エルメス 王の私室(ナイト)
「二年前にエルメスの北の洞窟から、古い石版が発掘されのが始まりだった」
連れだって王宮にと向かったナイト達一行は、エティエンヌの私室に通された。
部屋はせいぜい二十畳程度で、少人数で語り合うには丁度いい部屋だ。
とは言っても、エティエンヌの私室とはこの部屋を指すのではなく、この部屋を含む五階建ての瀟洒な別荘を指している。
調度は無粋なナイトにはわからなかったが、エルデの呟きからすると相当なものなのだろう。
「古代文字で書かれたそれを、余は解読しようと試み、マーズの図書館から本を取り寄せ先日、完訳に成功した」
エティエンヌ王は炭酸入りブドウジュースを優雅な仕草で口に運ぶ。
「だが、そこに至るまでには様々な妨害があった。そうだな、シャルル?」
呼ばれてシャルルは頷く。
「石版が発掘されてからというもの、突然魔物が増え、そしてその石版を破壊しようと集団で襲ってくるようになったんや。その中心をなしていたのが蒼い狼。そいつのせいで、エルメス軍の兵士百人の生命が奪われた」
リュックが誇らしそうな顔を兄に向ける。
「だから兄ちゃんがお城にずっと詰めてないといけなかったんだね」
「そや」
エルデが顔をしかめた。
「魔物は、間違いなく石版を壊しに来たのか?」
「そうとしか思えん。石版のところにやってきては、警備の兵を裂いていくんやからな」
エルデの眉間に縦筋が三本入った。
「奴らは石版の文字を読みに来たのではないか?」
「……あ?」
エティエンヌがエルデをちらりと見下した。
「何か知っているなら喋れ」
エルデは小さく首を振った。
「……いや」
そうして顔を上げる。
「わからない。それより、その石版には何と書いてあったのだ?」
「お前が言わないなら、言わぬ」
エティエンヌは子どものような事を言う。
仕方なくナイトは会話をつなげるために、なけなしの断片を披露する。
「預言の書というのはそれか?」
と、リュックとソーラを除く全員が、ぎょっとしたようにナイトを見た。
「な、何故それを!」
言ったのはシャルルとエルデだ。
まさかここで、当てずっぽうとは答えられない。
「蒼い狼がそんなことを言っていた」
ような気がしたので、そう言ってみる。と、
エルデが辛そうな顔をした。
「……ということは、やはり魔物は石版の文字を確認するためにやってきたんだ」
「どういうことや?」
エルデは頷く。
「確証がなかったので話さないで置こうと思っていたが、今のナイトの一言で間違いないと思った」
「そやから何でやねん?」
「かつて、アース王国でも石版が発掘されたことがある。そのとき、同じように魔物が現れ、石版の文字を読んだあと、それを壊して消えた」
エルデはぐっと手を握った。
「……少なくとも、そこにいた人間のうち、ユスティーツと俺はそうだと思った。だが、大人達は皆、頭の悪い魔物が文字を読むはずがない、ということで取り合ってはくれなかった」
「ユスティーツって誰や?」
「マーズの枢機卿ユスティーツ・リヒターのことだな?」
言いながら、エティエンヌが興味深そうにエルデを見る。
「で、そこには何と書いてあった?」
「壊されたので、わからなかった」
「なんや、間抜けな話やなあ」
エルデがじろりとシャルルを睨む。
「そちらはどうなんだ? 全て完璧に残っていたのか?」
「一部、削れてわからんとこもあったけど、概ねな」
シャルルは肩をすくめた。
「それに、王様が足りないところは自分が補う、とかなんとか言うて、勝手に文章作りおったさかい」
「余には簡単なことだ」
ナイトはいぶかしむ。
「それは捏造に類することではないのか?」
「問題ない。余が補ったのは全て助詞だ。それに、補った場所はわかっているのだから、捏造もくそもない」
「なるほど」
「どうする、俺が言うていいんか?」
「駄目だ。余が詠唱する」
ソーラがぱちぱちと拍手をすると、エティエンヌは立ち上がって片手を上げる。
「預言の書其三。
降り止まぬ雪、全てを覆うとき、魔の使いが現れる。
蒼き炎は拒絶の炎。調和を崩し、天を制御す。
勇者を倒すはその炎」
王は目を細めてやや天井の方を見る。
「今年になってから、夏も雪が降り止ます、今に至っている」
ソーラが驚いたようにエティエンヌを見た。
「年中降ってるんだと思いこんでたよ」
「夏至の前後三ヶ月は降らない」
シャルルがエティエンヌをうるさそうに見た。
「はよ、続き言いーな」
「勇者は○○○○○落とし、その○○を○○れる。
そのとき魔はいびつな世界に暗躍すること可なり」
「ここのところだけ、文字が擦れてちょっとわからんとこあるねん」
「心配せずとも、そのうち明らかになる」
エティエンヌが胸を張った。
「この先、勇者の余に降りかかる事例があれば、それがその預言の書に書かれている内容となる」
「……勇者?」
エルデが表情をゆがめて王を見ると、王はじろりと相手を睨む。
「石版を解読していたとき、蒼き狼は真っ先に余を狙ってきた。したがって、余が勇者だ」
