エルメス 書斎2(ソーラ)
「うわっ……」
だが、本を見たソーラは絶句する。
「何が書いてあるのかさっぱりわからないや」
見たことのない文字の羅列。
「キミはこんなの読めるんだ」
後を追いかけてきたエティエンヌが、腕を組んで自慢げにうなずく。
「余にかかれば、どんな言語でも問題ない」
言いながらエティエンヌはソーラがめくった頁に目を落とす。
「カニカニニテチノナ チトニノチトイテラカラスナミニクチニノチミミトイミミ トラクチトニミミツンナミラキラカラノナナスチコチ ノチノイニミラカチトナノイミニミチスチミミム」
ソーラは目を見開く。
読めはしないが、音を聞けば意味はわかる。
(父親は言った。どうしたらその足かせは取れるんだろう。真珠でできているように美しいし、売れば暮らしの助けになるのだが)
「意味は、父曰く。足かせを取るには如何せまし。真珠のごとく麗しく、売らば家計の助けにならん、と」
再び驚く。完全に合っている。
だが、どうして……
(あ)
ふと思い当たったのはいつも見る夢。
あの夢では、多分その言語が使われている。
「この古代文字は難しい。読むのは割と単純で、母音5つと子音14の組み合わせで発音はできるが、単語の意味が何かが伝わっていないため、色んな文献をあたり、その組み合わせや場面を照らし合わせたり突き合わせたりしながら類推せねばならん」
ソーラはエティエンヌを見つめた。
「その、母音と子音を教えてくれない?」
「ああ、いいとも。我が妻たるもの教養ある女でなければならない」
エティエンヌがパンと手を叩くと、執事風の男が部屋に入ってくる。
「ここにインキとペン、それと紙を」
「かしこまりました。」
執事は部屋に入り、引き出しから言われたモノをひと揃い取り出した。
そこに、エティエンヌは文字を書く。
規則正しく並べてもらうと、意外にあっさりと発音は頭に入る。
中には知ってる文字もあり、それが酒屋の看板に書かれていたことを思い出すと、さらに理解が進む。
小一時間、文字とにらめっこをしていただけで、ソーラは本をほとんど解読できるまでになった。
「発音ができるからと言って、意味はわからない。だが、それではつまらんだろう?」
エティエンヌはソーラの髪を一房いじりながら頷く。
「明日から余が個人授業をしてやろう。今日は残念ながら、来月行われる閲兵式の練習に参加し、兵たちを鼓舞せねばならん」
面倒くさそうにエティエンヌは立ち上がり、部屋を出て行った。
お愛想程度に手を振り微笑んだあと、ソーラは再び本に目を落とす。
(……ほとんど完璧に読める)
本は分厚かったが、その時代の不思議な話を集めたものであり、ソーラが求める足かせについての記述は短い。
ほとんど以前、エルデが話をしてくれた通りだ。
そして、そのときにエルデが何か書かれていると想像した頁には、ひどく簡素な言葉が数行あるだけだった。
……しかし、その足輪はどうしても取れない。終いには近所の鍛冶屋まで呼ばれたが、どれほど叩いてもびくともしない。父親は言った。どうしたらその足かせは取れるんだろう。真珠でできているように美しいし、売れば暮らしの助けになるのだが。
すると子どもは顔を上げ、残念そうな顔で首を振った。父さま、きっとこれはどうやっても取れません。これを斬ることができるのは、鎮魂歌に出てくる剣だけです。
父親は再度問うてみた。
鎮魂歌とは吟遊詩人が唱う、あの故郷に送る鎮魂歌のことか?
子どもは哀しげに頷き、それからは一切その話をしなくなった……
(……故郷に送る鎮魂歌?)
また、訳のわからない言葉が出てきた。
その当時、流行りだった歌なのか。
仕方なしにパラパラと本の頁を見るともなしにめくり、とりあえず閉じた、が。
(……?)
ふと気になって、ソーラは表紙を見る。
題名は、世界の奇談 其の五。
「其の五?」
ということは、少なくとも一から四が、ひょっとすると六なんかもあるのかもしれない。
それは当然、マーズ大附属図書館で……
(そうだ!)
ソーラが住んでいた塔にも大きな図書室があった。
魔法関係の本も多かったが、吟遊詩人の詩歌などもそれなりに置いてあった気がする。
当然、マーズ大の図書館ほどの規模なら、そんなものもあるに違いない。
「よし!」
ナイトとエルデの帰りを無為に待っていても仕方がない。
少しでも手がかりを得られれば、先に進むよすがになる。
ソーラはドアの外に立っていた執事に、庭を散歩すると言い残して外に出た。
そうして、天に向かって右手を伸ばして詠唱する。
一度行ったことのある場所に移動できる魔法を使い、ソーラはマーズの図書館に跳んだ。