第20話 平日の制服デート・ミスド編
私鉄電車の終点となる駅を降りると、平日の昼だというのに街はそこそこ混雑していた。僕や七瀬のように学生服姿の者はさすがにそれほど多くはなかったが、多くの若者やスーツに身を包んだ勤め人で街はごった返していた。改札を抜けて大きな階段を降りると、目の前に巨大なスクリーンが出現する。若者たちの待ち合わせ場所として有名な場所であるが、こんな半端な時間にも待ち合わせの最中と思しき人がちらほらいるのを見ると、なんだか街は自由だなぁとか取りとめもなく考えてしまう。
そんな自由さを前にして僕らは立ち尽くしていた。
さて、どうしようか。春名に唆されてとりあえずこうして街には出たものの、急なことだったのでノープランである。七瀬と曖昧な笑みを突き合わせた後、映画でも行ってみるか、という無難で面白味もない案で同意した。映画館はこっちだったなと並んで歩き出してみると歩道の道幅の狭さと人通りのせいで歩きづらく、気がつくと七瀬が離れたところにいたり足元の段差につまずいてよろけたりした。ぎこちなかった。おかげでお互いまともに話す余裕もなかった。いっそのこと手でもつないでしまおうかとも思ったがさすがにそれは止めておいた。
たかだか百メートルだか二百メートルだかの距離を歩くのになんでこんなに苦労するのかと思いつつ、映画館に着いた。僕は上映中の映画のポスターを一通り見渡したがどれにもいまいち興味が持てなかった。なにか一つくらいは面白そうなのがあるだろうと、もう一度見てみるが結果は変わらない。諦めて七瀬の方を振り返るとこれまた微妙な顔を浮かべていた。
「なにか見たいやつあった?」
「……うーん。どれも微妙ですねぇ」
「同感」
「映画はやめときましょうか?」
「そだね」
「で、どうしますか?」
「どうしようか?」
映画館のビルの前で二人してうーんと考え込んでしまった。
「……よし」
「む、なにか妙案が浮かびましたか?」
「小腹空いてない?」
「言われてみればそこはかとなく」
「じゃあ、ミスド行こう。三時のおやつタイム兼作戦会議だ」
「なるほど、了解です」
そうして来た道をまた戻り、駅ビルの中にあるミスタードーナツで早くもブレイクタイムを、ということになった。といってもスムーズにはいかない。店内はやはり混んでいて二人分の注文の品が揃ってテーブルに並んだのは入店してから十数分も経ってからのことだった。
トレーをテーブルに置いた七瀬はようやくといった感じで息を吐き、肩にかけた鞄を下ろした。
「おつかれ」
「……この街ではなにをするのにも時間がかかりますねぇ」
七瀬が真顔で感慨深げにそう言って溜息を洩らすので、僕は軽く笑いを堪えながら頷いた。
メロンソーダを一口飲むと七瀬はいくらか元気を取り戻したようで、早速作戦会議が始められることとなった。
「高校生の健全なデートとはいかなるものか?」
「いきなり難問にぶち当たりましたねぇ」
「というかこれが最大にして唯一の問題であるわけだが」
うむぅ、と二人で頭を抱える。そうして悩むふりをしながらもしっかりドーナツは食べる。
「はいっ!」
「はい、七瀬」
「やはりデーとぉとぉは……」
「とりあえず口の中をどうにかしようか。ていうかなぜその状態で挙手した?」
もぞもぞとしばしの咀嚼タイムを終えた七瀬がメロンソーダに手を伸ばした。
「もう大丈夫か」
コクコクと大きく頭を縦に振った七瀬が今度はメロンソーダを口内の飲み干そうとする。だが一気に炭酸を喉に流し込んだせいか苦しそうに咳き込んでいる。涙目だった。
「急がなくていいから、落ち着け」
目尻の涙を拭き取るとようやく落ち着いたようだった。
「はぁ、助かったぁ……。で、なんでしたっけ?」
「こっちが訊きたいよ」
僕は手にしたドーナツのチョコがかかったところに齧りついた。
「それおいしそうですね」
「おいしいよ、オールドファッションだもの」
「……ちょっともらってもいいですか?」
「……いいけど。もう口つけたやつだけどいい?」
