エルメス 書斎1(ソーラ)
「何故、ここに来た?」
美しい青年が尋ねる。
ソーラはどうしてか動揺し、ふいっとそっぽを向く。
「それはもう、話した」
「……親に捨てられたと?」
直裁的な言葉にソーラは小さく肩をすくめた。
「捨て子は多いが全てではない。貧しさ故に、出来が悪いという理由で捨てられた子もいれば、飢饉で親を亡くした者もいる」
「お前はどうなんだ?」
こちらの心の奥底を見透かすような深い色の眼に見つめられ、それに再び動揺する。
「何故、そんなことを聞く?」
警戒心が先に立ってわずかに言葉に刺が混じったが、青年は不思議そうな顔をしただけだった。
「……初対面の人間と会話するときには、まず相手のことを尋ねるものではないのか?」
そうだろうか……
過去に思いをはせたが、自分に対してそんなことを聞いてきた奴は一人もいなかった。
「僕には親はいない」
きっぱりと言うと、青年はしばしこちらを見、そして頷く。
「親がいれば、お前のような子を簡単に手放しはしないだろう」
「……いてもいなくてもこうなってたさ」
大人達はみんな、彼を利用することはあっても愛したことはなかった。
親だろうが何だろうが、大人など皆そんなものだろうと思う。
「そんな哀しいことを言うな」
思わず鼻白む。こんな奴に同情されては自分の立つ瀬がない。
「存在するだけで許されない、そんな人間だっているんだよ」
仕方なしにこの世の道理を教えてやると、青年は黙った。
そうして、その端正な表情で一渡り子どもたちを眺める。
群れを守る長のように、なぜか安心させるその仕草。
返事をする気がないのかと思いきや、彼は子供達を眺めたままで口を開いた。
「生命がそこにあるのは、必ず何かしら意味がある。存在するだけで許されないような生き物など、この世にはいない」
しかし、その言葉がきれい事だったのにはひどくがっかりする。
思わず皮肉を言いたくなるような。
「相手の餌や仲間の踏み台になれば、せめてもの役に立つってこと?」
ソーラが肩をすくめると、相手は優しい視線をちらりとこちらに投げた。
「それは真実だが、全てではない」
その長い指が窓の外を指す。
わずかに桃色がかった小さな白い花弁。それがそよ風に揺れているのが見える。
「あそこにある花は食えないし、別になくとも構わない。だが、この間の草抜きで、俺の友人はあれだけ抜かずにそのままにした」
何が言いたいのかわからない。
「全ての生き物は、等しくそんな一面を持つ」
あまりの馬鹿馬鹿しさに哀しくなった。
「でも、他のいらない雑草は結局抜かれたわけだろ?」
「大地への感謝を添えて雑草は干して粉にされ、薬になるものは薬に、ならないものは野菜畑に埋めて肥料となった」
笑いがこみ上げる。
「結局餌になるんじゃない」
町の大人同様、殴ってくるかと思いきや、相手はどうしてか真面目な顔でこちらを見つめる。
漆黒の、誠実な瞳。
「生命にそういう業が伴うのは事実だ。だが」
星が一面にある月のない夜の空のように美しい瞳。
「種を根絶やしにするほど抜く訳ではない。むしろ、多すぎる草を抜くことによって他の植物が生きられる環境を作る。我々がやっているのはバランスを整えること、それだけだ」
「そういうの、きれい事だって言うんだよ」
殺される側は、抜かれて結局その生を終える。
「では聞くが、人が牛を殺すのは、存在するだけで許されない生き物だからなのか?」
ソーラは意地悪くにらみつける。
「僕は殺したことも食ったこともないよ、そんな高級な生き物を」
怒らせようと思って言ったのに、相手は意に介さずに優しい目をした。
「ではお前は一度も種を蒔いたことはないのか? 少ない食べ物を仲間と分け合い、独り占めにするより大事なものを得ようとしたことはないのか? 何もかも全て根こそぎにしないと気が済まないのか?」
「それは……」
思わず応えに窮す。
思い出すのは数年前。
弟が拾ってきたどんぐりを、生では食えないという理由で捨てようとしたら、埋めてみたいと言われた。
そこに今年の春、芽が出ているのを見つけたときに感じた気持ちは何だったのか。
飢えていても弟の喜ぶ顔が見たくて、パンの切れ端を全部渡してしまったこともあった。
「腹が減っているのに、一番小さな林檎を最後に受け取るようなお前なら、俺が言ってることも理解できるはずだ」
ソーラはその美しい横顔に魅入られる。
(……やっぱりこいつは人ではない)
人間とは、考え方もその精神の高尚さも全く違う生き物だ。
「夢想家なんだね」
「そうか?」
少し眉をひそめた様が、人柄の良さを示している。
(……これが、鬼なのか?)
