世界最強の戦士
*
変異外骨格が軋む。毛細血管のように張り巡らされた無数の繊維が俺の視界を覆い、太くたくましい肉体を形成していく。
眼前に迫る怪獣……名前など知らない。頭部に大きな一つ目を光らせ、牙をむいて襲いかかってくる。
俺の右腕が空を切り、怪獣の頭を粉砕する。ちょろいもんだ。
俺はウルトラスケルトン。黒い巨人。地上では恐ろしく強い怪獣も、宇宙空間では俺たちが打ち砕く。
だが……これは、どういうことだ?
何体倒したら終わる?いや、終わりなんてあるのか?俺たちの活動限界は一時間。あと二十分保てばいい方だ。
何かが決定的におかしい……これは何か悪いことが起こる前兆だ……俺にはわかる。何かとんでもないことが……。
*
店内に流れる調子外れのジャズを聴きながら、俺はグラスの中の大きな氷を見つめていた。
一人でいると、どうして思い出すのだろう……思い出したくもない昔のことを。最悪の記憶を。
酒を飲む気にもならないのにバーなんて所にやって来て、バーテンと喋る気もないのにカウンターに座り、頼んだこともないキツい酒を頼み、案の定一口も飲めずにこの有り様だ。考えごとばかりが膨らんでいく。
何か大きな目標とか仕事を達成した人間は、その直後心にぽっかりと穴が開くような心地を味わうというが、何一つ成し遂げてない俺もまさにそんな心境だ。
心にあるべき何かが失われ、脱力感と絶望感が体と心を満たしている。一言で言うと、最悪な状態。
俺がゴオレムに入隊したのは十八の頃だった。それから今までずっと現役で活躍し、常に第一線で怪獣と戦ってきた。命を賭ける仕事は楽ではなかったが、喧嘩っ早い俺の性格に合っていたらしく、苦でもなかった。
俺は同僚からは世界最強の戦士とも呼ばれていたが、結局の所は兵器の性能のおかげであり、俺自身の手柄というわけではなかった。
変異外骨格ウルトラスケルトン。手術により人体に埋め込まれ、本人の意思で起動する生体甲冑ーーまあ早い話、人間を包み込んで巨大な鎧を作り出す硬質繊維みたいなものだ。
俺はその初期モデルを今も体内に持っている。同じ隊員は他にもたくさんいて、巨大化して怪獣を撃滅するのが俺たちの主な仕事だった。
それが唐突に打ち切られたのが半年前。次世代モデルが開発されたとか何かで、要するに旧型の俺はお払い箱にされたらしかった。
裏方に回って働き続けるという手もあったのだが、裏切られた感覚がどうにも拭いきれず断った。その判断に関しては今も特に後悔はない。
俺は戦うのが仕事であり、生きがいだと思っていたのだ。他の仕事をしてまでゴオレムに残ろうとは思わない。
それからは何件か仕事に就いたりもしたが、どれも長続きしなかった。
時計を見ると、既に日付が変わっていた。眠気がないから気づかなかった。
そろそろ帰るか……そう思って酒を煽ろうとした時、誰かが俺の隣に座った。
「すみません、こちらの彼と同じものをくださるかしら」
金属のように冷たく鋭い声。忘れるはずもない。俺はゆっくりと振り向いた。
そこには俺の元同僚、というか元上官の、長澤優子がいた。
「何の用だ」
彼女は綺麗な紺のスーツに身を包んでおり、ウルトラスケルトン時代の面影はほとんどない。昇進したと聞いていたが、そんなやつが俺を訪ねる理由は何だ。
「いきなりね。私の顔を見たらピリピリするだろうと思ってたけど、私が予想していた三倍はピリピリしてる」
「余計なお世話だ」
俺はこいつの喋り方が嫌いだ。
「こんな所で何してるの?このジャズ趣味が悪いわね、スピーカーも貧相だし」
「悪いが静かにしてくれないか。一人で飲みたい気分なんだ」
「そうしてて何か特別な意味でもあるの?」
「……」
あるはずがない。分かりきった事わざわざ聞くなよな。
「まあいいわ、別にあなたのプライベートを邪魔しようってつもりじゃないんだから。昔のよしみで話しにきただけ」
注文した酒が出されると、長澤はそれを一口飲んだ。氷がグラスに当たって澄んだ音を立てる。
オレンジ色の照明が彼女の薬指にはめられた指輪に反射し、きらりと輝いた。
「結婚してたのか」
特に興味もないが聞いてみた。すると長澤は照れ臭そうに微笑んだ。
「祠木君ってそういうとこも見てるんだ。なんか意外」
「うるせえよ」
「だって祠木君が世間話してるとこ見た事ないもん。怪獣と戦う事にしか興味なさそうっていうか、なんか怖いっていうか。ほら、今だってちょっと世捨て人みたいだし」
「お前は……俺を馬鹿にしにきたのか?」
尋ねると、長澤は首を振って否定した。
「違うわよ。本題は別にちゃんとあります」
長澤は膝の上に乗せていたバッグから、書類の入ったクリアファイルを取り出した。
カウンターテーブルに乗せられたファイルを見ると、表紙にでかでかと「極秘」と印刷されていた。頭が重くなる。この女は世捨て人相手にどんな面倒事を持ってきたというのか。
俺がじーっと「極秘」を凝視していると、突然、長澤は慌てた様子でファイルを取り上げた。
「あ、やばい!間違えた!これ祠木君に渡すやつじゃなかった!」
「おい」
「あははははっ、さすがに機密文書は渡さないよ。あちゃあ……まずったわね」
けらけらと笑う長澤をよそに、俺は内心ほっとする。こういうのは心臓に悪い。法外な報酬と引き換えにヤバい仕事でもさせられるのかと思った。
ややあって、長澤は気を取り直したように別のファイルを出して見せた。それにはもう「極秘」なんていう恐ろしい文字はない。ただ、一番上に大きく書かれている「US隊員再雇用制度」の文字に俺は注目した。
「前置きが長くなってごめんね。私、いま人事の仕事をしてるの。それで、ウルトラスケルトン初期モデルの保有者に声をかけて回ってるのよ」
「ほう……人事か」
意外だった。頭脳明晰の長澤が裏方に回っていたとは。てっきり出世して戦闘指揮でもしているのかと思っていた。
所詮はこれが初期モデルの現実とでも言うべきか。前線の仕事は次世代モデルの隊員たちによって独占されてしまっているらしい。
「で、俺にどんな事をやれと?」
「もう、そういう風に言わないでよね。早い話が、教官になってほしいの」
「教官?」
俺みたいな口下手が?冗談だろ?
