エルメス ペリエ邸1(ナイト)
「ほんま済まんかったな」
行きがかり上、シャルルの屋敷に案内された三人は、温かい食事と風呂の後、ゆっくりと居間でくつろいでいた。
「いや、当然のことだ」
首を振ったナイトの側に、シャルルとリュックの母親がコーヒーを置いた。
エルデも大きく頷く。
「それに君の弟は勇敢だった」
「まあな」
エルデがお世辞を言うと、リュックはまんざらでもなかったのか鼻の下を指でこする。
「あら、大変、お砂糖が切れてたわ」
「あ、俺、ルイーダさんのお店でわけてもらってくるよ」
リュックが言うのにナイトは慌てる。
「俺達はブラックで構いませんから」
しかし、母親はにこにこ笑って首を振る。
「お気になさらないで。私がおやつを作るのに必要だから、リュックは自分から行くって言ってるんですよ」
「へん、そんな言い方すんなよ」
言いながらリュックが出て行った。それを見てソーラが目を細めて微笑む。
恐らくスカイ王子のことでも思い出しているのだろう。
「ところで、さっき道々で聞いた話やけど」
話というのは三日間限定特別臨時閲覧許可書のことだ。
「エティエンヌに連絡しといたから、もうすぐ返事来ると思うで」
そう言えばここに着いてすぐ、シャルルは何か書面をしたためて隣の若者に小遣いと共に渡していた。
「ありがとう」
ソーラがにっこりと笑うと、シャルルは不思議そうな顔で姫を見る。
「それはそうと、俺が来たときにグリズリーを一発ですっころがしてたん、お嬢ちゃんやな?」
「お嬢ちゃんじゃないけど、すっころがしたのはボクだよ」
「見たことない技やったけど、誰に教わったんや?」
ソーラは少しはにかみながらシャルルを見る。
「何となく思いついて」
「へえ!」
シャルルは感心したようにソーラを見下ろした。
「そりゃ、天才やな」
「違うよ。先生がいいだけ」
流し目でこちらを見られてどきりとする。
「ね、それより、君、ナイトと準々決勝で戦ったシャルル君なんでしょ?」
「ああ、そや」
「じゃあ、さっきの技が霧氷斬り?」
「そや」
キラキラ輝く目で、ソーラはシャルルにお願いのポーズをした。
「もし、差し支えなかったら教えて欲しいんだけど」
シャルルはわずかに赤くなる。
「条件次第ではええで」
「条件?」
わずかに構えたエルデとナイトに向かってシャルルは笑った。
「さっきのクマすっころがす技、教えてんか」
「ああ、小外刈りね」
「そんな名前の技なんか」
ほっとしたと同時に、右腕のずきずきとした痛みが激しくなってきた。
だが、姫を置いて休みに行くわけにも行かない。
と、
「……ん?」
何となく、表が騒がしい。
シャルルが眉間にしわを寄せて立ち上がった。
「……まさか」
言いながら彼がドアを開けると、道の向こうからひときわ賑やかな行列がやってくるのが見える。
「あほ」
シャルルが呟いた方向には、芦毛にまたがった複数の騎兵。そしてその先頭をいく白馬にまたがったこの国の王。
「青き王……」
エルデがどもりながらいきなり本のアプリを開いて、何かをメモりはじめた。
「本人自ら現れるとは……」
やがて行列は近所の住民達の好奇の視線を受けながら、シャルルの家の前で止まる。
「よく来たな、ナイト・サリヴァンっ!」
馬の上から偉そうにエティエンヌ・グラシエはこちらに声をかけた。
しかしその視線はナイトを通り越し、エルデを素通りしてソーラの上で止まる。
「ようこそ、エルメスへ」
エティエンヌは突然馬を下り、つかつかとソーラの側まで来ると、ひざまづいてその手をとりキスをした。
「な、な、な……」
あまりのことにソーラは硬直したまま目を見開いて動かない。
「何年か前、空の城の御前試合に招待されたときに垣間見た幼い姫からすると、驚くほど美しくなった」
言われて初めて、エティエンヌが小さい頃からアース連合王国で海、空、大地の順で毎年行われる武術大会には必ず招待されていたことを思い出す。
「なるほどナイト、お前は空の城の姫を花嫁としてここに送り届ける従者か」
エティエンヌは立ち上がりながら、つっとナイトに視線を送る。
「……は?」
疑問の言葉を発してから、とりあえずエティエンヌの言葉を訂正するため、ナイトは大きく首を振る。
「残念だが、空の城の姫には婚約者がいる」
しかしエティエンヌはどういう訳か、にやりと笑って頷いた。
「それがいやで余のところに逃げてきたってことは百も承知だ」
否定するかと思いきや、ソーラはまだぽかんと口をあけたままだ。
「幼少の頃に見た、りりしい余に惚れちまった気持ちはわかる」
「ちゃうって」
視線を移すと、シャルルが両手を勢いよく振っているのが見えた。
「余も罪な男よ」
「ちゃうって、エティエンヌ。それはほんまに勘違いや」
「勘違いな訳がない。大帝が空の城に余の婚約者として二の姫を迎えたいという使者を出してすぐ、マリン王子と婚約発表。そしてほとんど同時に姫が忽然とアース王国から消えたというニュースは耳にしている。そして姫君本人がここエルメスに現れたとなると、最早疑いはないだろうが」
「……いや」
ようやく呪縛が解けたらしいソーラが、小さく口を開く。
「やっぱり勘違いだよ。ボクはマリン王子と婚約した覚えはないし……」
