シーガイア4(ナイト)
視野が半分になるということは、単純に視覚に関するパラメータが半分になるということではなかった。
戦闘はもちろん日常生活でも、想像すらしなかった不便さがナイトに付きまとう。
(だからこそ)
他の二人の足手まといにならないために、ナイトは鍛錬を欠かさなかった。
具体的には海の魔物たちと一人で対峙し、HPがなくなる寸前まで戦い続けた。
レベルは上がってもさほどスキルアップしないので、人の倍は戦わねばならない。
時折、エルデが回復魔法だけ助けてくれることがあったが、魔物を倒すことは一人でこなした。
そうして日は過ぎ、
「ナイト、話がある」
「何だ?」
船は順調に進み、あと数時間でエルメスの港につく。
思えばソーラと別れてから一ヶ月が経とうとしていた。
「お前にソーラは渡さん」
冗談かと思ったが、エルデの表情は真剣だった。
「渡すも何も、元々俺とは別世界の人間だ」
エルデは侯爵家、ソーラは王族。
いわゆる王侯貴族という奴だが、ナイトはあくまで武家であり仕える身だ。
「そんなことはない。一緒に旅をしている間に心が通うこともある」
ナイトは肩をすくめる。
「身分が違うと言っている」
「身分が何だ、お前はお尋ね者だろう? アウトローにはそんなことは関係ないはずだ」
ナイトはつくづくとエルデを見た。
「つまり、紫竜に初恋の成就を担保に取られたのが悔しくて、罪のない俺に当たっている訳だ」
「いや、それは、その……」
エルデはうつむき、それからがばっと顔を上げた。
「でも、お前にソーラは渡さんからな」
わずかにナイトは笑う。
「いいか、俺達はソーラを男にするために旅をしている。その目的を果たせば、俺もお前も問題外だろう」
「そうなんだ」
エルデはいかにも悔しげに呟く。
「脈はない、そう思っていたときは、あいつの喜ぶことなら何でもしようと思っていた。だが、今、初恋が成就する確率が0ではなかったと知って、何だかなあ、辛くなってきて……」
船縁に身体をもたせかけ、何となく不抜けたエルデを見つめたそのときだった。
「おーい、手伝ってくれっ!」
向こうで声がしたので、ナイトはエルデとの話をとりやめて船首に向かう。
見ると、男達が三人がかりで、何か海から引き上げている。
「船に何かがぶつかって絡まってやがんだ。手伝ってくれねえか?」
否応もなく、ナイトは彼らの後ろに回って綱を引っ張る。
やがて、綱の先に引っかかっていたツボのようなものが引き上げられた。
「何が入ってるんだ?」
ツボの上に載った海藻を男の一人が取ると、中から大きなタコが現れる。
「なんだ、たこつぼかよ」
「だが、こいつ大物だぜ!」
ざわざわと船員たちが騒ぐ中、ふとナイトの視線が止まる。
(……?)
タコが抱えている大きなアコヤ貝がわずかに口を開いた隙間から落ちた黒い石。
それはどこかで見たような光沢を持つ。
魅入られるように近づき、そして石を触る、と…………
何となく、外がざわざわとしているのに気がついた。
ナイトはわずかに眉をひそめる。
静かなこの村に相応しくない喧噪。
「…………!!?」
古い樫の木のある小さな広場、そこに村人達が集っていた。
そして、その集団の中央には、
(……子供?)
