初授業とJKの涙
*
特別研修プログラム初日、俺は教官仕様の制服を着込み、控え室で想像を絶する緊張を覚えていた。さっき長澤がやってきて仕事の概要を伝えたのだが、そこで恐るべきことを知ってしまったのだ。
そもそも俺は、自分が極度の口下手で非社交的な人間であることを理解していた。だから最初は教官なんてあり得ないと思っていた。
だが考えてみれば、俺が教えるのは実戦でのイロハだ。人としての徳だとか、小難しい数式を教えるわけじゃない。自分が最も得意とする分野を好きなだけ喋ればいいのだ。
そう高を括っていた俺は、職場に着いて早々、現実に強烈なパンチをお見舞いされた。
「祠木君が教える生徒は五人。みんな十代の女の子よ」
長澤は俺の顔を見て、笑顔でそう言った。
「ふざけるなあああっ!」
心の中で絶叫。
おい、おい、冗談だろ?
無理だ。絶対無理だ。十代の女?
まだ子供じゃないか、しかも女!?
うるさいし、群れるし、扱いづらいったらありゃしない!
思い返せば、俺は学生時代に女と話した経験がない。武器と格闘技にしか興味がなかったから、共通の話題についてこれるオタクな男友達とつるむだけだった。今となってはそれが悔やまれる。
「可愛い娘ばっかりだけど、変なことしたらクビだからね」
長澤は人差し指を立ててそう言っていたが、変なことをする以前に普通のことができそうにない。戦闘一筋でやってきた俺は、普通のコミュニケーションてやつに自信がないのだ。
「くっそ……女とか聞いてねぇぞ。教官なんて適当に殴ったり怒鳴ったりしてりゃ務まると思ってたが……ぬぐぐぐ」
控え室の机に突っ伏し、絶望に苛まれる。今すぐ逃げ出したい気分だが、そうもいかない。男が一度決めたことを曲げる訳にはいかない。
「……ま、まずは第一印象だよな。とりあえず笑顔だ、笑顔。あとは……」
「祠木君、そろそろ時間よ!」
長澤が控え室に入ってきた。ひどく焦っている。
「仕事があるんじゃなかったのか?」
「言い忘れことがあったから戻ってきたのよ。あの子たち、時間にはちょー厳しいの!定刻通りに始めないと、怒って帰っちゃうわよ!」
うわぁ……そんな奴らを教えに行くのかよ。ますます行きたくねえ。しかし、時計の針は予定時刻の五分前を指していた。
そんなわがままが通用するはずもなく、俺は長澤に腕を引っ張られて連行された。なんだか医者に行きたくないガキみたいで惨めだ。
基地の内部にはさすがに見覚えがあった。白く無機質な壁と、様々な配線がむき出しになった天井。俺の古巣だ。
どこへ行っても同じような壁と天井が続いているから、床に書かれた区画ナンバーをちゃんと見ていないと道に迷う。
細長い通路を歩く人々は、みな賢そうな顔で手もとのファイル資料を睨んでいる。この区画にはあまり戦闘員がいないらしい。
月面基地インブリウム。窓から見える灰色の大地は雪原のようで美しい。彼方に見える青い地球がよく映える。今は穏やかなものだが、一度戦いが始まれば、ほとんど地獄と化す。脳裏に様々な記憶が浮かんだ。
*
「はい、ここ。早く入って!」
長澤はそれだけ言うと、仕事に戻るからと立ち去ってしまった。一人になると、少し心細い。
いや、待て。俺は戦士だ。こんなことに怯えてどうする!戦闘に比べれば、ちょろいもんじゃないか!
