エルメス ペリエ邸2(ソーラ)
何となく嫌な予感がする。
成り行き上、ナイトを止めることができなかったのだが、心を渦巻く嫌な気分はどんどん増加していく。
「どうしよう、エルデ」
隣に立つエルデは、小さく首を横に振った。
「エルメスの王は一度言い出したら聞かない。シャルルは王の腹心だが、その彼が王の心理を読み、ナイトとの試合を言い出した以上、ナイトは試合をせざるを得ない」
ソーラはわずかに眉をひそめた。
あの雪のほこらでの戦い。
ソーラとエルデはナイトと分断されて戦っていたが、あそこで何があったのか。
何事もなかったように戻ってきたナイトだったが、次のグリズリーとの戦いでは左手で剣を握っていた。
(……絶対に変だ)
何かある。
だが、何がと聞かれると答えられない。
それに、仮にナイトが右腕を怪我していたとして、それを理由に試合をやめるような二人ではない。
「アンガール!」
審判のシャルルが構えるようにと合図をした。
「プレ!」
準備OKとの二人の応答に、シャルルが試合開始のかけ声をかける。
「アレ!」
基本はフェンシングの試合だが、内実はかなりハードな剣技だと見て取れた。
ソーラが知っているフルーレやエペとは違い、斬り技もあり、突き技もある。
(……ナイト)
不安がますます増大してきた。
「大丈夫だ、ソーラ」
エルデが青い顔をしながら、それでも自分に言い聞かせるように呟く。
「ナイトが負けるはずがない」
「うん」
今は信じて見ているしかない状況だった。
自分があの二人の試合の中に飛び込んだら、ナイトに恥をかかせるだけなのだから。
観客が見守る中、二人は剣を交わらせる。
あの性格からして豪快でかつ攻めるのが好きそうにみえたエティエンヌは、意外にも冷静かつ沈着な戦いをした。
後ろに下がりながら誘いをかけ、相手の攻めを優雅にかわしてアタックする。
(……やっぱり妙だ)
いつも一緒に戦っているからこそわかるが、明らかにナイトは万全でなかった。
相手の隙を待つまでもなく、隙を作らせて確実に突いてくるあの攻撃が見られない。
一気に勝負にいって、エティエンヌにカウンターを食らうのを警戒しているのかもしれないが……
冷や汗がソーラの脇を伝う。
ナイトの表情はいつもどおりだが、それは彼の場合には大丈夫だという保証にはならない。
「ねえねえ」
驚きの声に横を見ると、砂糖を抱えたリュックがあっけに取られたような顔で立っていた。
「なにやってんだ、俺の兄ちゃん?」
「試合の審判だよ」
エルデがわかりきったことを説明する。
「なんで? そんでおじさんと王様が……」
言いながらリュックの顔から血の気が引いた。
「駄目だよ、おじさん、怪我してるのに!」
「え?」
ソーラはリュックを睨む。
「どういうこと、それ!」
「おじさん、俺を庇って魔物に右腕を焼かれたんだ……」
皆まで聞かず、ソーラは転がるように試合会場に飛び込んだ。
「待って!」
そうして、エティエンヌの前に立ちふさがる。
その眉間にサーベルが突きささる刹那、
「アルトっ!!」
シャルルの静止の言葉が飛び、間一髪という距離でエティエンヌの剣は止まった。
「どういうつもりだ?」
興を削がれたという怒りにエティエンヌの剣先は震えている。
「余と結婚できるからって、調子に乗るんじゃないぜ!」
「エティエンヌ王の言う通り、どんな理由があろうとも試合の邪魔をするなど言語道断です」
後ろから、これもまた怒ったような敬語が聞こえた。
ソーラは眉間にしわを寄せようと努力する。
「怪我、してるんだよ、ナイトは」
しかしエティエンヌは不愉快そうに肩をすくめる。
「そんなことは百も承知だ」
「知ってるんだったら、フェアじゃない」
「なら、断ればよかったのだ。勝負を受けた後でそれを理由にして棄権するほうが余程卑怯だ」
「断れるような状況じゃなかった」
言いながら、エティエンヌも試合して初めて右腕の故障に気づいたのだろうから、ソーラの言い方は不味かったかもしれないと思い直す。
「とにかくそこをどけ。その怪我を一生抱えていかねばならないような腕にしてやろう」
「そんな!」
真剣勝負とはそんなものだと思いつつも、何となく理不尽さがぬぐいきれない。
「正直言うと、この件でナイトが戦う必要なんてどこにもない」
「なんだと?」
「本来この試合は当事者である僕が受け、君と戦うのが筋だ。ナイトが出てくるのはおかしいと思う」
が、
「ソラ、安心しろ。この程度の怪我は怪我のうちに入らん」
ソーラはぐいっと後ろから伸びた手に横に押しやられた。
「ちょっとナイトっ!」
ナイトはソーラがナイトの怪我をかばい立てする為だけに理屈をこねてると思っているらしい。
「そうじゃなくて、あの……」
「いいからナイトと試合させろ! 邪魔だ!」
エティエンヌも腰に手を当ててソーラを威嚇する。
「とにかく女は下がってろっ!」
「え?」
女と言われ、思わず別の怒りにエティエンヌを見据えたそのとき。
「申し訳ありません!」
ソーラの横に飛び出し、そして地面に頭をつけたのはリュックだった。
「俺が悪いんです」
「おい、リュック……」
シャルルが慌てて弟の側に寄ったが、リュックは兄を見ずに真っ直ぐエティエンヌを見据えて言葉を継いだ。
「俺を助けようとして、おじさんは蒼い狼に腕を焼かれて……」
「なんやて!」
シャルルの表情が緊張をはらんだ。
「蒼い狼? うそやろ?」
「ほんとうだよ、兄ちゃん」
リュックはポケットをごそごそとさぐり、手のひら大の三角形のものを取りだして地面に置く。
見ると、それは強く蒼い毛に覆われた獣の耳だった。
「こ、これは!」
「おじさんが、俺を助けたときに斬り落としたんだ」
シャルルがゆっくりとそれを拾い、エティエンヌに渡す。
しんとした静かな数秒が流れ……
「やつの耳や」
「……確かに」
エティエンヌは顔をしかめ、そして残念そうな表情ながらもゆっくりと剣を鞘に収めた。
「試合はお預けだ。詳しく聞かせてもらおう」
雪の混じった冷たい風がひとしきり吹き、わずかに気温が下がったような気がした。