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三国開拓志  作者: へるぱあ
12/17

仕事を得たり

 

 ぼうっと眺める空は薄く雲を浮かべ、ゆったりと流れていく時間を演出してくれる。


 この時代に来てから7日ほど経ったか。

 この七日間はあっと言う間に過ぎた。


 ゆっくりとではあるが、この時代のリズムに体が順応しているのを感じている。

 時計を見ずともどれくらいの時間が経過したのかを肌で分かるようになった。


 標準時間がわからない今となっては腕時計やスマートフォン等、元の時代から持ち込むことになった時間がわかるツールは当てにならず、主に太陽を時刻の判断に用いるしかないのだ。


 ほうと紫煙を吹き出す。

 煙は中空に漂ったのちに、そよりと風に攫われて行った。


 ここ数日間に聞いた情報を纏めるに、今は十中八九後漢時代である。それも三国志の始まりとも言える黄巾の乱が起こっている時代だ。漢王朝が倒れ、新たな時代に向かって進んでいく時代である。


 すでに曹操というビッグネームも耳にしてしまっているし、間違いないだろう。

 夢なら覚めてくれていいぞと呟いてみても、見慣れた景色には戻らない。

 何より出会うもの触れるものすべてが現実的な感触を返してくる。


 如何にして。

 何故自分が。


 自分がここに連れてこられたことに何らかの理由があるのなら、使命のようなものがあるのだろうか。

 仮に使命が与えられていると仮定する。しかしその使命が何なのか知る術が無いことが問題だ。問題を提起されていないのに解を求めることなど不可能なのである。


 結局のところ、現状何もできることは無いのである。


 しいて言うのなら、元の時代に帰れることへの望みを捨てず、生き抜くこと。

 これが至上命題だ。


 ゆっくりと煙草を吸い、大いに思考の海に溺れていた稲井が3本目の煙草を吸い終わった頃、李典が屋敷の廊下を歩いているのが視界に入った。

 李典も稲井に気づいたようで、同じく木蔭へと歩み寄ってきた。


「やぁ」


 浮ついた感情はすっかりと落ち着いた。稲井は片手をあげて李典に挨拶をした。

 李典は立ち止ると、小鼻をひくりと動かすと、眉をしかめた。


「この臭いは……あれですか」

「え。あはは」


 どうやら李典は煙草の匂いと煙が嫌いらしい。

穎川からの帰還のおり、何とはなしに煙草に火をつけたところ、消すように言われてしまい泣く泣く消したのだ。


 この時代では煙草は貴重などという言葉でも言い表せない。文字通り、存在していないのだから。煙草自体はあるのだろうが、嗜好品として貴重なものであろうし、紙巻き煙草などは一般的ではないだろう。

 貴重すぎる一本を吸いきる前に消さなければならなかった稲井は、大変に意気消沈した。

 今、も吸っている途中であったのなら消すように言われていたことだろう。


「仕事。終わったのか?」


 煙草を吸いきることができたことに安堵しつつ、稲井は立ち上がった。


「はい。それでは行きましょうか」


 李典は稲井の考えを汲んでくれたようで、稲井の服装に合わせた服装にしてくれている。

 町娘然とした素朴な印象になってはいるが、やはり美人である。


 李典は稲井を先導し、二人は屋敷の門へと連れ立って行く。


 門の前に差し掛かると、厩の前で馬の世話をしている筋骨隆々の老偉丈夫が見えた。

 李典の叔父の李乾である。


 李乾とその息子の李整は曹操の幕下に入るために穎川での黄巾党討伐戦に赴いていたらしい。今後は曹操のもとで武官として働くことになるのだと李典からの説明があった。おそらくその為の軍備といったところだろう。