無理やり自分を奮い立たせ、訓練室のドアを開けた。
まず俺の目に飛び込んできたのは、こちらを冷ややかに睨む少女たちの姿だった。
吐きそうだ。何の匂いか知らんが、微かにいい匂いがする。こんなお花畑みたいな空間に入っていかなければならないだなんて……まるで悪夢だ。
顔を伏せながら、ちらちらと訓練生の様子を見てみた。十代とだけ聞いていたが、実際に見るとやっぱり幼い。普通の高校に通っていてもおかしくないような子供たちが、お行儀よく椅子に座っている。
「あのさ……まだなの?」
背の低い金髪の少女が言った。露骨に不機嫌そうな顔をしている。いや、敵意をむき出しにしていると言った方が適当だろうか。
とにかく、その無垢な瞳で俺を見つめるのをやめろ!そう叫びたかった。できるはずもないが。
「えっ、いや……今始まるぞ」
自分が口にしたことがあまりに間抜けで驚く。声はオカマみたいに裏返ってるし、喉はカラカラだ。
落ち着け、相手は子供だぞ!
「ちっ!マジあり得ない。こんなかったるいことやめて、みんなで遊びに行こ」
金髪娘は俺の顔を侮蔑的に見ながら舌打ちした。おい小娘、ぶん殴ってやろうか?
「まあまあ、何か事情があるのかもしれませんよ?」
金髪の隣に座っている子が言った。座り方に気品があって、落ち着いた雰囲気がある。
よく見ると、彼女たち胸にはネームプレートがついていた。この大人しい子は「潮凪琳」という名前らしい。
「すみませんが、祠木教官を呼んできてくださいますか?私たち、ここで特別研修プログラムを受けることになっているんですが……教官がまだいらっしゃらなくて」
潮凪は俺を見て少し首を傾げた。数秒の間が空いた後、俺も首を傾げた。
「呼んで、くる……?」
「ええ。あなた、清掃員の方でしょう?」
潮凪はキョトンとした。冗談じゃない!わざとやってるなら相当タチが悪いが……どうやら本気で勘違いしているらしい。天然なのか?
「清掃員?おそーじする人?でもこの人ほーきとかもってないよ?」
また別の少女が言った。今度はピンク色の髪をした小学生みたいな子だ。一人だけ隊服を着ておらず、洋装とも和装ともつかない独特なファッションをしている。
「みくる、あんたは黙ってなさい」
金髪がぴしゃりと言った。みくる。ネームプレートを見ると、「入江みくる」と書いてあった。ちなみに、金髪娘は「穂高華音」という名前らしい。
「あーっ、そうやってまたみくるを除け者にする!みくるは小学生じゃないんだよ!」
「知ってるわよ。ややこしくなるから、むこうで遊んでなさい」
穂高は部屋の奥を指差した。すると、みるみるうちに、入江は顔を真っ赤にして怒った。
「ばっ、馬鹿にしてーっ!むんっ!」
両手をブンブン振り回して穂高に飛びかかる入江。幼稚園児の喧嘩か。俺の存在など眼中にないらしい。
どうすればいいんだ……彼女たちの会話を途切れさせる巧い言葉はないだろうか。あれこれと頭を働かせるが、その間も会話はどんどん先に進んでいく。
誰か、仕切り屋のような子はいないのか?部屋を見回すと、ひとり机に向かって俺の方を呆然と眺めている少女に目が留まった。灯台下暗しとはよく言ったもので、彼女は俺から見て一番近くの席に座っていた。
名前を確認しようと胸元のネームプレートを目で探すと、
「ロサです、教官」
突然少女が喋ったので、俺はびくっとした。
「名前を見てたんでしょう?天川ロサです。どうぞよろしく」
そう言って少女はくく、と笑った。薄い唇の隙間から白い八重歯がのぞく。子どもに向かって言うのもなんだが、ぞっとするほど色気がある。
天川ロサは席を立ち、池の魚でも呼ぶようにパンパンと手を叩いた。
「そろそろ終わりなさい。教官もここで困っておいでだ」
すると、驚いたことに入江も穂高もぱっと騒ぐのをやめて席に着いた。
