの言葉から、アンダーソン侯爵家の血ではなく侯爵であるわたしと血のつながりがあるから、侯爵家を継げると考えているようだった。
義母は下級といえども貴族出身のはずだ。貴族相手の商売をしている商人ですら知っている教養を何故この二人は理解できていないのだろう。
間違った解釈をする二人を茫然と眺めた。
ちょっと、そこの商人。気の毒な目でわたしを見るんじゃないわよ。
でもこのよくわからない理屈の思い込みを訂正するだけの技術をわたし持っていない。
ああ、そうなのね。
記憶が戻る前のバネッサが二人を嫌った理由。
全く言葉が通じないからだ。きっと二人には独特な解釈方法があるのだと思うのだけど、こちらはその思考が理解できない。努力するのもばからしい。
悲しいけど、納得……。