五十人ぐらいの人間の子供が怖々彼らを見つめている。
「これは、一体……」
腕をつつかれて右を見ると、あばたが肩をすくめて呟いた。
「赤鼻が連れてきたらしい。」
「まさか!」
確かに今日の見張りは赤鼻の番だ。
だが、誰も村に入れないという掟を彼が知らないわけがなかった。
「……この子達は、捨て子らしい」
「え?」
「親に見放されて山に捨てられた子供達らしい」
確かに五、六歳ぐらいの子供から、上は十代半ばぐらいまでのみすぼらしい格好の少年少女だ。
「……しかし、何故村に入れた?」
言いながらナイトはその中で、最も年長と思われる少年に目を移した。
年端がいかないにしては、度胸の据わった眼差しだ。
色は白く、女装すれば女でも通るような顔立ちが目を惹く。
肩までの金色の髪がふわりと風になびいた。
「赤鼻は、彼らを天の贈り物だと言って連れてきたんだ」
ナイトは目を見開く。
その意は一つ。
「彼らをこの村から出さないつもりなのか?」
「そりゃそうだろう。というか、連れてきた以上はそうするしかないだろう?」
前にいたお下げ髪がこちらを見る。
「親が探しに来ることもなく、山で熊に襲われるか飢え死にするかしかない子供らだ」
「……しかし」
と、あばたが手を挙げた。
「子供達の前で、彼らをどうするかを論議してどうする?」
言われて皆、はっとしたような顔をする。
「集会堂で彼らを休ませよう。その間に俺たちが彼らの今後を考えるってのはどうだ?」
賛成の声が上がる。
「では」
あばたは何故かナイトを指さした。
「お前、子供達を頼む」
「わかった」
あまり、議論は好きではない。
それをわかって彼は子羊の群れを彼に託したのだろう。
「こっちへ」
一団の長と言うにはあまりに幼いが、それでもそんな風格を持つ少年に目を向けると、彼は素直についてきた。
すると、他の子供達も身を寄せ合いながら後に続く。
集会堂に取りあえず座らせると、ナイトは小屋に保存していた林檎をカゴ一杯取ってきて、それを人数分出して床に置く。
「食え」
食べ物を見て、それまで警戒していた子供たちの目の色が変わった。
我先にと大きい林檎を手に取り、がつがつと食べ始める。
よほど飢えていたのか。
と、目に入ったのは年長の少年。
彼だけは、全員に行きわたったのを確認してからそっと最後の一つに手を伸ばす。
その林檎は他より幾分青くて小さい。
「お前はいい奴だな」
言うと、驚いたような表情がこちらを向いた。
その瞳が光を受けてきらめく。
「……変わった目の色だ」
変わっているのは目の色だけではない。
ある種の覚悟を決めた剣士の瞳と同じ強さをそこに感じる。
「そう?」
だが、初対面でそんなことを言うのも気が引ける。
「暗い場所では琥珀、明るい場所では蜂蜜のように見える」
ナイトの言葉に返事はせず、彼は林檎をかじった。
甘酸っぱい香りが鼻腔に至る。
「何故、ここに来た?」
少年は気むずかしそうに、ふいっと向こうを向いた。
「それはもう、話した」
村人達に、根掘り葉掘り聞かれたのだろう。
構わず続ける。
「……親に捨てられたと?」
「捨て子は多いが全てではない。貧しさ故に、出来が悪いという理由で捨てられた子もいれば、飢饉で親を亡くした者もいる」
「お前はどうなんだ?」
再びいぶかしむような目。
「何故、そんなことを聞く?」
「……初対面の人間と会話するときには、まず相手のことを尋ねるものではないのか?」
言いながら、それが答えの全てでないことをわずかに自覚する。
珍しく、自分はその少年に興味を持ったのだ。
だから聞いた。
「僕には親はいない」
何となく、予想通りの答えが返ってくる。
「親がいれば、お前のような子を簡単に手放しはしないだろう」
美しく、そして聡明そうな。
「……いてもいなくてもこうなってたさ」
大人っぽく振る舞ってはいるが、長いまつげの目を伏せた顔はまだ幼い。
ナイトは肩をすくめた。
「そんな哀しいことを言うな」
しかし少年はわずかに目を伏せる。
「存在するだけで許されない、そんな人間だっているんだよ」
ナイトは少年の身体をつくづく眺めた。
服に覆われていない部分に見える無数の傷。
度重なる暴力にさいなまれた痕だ。
(……おや)
林檎を食べ終わった彼は、いや、他の子供達もそうだが、何一つ残してはいなかった。
芯や種までむさぼったのだ。
「……おい」
それだけで、彼らが一体今まで町の人間からどういう仕打ちを受けてきたかがわかる……
「おい、ナイト!」
ふと気がつくと、エルデの顔が目の前にあった。
「しっかりしろ!」
ナイトは首を一つ降って、額に手を当てる。
「俺は?」
「トリップ状態に入っていた」
「何か喋ったり、騒いだりしなかったか?」
「どちらかと言えば、立ったまま気絶しているように見えたが」
「ならいい」
突然剣を抜いて、他人に斬りつけたりさえしていなければ実害はない。
「船は大騒ぎさ。さっき引き上げたタコが持ってた貝から、でかい真珠がでてきたからな」
「……そうか」
ナイトはもう一度手のひらを見る。
さっきの黒い石が、すっと手のひらに溶け込む瞬間を思い出して。
(……まるで、俺の中で石が別の代物に生まれ変わろうとしているような)
思いかけてから、馬鹿馬鹿しさにナイトはもう一度首を横に振った。