「そうよ。祠木君の実力と、戦場での豊富な経験を評価して、是非それを後進の育成に役立ててほしいと……」
「断る」
「な、何でよ!」
「後進って、そりゃ次世代モデルの連中の事だろ?いいか、俺は奴らが出てきたせいでクビにされたんだ。なのに、どうしてそいつらのために骨を折らなきゃならないんだ。おかしいだろうが」
「言い分は分からなくもないけど……でも、そんな事にこだわって何になるの?」
長澤は首を傾げた。
言語道断だ。あり得ない。俺を解雇しやがった組織にまた戻るのも癪だが、その解雇の理由となった奴らを育てるために戻るなんて以ての外だ。
「ほっとけ。とにかく俺はやりたくねえ。他を当たってくれ」
「ムキにならなくてもいいでしょ。いちいち根に持つ男って、私キライ」
「お前の趣味なんぞ知るか。やらんと言ったらやらん」
「もう……相変わらず頑固なんだから」
長澤はぷーっと頬を膨らませ、酒をほんの少し飲んだ。
「用はそれだけか?」
長澤はこくんと頷いた。
「だったらもう帰れ。一人で飲みたい気分だって言ったろ。お前がいると胸糞悪くなる」
いい加減面倒なので、ストレートに言う事にした。曖昧な言葉を並べてオブラートに包むのは疲れるから俺の性に合わない。
「……そうやっていつも一人でいて、寂しいとかいう感情を抱く事はないの?」
「随分な言い方だな」
「祠木君だって」
長澤はふふ、と笑ってカウンターに頬杖をついた。
こいつもこんな仕草をするんだなぁと意外に思う。現役時代はもっとエリート然としていて、挙動にもいちいち気品があった。今の様子は、見た感じ、くたびれたOLのようだ。
「私だってね、あの時はみんなと一緒に解雇されたんだよ。今は縁あって別の部署で働いてるけど、しょっちゅう疑問に感じるわ」
「疑問?」
「今の仕事、長澤優子じゃなくても務まるんじゃないかって……。戦場にいた頃はこんなの考えた事もなかったのに、今は常に自分がその場で人から必要とされてるのかどうかって、そんなふうに考えちゃう。ほとんど疑心暗鬼に近いわね。頑張らなきゃ頑張らなきゃって思うのに、どんなに働いても虚しいのよ」
「……」
唐突に始まった長澤の自分語りに戸惑い、俺は返す言葉が思いつかなかった。そもそも日頃から人とこんなに長く話す事がないので、コミュニケーション能力の限界がきたということもある。
「祠木君はどう?自分がこの社会から必要とされてるって思う?」
「そんなこと……」
少なくとも、戦士としては必要とされなかったからここにいる訳だろーーそう言おうとして、止めた。それは長澤も同じだ。
「私ね、今の仕事を始めてすぐの頃は苦しかったんだ。戦闘の経験しかない自分がここで働いていけるのかって、毎日不安だった。ミスもいっぱいしたし、嫌味だって言われたわ。自分はこの場所で本当に必要とされてるのか……っていう疑問が常にあった。でも頑張るしかなかった。戦闘でもそうだけど、生きるためにはとにかく目の前のことに立ち向かうしかないじゃない?」
長澤は俺に向かって笑い、肩をすくめた。気持ちのよい笑顔だった。
「だから、がむしゃらにやってるつもり。今でもね。相変わらずミスはするけど、気持ちは少しだけ楽になったわ」
「それは仕事に慣れたってことじゃないのか?」
「ううん、多分違う。考え方が変わったのよ。人に必要とされてるかどうか気にして生きるんじゃなくて、人に必要とされるために頑張ろうって、そう考えるようにしたの。そしたら悪戯に不安になることもなくなって、前を向いていられるようになったわ」
「ほう……そうかい」
真面目な長澤らしい話だと思った。人に必要とされる……そんなこと気にしたこともない。そもそも俺は他人に興味がない。他人が俺をどう思おうが、知ったこっちゃない。
「祠木君。正直、私がこんなことを言うのはお節介が過ぎるかもしれない。だけどよく考えてほしいの。あなたを必要としてる人は必ずいるわ。少なくとも私は必要としてる。だから、もう一度考えてみて。返事は焦らなくていいから。待ってるから」
そう言うと、長澤はカウンターに勘定を置いて出て行った。
彼女の靴音が店の外に消え、ドアに付いた鈴がしゃらしゃらと鳴るのを聞きながら、俺はグラスの中身を睨んだ。氷は八割がた溶け、酒の色が薄まっていた。
*
二日後、俺は長澤が言っていた教官の仕事を引き受けることにした。