もしかしたら悪役令嬢かもしれない
例えば、真っ白の部屋の中で神さまと名乗る人が土下座しているとか。
例えば、突然高熱を出して起きてみれば、前世というものを思い出しているとか。
例えば、世界を救ってほしいとお願いされるとか。
そんなありふれた設定はサイトを検索すればごろごろと転がっていた。見慣れた設定だけれども、その疲れない設定がいい。一言、神さまが、って書いてあればわたしの好む設定が勝手に当てはまる。細かに書かれているともう一度想像しなおさないといけない。その作業は現実に疲れた頭には非常に辛い。
閑散とした帰りの電車に揺られながらスマホをいじっていた。仕事が多忙でこの気持ちのいい揺れで寝過ごさないようにするには、無料サイトはとてもいいのだ。沢山投稿してあるから、興味のあるものをざっと読むだけでも結構時間がかかる。
読みたい人と読んでもらいたい人。
これこそWin-Winの関係だ。仕事もお互いに支え合えるようになってほしいものだ。
今日の会議を思い出し、そっとため息を漏らした。チームで仕事をしているのだから、自分のミスを隠そうとするのをやめてほしい。外部にミスが流出したら、どうするつもりなんだろう。自分の能力を過信しているのか、こちらの手を突っぱねる新人君を思うと疲れが増した。定時までが新人君の教育、彼が帰った後が自分の仕事の時間だ。
ちらりとスマホの時間を見れば、すでに0時近く。
今日の夕飯、いつものコンビニでいいか。まだお弁当が残っていればいいけど、残ってなかったらカップ麺に決定だ。
ブックマークをタップしていつもの無料サイトを開く。今日は更新マークが沢山あって嬉しい。お目当ての小説を開いて読み始めた。
ネット小説めぐりはわたしの平日の唯一の楽しみだ。明日の打ち合わせは考えずにいたいから、余計にのめりこむ。
中でも悪役令嬢系が一番好き。同じように思っている人が多いのか、悪役令嬢物語は沢山投稿されていた。『婚約破棄する!』から始まる話にどんな悪役令嬢なんだろうと期待感が高まってしまう。
あのわけのわからない不条理さとか、ヒロインのお花畑全開脳とか、痛快にやり返すところとか。ヒロインは大嫌いだけど、ヒロインのお花畑加減は気にならない。彼女の存在があるから重い話でも深刻にならないのだ。
だからタグに乙女ゲームとつけられていて、どんなゲームなんだろうと興味を引かれた。暇だった休日にどんなものかと思って買ってみたんだけど……。
正直、良さがよくわからない。
わたしが悪役令嬢好きだからかもしれない。ヒロインに共感できないというのか。確かに仕草とかすごく可愛いんだけど、好きか嫌いかと問われれば嫌いだ。
まだ彼女未満だけど両想いになりつつある男に割り込みアプローチをするなんて、普通に恋愛ゲームだ。略奪愛に近いものもある。
ストーリーはどちらかというと育成? みたいな感じだった。ヒロインが素敵に成長するために周囲の協力と犠牲を強いる。ありきたりのストーリだ。
ゲームつまらないと後輩にぼやいてみれば、外れゲーム引いたんですよと後輩は笑っていた。今度おススメを貸してくれると言っていたけど、正直もうやるつもりはない。
ただ攻略対象と呼ばれるメンバーは本当に綺麗な絵柄だった。これを見ると男は二次元の方がいいという主張は同意できる。見ているだけで目と心の保養になるし、俺の方が疲れているなんて得意気に過酷な労働自慢しあうこともない。
ああ、そうだ彼はまだ生きているかしら?