「大丈夫ですよ。ミト先輩はそういうの気にする人ですか?」
「……まぁ、七瀬ならいいけど」
「私もミト先輩ならいいですよ」
臆面もなく七瀬はそう言った。
僕が無言で差し出してやると七瀬はそれを手には取らず、そのまま口を持って行って齧りついた。
「もうちょっとお行儀よく、さ」
「だったらもっと食べやすいとこまで持ってきてくださいよ」
「ごめん、なんか意図してたのと違ったわ」
「じゃあ仕方ないですね」
手元に残されたドーナツからはチョコの部分がしっかりなくなっていて、僕は少しだけ悲しかった。
「ほら、ミト先輩も私の食べていいですよ」
そう言って七瀬がポンデリングを僕の口の高さまで差し出してきた。
「いや、僕はいいよ」
「私ももらいましたから、遠慮せず」
「じゃあ、ほら。自分で食べるから」
「ダメですよー」
僕が取ろうとすると手を引っ込めてしまった。
「はい、あーん」
「あーんは止めて」
「だが断る」
はい、あーん、と差し出す。さすがに恥ずかしかったが、七瀬が半分不貞腐れたような顔でこちらを見ていたので仕方がなく言われるままに食べた。
「ふっふー」
なぜか満足げな顔だった。僕はなにも言わなかった。
それから七瀬はまた一口ドーナツを食べた。僕もそれに倣って手元のドーナツを食べた。二人で顔を見合わせてもそもそ食べた。ドーナツのおかげでリラックスできたのか、その頃にはもういつも通りの七瀬で、図書準備室で顔を真っ赤にしていた面影はすっかりなくなっていた。
「なんですか?」
「なんでもない」
そんなにじろじろ見ていただろうか? 僕はさりげなく視線を逸らした。視界の端で七瀬もそっと視線を逸らすのが見えた。やがて再び目が合うとお互いに意味もなく悪戯っぽく笑った。
「ねぇ、ミト先輩。私たちは周りにはどう見られてるんでしょうね?」
七瀬がふいにそんなことを訊いてきたとき、僕はドキッとするよりも先に笑ってしまった。
「どうして笑うんですか?」
きょとんとした顔で無邪気に訊いてくる七瀬だった。
「いや、なんかいかにもウブなカップルって感じのセリフじゃない? それ」
「うそ、そうですか?」
七瀬はまた顔を赤らめて俯いてしまった。その様子がかわいくて僕がじろじろ見ていると不貞腐れたようにそっぽ向いてしまった。
「やっぱ恋人同士だと思われるんじゃないかな」
七瀬がぱっとこっちを見た。
「やっぱそうですよね」
「そりゃそうだろ。あーん、とかしちゃうし」
「……根に持ってるんですか?」
「別にー」
僕はわざとらしく視線を逸らした。七瀬が軽く睨んでくるのがおかしくて放置してみた。ちょっとしてから目を合わせてふっと笑うと、七瀬も顔を緩めた。
「なんかこういうのって緊張しますよね」
「こういうのって?」
「全部ですよ、全部。……デ、デートしてるんだって思うと、ちょっとしたことでもなんか、自分たちがバカップルみたいに人前で恥ずかしいことしちゃってるような気がしませんか?」
「わからなくもないけど、あーんとかしちゃう子にそんなこと言われてもー」
「根に持ちますねぇ。ミト先輩、恥ずかしかったんですか?」
悪戯っぽい視線が僕に向けられた。
「そりゃ、まぁ、ね」
僕は照れ隠しに曖昧な笑みを浮かべながら、それでも素直にそう答えた。そこでなぜか七瀬が黙ったので、視線も合わせず茶化すように言った。
「そういう七瀬も、実は恥ずかしかった、とか」
「……はい」
かろうじて聞こえるような小さな声で七瀬はそう呟いた。予想外に素直な反応が返ってきたことに驚いて見上げると、七瀬はえへへ、と恥ずかしそうに笑った。
「……そうか」
「そ、そうですよっ」
俯いたまま慌ててフレンチクルーラーに手を伸ばす七瀬が、そのときなぜだか酷く愛おしく感じた。
「あ、それで結局これからどうしましょうか?」
急に七瀬が思いついたように叫んだ。
「そうだ、どうしよっか」
そして再び二人してうむぅ、と頭を抱えたりしながらも、ちゃっかりドーナツは食べたりするのだった。