心に問うてから、ふと思う。
町に戻って、あの残忍な大人達に骨までしゃぶられるぐらいなら、いっそこの男の手にかかった方が幸せなのではないか、と…………
「!」
目を覚ますと、鳥の声が聞こえた。
だが、辺りはまだ暗い。
「……なんだ」
今見たのはいつも見るあの夢の続きだと、ようやくわかる。
しかし、いつものように気持ちは悲惨ででもすさんでもいず、ただどうしてか辛くて哀しい。
ソーラはぎゅっと胸を押さえる。
夢の中ではソーラはあくまでアクターだ。
少年が思うまま、少年が感じるままをただ演じる。
断片で見る夢だけに、繋がりもわからなければ事情もわからないまま、ただ彼の気持ちだけが心に満ちた。
(あの人……)
ソーラの頭の上に剣を振り下ろしたあの男。
最初に夢で見たのは国境の洞窟だったろうか。
いや、ナイトが空の城に初めて来た日、うとうとしたときに現れたのがそうだったか。
(……それとも、ずっと昔から?)
いずれにしろ、最近彼は頻繁に夢に訪れる。
(そう言えば、昨日も夢に出てきたっけ)
ドアを蹴破るように入ってきた青年が冷たい目でこちらをみつめ……
思い出すだけで、背筋が粟立つ。
何故かはわからなかったが、殺されるべきシチュエーションだった。
だのに彼はソーラの口を割らせるため、殺さずに無理矢理抱いた。
抵抗すると、ポケットから出した足かせでベッドに固定され……
(あ、)
ソーラは真っ赤になって、顔を布団にうずめた。
「…………」
とりあえず、カーテンを開ける。
(ナイトとエルデ、どうしてるかな)
別れてから、もうずいぶんになるなと思いながら起きあがり、部屋の外に出る。
庭には針葉樹が生い茂り、絵本で見たクリスマスツリーのように雪が美しくかぶさっていた。
「今日も早いな、姫」
後ろを向くと、エティエンヌ王が腕を腰に当ててこちらを見ている。
「まあね」
「寝られなかったか?」
「そんなことない。もうすぐ朝日が昇るから起きただけ。当たり前のことだよ」
エティエンヌは微かに笑う。
「ここでは冬に朝日を拝める日は、年に数回あるかないかだ」
「そうなんだ」
言ってから、ふとソーラはエルメスに来た目的のことを思い出した。
エルデとナイトがいないからと言って、のんびりもしてられない。
これはそもそも自分の戦いなのだから。
「ねえ、三日間限定の許可って、結局どうなったの?」
「ああ」
エティエンヌはつまらなさそうに肩をすくめる。
「肝心のナイトがああじゃ、絶対に貸さないと意地を張る必要もない。好きなだけ読むがいいさ」
「ありがとう!」
ソーラは駆け出す。
「おいっ!」
本の場所は昨日シャルルから聞いていた。
あとはもう許可だけだったのだ。