今週末当たり、ちょっと泊まりに行ってこようかな。
電車に揺られながらつらつらと考えていると、ふと付き合っているさわやかイケメンとはほど遠い彼氏を思い出した。今月は全く会っていない。時折思い出したかのようにメールと留守電が入っているけど、お互いに忙しすぎだ。
ゼリー飲料だけで生き延びている様子がありありと浮かんだ。今回もだいぶ痩せたに違いない。仕事が忙しくなると本当に食べなくなる。彼のクローゼットにはあらゆるサイズのスーツが並んでいるのを思い出し、自然と笑みが浮かんだ。今は一番小さいサイズのスーツを着ているはずだ。
彼と結婚するなら生命保険額、積んどこう。備えあれば憂いなしだ。
降りる駅のアナウンスが車内に流れる。それを聞いて画面を消し、スマホを鞄に仕舞う。立ち上がろうとして足に力を入れたが、くらりと目の前が揺れた。
何? 目の前が真っ暗に……。
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「バネッサ? どうしたんだ?」
体を揺らされて、はっと目を見開いた。頭がまだぼんやりとしていたけど、顔を上げる。心配そうに私を覗き込んでいる瞳がそこにはあった。彼はぼんやりするわたしの肩を支えるようにして隣に座っていた。
「気分が悪そうだな。顔色が悪い」
「ああ、そうかもしれないわ」
するりと頬に手が当てられた。冷たい頬に暖かな体温が気持ちがいい。思わず目を細めて彼の手にすり寄る。大きな手は少し骨ばっていて、ごつごつしている。
「バネッサ、どこかおかしい?」
「なんか、とても失礼ね」
思わず出てしまったような彼の呟きを聞きとがめ、むっと唇を尖らせる。わたしの拗ねた顔を見て彼は小さく笑った。
そんな小さなやり取りをしながら、頭が次第に彼を認識していく。
綺麗な銀の髪に整った顔立ち、瞳は深い紺色。
夜のような色をした彼は間違いなく綺麗だ。
彼はゆっくりとわたしの頬を両手で包み込むと顔をさらに近づけた。じっと心の底まで見られてしまうのではないかと思うほど綺麗な瞳に覗き込まれてどきどきした。
ちょっと目を閉じてほしいなぁ。毛穴、大丈夫かしら?
ここしばらく忙しすぎて、肌のお手入れを怠っていたことが気になった。もしかしたら睡眠不足で目の下にクマがあるかもしれない。化粧、よれていないかな。
「バネッサ、可愛い」
「レスター様の方が綺麗だわ」
は? レスター様?
勝手に口が言葉を紡ぐ。頭の中が混乱した。思考しているのも、動作しているのもわたしなのに知らないことも知っているかのように動く。
「結婚まであと1年か。本当に長いなぁ」
「もう少しだから待ってくださいませ」
えーと?
「レスター様ぁ!」
あと少しで唇が触れそうになった時、不快な声が響き渡った。部屋の扉が乱暴に開き、抑えていない足音を響かせながら誰かが飛び込んできた。
「ちっ」
レスターが舌打ちした。驚いて彼の方を見れば、邪魔されて不機嫌さ全開だ。瞳の中に怒りが見える。
「お姉さまったらひどいです。レスター様がいらしているのなら、わたしを呼んでくれてもいいじゃないですか!」
「リーリア」
見られた恥ずかしさを隠そうとしたら、少し低めの声になってしまった。リーリアと呼ばれた妹は大げさに体をびくりと震わせ、じわりと瞳を潤ませた。
「怖いわ、レスター様」
さりげなく距離を縮めようとしていたが、レスターの方が早かった。レスターはわたしの頬から手を離すとそのまま腰を抱いた。長椅子で密着するように抱き寄せられた。思わず頬が染まる。だが彼から発する怒気に熱かった体もすっと冷めた。
「リーリア嬢。申し訳ないが今はバネッサとの時間を大切にしたいんだ。出て行ってもらえるかな?」
「そんな、心にもないことを言わないでください。お姉さまといても楽しくはないでしょう?」
こいつには状況を読む力がないのか。
ますます温度が下がったような気がした。ぎゅっと抱きしめる手に力が入った。彼の怒りに気が付かない彼女を落ち着かない気持ちで眺めた。
ふわりとした茶金の髪に零れ落ちるのではないかというほど大きな緑の瞳。
潤んだ瞳に少し半開きになったぽってりとした唇。
お姉さまがひどいけど、わたし、頑張っていますという空気を全身に纏った彼女を見て思考がぴたりと止まった。記憶の中にかちりと何かがはまった。
「……」
この子、ヒロインのリーリアだ。
え? ということはバネッサって。
バネッサ・アンダーセン侯爵令嬢。
わたしが買った乙女ゲームの悪役令嬢の名前だ。もう一度、リーリアを見る。凝視すればするほど涙が美しく盛り上がってくる。はらはらと涙が落ちるのにもかかわらず、彼女の目は獲物を捕らえた蛇のように絶対にレスターから離れない。
瞬きせずに落ちていく涙。
うん、間違いない。ここ、乙女ゲームの世界だ。この泣き方、何度も見たことがある。回想の場面で必ず使われていたから、よく覚えている。
やだな、リーリアって思っていたような儚げ少女じゃなくて、ガッツリ肉食系女子じゃない。合コンとかでもよく生息しているから、見間違えない。この涙にころって気持ちが揺らぐなんて、攻略対象者ちょろすぎでしょう。それとも女慣れしていなくて純情ということ? 男って見た目に弱いから。
気がつかれない程度にそっと視線を走らせた。リーリアの全身を観察する。
リーリア、儚げな上に胸大きいわ。これが決定打ね、間違いない。