「叔父様」


 李典が声を掛けると、振り向いた李乾はぎょっと目を丸くしながらも、馬に充てていた櫛を止める。


「む。おぉ、曼成ではないか。このような時間に外にいるとは、珍しいこともあったものだ」


 馬もぶるると嘶いた。心なしか馬も驚いているように感じる。


「私でも日中に出歩くこともあります。第一昨日も街に出ていましたし――」


 ギロリ、と鋭い視線が稲飯を貫いた。


「え。な、なんでしょう……か?」


 なぜか李乾は稲井の方へと視線を移した。そこはかとなく視線に威圧感が籠っていることを感じた稲井は、蛇に睨まれたが如く硬直してしまう。

 顎に皺が寄っているのは不機嫌の表れか。


 李乾が口を開いた。


「稲井よ。曼成に好からぬ感情を抱きようものなら――」

「――滅相も御座いません!」


 稲井は脊髄で返答をした。

 堪らず背筋が伸び、居直ってしまう。


「……ならよいのだ」


 鬚を蓄えた顔に、にかりと笑みを浮かべ、李乾は稲井の肩に手を置いた。


「うぐぅっ」


その途端稲井は思わず声を挙げてしまう。

稲井は自身の肩関節が擦れ、摩耗する音を聞いた。


「お、叔父様! 力を込めすぎです!」

「しまった。加減を間違えたか」


 無意識に力を込めていたようで、李典の声に李乾はすぐに手を離した。

 流石は武人である。一般市民たる稲井の肩を握り潰すことなど文字通り片手間らしい。

 稲井は安堵の息を吐き、肩に異常がないことを確認した。


「それで、何用か。仕事でも探しておるならいくらでもあるぞ」


 李乾は厩の方を見やった。

 厩では兵士が数人、忙しなく働いている。その手に持っているのは馬具や遠征用の物資らしい。

 李乾に返答したのは李典である。


「これから稲井殿に町の開拓、及び整備のための視察に向かうところなのです」

「ん? 仕事ってそのこと?」

「ええ。説明も兼ねるつもりです」


 開拓とはどういった内容だろうか。

稲井は疑問符を浮かべたが、話の腰を折る訳にも行かず、黙って話を聞くことにした。


「期待しているぞ。留守は曼成、お前に任せる」


 李乾は李典を頼もしく見つめて言った。


「精一杯務めさせていただきます」


 李典は拱手の礼をとり、頭を下げた。稲井も見よう見まねではあるが礼をとった。

 李乾が鉅野を離れる具体的な日程は決まっていないが、曹操側の準備が整い次第迎えが来ることになっている。いずれにせよそう遠くないうちに出立することになるだろう。


「それでは、失礼いたします」

「うむ。励めよ」


 李乾と別れ、二人は屋敷の外へ出た。

 先を歩く李典に付いていくと、どうやら町の外へと出るらしい。

 街門を出ると、途端に人の営みは見えなくなる。

 堀の上に掛けられている橋を渡ると、地面は踏み固められていない自然堆積の大地になった。


「付いてきてください」


 李典はさらに先へ行く。

 体感で十数分、まっすぐに歩いて行くと、小麦畑が広がった。鉅野の民が手入れをしているという畑であろう。鉅野の地に入る時に車窓から見た覚えがあった。

 李典が立ち止まったことから察するに、彼女はどうやらここに連れて来たかったようだ。

 まだ緑色の穂の芳しい香りを、風が運んでくる。


「どう思いますか?」


 李典が言った。


「どうって?」


 李典の心中が察せず、稲井の返答は社会人にあるまじきオウム返しに。


「仕事のことです。今後、大陸に波乱が巻き起こることは稲井殿が仰ったとおりでしょう。すでに黄巾賊の一揆の影響で、鉅野にも住処を失った難民が流れてきています」

「ああなるほど。食いぶちが無くなりそうだと」


 町単位でエンゲル係数が上がっているようだ。つまり――


「開墾の手伝いか」


 李典は神妙に頷いた。


「はい。開墾指揮を執ってください」

「指揮? そ、それはちょっといきなり重役すぎないか?」


 人手が足りないから手伝えと、その程度の命が下されるものと思っていたのだが予想を軽く上回っていた。


「出来ませんか?」

「むぅ。土を掘るのは確かに慣れてるけどなぁ。俺、農業の経験はないんだよな」

「少しでも生産効率を上げたいのです。稲井殿の知識を役立ててはくれませんか」


 農耕に関しての知識量は、それを専門にする人とは比べるまでもないが、歴史としてはそれなりに知っている。

 となれば多少なりとも力になれることもあるかもしれない。


「わかった。色々と試してみるよ」


 言うと、李典は表情を明るくした。


「お願いします。私にも手伝えることは手伝いますので」


 働かざる者食うべからず。

 仕事をして役に立たないことには、李家が稲井を雇っている理由がない。この時代でどこまで活躍できるかなどわからないが、できる限りの知恵は働かせてみよう。


 稲井は生き延びたい。この地で果てるわけにはいかないのだ。

 帰る方法が分かるまで、稲飯はがむしゃらに生きることを決めた。


 そのためにはこの時代のことをよく知らなければならない。

 知識と実態は得てして差異があるものである。


 その後は稲井の、これから開墾していく予定地を下見してみたいという要望に応えた李典と、町の周りを歩き回っていた。


 地面を見てその土を少し手にとっては、手帳に情報を書き込んでいる。

 李典は墨を磨らずとも字を書ける道具に驚き、また手帳の紙の質にまた驚いていた。


 その都度説明はしたつもりだが、いまいち理解していないようにも見えた。いずれ改めて説明するように言われてしまったが、それ以上の追及は遠慮してくれた。

 今は仕事のために情報を集めている稲井の邪魔をするまいという李典の配慮だと思われる。

 つくづく年不相応に大人びた女性であると、稲井は舌を巻く思いだ。

 そしてしばらく二人で歩きまわっていると、ふと李典が口を開いた。


「あ、そうでした」

「え?」

「言おう言おうと思っていたのですが、稲井殿は私のことを姓名で呼びますね」

「え、うん」

「名をあまり呼ばれるのは恥ずかしいので、字で呼んでいただけると」

「……あ」


 言われた瞬間はっとして、瞬間に恥じ入った。

 古代中国において名とは神聖なものであり、軽々しく口にすることすら憚られたという。口にすることでその名を冠するものに呪いさえ与えることができると考えられていたはずだ。


「そ、そうかごめん! 名を呼ぶのは失礼になるんだったっけ」


 稲井は深々と頭を下げた。

 早く頭をこの時代に合わせられるようにならなければならないと痛感した。

 稲井の謝罪に、気にしてはいなかったと言った李典であったが、ある疑問は浮かんだようである。


「もしかして、未来には字というものがないのですか?」

「まあ、聞いたことないなぁ。普通に姓名で呼んでる。それに、俺、中国人じゃ……いや、大陸の人間じゃなかったし」

「たしか……日本でしたか。東方と言っていましたね」


 稲井は頷いた。


「時代が違えば文化が違うのでしょうし、仕方のないことかもしれませんが、これからは気をつけた方がいいと思われますよ」


 現代人の身の上ではこの時代に生きる人間が、自分の名にどれほど重きを置いているかわかっていなかった。呼んだ瞬間に斬られたとしても文句は言えないことをしていたのだ。


「わかった。気を付けるよ、曼成さん」


 軽率に名を呼んでしまって、気づいた時には首が地面を転がっていたなんてことになる前に教えてもらえてよかった。

 曼成と、自身の字を呼ばれたことに満足したのか、李典はにこりと笑った。


 それを見て稲井もまた自然と笑みを浮かべていたのであった。


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