「……へえ」
「蒼き狼はエルメスではちょっとばかし有名な魔物なんや」
少し苦笑いしながらシャルルが補足した。
「五百年に一度目覚め、千人の肉を食らって再び眠りにつく。魔王が復活する日まで。……てな言い伝えのある奴で」
「隠さず、もう一つの言い伝えを言え」
偉そうにエティエンヌ王はシャルルに向かって顎をしゃくる。
だが、シャルルは気まずそうに首を振った。
「俺には気の毒でちょっと言えん」
「言わない方が気の毒よ」
エティエンヌは立ち上がってナイトの右腕を指さす。
「青き狼の炎の呪いは決して消えない」
エルデが目を見開く。
「なんだと? そんな馬鹿な!」
「……焦るなよ」
言いつつエティエンヌはまるで詩をそらんじる詩人のように少し顔を上げてシャンデリアに視線を送る。
いちいちもったいぶった男だ。
「……たった一つの方法を除いては」
全員が注視する中、エティエンヌは腰に手を当てる。
「紫竜のみそれを治癒する力を持つ」
「紫竜?」
シャルルが肩をすくめる。
「そやけど、その紫竜がどこにおるんかとか、どんな奴で、どうやったら願いを聞いてくれるんかとかは全然わからん」
青い顔をさらに青くしたソーラが顔をこわばらせた。
「そんな……」
「……いや」
だが、エルデがわずかに首を振る。
「俺にはわかる」
「えっ!」
今度は全員がエルデを見つめる。
「どうやったら願いを聞いてくれるのかはわからんが、紫竜がどこにいるかは知っている」
「ど、どこや?」
エルデは頷く。
「話せば長いが、紫竜はそもそもアース王国の守り神としてあがめられており、特に大地の城の神官からは神の使いとしての……」
ナイトはエルデを睨んだ。
「手短に話せ」
エルデは鼻白んだ顔をしたが、再び話し出す。
「とにかく色々あって、紫竜はアース王国ではなく、この大陸の南にある島に住んでいる。その島の名は我が大地の城にちなみ、シーガイアと名付けられている」
「シーガイア!」
シャルルが驚いたような声を出した。
「何や、海岸のすぐ側にいきなり壁みたいな高い山がそびえ立ち、黄泉まで続こうかという深い洞窟以外には何もないっていう、あの島か!」
「ご説明、ありがとう」
エルデは何故か悔しげにシャルルを見つめ、そして再び話し出す。
「その洞窟の奥に紫竜が住むと大地の城では語り継がれ、今でも神官となるべく選ばれた者は、洞窟の最初の曲がり角まで歩いて、祈りを捧げて戻るという風習が残っている」
ナイトは頷く。
「要はその洞窟の奥まで行けば、紫竜に会えるわけだな」
しかし、シャルルは首を振った。
「はっきり言うて、簡単とちゃうで。そこのバケモンのレベルは尋常やない。それに、洞窟も複雑に分岐して、入ったきり出てこれへん奴、今までにもよーけおるって聞いてるし」
「しかし、行かねば腕が治らんのなら、行くだけのことだ」
「言っておくが、シーガイアに入るには、大地の城の許可がいる」
エルデが満面に笑みを浮かべた。
「特にお尋ね者のお前が行くとなると、お忍びだと言って顔を隠す必要があるが、そんな胡散臭いやつ、相当の地位のものが許可を与えない限り、船を島につけることすらできんだろう」
ナイトは仕方なくエルデに頭を下げる。
「……頼む」
「おやすいご用さ」
と、今まで黙っていたソーラがにっこりと笑う。
「じゃあ、すぐに出発しようよ」
しかし、ナイトは少し考えた後で首を振った。
「貴方はここに残りなさい」
「……え?」
「元々、姫が足かせを外すのを手伝うために、我々は一緒に旅をしているのです。俺が腕を治すために行く場所に、貴方がついてくる必然性はどこにもない」
ソーラは不満顔でねめつける。
「いつも手伝ってくれてるんだから、今度はこっちが手伝う番だよ」
ナイトは眉をひそめる。
今までになく危険で、かつ迷いやすい洞窟。
そんなところにソーラを連れて行く訳にはいかない。
「手伝うどころか、足手まといです」
凍り付いたようにソーラは目を見開く。
本当はソーラの実力はナイトも買っていた。
だが、守りたいという気持ちの方がそれを上回る。
「ナイトの言う通りだ」
珍しくエルデもナイトの言葉を肯定する。
「二人で行く方が、早く行って早く帰れる」
「……そっか」
ソーラはさみしそうに目を伏せた。
「わかった」
シャルルがソーラの肩を叩く。
「大丈夫や。ナイトやったらすぐに戻ってくるって。それまでこの辺りを観光したらどや。名所やったら一杯あんで。雪の像が飾ってある大通りパークとか、ワカサギ釣りもスケートもできる湖とか、国境沿いやったら、吸血鬼退治で有名な町と、そのときの犠牲者を弔う目的で作られた教会なんてのもあるし……」
と、エティエンヌがびしっとシャルルの手をはたいた。
「気安く触るな」
「ええやん、まだ誰のもんでもないんやし」
「だから余のモノだと言ってるだろうが!!」
エティエンヌの言葉を聞きながら、やはり自分の側に置いておいた方が守れたか、とわずかにナイトは後悔した。