「さ、教官。始めていただけますか?」
何が起こったのか分からなかった。彼女は俺が想像していた仕切り屋とは全然違った。鮮やかに仕切りすぎていて、むしろ怖いくらいだ。
天川ロサ。病的なまでに白い髪の毛が目立つ、どこか神秘的な少女だ。
俺の直感が正しければ、恐らくこいつは只者じゃない。雰囲気で分かる。今までたくさんの戦士たちに出会ってきたが、こいつのようなタイプはどの部隊にも一定数いる。そして、そういう奴はどんな過酷な作戦からも必ず生還する。
「では、これから特別研修プログラムを始める……」
完全に場の空気が緊張してしまったのでやりにくいが、時間は待ってくれない。とりあえず始める事にした。
教卓の前に立ち、咳払いを一つ。ここまで来たら、もう逃げられない。覚悟を決めた。
「俺はこのプログラムで教官を務める、祠木直志だ。以前はインブリウム基地防衛第一部隊に所属していた。俺が体内に所有する変異外骨格は一型、お前たちの二型とは性能で劣る部分があるが、戦闘の実力はそれを補って余りあるものがあると自負している。これから長い付き合いになるが、分からない事があれば遠慮なく聞いてほしい。よろしく」
我ながら完璧な挨拶だ。しかし少女たちの顔を見ると、皆ぽかんとしている。天川だけは何故か笑みを浮かべているが。
「はい、教官」
挙手。潮凪である。
「何だ」
「私、怪獣ってグロテスクだから思い切り戦えないんです。どうしたら克服できますか?」
おいおい……お前は実戦経験のある戦士だろ?今さらそんな下らない事を言うなよ。そう思いながらも、内心ほっとした。この程度のガキどもなら、逆に教え甲斐がある。
「潮凪、お前はどうして怪獣をグロテスクだと感じる?」
そう問いかけると、潮凪は顎に手を当ててうーんと考え込んだ。
「鳴き声とか……目とか口とか、動き方とか。とにかく気持ち悪いんです」
「ふむ……お前は昆虫が嫌いか?爬虫類や両生類は?」
潮凪は顔をしかめた。
「生理的に無理です」
「そうか。じゃあ、今度地球に帰った時に触ってみるといい」
「……は、はい?」
「触るんだ。余裕があれば頰ずりでもしてみろ。そうすれば慣れる。いいか、生理的な嫌悪感を抱きながら戦いなどできん。怪獣は異次元の生物だ。グロテスクで当たり前だ。慣れるしかない」
すると、潮凪は下を向いて黙りこくってしまった。少し厳しく言いすぎたか?とも思ったが、これが現実だ。か弱い女の子のままで戦場に出向かれては困る。
「他にはどうだ?何か聞いておきたい事はあるか?何でも答えるぞ」
手を挙げる者はいなかった。
「何でもいいんだぞ。何でも……」
その時、すすり泣く声が聞こえた。見ると、潮凪がべそをかいている。
「琳……大丈夫?」
入江が席を立って彼女に駆け寄った。潮凪は肩を震わせて泣きながら、頷いた。
「いや、あのっ……まずかったか?」
俺も慌てて教卓を離れようとしたが、
「来ないでよ!」
穂高が叫んだ。彼女は侮蔑的な目で俺を睨みつけ、席を立って潮凪の背中を抱いた。
「よしよし……あんな奴の言う事気にしちゃだめ。ね?忘れるの。いい?」
穂高は優しく声をかけ、潮凪の背中をぽんぽんと叩いた。
俺はどうする事もできずに立ち尽くしていた。訓練用の小部屋が馬鹿みたいに広く感じられた。潮凪は泣き止まず、泣き声に混じって嗚咽が聞こえてきた。
気の毒な事をした……罪悪感が胸を突き刺した。十代の女の子。こいつは怪獣よりもよっぽど手強いかもしれない。
*
プログラムが終わって控え室でぐったりしていると、どかどかと荒っぽい靴音とともに長澤が飛び込んできた。
「何て事してくれたの⁉︎祠木君!」
「えっ……いやぁ、ちょっとデリカシーがなかったか?」
俺の言葉を聞くと、長澤は言語道断!とでも言いたげに拳で机を殴った。顔は怒りで真っ赤である。