「よく言った!」
エティエンヌが突然立ち上がってソーラを横抱きにしたので、ソーラはひきつった。
「って、あ……」
「それほどまでに余にぞっこんなのか! しょうがない、お前の一途な乙女心、受け取ってやる」
ソーラは手足をばたつかせてエティエンヌから離れようとしたが、エティエンヌは抱きしめて放さない。
「まあ、そう照れるな」
我慢できずに思わずナイトは一歩前に出る。
「ちょっと待て!」
自己中心にもほどがある。
「姫が嫌がっている! 離せ」
「どこが嫌がってるって?」
口をぱくぱくさせているソーラにエティエンヌは笑いかける。
「静かに余にされるがままになっているだろ?」
「違う。驚きの余り声も出ないだけだ」
エティエンヌは目を細めた。
「まさか、従者風情が横恋慕し、我ら二人の恋を邪魔しようとしているのか?」
「し、失礼なこと言わないでよ!」
ソーラが顔を真っ赤にしてエティエンヌを睨む。
「ナイトは従者じゃない。僕の同士だ」
「ほお」
「それに僕が君の所に来た理由は恋心でもなんでもなく、三日間限定特別臨時閲覧許可書についての事務上の話だよ」
エティエンヌはわずかに首を動かした。
「何の話だ?」
それまで呆気にとられた風だったシャルルが肩を怒らせる。
「って、俺の手紙読んできたんと違うんかい」
「お前の手紙など知らぬ。余は庁舎の役人から、昨日届いたばかりのアース王国からの指名手配人相書きとそっくりな男が、貴人と思わしき少女を連れてやってきたと聞いたのでここに来たんだ」
「そやったら何で俺の家ってわかったんや?」
「聞き込み隊を先発させたからな」
シャルルは溜息をついた。
「とりあえず、その姫さん離しぃな。窒息しそうやで」
「そうか、余の魅力に息も絶え絶えか」
エティエンヌが力を緩めたのでようやくソーラはエティエンヌから離れ、ふらふらとナイトの側に来た。
そして、ナイトの腕に手をかける。
「ねえ、どういえば、あの人はわかってくれると思う?」
切実なソーラの問いにナイトが答えようとしたとき、
「貴様っ!」
エティエンヌが血相を変えてナイトを睨んだ。
「余に喧嘩をふっかけて、ただで済むとは思っていないだろうな」
意味のわからぬことを言うので黙っていると、王はわずかに眉を上げた。
「まあいい、空の城の天覧試合でお前を見たときから、一度手合わせをしたいと思っていた」
そうして、腰のサーベルを抜く。
「抜け。そして余と勝負だ」
ナイトは眉間にしわを寄せた。エティエンヌの言葉は理解不能だ。
「断る」
「……あ?」
エティエンヌはひどく不機嫌な顔になった。
「余の婚約者に触れるなど、本来は縛り首にでもしてやりたいところを、温情で剣を抜かせてやろうと言っているのに、何だその態度は」
「……話が見えんが」
「だから今、姫の手がお前にふれているだろうがっ!」
首をかしげると、それまで隅っこでじっとしていたエルデが哀しげにうつむく。
「エルメスでは、男が未婚女性に跪き、そして手を取ってキスをしたら結婚の申し込みなんだ。そして女は拒否の場合はキスを拒むか、あるいは男が立つ前に申し訳ございませんとお詫びをするんだ」
ソーラは驚き、引きつった顔をエルデに向ける。
「そんなの、早く言ってよ」
「すまん、さっきは俺も突然のことにヒューズが飛んでしまって」
エティエンヌは肩を怒らせた。
「どうでもいいからナイトっ、さっさと姫から離れろ! そして剣を抜けっ!」
「まあ、ちょい待ち」
と、こんな状況下なのに、どうしてかやんわりとさえ聞こえる方言でシャルルはエティエンヌに対峙した。
「姫さんはエルメスの求婚方法を知らんかったみたいやし、ここはとりあえず最初に話を戻して……」
「郷にいれば郷に従えだ。エルメスで人を殺せば懲役十年以上だが、知らなかったからって無罪で済むものか」
「法と習慣はちゃう。もう少し大人になりーな」
しかしエティエンヌは胸を張った。
「余はキングだ。余が法だ」
「ちゃうちゃう。国会で成立した法律に、サインをするのがお前の仕事や」
言いつつもシャルルは一つ溜息をつき、ナイトを見る。
「どうやらうちの王様は、どうあってもあんたと勝負がしたいらしい。それも、なんや熱いもの賭けんとあかんさかいに、こんなこと言いだしとるんや」
思わず眉間にしわがよる。
「うちの姫君を賭けるなどという恐れ多いことを口にした段階で、他国の王といえども許し難い話だ」
「ちょ、ちょっとナイト!」
ソーラが慌てたように顔をのぞき込んできた。
「僕のことはどうでもいいから、とりあえず、平和裏に事を進めようよ」
しかしエティエンヌはソーラの言葉など聞いていないようで、ふてぶてしい笑いをナイトに向ける。
「なら、何を賭ける?」
ナイトは軽く手を握る。
腕に鈍い痛みがあるが、握力は無事だった。
「……我々が欲しいのはお前がマーズの図書館から借りた本だ」
「よかろう」
エティエンヌがぱちりと指を鳴らすと、側にいた男達がさっとドアから出て行った。
そして数分後、ドアから五十メートルほど先の空き地まで、幅一メートルの赤い敷物が敷かれていた。
「行くぞ」
ナイトはエティエンヌについて家を出た。