「ちょっと⁉︎そんな程度の話じゃないわよ!潮凪さんは大人しい子なのよ、見て分かんない⁉︎」
「わ、分かったよ」
「じゃあ何であんな酷い事を言うわけ⁉︎毛虫やムカデを体に這わせて慣れろだなんて、完全なセクハラよ!」
「おい!俺はそんな事まで言ってないぞ!何だそれ⁉︎あいつらがそう言ったのか⁉︎」
ふざけるな。いくら俺でもそんな爆弾発言はしない。どこで話に尾ひれがついたんだ。
「今のは私の想像だけど」
「どんだけ危険な想像してんだ⁉︎」
長澤はどこか抜けてるんだよなぁ……俺は頭を掻きながら思った。
現役時代もそうだった。普段はやり手でどんな仕事もそつなくこなすだけに、不意にあり得ないミスをされると周りは混乱する。まあ、そういう一面があるから憎めないのだが。
「ところで……」
一方的な誤解が解けたところで、俺は彼女に尋ねた。
「あいつらの評判はどうだった?」
長澤は呆れ顔をした。
「よくそれ聞く勇気あるわね」
「うるせい」
「最悪よ」
「まあそうだよな……」
当然と言えば当然だ。
「担当を変えてくれとまで言われたわ」
「穂高か?」
長澤は首を振る。
「いいえ、入江さんよ」
……あの小学生か。意外だ。
「あ、そういえば……天川って言ったっけ。あいつ、どんな奴だ?」
「天川ロサさんの事?ああ、彼女美人よね」
長澤は目を細めた。いちいちそういう反応を示すんじゃない。
「そうじゃなくてだな……。他の奴と様子が違ったんだよ。だから気になっただけだ」
あの態度、というか雰囲気……何か気になる。戦士としての勘とでも言うべきか。彼女の境遇には何か秘密があるような気がしてならない。
「分からないわ……天川さんの事は。彼女、経歴に謎が多いのよ。ここに来る前は、たしか父方の祖母の家で生活していたそうよ」
「両親はどうしてる?」
「二人とも存命らしいんだけど……何故か連絡を絶っているのよ」
そう言うと、長澤は肩をすくめた。
恐らく何か理由があるはずだ。それは間違いない。だが、一体どんな理由が……?
「あまり深入りするべきじゃないわ。あなたは学校の教師じゃないんだもの。そこの線引きには気をつけてね」
俺は頷いた。彼女の言う通りだと思った。所詮、俺は教官だ。隊員のプライベートにまで首を突っ込む必要も権利もない。
「それとね、祠木君」
長澤はやや口調を変化させて言った。
「今回の件は最初だから水に流すけど、彼女たちとの接し方には本当に注意してね。あなたの担当は、以前私たちが居たような、荒くれ者ばかりの部隊じゃないの。彼女たちは戦士である前に、一人の人間よ。それもまだ幼い女の子なんだから。それは絶対に忘れないで」
「ああ……分かったよ。気をつける」
潮凪の涙を思い出すと胸が痛む。たしかに、あの発言はマズかった。
そりゃそうだ、女子高生に対してあんな事を言うなんてどうかしてる。俺は教官という立場に甘えていたのかもしれない。
「でも、いい機会かもしれないわね。口下手なあなたが他人と深く関わるなんて、今までの人生であった?」
「ないな」
即答した。
「でしょう?だから、きっといい機会よ。色々試して、失敗して、そこから学んで……そうやって少しずつ分かり合っていけばいいわ」
泥臭い方が祠木君に似合ってると思う。長澤はそう言って笑った。いつも通りの可憐な笑顔に、俺は思わずほっとする。
「先が思いやられるよ……こんな七面倒臭い仕事。怪獣を倒すよりよっぽど難しい」
俺は深くため息を吐いた。たった一時間の授業だったが、丸一日休まず戦った後のような疲労感がある。これがあと何回続くんだ?……正直考えたくない。
その時、けたたましい警報音が施設内に鳴り響いた。怪獣警報だ。頭で理解するより先に、体が動いていた。
俺と長澤は特に示し合わす事もなく同時に控え室を出て、走り出した。出撃区画へと……。